波乱の始まり
翌日、珍しい使いがやって来る。目的はラウラだったけれど、私にも関係のあることだから聞いてほしいと同席を求められた。
「突然、申し訳ありません。ですが、どうしてもお力をお借りしたく。」
「何かあったのかしら。私で良ければ力になるわ。」
エリスさんの専属騎士。彼も随分成長して、騎士らしい態度が様になるようになった。けれど、今日はよく似合う特別仕立ての制服ではなく、私服で来られた。
「愛良と友幸さんの行方が分かりません。二人とも先週の土曜日の帰りから、足取りを追えなくなっているのです。学園や〔虹蜺〕にも聞きましたが、やはりその時以降、連絡は取れていないと。」
大変だけれど、それは私ではなく皇国の兵士に任せたほうが見つかるだろう。彼は何故、私の所に来たのか。
「私も会っていないわ。ラウラもそうよね。」
「うん。詰所には行ったの?」
「優弥さんが騎士だから、全部伝わってる。けど……」
そこで彼は言葉を濁す。何かを探すように視線をさまよわせ、やがて決意の表情を浮かべ、膝をついた。
「〔聖女〕様。これはエリス様からの連絡ではありません。俺の独断です。ですがどうか、ラウラをしばらくお借りできませんか。」
個人的なお願いだから、制服ではなかった。それなら、ラウラに関しても決めるのは私ではなくて、ラウラ自身になる。
「お友達同士でお出かけするのに、私の許可なんて要らないわ。ラウラが自分で決めることだもの。」
「数週間で片付く問題でもありませんから、仕事に差し支えてしまうかもしれません。」
「遠方に出かけられるの?エリスさんはご存じかしら。」
言葉に詰まられ、目を逸らされる。
「申し訳ございません。その身の安全も約束できないのです。ですが、俺には彼女の協力が必要なんです。」
「秋人なら他に頼れる相手もいそうだけど。」
切羽詰まった様子を見せる彼に、ラウラも疑問を抱いた。
ラウラでなければならない理由。突然、リージョン教の枢機卿と〔聖女〕のお屋敷に、エリスさんの要件ではなく個人的なお願いをしに来る理由。もちろん、その行動を私たちは問題にしないけれど、それを快く思わない者も多い。専属騎士の彼には許容される行動も、その立場にないただの彼には許されない。つまり、彼は自分に敵意が向く危険を冒していることになる。
「駄目なんだよ、他じゃ。立場上、ラウラしか連れて行けない。自分の意思で、危険を冒してくれる人じゃないと駄目なんだ。頼む、友幸さんと愛良を助けるために。」
「どこにいるかご存じなの?それなら、皇国の兵士の方に」
「できません。俺は知らないはずなんです。どうか、どうか、お願いします。」
深く頭を下げられる。はず、ということは何かを知っている。けれど、それを言うことはできない。彼個人の行動と主張する理由も、言えない理由も、皇国の兵士に頼れない理由も、何も分からない。彼なら真っ先に頼れるはずの人に助けてもらわないことも、私には不思議だ。
「エリスさんにはお話しになった?突然いなくなったら、彼女も心配するわ。」
「それは……」
何かを言いかけるように口を開くけれど、結局何の音も発さないまま、閉ざされる。エリスさんの周りの方はどうしてこう、隠し事が多いのだろう。
「話せる範囲で構わないわ。きちんとお出かけ先と、帰る予定の日をエリスさんにも教えてあげて。きっと心配で不安になるわ。」
「ご忠告、感謝します。それで、ラウラを、貸していただけますか。」
決めるのはラウラ。断ってほしいという気持ちを封じ込めて、その目を見れば、もう彼女は決めていた。
「私は、愛良ちゃんを助けたい。」
これを決めるのはラウラだけど、私はラウラが心配。彼があえてその身の安全を約束できないと言うからには、危険な場所に赴くのだろう。数週間で解決しないということは、遠くで危険な目に遭ってしまう。私が近くにいてもその身を守れないけれど、危険な場所に行かせたくもない。彼が個人として訪ね、聖騎士ではなく愛良の友人のラウラを求めるなら、私もただのマリアとしての願いを口に出せる。
「そこは危険なのよね。」
「はい、確実に。最悪の場合、どちらも助けることができず、自分たちも犠牲になるだけでしょう。」
そんな場所に、彼はラウラを連れて行こうとしている。
「断った場合、貴方はどうするつもりかしら。」
「マリア!私は行きたい。」
「一人でも向かいます。俺にできるのはそれだけですから。二人を助けるのに、一人では難しいでしょうけど。」
二人ならどうにかできる問題なのか。助けに行けるのに皇国を頼れない状態で、若い二人だけで向かって、助けられるのだろうか。
「なぜ、ラウラでなければいけないの?」
もっと実力も判断力もある大人に頼ってほしい。そんな気持ちを込めれば、彼はまた言葉を探す。その間に、ラウラが私に訴えかけた。
「私は愛良ちゃんを助けられる。強いのは知ってるでしょ?心配しないで。大丈夫だって。秋人も学園の時から強かったし。そこからエリスに鍛えられたなら、もっと強くなってるはずだから。もう私も秋人も、立派な騎士なんだよ。」
「だけど、心配なの。」
引き留めることは罪。ラウラの意思を妨げている。私は今、罪を犯していると自覚してなお、ただのマリアがラウラを守りたいと思っている。
「愛良ちゃんのことは?心配じゃないの?そんな危ない所に今いる愛良ちゃんのことは、心配じゃないの?」
「そうじゃないわ。だけどね、ラウラ。」
「そういうことでしょ。私を優先してくれるのは嬉しい。だけど、戦える私と、無力な愛良ちゃんなら、愛良ちゃんの救出を優先すべきなんだよ。」
ラウラの言うことはきっと正しい。今、私は我が儘を言っている。エリスさんの専属騎士の彼一人に、全てを任せようとしてしまった。一人で危険に突っ込んで、愛良と杉浦さんを助けてほしいという意味のことを、私は言っていた。
私が反省している間に、彼は言葉を見つけられた。
「立場と信用です。俺個人の知り合いで、貴族ではなく、秘密を守ってくれると信じられる相手。そして、危険な場所でも一緒に来てくれる人、その実力を持っている人。その全てに該当するのは、ラウラだけです。」
一人では難しい。二人でも最悪の事態が考えられる。ラウラは愛良を助けたい。私も愛良と杉浦さんが心配だけど、ラウラのことも心配。
「私は行くよ。詳しく教えて。」
「ここでは言えない。明日の朝、港で待っていてほしい。」
「エリスは来ないの?」
沈黙が返って来る。話すらしていないなら、来るはずがない。
「私は伝えるべきだと思う。エリスは強いんだから、一緒に来てもらえば良いでしょ。なんでまず一番に、エリスを頼らなかったの。」
「言えないんだよ、何にも。俺からは何も言えない。」
苦しそうに表情を歪めるけれど、何も答えない。彼からは言えないということは、誰かからなら言える事柄なのか。それは相手から口止めされているということか。これでは何も分からない。それでも、彼はここに来た。何も言えないけれど、助けを求めて、私たちの所に来た。
私も覚悟を決めよう。大切な友人を失わないために。
「ラウラ、信じているわ。だから、必ず無事に帰ってくるのよ。」
「分かった。必ず愛良ちゃんを連れて帰って来る。秋人、家に連れてって。私からエリスに話をする。」
きっと話は長くなる。もう一度会ってしまえば、私はきっとまた引き留めてしまう。
「ラウラ、今夜はエリスさんのお世話になってくれる?」
「分かった。マリア、またね。」
一週間過ぎ、二週間過ぎ。不安がどんどん募っていく。私の身は他の聖騎士たちが守ってくれている。だけど心は守れない。待つだけが、とても辛くて。戦う力が私にもあれば一緒に行けたとすら思ってしまう。
気晴らしに向かう、いつもの喫茶店でも、それは気付かれてしまう。
「ご心配事がおありですか。」
「ええ。ちゃんと帰ってきてくれるのかしら、って。」
ぽつりぽつりと心配と不安を零す。文章になっていないと自分でも分かる言葉で、思いつくままに音にしていった。
ことりと、注文していない菓子が目の前に置かれた。
「俺にはこれくらいしかできませんから。信じましょう。俺もラウラが強いことは知っています。もらった一発は重かったですから。」
以前、怒りのままにラウラが殴りつけた腹部を擦る。痣になったとラウラに苦情を入れているところを聞いてしまって、酷く心配になったのを覚えている。後で、ラウラに手加減してもらうための嘘だと弁解されたけれど、それが私を心配させないための嘘だったのだろう。
「ええ、そうね。ラウラは強い子よ。私と出会うまで、誰かに守られることなく生きてきた、強い子よ。私のことまで守れるくらいに、強いの。だけど、だけどね。」
「心配されるお気持ちは分かります。俺も、色々されていても心配になるんですから。」
こんなに心配されていて、ラウラはどうして行ってしまったのだろう。いや、分かっている。自分なら大丈夫と信じていて、愛良のことが心配だから、彼女は向かった。
「愛良のことも、杉浦さんのことも心配なのよ。どこにいて、どんな目に遭っているのかしら。」
エリスさんなら知っているだろうか。今日やっと、予定が付いたと連絡が入ったから、お話を伺える。
「ご馳走様。お話を聞いてくださってありがとう。少し、元気になれたわ。」
「またいつでもお越しください。お待ちしています。」
寂しそうな表情をさせてしまっていると自覚しながら、何も弁解することなく、振り返ることもせず店を出た。
「エリスさん、こんな時間にごめんなさい。」
「どうしたのかしら。予定では午後だったと思うのだけれど。」
ラウラたちの様子が気になって、約束を破る罪を犯してしまった。私には言えない、ばかりでもエリスさんには言えるかもしれないと、連絡が来ているかもしれないと、気持ちが焦った。
「ええ。だけど、ラウラたちのことがどうしても気にかかってしまって。」
「分かるわ。私も心配だもの。だけど私にも分からないの。連絡を取れる状態でないことは分かるのだけれど。」
お茶に手を付けるエリスさんの表情は、私と同じ心配に染まっている。何も聞いていないのだろうか。
「貴女の専属騎士は何も?」
「ええ。長期の休暇を求められただけだわ。ずっと頑張ってくれていたから、許可したのだけれど。」
それだけのはずはない。私にまで教えてくれた、愛良と杉浦さんの行方不明についてくらい、話しているはず。ラウラもそれについてエリスさんに聞きに来ているというのに。
「エリスさんは強くていらっしゃるわ。愛良と杉浦さんを助けるために、手を貸してあげることはできないかしら。」
「もう遅いわ。」
「その時、手を貸してあげることはできなかったのかしら。」
これも正しくない行いだ。既に過ぎてしまったことを、反省を促す意味以外で責めることは罪。
「できないの、マリア。私がどれほどそれを望んでいようとも、彼に託すしかなかった。」
苦渋の決断。そう声と表情で訴えられる。
「そう、ね。ごめんなさい。私も二人を助けるために、ラウラを送り出しているもの。エリスさんのことは言えないわ。」
「私とマリアは違う。マリアにはその力がない。私には力がある。だけど、私の立場がそれを使うことを許さない。」
「ただのエリスさんが行くわけにはいかないの?」
首を横に振るエリスさん。助けたいと願っているのはただのエリスさんなのだから、ただのエリスさんとして向かう手がある。
「ただの私も、立場を持った私も、どちらも私という一人の人間よ。それを完全に分離させて考えることはできないわ。」
エリスさんは未だ苦しみを抱えておられる。それを少しでも軽くするために、私は〔聖女〕のマリアになっても良い。そう思うのも、友人を救いたいと願うただのマリアの思いだから。
「ねえ、エリスさん。何を抱えていらっしゃるの?私にもそれを、背負わせてくれないかしら。」
「彼らが帰って来た状況次第ではそうなるかもしれないわ。今は何も教えらえない。」
私だけ、取り残されている。エリスさんは何かを知っていて、おそらくそれをご自身の専属騎士には共有されている。ラウラもそれに協力を頼まれた。愛良と杉浦さんも当事者。それなのに、その全員と関わりを持つ私には、何も教えられない。
無力な人間。それをこんな形で、強く意識することになるなんて。




