初めて知るマリア
人によって見えている面は異なる。それは知識として知っていたことでもあり、他人について話している時には意識できることでもあった。けれど、自分が見られる立場として、こうまで強く意識したのは初めてだった。
〔聖女〕のマリアと、ただのマリアと。二つを分けて見ない人と、ただのマリアには強引な部分があると見る人と。分けない人には〔聖女〕のマリアとして接することが多かった。強引と感じた人にはただのマリアとして接することが多かった。
それなら、〔聖女〕のマリアだけれど、宗教関係の話が少ない相手なら、私がどう見えるのかしら。
「だから、気になったの。島口さんには違いがあるように感じられるのかしら。」
「そんなことを考えておられたのですか。」
宗教省に来るときはいつも〔聖女〕のマリアで、島口さんと会う時もそう。〔聖女〕のマリアのことだけ知っている。だけど、ただのマリアの影響もきっとある。
「強引な部分があると思われる?」
「どうでしょうね。」
答えてくださらない。
「可愛い部分はあると思われる?」
「どうかされたのですか。」
「妹にね、〔聖女〕のマリアもただのマリアもそう大きく変わらないと言われたの。だけど、ただのマリアの友人は、ただのマリアにはそんな部分があるっておっしゃったの。」
他の人に教えてもらわなければ分からないことというのは、本当にたくさんあるものだ。自分についてでさえ、自分が全て知っているわけではない。
「好ましく思っている相手になら、可愛い部分も格好良い部分もあるように思えるものです。」
「それは知っているわ。そうではなくて、〔聖女〕のマリアにはない一面を、ただのマリアは得られたのかしら、と思ってね。」
人としての深みが増していく。そんな気がしてしまう。〔聖女〕としてあるだけではなくて、ただのマリアとしても立派になれる気がしてくる。
「仕事中と私的な時間では、気分や行動が異なるという話でしょう。俺から見れば、今こうして話しているマリアさんも、〔聖女〕でも何でもないただのマリアさんに見えますよ。」
「あら、不思議ね。私は〔聖女〕のマリアのつもりなのだけれど。」
ここには〔聖女〕だから勉強に来られているのだから、ただのマリアになる余地はないはず。
「今は休憩中ですからね。それに、宗教関係の話をしているわけでも、信者の方が近くにいるわけでもありませんから。」
気付かないうちに、ただのマリアになってしまっていたのだろうか。困りはしないけれど、不思議な気分。〔琥珀色の時間〕にいる時とは、大きく異なる心持ちでいるというのに。
「それなら、〔聖女〕のマリアとただのマリアの違い、あるように見えるのか教えてくださいな。」
「活動中や集中しておられる時と、休憩中や気を抜かれている時は当然、違った様子に見えますよ。」
意外だ。ラウラには見えないのに、島口さんにまで見えているなんて。
「どんなふうに違うのかしら。」
「緊張しておられるか否かです。そろそろ勉強のほう、再開しましょうか。」
「待って、もう少しだけ。どうしてラウラや信者の方々には見えないのかしら。」
最も近くにいるはずのラウラも分からない。〔聖女〕と接することも多く、ただのマリアも見てくれているのに、信者の方々にも分からない。それなのに、少ししか〔聖女〕を見ていない慶司さんや杉浦さん、少ししかただのマリアを見ていない島口さんには見えている。
彼らの違いは、リージョン教会に来ているかどうかだけ。教会に足繁く通っている人のほうが見えているものが少ないのは不思議だわ。
「〔聖女〕というものに対する、思い入れの強さ、でしょうか。信仰心が強ければ、それだけ〔聖女〕らしい面が見えやすいのかもしれません。」
ラウラは、私がいつでも〔聖女〕だと言っていた。聖職者の私の傍に長くいたから、そう見えるのかもしれない。それなら、これからただのマリアを知ってもらえば良い。慶司さんも一緒に三人でお出かけすることはこれから何度だってあるだろう。ラウラにだってそのうち、ただのマリアが分かるようになる。
「ただのマリアにも〔聖女〕らしい部分はあるということね。」
それは仕方ない。私もただのマリアを知っていっている途中だから、まだまだ知らない一面を秘めている。
「では、続きをしましょう。」
ここからは〔聖女〕のマリア。きちんと集中して、知らないことを知っていく。
帰宅して、ラウラの前ではただのマリアになる。けれど、その後オルランド様に自分の成長を見ていただく時、〔聖女〕のマリアに戻る。
「本当に良いご友人を、持たれましたね。」
「ええ、みんな素敵な人よ。オルランド様、本当にありがとうございます。あの時、オルランド様が街歩きを勧めてくださらなければ、私の世界は小さなままだったでしょう。」
神の愛する世界はリージョン教の世界だけではない。他の宗教も国家も、その全てを愛しておられる。けれど私はそのほんの一部しか知らず、自ら知ろうともしていなかった。
「マリア様の力になれたのなら、これほど嬉しいことはありません。マリア様、貴女のご両親も特別の愛を育まれて貴女を為したのでしょう。人は神ではありません。誰かを愛し、誰かを愛さないことは、罪ではないのです。」
人は神ではない。それは当たり前のことで、だからこそ人は成長し、変化していく。完全で変化のない神が人を愛されるのは、人が不完全で変化していくから。愛されているから、不完全な人の過ちを赦される。
「ええ、私たちは神ではありません。会ったことのない人を愛するのは困難です。罪だとしても、神は全てを赦してくださいます。」
「ですから、マリア様。貴女もご自分に特別な愛を赦して差し上げてください。マリア様ご自身が、人に差を設けることを、認めて差し上げてください。」
神は全ての人を平等に愛される。けれど、人にはそれができない。私もラウラや慶司さんを私にとっての特別にしているという点で、平等の愛を持てていない。そしてそうはっきりと意識できるということは、オルランド様の言うそれを、私は既に認めている。
「はい。特別としないことが、むしろ相手を傷つける結果になることもあると、私は知りました。」
ラウラは私の特別でいたがった。自分の感情を制御できなくなるほど、そう思ってくれていた。そのラウラを救えたのは〔聖女〕のマリアではなくただのマリア。
「貴女はまだ若い。様々な愛を、これから知ることでしょう。自分の未知の感情に戸惑われることもあるでしょう。ですがその感情を、否定しないでいてください。」
「はい。自分の感情を否定することは、自分を否定すること。ひいては、神の愛する人を否定すること。私にそのようなことをするつもりはありません。」
罪は赦される。けれど、そこに悲しみがないわけではない。
「マリア様にはまだ早いお話だったでしょうか。ですが、いずれ知ることになる感情です。何かあれば、私でも、ラウラでも、他のご友人でも、誰か話せると感じた人に、ご相談くださいますか。」
「はい。その時には頼りにさせていただきます。」
オルランド様は長く生きておられる分、私などより世界についてご存じだ。人についても、人の感情についてもよく知っておられる。人については懺悔や信者の方のお話しから知ることも多いけれど、オルランド様からお聞かせくださったことも、懺悔や説教で助けとなっている。
私を待つラウラの前に座り、侍女の入れてくれたお茶を味わう。
ラウラとの対話でも、オルランド様のお話は助けになったことがある。だけど、ただのマリアとしてラウラの前に立つなら、それに頼り過ぎてはいけない。あまりそれを参考にすれば、私は〔聖女〕のマリアになってしまうから。
「マリア、どうしたの?オルランド様とお話ししてからぼーっとしてるよ。」
焼き菓子を目の前で振って見せるラウラ。お行儀が良くないと、彼女のその手を持って彼女自身の口に向ければ、大人しく食べ始める。
「少し考え事をしていたの。どうしたら、ラウラにもただのマリアを分かってもらえるかしら、って。」
「そう言ってもなぁ。マリアがただのマリアを知る前と、今はただのマリアなのって言ってからと、あんまり違いが感じられないんだよね。たしかに〔琥珀の君〕といる時は、ちょっとだけ違うかもって気はするけど。」
〔琥珀の君〕、と力を入れる。またこれだ。ラウラは時々慶司さんに敵意を向ける。だけど、こういう時はきちんと私の気持ちを伝えてあげれば、ラウラも安心してくれる。
「ラウラのことも特別よ。特別なたった一人の妹なの。」
「うん、そう言ってくれるのは嬉しいよ。私もマリアが特別なたった一人の家族だから。」
何度だって確かめ合う。人は変化していくものだから、その気持ちは変わっていないと伝えることも大切だ。ずっと一緒にいるために、その心を繋ぎ続けるために、とても大切な行為だから。
「だけど、〔琥珀の君〕のことも特別なんでしょ。」
「ええ、特別なたった一人の、あら、何かしら。友人は一人ではなかったわ。特別な友人ね。」
エリスさんや愛良、杉浦さんも同じように特別な友人。こうやって少しずつ、人は特別を増やしていくのね。
「ラウラにはもっとたくさん、特別な人がいるでしょう?学園でたくさん、お友達ができたのだもの、ね。」
「私の一番の特別はマリアだよ。他は普通の友達。」
普通の、と言うような子は友人を大切にすることを忘れてしまうことがある。〔聖女〕のマリアなら説教を始めるけれど、ただのマリアなら聞き流す。ラウラはただ、私が特別であることを強調したいだけだから。
「ねえ、マリアの一番は誰?」
少し身を乗り出すラウラ。難しい質問だわ。一番には色々あるもの。一番の妹はラウラ、一番頼っているのはオルランド様、今一番心配なのはエリスさんと杉浦さん。
どれを答えよう。全て教えれば良いのか、ラウラと言ってあげようか。
「そうねえ。一番の妹なら、ラウラよ。」
「もうそうじゃないのに。でも、ありがとう。」
正解の答えなら、ラウラは満足げにお菓子を食べる。今日もそうして、次の話題に移っていった。




