エリスさんの立場
二、三週間に一回の頻度で開催されているエリスさんとのお茶会。今日は良い天気だから庭にしましょうと、池も見える場所に案内してくださる。
机も椅子も白く、濃い青の花々が咲き誇る中で、そこだけ浮かんで見える。自分たちが絵画の中の住人になるような気分だ。
「素敵ね。いつもこうやって楽しんでおられるの?」
「そんなわけないわ。マリアが来るから特別よ。今だけ移動させたの。」
一瞬で消えてしまう一枚の絵。エリスさんは、私が帰ればすぐにここを片付けてしまうだろうから。
「エリスさんとお家の方で、この一瞬のためだけに作られた風景なのね。」
「そんな言い方をされるとくすぐったいわ。それに、これも侍女の提案なのよ。私ではこんなにおしゃれなこと、思いつけないわ。」
侍女からそうやって教えてもらえるのも、エリスさんの人望。素敵な人に慕われている証拠だ。
「本当に美しいわ。こんな中で立場の話なんてしたくないくらい。」
「何か聞きたいことがあるのかしら。」
「ええ、先週のお勉強で気になったことがあったの。貴族に関するお話だったのだけれど、とても量が多くて複雑なのね。あれを全て、エリスさんもエリスさんの専属騎士も覚えておられるの?」
「そんなわけないでしょう。まだ勉強中よ。」
エリスさんも私と同じ船で皇国に来られているから、そんなにすぐに覚えられるわけがないのだろう。けれど、幼い頃からお勉強を続けられている専属騎士の子もお勉強中なら、先は長い。
「専属騎士の子もまだなの?」
「情勢は刻一刻と変化していく。一度勉強して終わりにはできないものなのよ。」
私はまだまだ。過去から始めれば、追いつけないかもしれない。
「もう一つ良いかしら。エリスさんのお立場に関する勉強はまた今度とも言われたのだけれど。どういったお立場なの?」
「そう、ねぇ。」
静かに水面を見つめられる。やはり教えてくださらない。大陸の王女であることしか私は知らず、それも口に出してはいけないこと。〔聖女〕のマリアならこんなに聞かないけれど、ただのマリアは友人のことをもっと知りたい。
「無理にとは言わないわ。ちょっとした興味だもの。」
「国外からの留学生、が一番簡単な説明ね。貴族の子を引き取ったことで、少し変化は生じているけれど。」
お勉強のために海まで越える。とても勉強熱心だけれど、留学生ということはいずれ国に帰ってしまうということ。
「いつまでこうしてお話しできるのかしら。なんだか、寂しくなってしまうわね。」
「まだ決めていないの。いつ戻るかは分からないわ。帰るとしても近くないから、心配しないで頂戴。」
エリスさんのお心次第で決められる。ここにいたい、私とお話ししていたいと思っていただけたならとても嬉しいことだけれど、それはエリスさんの決めること。
「そうね。でも、人を引き取ったということは、長くこちらに滞在されるおつもりではあるのかしら。」
「そのつもりではいるわ。いつまでになるかは分からないけれど。」
それまでの時間を大切にしよう。いつだって大切にしたいけれど、忘れてしまうこともある。こういったきっかけで思い出していきたい。時間的な制約を知って初めて、大切さに気付くことだってあるのだから。
「そういうマリアはいつまで滞在するか決めているのかしら。」
「いいえ。ここには離れがたい人ができたから。」
ラウラはきっとどこへでもついて来てくれる。けれど、エリスさんや愛良、杉浦さん、それから慶司さんには、ここを離れてしまえばきっと会えない。ただのマリアがようやく得た、気付けた友人たちから、ただのマリアは離れたくない。
「良いわね。そういう人がいるというのは。」
「エリスさんにはいらっしゃらないの?」
「マリアのように純粋には想えないわ。」
私もエリスさんにとっては離れられる人間なのだろうか。同じだけの想いかどうかなんて、計れるはずもないけれど。
風の音と茶器を動かす音だけが、その場に響いた。その静謐を破るのは、人の足音と、それに続く力に満ちた声。
「エリスさん、手合わせして……あ。」
「マリアが来ると言ったでしょう。」
専属騎士の子だけれど、今日はお休みのよう。制服ではない気軽な服装で、エリスさんに対しても友人に対するような態度だ。
「こんにちは。お邪魔しているわ。」
「失礼しました、マリア様。」
踵を返して去ろうとする彼を引き留めると、エリスさんは彼を庇うように言葉を発した。
「説教なら後で私からするから、許してやってくれないかしら。」
「いいえ、そんなつもりではないのよ。せっかくだから見てみたいと思ったの。船でのエリスさんも、とっても格好良かったもの。」
エリスさんは日頃から動きやすい服装を好まれている。体を動かすことも好んでおられるようで、私の提案に早速軽く腕を回される。
「マリア、決してそこから動かないで、立ちあがらないで頂戴。少々危険かもしれないわ。」
「え、ええ、分かったわ。」
どれだけ激しいのかしら。
専属騎士の彼から木剣を受け取り、正眼に構えられる。彼も同じように構え、場から動きが消える。
「では、行くぞ。」
エリスさんから打ち込みに行かれる。彼は防戦一方、のように見える。けれど、木剣で受け止め、弾き返すことには成功している。
彼は専属騎士、だったはず。なぜ守る対象のエリスさんと手合わせを願うのだろう。それだけエリスさんが強いということなのだろうか。それなら、以前エリスさんがおっしゃっていた通り、身を守るための護衛は必要ないものになる。
お二人とも使っているのは木剣だけれど、真剣な様子で刃を向け合われる。今度は専属騎士の彼からエリスさんへの攻撃が中心に変わり、そこからはもう私には分からないくらい目まぐるしく状況が変わっていく。
大きく一歩、エリスさんが引かれた。
「降参だ。腕を上げたな。」
「当たり前だろ。主人に負けるわけにはいかねえんだから。それでも一本取れてねえし。」
私がいることを忘れたのか、聞いたことのない話し方をされる。彼は後でエリスさんに怒られてしまうかもしれない。そういった部分に厳しいお方のようだから。けれど、エリスさんも以前の勇ましい話し方に戻られている。もしかすると、私に対しては気を付けてくれているのかもしれない。
拍手を送れば、二人ともはっとこちらに向き直る。
「ごめんなさい、マリア。置き去りにしてしまったわね。」
「いいえ。良いものを見せていただいたわ。」
日常的にこのようなことをできる関係を築けているのなら、エリスさんにとってもきっと離れ難い存在になっている。私にとってのラウラとまで言えるほど大切かは分からないけれど。
後で執務室に、と指示をして、エリスさんは彼を下がらせる。一緒にお話ししても構わないけれど、エリスさんはきっと拒まれる。彼はあくまで専属騎士だ、と言って。
「共にありたい人がいるなら、それは純粋な思いよ。自分の感情は素直に受け止めましょう?」
ただの人間なのだから、特別を作るのは自然なこと。全ての人を知ることはできないのだから、全てを平等に愛することなんて、難しすぎる。
「唐突にどうしたのかしら。」
「エリスさんにだって、純粋な思いはあるのよ、という話よ。」
自分では気付いておられないだけ。あるいは認められないだけ。
「そんなものかしら。」
「ええ、そんなものよ。」
お茶で喉の渇きを潤される。椅子に座れば、また池を眺められた。
「私には眩しいよ。マリアも、ラウラも、愛良も。」
「エリスさんだって素晴らしいお方よ。人を守られているもの。」
ご自分にも厳しすぎる。理想が高すぎる人はそうなることもしばしばあるというけれど、もっと自分を甘やかしても良いと、私は思う。ただのマリアを認めた結果、私は様々なものを得られたから。
「全く、マリアは人を褒めるのが上手ね。〔聖女〕として培われた力かしら。」
「その恩恵にただのマリアも与っているのね。」
「ああ、そうね。帰ったらラウラにも聞いてみると良いわ。」
不思議なエリスさんの提案に従って、ラウラにも確かめる。ただのマリアも気持ちを伝えられているかしら、と。
「うん、まあ、そうだけど。そんなの、マリアが言ってるんだから、〔聖女〕の立場からの発言かどうかなんて関係ないよ。」
嬉しいことを言ってくれる。自分の思いを上手く伝えられないのはもどかしいことだから。日々、ラウラにも大切だという気持ちを忘れずに伝えられている。
「それに、マリアが自分で思ってるほど、ただのマリアも〔聖女〕のマリアも変わらないよ。どっちも優しくて、愛情たっぷり。」
「ありがとう、嬉しいわ。でも、私の気分は異なるのよ。今はただのマリア。」
どう違うかは上手く説明できないけれど、その場その場で、別の答えを出している。ただのマリアの時は〔聖女〕のマリアなら取らないだろう行動だって取って、考えないようなことだって考える。
「知ってるよ。私が聖騎士の時は〔聖女〕のマリア、妹の時はただのマリア、でしょ。」
「ええ、ラウラの前ではそうよ。」
一番多く、どちらの私を見るようになった子。そんな子でも、二つの違いは分からない。
「私以外の前ではどう違うの?」
「そうね。基本的には〔聖女〕のマリアよ。だけど、〔琥珀色の時間〕にいる時、〔シキ〕の活動をしている時、聖騎士ではないラウラと一緒にいる時、慶司さんとお出かけしている時は、ただのマリアなの。それから、ただのマリアが出会った人々といる時も、ただのマリアね。」
エリスさんや愛良、杉浦さんといる時は、言わなかった場所や時間にいる時も、私はただのマリアになれる。
「へえ。それ以外はずっと〔聖女〕の気分なんだ。」
「だって、ずっとただのマリアを知らなかったもの。」
だから、ただのマリアはまだ子ども。身近なものですら知らないものばかりで、好奇心旺盛に、色々なものを吸収していく。
「両方のマリアを知ってる人は私だけかな。ちょっと良い気分。」
ふふ、となぜか優越感に浸るラウラ。信者の方々の中には〔シキ〕の活動を知ってくださっている方もいるからラウラだけではないのだけれど、それは言わないであげよう。




