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シキ  作者: 現野翔子
白の章

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私の為したもの

 次の週の〔琥珀色の時間〕に、杉浦さんは来られたけれど愛良は来なかった。


「もう連れて来ませんから。一人で来ることはあるかもしれませんけど。」


 少し怒っていらっしゃる。喧嘩でもされたのかもしれない。


「何かあったのかしら。聞かせていただけないかしら。」

「連れて来たら大変な目に遭ったからです。愛良まで味方に付けるのは反則でしょう。」


 エリスさんとのお話をとても負担に感じられたようだ。


「ごめんなさい。だけど、愛良も仲良くしてほしがっていたわ。」

「愛良の前では取り繕います。マリア様にもご迷惑はかけません。ですから、このようなことは控えていただけませんか。」


 迷惑ではなく、親しくしてほしいだけ。少なくとも、対立することのないように。

 身分だけが理由でないなら考えられるのは、過去に起きた対立を引きずっているか、人柄に誤解があるか。後者なら私から話すことで少し改善させられる。私から見ればエリスさんも素敵なお人だから。


「ええ。その代わり、私のお話を聞いてくださる?」

「どのようなお話でしょうか。」


 聞いてくださるなら、まだ望みはある。これで印象が改善すれば、表面を取り繕うだけではなくなるかもしれない。


「エリスさんはね、とっても責任感の強いお方なの。〔シキ〕の練習中には愛良のことも、大切な妹を預かっているのだからと、とても気にかけていらっしゃるわ。特に愛良は幼く見えるから、年少の者を守らなければ、という意識も持たれているようね。」


 守る力のある者が力のない者を守るのは当然、ともおっしゃった。これは身分や実力も含めた話だけれど、身分だけの話と誤解されてしまいかねないから、ここでは言わない。


「俺のことも守ろうとしているとでもおっしゃりたいのですか。残念ながら、俺はエリス様より年上です。」


 思わずまじまじと顔を見てしまう。彼も幼く見える人だったようだ。それか、エリスさんが大人っぽく見えているのかもしれない。


「ごめんなさい、不躾だったわ。エリスさんは年齢を誤解されているのかしら。」

「知っているはずですよ。エリス様は正確に。」


 それなら実力の話をしなければ、納得していただけない。間違っても、身分だけの話とは思われないように。


「実力も理由のうちよ。エリスさんはとってもお強いの。何人もの海賊を相手に、一人で斬りかかるくらい、その腕に自信をお持ちだわ。だから、何かあっても守れるのよ。実際、私も守っていただいたわ。」


 その武力が必要になることなんて、そうそうないだろうけれど、あっても対応できるという自信は日頃の行動に影響する。


「守っていただく理由が、俺にはありませんから。」

「なくても守ろうとするくらい、エリスさんはお優しいの。」

「冗談でしょう?」


 杉浦さんにはお優しくされていらっしゃらないみたい。ラウラは何度も相談に乗っていただいたとか、お話を聞かせていただいたとか言っていたのだけれど。


「今度、何か相談か、ご質問をされてみてはいかがかしら。きっときちんと話を聞いて、答えてくださると思うわ。」

「機会があれば、という程度でお願いします。積極的に関わるつもりは全くありませんので。その辺り、ご了解いただけますか。」


 お話ししてなお、こうおっしゃられるなら、仕方ない部分がある。無理をさせてしまっても、両者の距離が縮まるとは言えない。本当に次の機会があれば逃さない、という心づもりでいよう。愛良に言ったように、焦っても良いことなんてない。


「分かったわ。私もこうしてお話しする時間を失いたくないもの。」


 機会があれば相談や質問をしようという気になっただけで、進歩だから。しばらくの間は私も静かに見守ろう。




 次はエリスさんの側の状況。何か心境の変化があれば、聞き出したい。


「感謝するわ、マリア。」


 とても良いお顔をされている。エリスさんにも得るものがあった。これだけでも頑張った甲斐がある。


「何か力になれたのなら嬉しいわ。ねえ、何があったのか聞かせてくれないかしら。」

「そうね、あまり詳しくは言えないのだけれど。少しだけよ。」


 いつもと同じ部屋で、今日も美味しいお茶とお菓子をご馳走になる。ゆったりとした時間を、ちょっとした会話で友人と二人で過ごすのも、ただのマリアである実感が得られるひと時だ。


「簡単に伝えたいのだけれど。難しいわね。心の内を垣間見た気分、と言えば良いかしら。」


 思いを伝えられたようだ。二人でなければ話せないことだってあっただろうから、私たちは先に帰って正解だったのかもしれない。微笑んでおられるから、素敵な時間を過ごされたと分かる。


「長くなっても構わないわ。いつも私の話をたくさん聞いてくださるのだもの。今日はエリスさんの話をたくさん聞かせてくださいな。」

「なら、そうさせてもらうわ。」


 だけどエリスさんは言葉を探される。大切に持っていたい記憶なのかもしれない。人と共有したい大切も、大事に抱き締めていたい大切も、どちらもあり得るから。後者なら聞き出すのは無粋だ。


「貴女が話したい範囲で構わないわ。秘密の共有は、時に特別な意味を孕むものよ。」

「そんなに美しいものではないの。ただ、思いを伝えるのはこんなにも困難だったのね、と思っただけで。」

「ええ、言葉だけでは伝わらないこともあるわ。」


 ラウラと出会った時もそうだった。あの時も、歌の力に頼っていた。


「マリアにもそんなことがあるのかしら。」

「もちろんよ。言葉を交わさなければ理解し合えないのに、その言葉も不自由だから。」


 人は言葉を生み出した。けれど、不完全な人が生み出した言葉は、不完全なものにしかならない。それでも、不完全なりに上手く使おうとしている。


「私にはマリアが言葉で困っているようには見えないわ。」

「不完全を愛するからよ。」


 完全な神は、不完全な人を愛している。不完全な人は、同じ人も同じ不完全なものも愛せる。不完全な部分でさえ、愛しく思うことができる。言葉が不完全であるからこそ、様々な手段で思いを伝えようと、芸術的なものでも伝えようとする。それらは、不完全な人だからこそ生み出せたもの。


「マリアの言うことは時々不思議ね。私にはただ、受け止めることしかできないというのに。」

「人はみんな、そうなのよ。ねえ、エリスさんが杉浦さんを守りたいというお話はされたのかしら。」


 信じていただけなかった部分だ。大事なお話だから、ご自分の口から伝えていただきたい。特別な理由なんていらないの、とおっしゃるだけできっと大きく印象は良くなるから。


「したわ。理由も合わせて、ね。本人にとっては余計なお世話だったようだけれど。ごめんなさい、マリア。言えないことが多すぎて、上手く伝えられそうにないわ。相談に乗ってほしい気持ちはあったのだけれど。」


 杉浦さんはエリスさんに関して隠し事をされた。エリスさんも杉浦さんに関して秘密にしておきたい話をお持ちだ。それなら私の出る幕はない。何かできれば良いとは思ったのだけれど。


「私に隠されるのは構わないわ。話せる相手に相談すれば良いのよ。伝えたい相手に、伝えたいことを伝えられるなら。他の誰かに共有する必要なんてないの。だけど、エリスさん。これだけは忘れないで。思いは伝えるためにあるのよ。」

「ありがとう。マリアは優しいのね。」


 隠してしまえば、小さな歪みが溜まっていく。それが亀裂となってようやく、手が離れることに気付く。誰かが教えてあげなければ、その距離は遠ざかっていく一方だ。

 素直でいれば、気付かないなんてことは起きない。エリスさんにも私は教えた。杉浦さんにだって教えていける。彼らならきっと、私にも救える。


「嫌だわ、今日はただのマリアなのに。お説教みたいになってしまったわ。」

「新鮮な体験だったわ。マリアはいつもそうやって、誰かのために動いているのね。」

「それはエリスさんも、でしょう?いつも誰かを守るために生きておられるわ。もう少し、ご自分も大切にしてあげてくださいな。」


 傷も隠すためにあるわけではない。秘密と一緒に共有すれば、より特別なものになり得る。苦しみも一人で抱えるより、誰かに伝えてしまえば、心は軽くなる。一人でどうにかできてしまうからこそ、エリスさんは周りをあまり頼られないのかもしれない。


「以前、反省したわ。私の専属騎士にも泣き付かれてしまったから。私の身に何かあれば、困るのは私一人ではないのよ。」

「気付かせてくれる子が近くにいるのはとても喜ばしいことだわ。それだけ、貴女が大切にされているということだから。」


 それからの会話はぽつぽつと途切れがちになっていく。けれど、不快な時間ではなく、同じ時を共有している感覚に浸らせてくれる。せっかく会っているのだから何かを話したい気持ちもあるのだけれど、たまにはこんな時間も良いものと思える。


「不思議ね。マリアの手にかかれば、全てが素敵で特別な、大切なものになる気がするわ。」

「エリスさんは気付いておられなかったのよ、身近で大切なものに。より良いものを求めるのも良いけれど、今手にしているものを見直すのも、幸せな気分にしてくれるでしょう?」

「ええ、そうね。もっと大切にしなければ、という気持ちにさせられるわ。」


 求め続ける人は、歴史に名を遺す何かになれるかもしれない。けれど、今の幸せだって人は求めている。それは他人から見た大きな幸せではなくて、自分が日々感じていられる幸せ。それが集まって、人々が争うことなく過ごせる世界に近づいていくと、私は信じている。


「どうか、その気持ちを忘れないで。私もこんな時間を貴女と過ごせる、そんな幸せを感じていたいから。」




 オルランド邸へ帰れば、大切な妹が出迎えてくれる。


「お帰り、マリア。」

「ただいま、ラウラ。そんな風に待っていなくても良いのよ。きちんとラウラの所に帰るのだから。」

「私が一緒にいたいんだよ。それに、ずっと待ってるわけじゃないし。そろそろ帰って来る頃かなって、数分だけね。」


 ラウラも一度感情を爆発させたからか、あれ以来少し落ち着いた。聖騎士になっても、ただのマリアとの関係は変わらないと気付いてくれたのかもしれない。


「マリア、明日の説教の内容は決まったの?」

「たくさんのことがあったから、話したいことがいっぱいだわ。どれにしようかしら。」


 思いを溢れさせる大切さ、大切なことを隠し続ける罪深さ、傷をさらけ出す勇気、小さな幸せが繋がる平穏な世界。〔赦しの聖女〕に期待されるのは罪の話だけれど、罪を赦すことは救いを与えることだから、人を救う話ならなんだってできる。

 ただのマリアとしての経験が、〔聖女〕のマリアを深めてくれている。これがきっと、オルランド様が様々なことを経験すると良いとおっしゃる理由だ。


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