第三の罪、偽善
サントスはトリゴ村からバルデス軍を退けることに成功した。しかし、その際の犠牲も大きく、隊の立て直しに時間を要した。
対するバルデスは徴兵制のおかげで、国民を無理に兵に仕立て上げられるため、数だけは揃っている。
そうして私たちが隊の立て直しを図っている隙に、バルデスの農民兵が村を占領した。前回は防衛線だったが、今回は奪還戦だ。指揮はトレント。コロナード隊の生き残りと、戦線に出ていなかった兵を率いることとなる。
今回からは、私も作戦会議に参加する。いずれは自分が指揮しなければならないのだ。戦場を経験するのも大事だが、指揮官としての動きを知る必要もある。それを考えるのなら、自ら最前線に立つのは控えるべきなのだが。
「殿下、今回の指揮は私にお任せ下さい。戦場自体二回目で、まだ不慣れでしょう。指示する者が複数いるのも命令系統に支障を来します。」
「ああ、頼んだ。」
それには私も異論はない。いきなり指揮をしろと言われてもむしろ困る。出しゃばって兵を無駄死にさせるつもりもない。
「では今回の作戦ですが……」
大砲の被害を減らすため、3~4人の小隊での行動が中心となった。各隊のおおよその担当を決めて、まず大砲を排除する。
私も希望して、その小隊の一つに加えてもらった。
「お前と組めるなんて幸運だな。」
これから村を奪還しに行く者とは思えないほどの余裕があるエミリオは、相変わらず緊張感に欠ける男だ。彼も前回が初陣だったはずなのだが。
「手合わせではないのだが。」
「今から緊張してても仕方ないだろ。休める時に休んでおくべきだ。なるようにしかならないんだから。」
彼の言う通りだが、実際にそうできるかは別問題。
背後から足音が近づく。
「殿下、ブリタです。こちらはベロニカ。」
「アリシアだ。今回はよろしく頼む。それと、敬語は不要だ。余計な気遣いもな。」
明らかにほっとした様子のベロニカ。細身で気弱そうではあるが、軍人としては優秀なのだろう。王女相手でも問題ない人間が選ばれているはずなのだから。
「殿下は何故、後方で待機していることも可能だったのに、こちらを選んだんだ。」
見極めるように目を細めるのはブリタ。大柄の女性で、髪もかなり短く整えられており、いかにも戦士といった風貌だ。
繊細そうなベロニカも、内面まで見透かしそうな目で、こちらを見つめている。
「一人でも戦力は多い方が良いだろう。私も、民を守るためにできることはしたいんだ。」
ここで目を逸らしてはいけない。二人に認めてもらう必要があるのだ。私を守る対象ではなく、共に戦う仲間と認識してもらうためには。
戦場を駆け、敵を屠る。迷いが消えたわけではないが、これは私が選んだことだ。そのうち、割り切れるようになるのだろう。
「アリシア、よそ見をするな!」
太ももを斬られ、倒れる味方に視線が奪われる。彼ら彼女らに剣を向けている者に向かって行きたくなるが、ブリタに止められる。
「目の前の敵だけに気を取られるな!」
どこから攻撃が飛んでくるか分からない。銃弾は今の所ないが、警戒を怠ってはいけない。仲間を殺された意識がその相手への殺意を生んでも、それに流されてはいけない。
「どこを見ている!」
次々と倒れて行く味方と敵兵。紅に染まって行く地面、近づいてくる夕日、燃え尽きた家屋の残骸。全てが初陣を思い起こさせる。
それでも殺し、その場を生き延びるだけ。第一王女という身分も同年代の中では優れた剣の腕も、役に立たず、また何人も死なせることになってしまうなんて。
味方が村の中を見回り、敵兵が潜んでいないこと、罠が仕掛けられていないことを確認している。
私も軽く民家の残骸の間を歩く。敵兵の亡骸もほとんど片付けられ、滲んだ地面が戦いの余韻を伝えてくれる。これだけ荒らされれば、再建にはどれほどの月日を要するのだろう。
この後、村人はどのように生活していくのだろう。
路地だった場所で何か光る。
「油断は禁物だな。」
独り呟き、一足に駆け寄る。他のバルデス兵より装飾の多い男の喉を一突きに。隣には何故か幼い男の子が座っていて。
「パパ?」
あどけない声で、男へ這って行く。その手は男の手から離れた銃へと伸ばされる。
「武器を持たない者には危害を加えない。」
銃を蹴り飛ばす。男の子の紅い目は感情なくこちらを見ているが、油断はできない。
我ながら嫌な人間になったものだ。目の前で父親と思しき人物を殺し、慈悲の欠片も見せないなんて。
他にも生き残りがいないとは限らない。先ほどよりも注意深く村の中の練り歩いていく。
「アリシア、あの子はどうしたんだ。」
私と背後の人物の間に立ったエミリオが問うた。
気配を隠す気も、敵意もなかったのだ。誰かがついてきていることくらい、私も気付いていた。
「知らん。」
目的も不明、素性も不明だ。バルデス兵の中でもある程度の地位にあった人物の子、という推測ができるだけだ。
「助けてもらったの。」
無邪気な笑顔で、近寄ってくる。パパと呼んでいた人物はどうしたのか。この上なくこの場に不釣り合いな態度に、不気味ささえ感じられる。
「一度、戻ったほうが良いんじゃないか。その子のためにも。」
見張るという意味合いでも、トレントのいる天幕へ連れて行くのもアリか。
「ああ、そうだな。」
「お姉さん、偉い人なの?」
「いや、こいつのほうがよっぽど偉いよ。」
エミリオのほうがよほど努力を重ねたはずで、現状の把握もできている。その場の激情に流されず、冷静に判断もできる。
「身分の話ならアリシアのほうが偉いだろ。」
「だから守ろうとしてるの?本当にそれだけ?」
「お前の安全のためだろう。」
先ほどの話をこの子も聞いていたはずだが。
「そうかな?お姉さんに安全な場所にいてほしいから、僕を口実にしただけじゃないの。」
まだ、私は守られる対象か。
「トレント隊長、この子はどうすれば良い。」
私にも子どもの時代はあったはずだ。妹もいる。それなのに、この子ども一人すらどう扱えば良いのか分からない。
「殿下はお優しいですね。」
暖かい眼差しに、居心地が悪い。ただ、持て余しているだけなのに。
「僕、お姉さんと一緒がいい!」
人の死が理解できないほどこの子も幼くはない。それとも、衝撃的な出来事を前に脳が理解を拒否したのか。
「お家には帰らないの?お父さんかお母さんか、一緒に住んでいた人はいるかな。」
柔らかく、聞き辛いことを問うトレント。
「いないよ。一緒にお出かけしてたの。」
戦場へお出かけ、か。それなら、もう生きてはいないだろう。上手く逃げおおせていても、会わせることは難しい。
「そっか。じゃあ、しばらくこのお姉さんと一緒にいようか。」
「うん!」
何故嬉しそうな顔をする。私が殺した瞬間を見ていたはずなのに。
「子に罪はありませんもんね。殿下、一緒に居てあげるだけで良いんです。子どもは自分に対する感情に敏感ですから。」
他の隊員たちが周囲の警戒をする中、私は天幕で呑気にお話をすることになる。
「お姉さんは何してる人なの?」
「そうだな、私は……」
何を言えば良いのか。第一王女で、次期女王で、今は軍人だ。しかし、そのどの役目も、満足に果たせていない。
「僕はね、シーロっていうんだ。普段はね、お父さんとお母さんのお手伝いをしてたの。」
「そうか、それは偉いな。」
「お姉さんは何をしてるの?戦ってるの?」
「ああ、そうだ。今は戦っている。」
争いたくない相手と、戦っている。
「だから、パパのことも殺したの?」
この子には私を責める権利がある。憎まれるべきなのだ、私は。
「そうだ。」
「ねえ、人を殺すのは悪いことなんでしょ?人を殺した人を殺すのも、悪いこと?」
「当然だ。相手がどのような人間であれ、個人的に手を下すのは罪だ。」
それを認めてしまえば、国内の治安は最悪の状態になる。何のために私たちは統治しているのか、分からなくなる。
「でも、悪いヤツをやっつけるのは、良いことなんでしょ?だって、お話では悪いヤツをやっつけて、その人はヒーローになって、めでたしめでたし、なんだよ。」
現実でも、敵を排除すれば褒め称えられる。相手を同じ人間と捉えていないからだろう。もしくは、意図的にそう捉えないようにしているか。
「お伽噺と現実は違うということだ。」
「じゃあ、お姉さんは悪い人?」
多くの人間を殺し、味方の兵も死なせている。その点では「悪い人」だろう。しかし、それを認めれば他の兵だって「悪い人」に成り得る。国と民を守るために、命を懸けて命令に従っているだけなのに。
「違う、と言いたいところだな。」
「じゃあ良い人?」
「それも違うな。」
「でも、僕を助けてくれたよ。パパと敵同士だったのに。」
助けたわけではない。今更になって、殺したくないなどと甘えたことを考えてしまっただけだ。
「お前とは敵ではないだろう。」
「僕はバルデス人なんだよ。」
この村にサントスの子どもがいるはずがない。村人は全て避難しており、サントスは子どもを兵士にしていない。近隣の村からも、子どもが一人で来るのは不可能な距離だ。
「知っている。だが、攻撃に意思は見えなかった。」
「トレントさんが言ったみたいに、お姉さんは優しいんだね。」
「そんなことはない。」
「普通は子どもでも敵なら殺すんだよ。パパはそう言ってた。」
「人によって感覚は違うものだ。」
何故、私はこの子を殺す理由をこれほど否定していくのだろう。この子ども一人を殺さなかったところで、私の罪が赦されるわけでもないのに。




