友人とのひと時
皇国に来てから交友関係の幅も広がり、新しい自分も知った。新しい視点も知った。〔シキ〕の活動を始めてからは、エリスさんと個人的に会うことだって増えた。
「最近、マリアは私によく会いに来るのね。」
「ご迷惑かしら。」
ラウラも一緒に来たけれど、護衛としてではない。姉妹で、同じ家にいる別の友人に会いに来ただけ。この場にいないのはそれがエリスさんの方針だから。
「彼も同席させてくれて良いのよ。」
「そうはいかないわ。貴女は〔聖女〕で、あれはあくまで私の専属騎士に過ぎないのだから。」
「今日の私はただのマリアなの。」
ラウラや慶司さんとの度重なるお出かけで、ただのマリアも成長した。だからこういう言葉だって言えるようになったのだけれど、エリスさんは頷いてくださらない。ラウラだって、エリスさんとも話したいと言っていたのに。
「貴女はそう思っていても、周囲はそう思わない。立場ある人間は、常にそれを忘れるべきではないわ。〔聖女〕として立派にやっている貴女に言うことではないかもしれないけれど。」
エリスさんは常に立場を忘れない方。だから〔シキ〕としての活動の時でも護衛を忘れず、必要ないほどご自分が強くていらっしゃっても、傍に控えさせている。
私以上にただの自分をご存じない方。だからあんなに苦しまれて、〔聖女〕に、簡単に秘密を話された。もちろん全てではなく、私に分かるのは深い罪の意識を持たれていることだけ。それなのに、赦しも救いも求められず、〔聖女〕のマリアには救えなかった。
「ただのマリアになって、初めて気付いたことがたくさんあるの。初めて経験したこともたくさんね。それはきっと、〔聖女〕のマリアでは分からなかったことよ。」
様々なことを知ると良い、様々なことを経験すると良い。人を導く者として、それらはきっと助けになる。そう、オルランド様はおっしゃった。エリスさんも聖職者と異なるかたちではあるけれど、同じ人を導く者だ。
「ただのマリアになって、失ったものもあるでしょう。」
人は何かを手に入れ、何かを失い続ける。だけど、ただのマリアを自覚してから、失ったものは思いつかない。
「まだ何も失っていないわ。得るものばかりよ。」
「気付いていないだけでは?私が立場を忘れれば、失うものが確実にあるわ。」
王女の彼女は、私の知らない大きなものを背負っておられる。その身分を隠して、国外の貴族として過ごされて、それでもなお、ご自分の国の民のことをお忘れにならない。
以前は救えなかった。けれど、ただのマリアとしての経験を積んだ今の私になら、そのための言葉がきっと見つけられる。
「私はエリスさんが守るべき相手だったかしら。」
船の上で、私はエリスさんに守られた。そのエリスさんはご自分の民を守るべきなのに守れず、守らず殺したとおっしゃっていた。私はエリスさんの民ではない。ずっと帝国内に住んでいた。帝国に、王女は存在しない。皇女がいたかどうかは知らないけれど、少なくとも王女ではない。
「皇国に来た時のことね。相手が許せなかった、それだけよ。」
自分を赦せないから、同じように見える相手も赦せない。相手を赦せば、自分だって赦せる。
だけど、今の私は〔聖女〕ではない。私が気付いてほしいのは赦されていることではなくて、立場を除いたただのエリスさんも人を守れる人なのだということ。
「あの時、私が〔聖女〕でなくても、エリスさんは助けてくれたわ。」
「何故そう言い切れるのかしら。」
ほんの少し危ないかもしれないとだけ言った杉浦さんと愛良を、エリスさんはご自分の専属騎士に送らせた。どちらもこの皇国の人で、エリスさんが守るべきとされるご自分の国の民ではない。それでも、ご自身の立場のために連れておられる専属騎士を貸し出された。
「護衛を付けられるような立場を持たない愛良と杉浦さんを、守ろうとしたでしょう?あれは、貴女の立場がそうしなければならないと思わせたのかしら。」
私にはそう思えない。その前に、エリスさんは杉浦さんまで食事に誘っているのだから。
ただのマリアに私が気付けたように、きっとエリスさんもただのエリスさんになれる。そうすればきっと、エリスさんの心は軽くなる。ただのマリアも、友人に苦しんでほしくない。
「マリア。貴女にでも、私は言えない。たとえ彼に拒絶されても、私にはやらねばならないことがある。」
以前のような硬い話し方は、これ以上の追及を拒んでいる。それなら、別の方向から聞けば良い。拒絶されても、なんておっしゃっていても、拒絶されたいわけではないはずだから。
「親しくはなりたいのでしょう?それなら、私から言えることがあるわ。」
「何かしら。」
ほら、親しくなりたいという思いは持っておられる。だから、平民の方が貴族の方に対してよく思うことを教えて差し上げた。
「全て慣れてしまえばなんてことないでしょう。」
「なかなか慣れないから、大変だというお話よ。だから、ただのエリスさんがお会いになれば良いの。」
ただのマリアを意識して初めて、気付いたことがたくさんある。少し、それまでとは異なる世界が見えた。
「私はそのつもりなのだけれど。」
「あら、そうなの?それなら、ただのエリスさんが、ただの彼とお話ししたいと言えば良いのよ。それで、どこかにお出かけすれば、今までにない新鮮な体験ができると思うわ。」
自分の世界が少し広がり、神の愛されるこの世界の美しさを、より感じられる。人の身では全てを知ることはできないけれど、少し近づける。
「相手に話す気がある場合のみ、成立することでしょう。」
「その気があるかどうかなんて分からないわ。だから、人は言葉で確かめるの。」
人の心も何もかも見透かす神に、私たちはなれない。だからこそ、何度も対立と和解を繰り返し、少しずつ互いについて知っていく。世界を、次の時代に進めていく。
臆して機会を逃すことも一つの罪。それを罪人が乗り越えられるのは、立ち向かい、次の一歩を生み出した時。赦されることは、消えてなくなることではないのだから。
「マリア。貴女のその心のありようを、私は美しいと思うわ。だけど、それがいつも正しいとは思えない。」
「それはそうよ。私は人だもの。過ちを犯さない神ではないわ。」
私もまた、過ちも罪も犯す、ただの人間。神に赦される人の一人。だけど今日はそんな話はしない。今日の私はただのマリアだから。
「分かってくれないかしら。散歩に誘って、素直に従ってくれる相手ではないと言っているの。」
「エリスさんも素直ではないから、ね。」
「何を言っているの。」
ただお話ししたいという気持ちが伝えられない。親しくなりたいという一言が言えない。大人なようで、思春期の子どものような部分を抱えておられる。そんな彼女のために、二人が親しくなれるよう、ただのマリアにだってできることはある。
「このお話、杉浦さんにお伝えして構わないかしら。手助けできると思うの。」
「まあ、良いけれど。期待しないでおくわ。」
お話に夢中になって、すっかり冷めてしまったお茶を口に含む。少しの苦みが、お菓子の甘さを強調してくれるような物だ。
「淹れなおさせるわ。」
「いいえ、構わないわ。今日はお話に来たのだもの。」
侍女を呼ぼうとするエリスさんを止める。それよりも、もっとたくさんのことを語り合いたい。ラウラを聖騎士としたこととか、エリスさんの専属騎士についてとか。
「ただのマリアにとってはね、ラウラは大切な妹なの。だけど、〔聖女〕にとってはその身を守ってくれる聖騎士なの。貴族のエリスさんにとっての専属騎士は、ただのエリスさんにとってどのような存在かしら。」
ラウラが羨んでいた相手は気になる。それに、とても不思議なこともある。エリスさんとラウラは友人で、ラウラと彼も友人なのに、同じ席には着かせない。
侍女や侍従がみんな、屋敷に住むわけではないとは知っている。けれど、家族のように触れ合うことはできる。時には同じ席に着いて、食事を取り、他愛もない話に興じる。そう気が付いたのは、屋敷でもただのマリアでいるようになってからだけれど。
そんなふうに同じ屋敷の人たちと親密な関係になるには、お話ししましょう、とただ一言告げるだけ。それを、エリスさんは避けておられる。
「マリアが〔シキ〕の活動の時の自分をただのマリアと称するなら、ただのエリスにとっても専属騎士ね。」
〔シキ〕の活動の時のエリスさんはただのエリスさん。確かに、あの場にも連れて来られていたけれど。
「そう、なのね。」
「期待に応えられなくて残念だわ。ただ、そうね。一つ言うなら、貴女にとっての騎士が身を守るためだけのものでも、私にとってはそれだけではないということよ。」
秘密を共有して、何かを任せることもある。そんな話を以前されていたけれど、それも専属騎士の一部と認識されている。それはマリアに〔聖女〕のマリアとただのマリアがあるように、二つの面を持っているという意味なのかもしれない。
「大切ではあるのね。素敵なお話をありがとう。ただのマリアのお話を、もっと聞いてくれるかしら。」
「ええ、喜んで。」
どんどん成長していくマリアは、まだまだ新鮮な出来事に触れている。だから、新しい経験を聞いてほしい。
そうして、ただのマリアと妹はそれぞれ、友人との時間を過ごした。
帰りの馬車の中、ただのマリアは友人たちのための行動を始める。
「ねえ、ラウラ。ラウラは杉浦さんとは親しいかしら。」
「そんなことないけど、どうして?」
先ほどのエリスさんとの会話や以前杉浦さんにお会いした時のことを聞かせる。
「それでね、何かすれ違っていらっしゃるようだから、と思って。」
「エリスとは結構仲良くなったけど、杉浦さんとはそうでもないからなあ。マリアの力になりたい気持ちはあるんだけど。」
直接お話しするしかない。私にできるのは次の機会を待つことだけ。
「そう、ね。ありがとう。お話ししてみるわ。」
「そうだ、愛良ちゃんにお願いしてみようか。たぶん、協力してくれると思うよ。」




