貴方との夜桜
「出かけてくるわ。」
もらったカーディガンを内に着て、まだそれだけでは肌寒いため、薄手のコートを羽織る。
「こんな時間から?」
「ええ、約束があるの。」
ただのマリアを着飾るような装飾品はないけれど、これでも綺麗だと言ってくれるから。
「誰と?」
「〔琥珀の君〕よ。ラウラのこともたくさん聞いてもらったの。」
なぜかラウラは息を飲む。自分のことを話されたくなかったのなら、悪いことをしてしまった。だけど一時、〔琥珀の君〕のことをとても気にしていた。
「マリア、私も一緒に行って良い?」
「どうしようかしら。」
私一人で、とは言っていなかった。だけど、ラウラは〔聖女〕の護衛。ただのマリアに同行する理由はない。
「マリアは〔琥珀の君〕と二人きりが良いの?私がいると邪魔?」
「そんなことはないわ。だけど一つ、約束してほしいの。貴女は護衛ではないわ。ただのマリアと一緒に来る、ただの妹よ。」
私がただのマリアでいるために必要な約束。〔琥珀の君〕にはただのマリアとして誘われたのだから、そうありたい。〔聖女〕の護衛ではなく、妹であってほしい。そんな思いを込めた言葉だった。
けれど、ラウラは悲しそうに顔を歪めた。
「分かった。約束するよ。私は、ただの妹。」
待ち合わせ場所は〔琥珀色の時間〕の前。そこが一番分かりやすいから。
「待たせてしまったかしら。」
「いいえ。改めて、初めまして、桐山慶司です。」
初めて本人の口から聞く、〔琥珀の君〕の本名。また少し、近づけた気がする。
「初めまして。慶司さん、とお呼びしても良いかしら。」
「もちろんです、マリアさん。」
名前を呼ばれるのは初めてではない。けれど、場所や時間が異なるからなのか、新鮮な気持ちになる。不思議と、自分の名前が特別なものに感じられる。
「マリア、騙されないで。学園ではこんなんじゃなかったから。」
知り合いらしく、慶司さんからの口からも、なんでラウラまで、と苦々しく吐き出される。
「いけなかったかしら。私、こういう時の作法には詳しくなくて。ラウラも一緒が良いみたいなのだけれど。」
「今日は三人で行きましょうか。マリアさんとの二人は、次の機会に期待しています。」
次の機会。次も一緒にお出かけができる。私は安堵とほんの少しの高揚を同時に味わっていたのだけれど、ラウラは急に機嫌を損ねてしまう。
「帰る。」
「どうして?とても美しい景色が待っているのよ。私、ラウラも一緒に見たいわ。慶司さんも三人でとおっしゃってくださっているのだから、一緒に行きましょう?」
少しだけ問答を繰り返すけれど、ラウラは不機嫌なまま。
「行っても良いけど。〔琥珀の君〕、ちゃんと説明してもらうから、マリアの前で。」
「分かったよ。マリアさん、少し長くなるかもしれませんが、後で話を聞いていただけますか。」
「ええ、もちろんよ。じっくり聞かせてくださいな。」
何の話か分からないけれど、お話しするのは好きだから。私に秘密の、二人のお話。とても気になるけれど、焦って聞いてはいけない。後で、とおっしゃっているのだから。
昼間に愛らしい風景を見せてくれる桜並木を通り抜け、郊外まで案内される。ひっそりと佇む一本だけの桜は、それだけ特別に照らし出されていた。
「この近辺で信仰されるご神木です。神秘的でしょう?」
「ええ、とても。何教のものかしら。」
「名前は忘れてしまいました。ですが、自然の物に魂が宿っているとして祀っているのは覚えています。」
精霊のようなものと理解できる話を聞かせてくれる。それを神として信仰しているのだと。地域を守ってくれているとして、人々は感謝の祈りを捧げているという。
「そういった価値観があることは習ったわ。けれど、こんなに身近にあったとは知らなかったわ。」
「特別信仰していなくても、こうして見物できるくらいには緩やかですよ。」
また一つ、経験が増える。これもリージョン教会にいては分からない。その場の雰囲気も、来てみて体験しなければ知れなかった。
「今日は随分、マリアに優しいんだね。」
刺々しいラウラの言葉が慶司さんに向かう。ここ最近は私に危害を加えられない限り、人に敵意を向けたりしなかったのに。
「ラウラ、今日はどうしてしまったの?」
「別に。ただ、学園ではマリアのこと何とも思ってないって言ってたのに、こんな夜更けに連れ出すなんて、って思っただけ。」
暗くなってからの外出は危ない。そういう話は確かにあった。けれど、その辺りは私より慶司さんのほうが詳しいはず。その上での誘いなら、さほど危ない地域には近づかないという意味と私は理解した。
「毎週会ってれば、多少は変わるって話だよ。」
「そんなのないでしょ。私から取らないでよ。マリアは、私のたった一人の家族なの!」
ラウラが慶司さんに掴みかかる。何がそんなにラウラを追い詰め、ラウラは何にそんなに焦っているのだろう。
「取らないって前にも」
「変わったんでしょ、その時から!」
何か分からないけれど、分かるまで考えていては、どちらも傷つける結果になってしまう。それだけは、なんとなく分かってしまった。
きっとラウラは私のたった一人になりたい。不十分でも、まとまっていなくとも、それを伝えてあげないと。
「今はもう、私のたった一人の家族よ。ラウラは、私の大切な妹なの。」
「ただの妹なんでしょ。〔琥珀の君〕は特別だけど、私はただの妹。私には、マリアしかいないのに。」
特別。そう、ただのマリアは特別を作れる。慶司さんもだけれど、唯一の妹のラウラだってただのマリアの特別な人。ただの妹は特別ではないという意味ではなく、護衛ではないという意味だった。それが伝わっていなかったから、今日のラウラは悲しそうで不機嫌だった。
「そうじゃないわ。ラウラも私にとっての特別よ。」
「そうなんだよ。だって、私じゃ信仰に勝てなかった。マリアはいつだって〔聖女〕だった。ただのマリアでいたいなんて言わなかった。私が怪我しても、目の前の人を赦すことを優先した。」
その時は〔聖女〕として宗教省に向かった日だった。その時の私は〔聖女〕だから、大切なラウラでも、救いを必要とする人が目の前にいたから、そちらを救うことを優先した。赦しという救いは、罪を犯した者にこそ与えられるものだと考えたから。
心配してほしがっていた。ただそれだけ。一言大丈夫と言ってほしがっていた。それは後から島口さんから聞かされたことだけれど、その瞬間に私は言ってあげられなかった。
「ごめんなさい、ラウラ。気付いてあげられなくて。私は、聖職者の自分しか分からなかったの。」
「私では気付かせられなかった。なのに、〔琥珀の君〕とは少し話しただけで気付いた。」
状況が違った。ラウラは救いを必要とする人間で、慶司さんは救いを与える側の人間だった。聖職者でもないのに、救いを与えられる人だった。私に救われたわけではないのに、救ってくれた。
「ラウラ、私は貴女のことも本当に大切だと思っているわ。」
「でも、〔琥珀の君〕のほうが特別?私は〔琥珀の君〕のことも友人だと思ってる。だけど、マリアのほうが大切。そのマリアを奪うなら、私は誰だって消せる。ねえ、私に友人を殺させないで。」
いつだってラウラは本気で私を思ってくれている。私を守るために、罪を犯してくれた。それは罪を犯させてしまった私の罪でもあるけれど、そんな私をラウラは責めない。私はラウラを赦し、ラウラは私を赦す。
だけど、それで亡くなったのは私が初めて見た人だった。ラウラが傷つけられた時は、怪我で済んだ。もし、ただのマリアが大切にする人を殺されたら、ただのマリアはそれを赦せるのか分からない。まだ、ただのマリアはそれを経験していない。
「俺はマリアさんを奪わないよ。ただ、少しだけ時間を分けてほしいだけなんだ。家族なら、誰と比べることなく大切だって、分かるはずだよ。」
「どうしてそう言い切れるの、あなたはマリアの何を知ってるの、マリアの気持ちが傾かないなんてどうして分かるの、あなたのその言葉が本当だってどうして信じられると思うの。すぐ嘘吐く癖に!」
友人だと言っているのに、ラウラは慶司さんに暴言を投げつける。それも赦されることではあるけれど、ただのマリアは二人に仲良くしていてほしい。こんな風に、言い争ってなんてほしくない。
「ねえ、ラウラ。ラウラは何をそんなに怒っているの?ラウラは私を大切に思ってくれていて、私も同じように思っているわ。ねえ、私にも教えてくれないかしら。」
「マリアには分かんないよ!」
走り去ってしまうラウラ。こんなこと初めてで、私にはどうして良いか分からない。
「追いかけましょう、マリアさん。」
慶司さんに手を引かれて、走らされる。追いかけても、かける言葉なんて持っていない。ラウラの抱える問題を解決する方法なんて、見えていない。
「問題を知るべきだわ。」
「こういう時はすぐ会いに行って、弁解をすべきなんです。」
感情に呑まれた相手なら、少し時間を置けば冷静に話し合える。だから、すぐに行くよりこちらでも、問題の欠片でも良いから把握してから行ったほうが、適切な言葉をかけてあげられる。私の思いも、整理して言葉にできる。
「何の弁解をすれば良いのかしら。」
「考えるのは後で良いので、今は走ってください。」
乱れる呼吸で、来たこともない林の中に入り込む。こんなに走らされたことなんて、きっとなかった。
「マリア……」
涙に濡れた瞳で、ラウラは私の言葉を待っている。〔聖女〕ならまず、慶司さんに暴言を吐いたことを罪だと告げ、赦す。けれど、ただのマリアがかけられる言葉はきっと別にある。
「ラウラ、あのね、私は……」
続ける言葉が見つからない。走ることに必死で、言葉を用意する余裕はなかった。だから、ただのマリアは慶司さんに救いを求めてしまう。けれど、何も答えず、ただラウラに向かって私の背を押した。
抵抗する意味もなく、私はいつの間にか目線の近づいたラウラのすぐ前に立つ。体は鍛えて大きくなったのに、幼い表情のまま、私に救いを求める目を向けている。
「私は貴女が大切よ。たった一人の妹だもの。特別で、大切なたった一人の妹なの。他の誰かを大切に思うことがあっても、それだけは決して変わらないわ。この先ずっと、変わらないと約束するわ。ただのマリアが、たった一人の妹に、約束するの。」
思いつくままに言葉を並べ、抱き締める。それ以上、どう伝えれば良いかなんて分からないから。
「うん、私もずっとマリアが大切って約束する。〔琥珀の君〕を殺すのはやめておくね。」
涙を引っ込め、笑いかけてくれるラウラ。私の心も温かくなるけれど、それ以上に安堵の溜め息を零して、慶司さんはラウラの結論を喜んでくれる。
「本気で過激なの、やめてくれないかな。厄介事持ち込むの、マリアさんじゃなくてラウラのほうでしょ。」
「マリアに恋する人が襲うのは私のせいじゃないでしょ!」
また慶司さんに怒鳴るラウラだけれど、先ほどまでとは違って、すぐ笑顔に戻る。慶司さんもこれは気にしないようで、笑ってくれる。
「一過性のものだったみたいで、今はもう大丈夫なんですよ。だから、マリアさんは気にしないでください。マリアさんのせいでもありませんから。」
「ええ。困った人がいるものね。」
ラウラを斬った人と同じ、救いを求め、赦しを欲する人々だ。
「次も、三人で来ますか。」
ラウラも一緒に。楽しみな時間が、また一つ。
「見張っとかないといけないからね。」
「おお怖い。殺されないようにしないと。」
冗談めかして先ほどのラウラを揶揄する。そういう行動も褒められたものではないけれど、〔聖女〕ではないから一緒になって笑うだけ。ただのマリアなら、こんな時間だって持てるから。
ああ、次の機会が待ち遠しい。




