進展
平日、寮に戻れば、愛良もラウラも忘れることなく情報を集めてきていた。
「あのね、色々教えてもらったよ。でね、一番素敵って思ったのを持ってきたの。」
愛良は既に該当の楽譜を探し出し、写し取ってきていた。曲名は秋人が聞かせてくれたものと同じだ。
「ああ、それは私も聞いたよ。」
「本当!?ラウラは?」
「私は今回、全然成果がなかったから。まあ、マリアには期待してなかったけど。」
「慶司に聞けばよかったのに。」
「愛良ちゃんのほうが仲良いでしょ。」
「私は友兄に聞くので忙しいから。役割分担、だよ!」
賑やかで結構だが、今はこの曲に決定して良いのか、話を進めさせてもらおう。
「二人とも、この曲で良いかしら。」
「うん!」
ラウラは楽譜を熟読しているが、諦めたように頭を上げた。
「駄目、分かんない。愛良ちゃん、弾いてみてくれる?」
「まだ弾けないよー。歌ってみるね。」
子どもの雰囲気の消えない愛良が歌えば、より微笑ましい。体も一緒に動いて、元気に溢れている。しかし、愛良自身は何か納得がいかなかったようだ。
「あのね、格好よかったの。もっと、友兄が歌った時は、しっかりしてて、わぁ、ってなる感じだったの。」
「まあ、愛良ちゃんだからね。」
ここで聞いてみたいと言えば、我が家に招くことは可能だろか。二度と呼ぶなと言われていたが、私から直接でなければ、立場上断れないなんてこともないはずだ。彼の選択肢を奪うことにはならない。
「私にも聞かせてもらえるかしら。私の家ならピアノもあるわ。」
「友兄に頼んでみるね。弾くのは私が練習するよ。」
これで友幸が了承してくれるかどうかだ。愛良からの頼み事なら、断りづらいだろうという打算はあるけれど。
友幸からの返答をもらったその週、それぞれの家に迎えを遣る。
「エリス様、ラウラ様がお着きです。」
「ありがとう。私もそちらで待たせてもらうよ。」
同じ貴族街にあるオルランド邸から、恵奈が案内したラウラが先に着く。恵奈には少々悪いが、この後は友幸と鉢合わせることのないよう、奥に引っ込んでいてもらう。
応接間のラウラは少々緊張した面持ちで、何度も茶に手を付け姿勢良く座っていた。
「あっ、エリス。分かってはいたんだけど、なんか落ち着かないね。」
「オルランド邸も似たようなものでしょう。」
聖職者の屋敷だ。こちらより調度品の類は少ないかもしれないが、静謐で張り詰めた空気は持っているのではないか。今は秋人も外へ出しているため、普段の我が家より静かではあるものの、落ち着かないほどではない。
「そうじゃなくて、聞けるの、楽しみだなって。」
「ああ、そういうこと。」
しばし期待に満ちた時間を過ごせば、そう待つことなく、秋人によって彼らは案内されてくる。
「ようこそ。杉浦友幸さん、よく来てくれたわ。」
立ち上がって歓迎を示せば、嫌悪を隠そうとしている表情で返される。
「ご招待いただき感謝いたします、エリス様。」
言葉とは裏腹に、面倒なことをしてくれたと言わんばかりの声色だ。それを愛良も不思議そうに見ている。
席を勧めれば大人しく座るものの、やはり秋人に入れさせた茶にも手を付けようとしない。
「どうか寛いで。そうだわ、ラウラと友幸さんは初対面よね。」
明るい女主人を装い、紹介を試みる。しかし、ラウラとの関係はともかく、友幸との関係は説明できるものではない。今回は役者ではなく、愛良の兄のような人物としての招待であるため、愛良からの紹介にできないだろうか。その愛良はというと、菓子を口に含み、ご満悦だ。
「いえ、一度会いに来てくれたことが。お久しぶりです、ラウラさん。」
「お久しぶりです。また会えて嬉しいです。」
この場に初対面の人間はいないということか。
雑談をしていくうち、この場で何かしかけることはないと信用してもらえたようで、表向き穏やかな言葉を交わしてもらえるようになった。そろそろ本題に入っても良いだろう。
「今日は愛良から友幸さんの歌声が素晴らしいと聞いてお招きしたの。お聞かせ願えるかしら。」
「ええ。そのつもりで来ましたから。」
「私もちゃんと練習してきたんだよ。」
全員で楽器を保管している部屋に移動する。ピアノだけでなく、数種類の楽器が保管されており、小規模な合奏程度なら可能な設備が整っている。
「こっちに来てから集めたの?」
「いいえ。私がこの屋敷を頂いた時にはもう既にあったわ。何が幾つあるのかも把握しなければならないわね。」
手入れはしてくれているようであるため、全て使える状態のはずだ。ここで余らせていても宝の持ち腐れのため、〔シキ〕の活動に生かすという選択肢もある。
「うちに使う人なんていないだろ。」
「ピアノを弾ける子が一人いるだけね。」
私も一つくらいは練習するつもりでいるが、それ以上は手が回らないだろう。そうしている間に愛良も準備を済ませ、用意していた椅子で私たちも聞く態勢に入る。
楽譜を見ることなく、愛良の手は鍵盤を忙しく駆け巡る。しかしその目は友幸のほうを見つめており、体はこの時間を楽しんでいると伝えている。歌い出した友幸の声は普段と違って力強く、かといって私に向けられるような拒絶の意思が込められているわけでもない。これが、秋人にとって魅力のある歌声なのか。
気付けば曲は終わりを迎え、愛良は興奮気味に友幸に抱き着いている。
「素晴らしい歌声だったわ。何かお礼がしたいのだけれど。そうだ、友幸さんは楽器を嗜んでおられると聞いたわ。一つ持って行ってくださいな。」
「いいえ、それは頂き過ぎですから、お気持ちだけ頂戴いたします。」
残念ながら簡単には近づかせてくれないようだ。通常の報酬を後で届けさせよう。秋人と友幸を接触させることには成功しているのだ。この後は当初の予定通り、皇都での活動後に期待しよう。
曲を決定すれば、それをどのように歌うかを相談する。そこで愛良が興味深い知識を持ってきてくれた。
「音楽の先生がね、人に聞かせる場合には、楽譜をそのまま演奏することは少ないって言ってたんだ。演奏する人とか歌う人の雰囲気とか声質とか、どこでどんな風に演奏するかに合わせて編曲するんだって。」
私たちはそのような技術を習得していない。その相談を行えるような演奏家もこの国にはいない。自国でも私はそういったものに触れてこなかったため、親しい演奏家などいないが。
「仕方とか色々教えてくれるって言ってたよ。感性の部分も大きいから、一緒にやってみようかって。」
「それなら、それは愛良に任せて良いかしら。」
「うん!」
音楽的な感性など私は持ち合わせていない。理論的な部分が理解できても、実際に行うことは困難だろう。
そこにどんな思いを込めたいか、その歌詞には何を託すのか。そんな相談をしつつ、愛良の音楽の先生に編曲をしていただく。私たちの統一の見解を用意し、それに合わせた楽曲になれば、練習の日々だ。
どう表現するのか、どうすれば聴衆に伝わるのか、どうすれば魅力的な音楽になるのか。私には慣れない観点からの話も多く、理解しきれない部分もあったが、愛良にとっては馴染みやすい分野のようだ。
「エリス、それじゃちょっと怖いよ。なんだか怒ってるみたい。真剣なのと、怒ってるのは違うんだよ。そうだ、エリスは楽しくないの?」
音を外さずに、感情を込めて。自分の感情を露わにするなど、私がしてきたこととは接点を見つけられない。いや、意図した感情を読み取らせる、という意味では同じだ。しかし、その後に何かに利用するという目的が今回はない。
「前の時はエリスも笑ってたよね。何が違うんだろう?」
音程は前回も意識していた。しかし、笑みを絶やさないなどと意識した覚えはない。
「愛良ちゃんを見てたらいいんじゃない?前は愛良ちゃんと手を繋いで、楽しい感じの曲だったから、自然と笑顔になってたのかも。今回は笑顔じゃなくてもいいから、怖い顔にならないように愛良ちゃんで緩和しよう。」
「試してみるわ。」
迎えた当日も、ラウラの助言のおかげで問題なく終了する。こうして、私たちの〔シキ〕としての活動は順調に始められた。




