次の目標
秋人と恵奈の問題も解決して、愛良と友幸の問題にも対処した。後者への対応は十分でなく、より安全を確保するために、より近くにいたい。そのために、〔シキ〕が皇都でも活動できるよう、尽力しよう。
幸い、愛良もラウラも活動に積極的だった。
「ねえ、エリスって歌を作ったことある?」
久々の穏やかな時間を寮の部屋で過ごしていると、共にいた愛良が唐突に問いかけてきた。
「ないわ。そういった芸術的なものには縁がなくて。」
「へえ、そうなんだ。」
私は政治や軍事的な方面にばかり目を向けて、人々の中に生きる文化を見ていなかったのかもしれない。もちろん、貴族の嗜みや軍人に必要な知識として多少は触れていたが、ほんの一時の話だ。
「あのね、〔麗しの華〕の人たちは自分たちで曲とかも作ってるんだって。だから、私も作ってみたいなって。」
「やってみると良いわ、何でも。」
今は全てを自由に選べるのだから。
「そのために何が必要かなって、エリスがいない間にラウラと話してたの。でね、難しかったから、お兄ちゃんと友兄と慶司にも聞いたの。ラウラはマリアに聞いたんだよね。」
「そうそう。それでね、エリスの言うように、まず自分たちで作ってみようかって思ったんだけど、どうしたらいいか分からなくって。」
宮廷詩人を雇い、自分や国を賛美する曲を作らせるなどするのは、自分で簡単に作れるものではないからだろう。
「でね、友兄がね、そのためには色んな曲を聞いてみたり、歌ってみたりするのもいいんじゃないかって教えてくれたの。ラウラとエリスの話をしたら、大陸の曲は皇国の人にとっては新鮮かもしれないって。」
大陸の人々にとって馴染み深い曲も、諸島部の人にとっては耳慣れないもの。ラウラなら何か覚えてくれているかもしれない。歌詞を訳すにも感性が重要になってきそうだ。同じ意味を表現しようにも、同じ音数の中に収めるのは難しい。
「でもね、私はずっとお部屋の中にいたから、こっちに来てからしか曲は知らないの。学校で習った曲か、友兄が教えてくれた曲だけ。」
「私も全然知らないからさ。エリスに聞こうってなったの。物知りだから、曲に関しても何か知ってるんじゃないかって。」
知識面では彼女らより豊富だろう。しかし、音楽の分野に限ると私も疎い。軍学校で学んだ程度だ。もちろん、歴代女王が題材にされた歌曲も聞いたことならあるが、旋律などは覚えていない。歴代女王の功績のほうが覚えているくらいだ。
「すまないけれど、私にも力になれそうにないわ。だけど、こちらの曲でも様々なものを歌ってみるのは良いかもしれないわ。」
最初の曲はラウラの提案で、愛良に似合う可愛らしい曲という選定基準だった。私がサントスに行っている間に行った公演では、愛良が選び、愛良らしい選曲だったという。
「そっかぁ。あ、あとね。色々なことできるようになるといいの。だから、私も先生にピアノを教えてもらってるんだ。それから、友兄すっごいんだよ。ピアノもギターも弾けるんだって。お家にはないから教えてもらえなかったけど。」
私の屋敷にはあったはずだ。教師として呼び寄せるのは難しいだろうが、何か他の手を考える余地はある。
「愛良とラウラはどこで練習したのかしら。」
「学校だよ。音楽の先生に教えてもらったの。」
「私は家に教師を呼んでもらったの。オルランド様に頼んだら手配してくれて。様々な文化に触れるのも良い経験だ、って。」
私も余裕があれば、教師を手配して習ってみようか。
そんな検討をしていると、彼女らが練習した曲の話に変わっていた。今は曲を自分たちで作ってみようという話だったはずだ。
「話を元に戻すわね。曲を自分で作ってみたいのよね、愛良は。」
「うん。」
「そのためにまず、色々な曲を歌ってみよう、ということで良いかしら。」
「うん、いいよ。」
愛良に確認すれば、ラウラが今までに歌った曲を挙げて、どのような曲だったかも説明してくれる。
「可愛い感じのは歌ったね。ノリノリのやつと、少しゆったり目のやつと二種類。次は、格好いい感じのやつかな。」
「あっ、あと、連弾ってのも聞いたの。」
また愛良が新しい話を始める。よくこうして話が伸びていくのだ。
連弾というのは一台のピアノを二人で演奏するもので、難しいらしい。息を合わせることが重要だとか。習い始めて数か月の二人ができるものなのだろうか。
「それはいずれ、という目標にしておきましょう。今は直近の曲から順番に決めていきましょう、ね。」
「はーい。」
伴奏は愛良かラウラ。ラウラはまだ一度も歌っていない。そうなると今回は愛良が伴奏でも良いが、彼女にできるのだろうか。最初の公演の時のラウラと同程度の経験だとは思うのだが、どの程度弾けるのかが不明だ。
「愛良は伴奏できるほど弾けるのかしら。」
「できるよ。もう何曲も覚えたの。」
「本当にすごいんだよ、愛良って。すぐ覚えちゃうの。最初は楽譜の読み方からだったんだけど、それも一回で覚えちゃって。そこからはもう何の障害もない感じ。歌詞の意味を理解するほうが大変なくらい。」
日常的に用いる言葉と詩に用いる言葉では語彙が異なる。日常会話や学園での勉学に支障はなくとも、詩となると難しい部分があったのだろう。
「うん、特に慶司に教えてもらった曲がね、難しかったの。」
「あんなの知らなくていいよ。」
男女の秘め事に関する言葉だとラウラはこっそり教えてくれる。命の危険はないが、余計なことを教える人物のようだ。その人物にも注意が必要だろう。
「ほう、その慶司というのはどこの誰なのかしら。愛良の話によく出てくるけれど。」
「桐山慶司だね。〔琥珀の君〕だよ。エリスも知ってるでしょ。」
桐山商会の跡継ぎか。秋人の話にも出てきたことのある人物だ。次に商会長に会う機会があれば、釘を刺しておこう。
私も話の本筋から外れることを考えてしまった。愛良が問題なく伴奏できるなら、今回は愛良に伴奏を任せ、私とラウラが歌うこととしよう。
「愛良、伴奏を頼んでも良いかしら。」
「任せて!格好よく弾くから。エリスとラウラならすっごく格好よく歌うんだろうなぁ。」
既に愛良の脳裏には歌っている私とラウラの姿が浮かんでいるようで、うっとりとしている。
「私もワクワクしてきちゃった。ねえ、早速探しに行こうよ。」
「うん!」
意気揚々と飛び出す二人。いったいどこへ行くのだろう。学内に曲が探せるような場所などあっただろうか。
連れられたのは研究部の図書館。私にとって最も馴染み深いはずの図書館で、蔵書も多いが、曲を探せるようなものに心当たりはない。
既に何度か訪れているのだろう二人は迷うことなく進んでいく。辿り着いた一角には楽譜が並んでいた。ここは私が寄り付かない区画であるため、いくつもの本棚を占拠するほどの量にもかかわらず、見落としていたのだろう。
「さて、ここからだね。格好よさそうな曲を選ばないとね。」
気合十分の二人だが、どのようにして選び出すつもりだろう。
「何をどう選ぶつもりかしら。」
「だから格好いい曲だって。」
「ここには楽譜しかないわ。」
楽譜だけ見て、どのような曲か判別できるものなのだろうか。適当に一冊手に取って見るが、全く想像できない。
「他に方法なんてないでしょ。聞いてみたほうが分かりやすいかもしれないけど、図書館にピアノなんてあるわけないし。」
「知り合いに曲を尋ねてからにするのは如何かしら。」
「それなら友兄はいっぱい知ってたよ。」
私は恵奈と秋人か。ラウラはマリアに聞いてみるという。
休日を待って、帰宅後、早速恵奈にあたる。
「恵奈、何か格好良い曲を知らないか。」
「どうされたのですか、突然。」
「何、少々興味が湧いてな。」
いくつかの曲名を挙げてくれるが、私は聞いたことのないものばかりだ。もっとも、皇国で知られている曲などほとんど知らないが。
「お聞きになったことがないのなら、私で良ければ演奏しましょうか。これでも嗜んでおりますので。」
「ああ、頼む。それと、その嗜みというものを、私にも教えてもらうことはできるだろうか。」
「人に教えられるほどの腕前ではありませんわ。エリス様になら自分が、と言う教師もたくさんいらっしゃると思います。」
保管している部屋に行けば、簡単に楽器の状態を確認していた。これらに関して特段指示を出した覚えはないが、手入れをしてくれていたようで、恵奈は満足げに椅子に座る。
忙しなくも繊細に動き続ける彼女の指。複雑怪奇で、恵奈という人間の体から繋がっている一部とは思えず、別の生き物が鍵盤の上を跳ね回っているようだ。鍵盤が沈むと同時に音が発せられるのも、恵奈の指が神秘的な力でもって音を生み出しているように感じられた。
私に音楽は分からない。しかしこれが、格好良い曲、というものなのだろう。
「恵奈、友人を招いた際に演奏することは可能だろうか。」
「エリス様がお望みとあらば。」
愛良たちに判断してもらうことも可能だ。愛良たちが教えてくれた曲を恵奈に演奏してもらうのも良いだろう。
次は秋人に。彼も音楽方面に詳しそうではないが、私よりは知っているだろう。
「この前、〔麗しの華〕のような活動をしているという話をしたな。」
「うん、聞いたけど。」
「そこで歌う、何か格好良い曲を探しているんだ。知らないか。」
意外にもいくつもの曲名を挙げてくれる。その一部は恵奈の言ったものと被っていて、芸術的な教養も持っていたのかと感心せざるを得ない。
「なんだよ。俺だって一応貴族なんだから、この程度知ってるに決まってんだろ。」
「いや。まさかピアノも弾けるのか。」
「それは無理。」
少々安心だ。あの繊細な恵奈の指と同じ動きを、剣を握り慣れたこの手がしているところなど想像できない。
「数曲、どのようなものか分からなかったのだが。」
教えてもらったばかりの曲名を繰り返せば、簡単に歌って聞かせてくれる。旋律まで正確に覚えているものなのか。
美しい声色とはいかないが普段の話し声と変わらないその歌声は、どこか微笑ましい気分にさせられる。格好良いという前提を忘れそうになりつつ眺めていると、突然、彼は歌うことをやめてしまった。
「なんだ、もっと聞かせてくれないのか。」
「今馬鹿にしてたろ。」
「そんなことはない。愛らしかったよ。」
このような時はおおよそ褒めておけば良いと、弘樹やその妻である桃子から助言をもらっている。謝罪の後、秋人関連で困ったことがあれば話を聞くと連絡を入れてくれたのだ。
「馬鹿にしてんじゃねえか。格好いい曲って言ってんのに。」
「いや、よく覚えているものだと感心していたのだ。」
「このくらい数回聞けば覚えられる。」
愛良といい秋人といい、なぜそんなにすぐ覚えられるのか。私など、何度も聞いたはずの母や私を褒め称える曲すら覚えられなかったというのに。
「愛良やラウラを招いた際に、歌って聞かせてやってくれないか。」
「え、と、それは、ちょっと、嫌、かな。」
はっきりしない断り方だ。いつもは嫌なら即答するのに、今日は何かあったのだろうか。それとも気分の良い時しか歌えないから、その日歌うと断言できないだけか。
追求したいが、ここで聞き方を間違えると機嫌を損ねて、何も答えなくなってしまう。そのため、努めて優しく問いかけていく。
「理由を聞いても構わないか。」
「それは、まあ、いいけど。」
「なぜ嫌なんだ。」
「だって、ほら。俺はそんなに上手くねえし。」
私には違いが分からない。さほど多くの人の歌声を聞いたわけではないが、もっと聞いていたいと思ったことは確かだ。上手下手の判断はできないが、私にとっては魅力的だった。
「だが、私には魅力的に響いた。」
「あ、ありがとう。いや、でも、エリスさんだって、友幸さんの聞いたら、絶対そっちのほうがいいって思うって。」
「ほう、友幸はもっと魅力的な歌声なのか。」
友幸に関する情報はある程度集めている。しかし、それは彼個人についてではなく、主にラファエルに関するものだ。どの程度バルデスやサントスで知られていたのか、今どの程度の人がその存在を知っているのか、探しているのか。皇国にラファエルの情報は流出しているのか。そんな観点からの調査であり、彼という個人に関しては愛良や秋人からの情報しかない。
より深く知ったところで、彼は私に心を開いてはくれないだろう。もう既に、私は彼に拒絶されているのだから。
「今度歌ってもらったらいいだろ。」
「歌ってくれると思うか、私のために。」
まず招かれてくれないだろう。二度と呼ぶなと言われている。どの曲でも良いなら、何らかの曲を劇中で歌っていることくらいはあるかもしれないが。
「難しい、かな。」
「だろうな。」
愛良を通じて、騙すような形で呼び寄せることなら可能でも、彼の信頼は勝ち取れない。それを実行するかどうかは、愛良の反応次第だ。




