庇護
島口弘樹への訪問で、貴族の相手は終了だ。最後に残るは、私が訪ねるには問題の、最も会い辛い相手。社会的立場を考えれば行かずとも問題なく、相手の心情を慮れば行くべきではない。しかし、私は繋がりを得ておきたい。アルセリアに託されたのは他でもないこの私だから。
今回、私は秋人が助けを求めた相手のほぼ全てに会っている。この流れなら彼と会っても目立つことはないだろう。
扉を叩けば、相手を確かめないままに開かれる扉。前回、茶にも菓子にも手を付けなかった警戒心はどこに行ったのか。何の躊躇いもなく開かれた扉から覗く、見開かれた目。次第に嫌悪に染まるそれは、私の来訪を拒絶していた。
私は閉じる扉の隙間に指を入れ、強引に引き留める。すると、何の言葉も発することのなかった口がようやく開いた。
「何のご用ですか。」
「秋人が世話になったと聞いてな。」
「そうですか。貴女から何かを言われる筋合いはありませんので。お引き取り願います。」
取り付く島もない。これ以上は彼を傷つけるだけだろう。そんなことを思うのなら、最初から来なければ良いだけなのだが、私にはその選択ができなかった。
扉から手を離せば、バタンと勢いよく閉じられる。
「次からは相手を確認してから開けることをお勧めするよ。」
バルデスからの訪問者があっては事だと思っての忠告だった。しかし、返事の代わりに寄越されたのは、扉を強く蹴る音だけだった。
謝罪行脚は済んだ。これから話すべきは、我が家のことだ。
「秋人、今日は時間を作ってやれる。ゆっくり話をしようと思ってな。謝罪すべき相手には謝罪してきた。」
部屋を訪ね、威圧的にならないよう注意しつつ、話し始める。
「私が誘拐されたのは、私自身がそうすると決定したからだ。君は私の言いつけを守った、ただそれだけだ。だから、私の身が危険に晒されたのは、君の罪ではない。」
「別に、罪とかそんなこと考えてたわけじゃねえけど。」
誤解を解こうと試みる。しかし、反応は芳しくなく、秋人は上手く言葉が見つけられないように、口を開いたり閉じたりしている。
「不安にもさせてしまったな。今後は、私も自分の身を危険に晒さないよう配慮しよう。」
「絶対だからな。」
笑顔とはいかないが、これで一応は納得してくれたようで、目は合わせてくれる。それなら、次の問題だ。
「それともう一つ。君はこの家において、どのような立場だと認識している?」
まずすべきは彼自身の認識の確認だ。私が知っているのは他人の推測に過ぎない。
「知らねえよ。エリスさんが何にも教えてくれないから。」
途端に機嫌を損ねて、また目を逸らす。これは私の怠慢だ。言葉にするのが困難な立場であるからと、それに甘えて伝えていなかった。あの時は将来の具体的な立場すら決めていなかったため、気付いていたとしても安心させるための言葉を持っていなかったかもしれない。しかし、今はもう決定できる。
彼にできる選択は少ない。私が提示したものが全てとなる上に、私が提示してやれる選択肢も多くない。
「君は将来、どうなりたい?」
「エリス様のお好きにどーぞ。」
投げやりな返事で、自分で考える気がないように感じられる。先に恵奈関連の懸念を排除してやるべきか。
「少なくとも私は、君より恵奈を優先したつもりはないよ。恵奈は手放せる。君は手放せない。」
顔をこちらに向けようとはしない。しかし、ちらちらと視線だけは向けている。目が合えばしばらくちらりとも見てくれなくなる。
「私から出せる選択肢は少ない。私の専属従者か、専属騎士か。それだけだ。」
弘樹の例示の中には伴侶もあったが、秋人を伴侶とする利点はほぼない。もはや皇国の人間でもなく、そうなった経緯も表向きは罪人として。皇国との関係性を深めたいのなら、むしろ避けるべき人選だ。
「騎士?」
上げられた顔は期待に満ちている。剣術は熱心に鍛えていた。なりたかったのかもしれないが、もはや皇国での道は閉ざされている。
「ああ。好きなほうを選ぶと良い。」
「専属騎士が良い!」
「なら制服を用意しなければな。」
機嫌が直ったようで何よりだ。しかし、そこで話が戻ってくる。
「俺が専属騎士なら、恵奈は何なんだ?」
「侍女だ。」
「専属の?」
新井家との関係もある。秋人誘拐の件を私は許していないとして厳しい態度を取っている一方、恵奈のことはこちらで面倒を見て社交界デビューまでさせている。余計な口を挟ませないためには、あまり恵奈を優遇するわけにもいかない。
私個人の味方を増やし、手軽に動かせる人間を増やすという意味では、恵奈を専属侍女にしたい思いもある。しかし、専属侍女という肩書を与えずとも、動かすことは可能だ。
「いずれは専属とすることもあるかもしれない。だが、現状では必要性に欠ける。」
女性が侍女を付ける場合、身の回りの世話、ドレス類への着替えなどを頼むことも多い。しかし私は、日常的にはドレスやワンピース類を身に着けない。それらの衣装が必要な場合のみ、補助を必要とするだけだ。専属とするほどのことでもない。普段は自分で身支度できる。
「へえ、専属じゃねえんだ。」
小さく、後で自慢してやろ、と聞こえる。今まで恵奈に辛く当たっていた要因の一端は、弘樹の言うように嫉妬だったのかもしれない。以前から後回しにしていたつもりはないが、これで少し落ち着くことだろう。
「なら次は恵奈との問題だな。」
「でも、あいつがやった事実は変わらないだろ。」
「そうだな。だが、彼女は二度と同じ過ちを犯さないだろう。仲良くしろとは言わない。許してやれとも言わない。いてほしくないのなら、せめて関わらないでくれ。」
犯した罪は決して消えない。そこにどれほどの罰を求めるべきかなど、他人が口を出せる問題ではない。特にあの問題は、法で罪に問われもしないのだ。相手が平民で、恵奈の母や恵奈が貴族であったから。
「なんでさ、恵奈も守ろうとすんのに、友幸さんも保護するとかって言ってたんだよ。約束破ってまで、二人で話そうとしてさ。恵奈には何も伝えてなかったみたいだし。」
二人に関係性は見出せない。恵奈と友幸の二人を抱えることに矛盾はないはずだ。恵奈にも来客とだけ伝えれば十分だ。
「君は何に引っかかっている?」
もう不機嫌は完全に消えている。しかし、私に問題点を教えてくれはしない。
「私とて聞かなければ分からないことだらけだ。教えてくれ。」
「前に言った〔虹蜺〕の少年だよ。恵奈とその母親に痛めつけられた人。」
それであの警戒心か。その時、一服盛られでもしたのか。それなら、恵奈のいる家に友幸を入れることは酷だろう。
「そうか。それは悪いことをした。」
「絶対に内緒な。誰にも言うなって言われてるんだ。俺と親しいのだって、堂々と会えるようになるまでは秘密にしてほしいって言われてるから。」
私の屋敷に来る条件に名を出す時点で、手遅れのような気もするが。言いふらすことでもないため、その事実は伏せられている。
「まだ堂々と会ってはいけないのか。」
「分かんない。」
友幸の身の安全を考えるなら、秋人が自然に傍に居られる環境が好ましい。護衛らしくいれば不審に思われるが、友人としての距離なら何ら不自然ではない。しかし、秋人との直接の関係を友幸が何らかの理由で隠したいと言うなら、他の理由を作る必要がある。具体的には秋人と友幸を結びつけるだけの交友関係だ。
両者共通の知り合いは、私と愛良、それに恵奈の三人。恵奈は当然除外だ。隠す部分に入っているだろう。しかし、私も友幸から拒絶されている。残るは愛良だ。
「愛良を通じて友幸と接触できないか。」
「してるけど。こっそりしか会ってないし、それも怒られたことあるし。」
愛良の話では、見かければすぐに来てくれるくらいに親しいそうだ。それなら、秋人を愛良に近づける方法さえあれば、近くで守らせることができる。そこから親しくなったと主張させることだって可能だ。
「君は愛良と会わないのか。」
「学園の調理室で会ってたくらいかな。先輩がお菓子作ってくれてたから。」
いきなり会いに行くことは不自然、と。その上、秋人はもう学園に行けない。皇都で結びつけるより他ないな。愛良がいて、友幸を呼び寄せることができ、そこに秋人も同席させることのできる場。
皇都の中央広場は、申請さえすれば、誰でも劇や演奏の披露が可能だったはずだ。
「すぐにとはいかないが、一つ良い方法を思いついた。君は〔麗しの華〕を知っているか。」
「知ってるけど。なんだよ、急に。」
「似たような活動を愛良、ラウラ、私の三人で行っている。その公演を皇都で行い、君は護衛として傍にいてもらう。愛良から友幸に伝えてもらえば、同じ場に存在することは可能だ。後はそこでの君の行動次第で親しくなったと主張できる。」
〔シキ〕の有用性が高まった。貴族連中からの注目は集まるだろうが、このまま友幸を一人にしておくよりましだろう。何より、私一人が隠れて接触し続けるより、表に出してしまったほうが、後ろめたいことがないとバルデスの連中にも示せる。こちらに捜索の手を伸ばしていても、私がアリシアであると知っていても、友幸がラファエルであるという確信を得にくくなるはずだ。




