夜会
問題なく二人の衣装も用意でき、当日を迎える。
「恵奈、案ずることはない。まずは場慣れすることが目的だ。今日だけで慣れようと思うな。」
「は、はい。ですが、私、このような場で踊ることも初めてで。」
「練習をしただろう?大丈夫、お前のダンスは美しいよ。癖がなく、相手をしやすいものだ。」
教師にも褒められていたというのに、なぜこんなに自信がなくなっているのか。その辺りも稔に任せるとして、恵奈を預ける。
私たちも馬車に乗り、王家主催の夜会、その会場へと向かう。
「何が楽しくて、貴族ばっかりの化かし合いに行かなきゃならねえんだよ。」
「仕事の一環だ。遊びに行くわけではないのだから、諦めろ。」
行く前からうんざりされても。本当に問題を起こしてくれるなよ。普段は許している言葉遣いも、外では問題になってしまう。
「秋人、私への呼びかけ方も考えろ。」
「了解しました、ご主人様。」
「ふざけているのか。」
そのように呼ばせたことは一度もないというのに。既に胃が痛い思いをしつつ、馬車の中で最低限の注意事項を伝えていった。
貴族たちが会場に揃った頃、皇族が入場する。そして、最後が今回初めて夜会に参加する少年少女とそのパートナーたちだ。私は国外からの賓客扱いのため、皇族の前までに入っていれば良い。
大きな扉が宮城の使用人により開かれ、会場中の注目を集めつつ、最上級の礼をする。恵奈の動きは硬いものの、大きな失敗をすることなく乗り越えられている。
全ての参加者が入場すれば、皇族への挨拶だ。ここは稔に任せるわけにもいかない。
「これからの活躍に期待しているよ。エリスさんも、感謝している。」
「ええ、こちらこそ。寛大なお心に感謝を。」
私は皇帝、皇妃共に初対面ではない。秋人も既に皇子とは会っている。恵奈ほど負担に感じないだろう。その恵奈は、というと、入場の時以上に上がっており、動きがカクカクとぎこちない。稔も緊張を和らげようと話しかけてくれているが、耳に入っていなさそうだ。
そろそろダンスも始まる。あの状態では上手く踊れないだろう。最初に相手の足を踏むのは今後の自信にも影響してしまう。
「恵奈、人の目を気にすることはないわ。稔、頼んだわよ。」
「任せてください。恵奈、僕だけを見てくれれば良いから。」
随分と熱心な言葉だ。ダンスの相手だけを意識するというのはよくある言い回しだが、字面だけなら告白の言葉のようにも感じられる。
ホールの真ん中へ出ていく二人を見送り、私たちも出る。踊りながらの会話は基本的な社交の一つだ。
「あの稔っての、割と性格悪いのな。」
「そうかしら。今もしっかりリードしてくれているわ。」
「最初っからど真ん中で踊らされるとか鬼畜だろ。」
秋人は既に緊張が解けているようだが、恵奈の口は動いておらず、足元ばかり見ている。そう様子を伺っていると、少々無理のある動きを要求された。
「紳士的な行動とは言えないわね。」
「今は俺と踊ってんだろ。恵奈のほうはあいつに任せておけばいい。」
私が礼儀を欠いた振る舞いだったか。
「私たちも中央付近に向かいましょう。せっかくの晴れ舞台だもの、ね。」
「その気持ち悪い話し方はいつまで続けるんだ?」
「あら、失礼ね。こちらの令嬢らしい話し方でしょう。」
行くわよ、とは言うものの、リードする側は秋人だ。鬼畜とは言いつつ、本人はどこで踊ろうが関係ないようで、素直に誘導してくれている。
「こんなに見られるもんなんだな。」
「当然よ。雄姿を見せてやると良いわ。」
くるりと回転させられる。もともと踊ること自体は嫌いでなかったのか、癖などもなく、完璧な誘導だ。このようなパートナーなら踊りやすい。一言多いのはご愛敬だ。
「こうしてると、意外とエリスさんも王女に見えるんだな。」
「今宵だけは貴方の姫になりましょう。」
戯れには慣れていないらしく、沈黙だけが返ってくる。この程度の言葉、いくらでもあるというのに。そもそも、私が王女というのは隠している事実だ。いくら密着していて周囲には聞こえにくい状態でのやり取りでも、その辺りへの配慮は必要になる。
私の返答に対応できなくなった秋人は強引に話題を変えた。
「夜会での情報収集つったって、どう調べるんだよ。」
「会話よ。小さな秘密の話をダンス中にすることもあるの。誰と誰が特に長く踊り、何か話していたか。その時の表情はどうであったか。それから歓談の時も、ね。次回以降で構わないわ。今日は恵奈も気にかけてあげないと。」
このような場に不慣れで、いざというときに自力で離脱できない恵奈を放置もまずい。稔もまだ不測の事態に十分な対処ができないだろう。曲の切り替わる瞬間が心配だ。あれで美しい娘のため、誘う男も多いだろう。
一曲終わり、壁際で休んでいると、恵奈が良い噂を聞かない年配の男性に話しかけられる。少々離れているため会話の内容は分からないが、稔の困惑の表情から察するにあまり良いものではないようだ。
「秋人、恵奈と踊りなさい。」
「え、嫌。」
「早く行くのよ。一曲分で良い。」
渋々向かい、ダンスに誘っている。恵奈も戸惑いつつそれを受け入れ、二人でホールの中央付近に動き出す。秋人の代わりに稔が私の所へ戻って来るが、先ほど恵奈を誘っていた男性も一緒だ。
「お初にお目にかかります。大谷和俊と申します。」
「ああ、大谷子爵か。エリス・スコットだ。」
「お噂はかねがね。私と一曲踊っていただけませんか。」
稔なら一人にしても良いだろう。放置することになるが、さほど心配要らないはずだ。
「喜んで。貴方の素敵なお話を楽しみにしているわ。」
中身をない会話を続けて、曲の半分が過ぎる。
「貴女との会話が楽しくて、この時間の終わりが名残惜しいですね。よろしければ、別室でゆっくりとお話しさせていただけませんか。」
社交辞令ともとれるが、大谷子爵には少々困った噂がある。女性好きで何人も囲っているとか、若く美しければ男女問わず屋敷へ連れ込んでいるといった類のものだ。しかし、大谷子爵家のそのような財力があるとも思えない。こちらに手を出さないなら特に調べるつもりもなかったが、この男は恵奈にも声をかけていた。
「ええ、私ももっと話したい。」
「でしたら、貴女のペットが心配してしまわないよう、今のうちにこっそりと、移動してしまいましょうか。」
踊りながら移動し、目立たないよう廊下へ続く扉に向かう。ホールでは恵奈と秋人が踊っている。相変わらず恵奈は踊ることに必死で、もはや笑顔を取り繕おうとする意思すら見えない。秋人も私と踊っていた時と違い、不機嫌そうな表情を隠しもせず、こちらを睨む余裕まであるようだ。
廊下を進み、大谷子爵はなぜか遠い休憩室を選ぶ。
「ポーカーはお好きですか。」
「いえ、そういった遊びには疎くて。」
「では簡易のルールにしましょう。五枚ずつ配って、二回交換するだけ。数字かマークを揃えれば良いんです。簡単でしょう?」
賭け事だ。部屋には幾つもそのような遊び道具が用意されているが、そのうち簡素なトランプを選び取った。
「最初は何を賭けるつもりかしら。」
「私は学生時代の失敗の話、にしましょうか。」
「それなら私は貴方の聞きたい話にするわ。」
「初恋の思い出、などは如何でしょう。」
「構わないわ。」
そんなものは存在しないが、適当な出鱈目を並べれば良い。重要な話でもないのだから。
数回、勝ち負けを繰り返し、賭ける話題の種類も豊富になってきた頃、扉を開けては閉め、という音が近づいてくる。
「いた、エリスさん!」
「パートナーを見失うなんていけない子ね。それと、お外ではきちんとしなさいと言ったでしょう。」
やって来たのは秋人一人。恵奈を連れて来なかったことは褒められる。彼女がいては状況が悪化しかねない。しかし、今の状況こそが大谷子爵の待ち望んでいたもののようで、カードで隠そうとしているものの、醜く歪む口元がはみ出ている。
「スコット様。この勝負、貴女は何を賭けられましたか。」
「今、最も愛している者の話よ。」
「楽しみです。」
最後の一周を終え、互いの手札を開ける。悲しいかな、役なしの私は見る前から負けが決定している。
最も愛する者。猫の話でもしてやろうかと思っていたが、秋人のほうを見てにやにやと笑っているところから察するに、その話を期待しているのだろう。
「そうね、出会いは皇国に来てからだったわ。少々問題行動もあるけれど、それを補って余りある愛嬌があるの。それに、感情表現がとても素直ね。おかげで心配にもなるのだけれど。」
「素敵な人がおられるのですね。」
「ええ。」
「それでしたら、勝つ格好良いところを見せなければ、ねえ?」
先ほどから賭けているのは話題ばかり。いくらでも嘘を吐けるような類のものだ。何回やっても、どちらも損も得もしないだろう。何が狙いなのかさっぱり分からない。
「もちろんよ。次は負けないわ。」
「その覚悟、受け取りました。それに敬意を表して、私は優秀な息子を賭けましょう。貴女はそちらの彼を賭けられては如何ですか。」
「はあ!?」
素っ頓狂な声を上げて秋人は視線で異論があると訴える。それを放置し、大谷子爵の狙いを探ろうと試みるが、私には理解できないものだった。
人を賭ける。これが狙いであるとは推測できる。しかし、やはり何を考えているのか分からない。これを私たちが伝えれば、自身の悪評にも繋がるというのにあえて明確に言葉にする点が最も理解できない。秋人もこっそりと何があったのか聞いてくるが、この男について調査するなら何も答えないほうが障害なく進むだろう。現状では、そんなこと言っていないで済まされてしまう程度のことしか起きておらず、証拠など何もない。
「人手が足りないのでしょう?良い条件だと思いますが。勝つのであれば、何の問題もありませんよ、スコット様。」
「その通りね。私は秋人を賭けるわ。」
「エリス様!」
「黙っていろ。」
先ほどまでと打って変わって、軽口一つない本気の勝負。調査のためには、どちらの結果に転んでも良い。先ほどからの負け方を考えるに、いかさまをしているわけではなさそうだ。子爵も弱い役になっており、私も強い役のことはあった。
「私の勝ち、ね。運が向いてきたようだわ。」
「愛する者のためなら本気を出しますか。では次はスコット様をかけて、そちらの少年と勝負といきましょうか。」
今回は子爵が珍しく役なし。そして自分の負けにはあまり触れず、さっと次の試合へ入る。次の標的は私か。
「私は勝者のものになるのね。楽しみだわ。」
「エリス様、俺はしたくない。」
馬車の中で呼び方に強く言及したせいか、動揺のせいか、様付けなのに敬語では話さない。言動全般について話したつもりなのだが。
「おや、スコット様。こちらから娘を出さなくてもよろしいのですか。」
「私は現状、どちらのものでもないもの。私を賭けて、二人が争う。素敵なシチュエーションね。秋人、この勝負を受けなさい。」
負ければ調査ができる。勝てば危険がない。どちらに転んでも構わない試合だ。
私を勝ち取った子爵が、愛人にするつもりなのか、金に換えるつもりなのか。彩光には人身売買の噂もある。ここで彼個人の趣味なのか、その噂とも関係しているのか、調べるのも悪くない。
「……エリス様が言うなら。」
「ではスコット様、カードをお願いします。」
碌にカードゲームをしていないが、ただ混ぜて決められた枚数を配るだけ。調査したい気持ちもあるが、いかさまする技術もないため、本当にただ配るだけとなる。
私の思惑も子爵の思惑も、秋人には分からない。そのため、不安そうに私をちらちら見つつ、真剣に手札を変えていく。そして、決着が着いた。
「私の勝ちですね。スコット様、我が家へお越しください。」
「ええ、約束だものね。」
暴力沙汰は許されないと理解してくれているようで、秋人は拳を握りしめて耐えてくれている。しかし、歯ぎしりをし、隠すことなく睨みつけている。
「エリス、様。」
「遊びに行くだけよ。心配ないわ。少し早いけれど帰りましょうか。お楽しみの時間でしょう?」
「ええ。私に貴女をエスコートする栄誉をくださいますか。」
「もちろんよ。今夜の勝者は貴方だもの。秋人、良い子にしているのよ。」
軽く手を振って帰る。おそらく、ただ待ってなどいないだろう。今日の夜会には秋人の知人も多く参加している。彼らに話を持っていくはずだ。国外からの客人が攫われたという伝わり方をすれば、多少強引なこともできるだろう。あの様子ではきっと、秋人は正確に伝えられない。お楽しみに含みを持たせれば、なおさら。




