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シキ  作者: 現野翔子
緋の章

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憎悪

 私たちが発見できた手記と遺書。これに近い情報をバルデスの人間が得ていないとは思えない。早急に彼らの身の安全を確保すべきだ。しかし、どこまで特定できているかは分からない。あからさまに動き、人物を特定されることも避けるべきだ。


「お姉様、私は手記しか読んでいません。お姉様宛ての遺書にはなんと書いているのですか。」

「ラファエルとモニカ、双子の弟と妹を頼む、と。」

「弟、ですか。」

「ああ、今の名も記されていた。面識はないが、心当たりはあるよ。」


 愛良が嬉しそうに語ってくれた人物だ。手記と遺書を読む限り、愛良は実の兄を覚えていないはずだ。そうなると、皇国で出会った兄のような人物になるが、彼女は彼のことを友兄と呼んでいた。もしかして、彼から何か伝えられているのか。

 伝えていたとして、彼も今のバルデスの状況を知らないはずだ。その身に危険が差し迫っていることも。


「何かこちらからお手伝いできることはありますか。」

「そうだな。少々別件にはなるが、第六次サントス―バルデス戦争に関する資料を見たいのだが。特に、戦中の出来事に関する。」

「ええ、お姉様ならもちろん構いません。けれど、あの、エナさんにも?」

「今の彼女には必要なことだ。」


 流出して困る情報を見せるつもりはない。どれほどの犠牲が出て、その原因は何か。それを公的な文書で証明すれば良い。そしてバルデスの国民感情を知れば、ある程度は自分と重ねてくれるだろう。やったことの大きさは異なるが、人を傷つける罪を犯した点では同じだ。




 恵奈を連れ、書庫に入る。その中の現在に近い部分を探せば、私の探し物も見つかる。


「恵奈、第六次サントス―バルデス戦争は知っているな。」

「はい。三年前に大陸で起きた戦争です。悲惨な争いだったと。暴虐の女王アルセリアは子どもでさえ戦場に送り、姫将軍アリシアもバルデス軍であれば容赦なく殺したと。もはや戦争とは呼べないような有様だったと。」


 教科書か、兄のノートを見たのだろう。全て伝え聞いたものに過ぎず、そこに実感は込められていない。

 ここに来るまでに見たのはサントスの街や村。戦争の爪痕など見えなかっただろう。港から主街道沿いの地域は直接戦場になっていないこともあり、通り過ぎただけでは何も分からないはずだ。

 しかし、バルデスに行けば事情は異なる。人が減り、打ち捨てられた村も、規模が大きく縮小した町も多い。家屋の破壊こそ私たちは行わなかったものの、サントスに侵入したバルデス軍を殲滅すれば、そうなるだろう。

 戦争が身近でない皇国では、戦争の悲惨さを強調して教えられる。その悲劇を繰り返さないために。身近なサントスでは美化して語る。その悲しみを乗り越え、必要になった場合に戦意を高めるために。


「これが、実際に犠牲になった人数と、人の名だ。当然、把握できていない部分もある。」


 人の名など、分からない部分も多い。遺体が見つからなければ、行方不明扱いのままとなっているものもある。兵士であれば、およそ亡くなっているとして、その数も足した死者数も記載されている。


「これはサントス側だけの数字ですか。」

「良い点に気が付いた。そうだ、こちらで把握できたバルデス側の数字はこっちだ。」


 バルデスの犠牲者は数もおおよそしか分からず、名に至ってはほとんど判明していない。


「な、ん、ですか、これは。桁が違う。」

「当然だろう。戦争後期には、バルデス軍はほとんど民兵、訓練すら碌にできていない人間になっていた。中には十に満たない子どももいた。」

「その子は今、どうしていますか。」

「殺したよ、当然な。恵奈、これが私のしたことだ。」


 黙り込んで、変わることのない数字を見つめ続ける。この事実を知った上で、私を称えるサントスの民と、私もアルセリアも同じように憎むバルデスの民に触れた時、彼女は何を思うのだろうか。


「アリシア様は、これを、どうするおつもりなのですか。」

「出かけるぞ。」


 どうにもできないから、未だに抱えている。これは、なかったことにも、正当化することも、誇ることもできないものだ。死して詫びても、足りはしない。



 城下を歩けば、みな私に手を振ってくれる。それに応えると、好意的な言葉がかけられる。


「アリシア様、お帰りなさい!」

「我らが英雄、アリシア様!」

「サントスの守護神、アリシア様!」


 見かけて寄って来てくれるのは、もともと私に好意的な者ばかりだ。当然、戦功を称える者が多くなる。

 彼らが一定程度離れると、恵奈は苦々しく言葉を発する。


「彼らはどれほどの数が犠牲になったのか、知っているのですか。どのように殺されたかを、考えないのですか。」

「もともとバルデス側からの侵略戦争だ。自国に入り込む侵略者を殺して、何を憂うことがある。」

「本当に必要だったのですか。貴女の、殲滅戦というのは。」


 バルデスの民から言われるのは当然だ。サントスの民からでも、バルデス側に家族や友人がいた者もいただろう。恵奈は関わりがないのに疑問を感じた。自分と私の共通点を見たのだろうか。


「明日、フロンテラへ向かうぞ。」




 馬で向かっても一週間はかかる。一人ならともかく、恵奈も馬に同乗させることになるのだから。

 徐々に風景が変わっていき、一つ目の目的地に近づけば、緊張で空気が張り詰める。


「アリシア様、ここは何なのですか。」

「国境の砦フロンテラ。主戦場の一つだ。」

「悲劇の地……」

「ここだけではないがな。」


 今ここに勤めている兵にはその時の経験者も多い。いつまた、バルデスが攻め入ってくるか分からないからだ。まだその力がバルデスにはないだろうが、一部が自爆覚悟で乗り込んで来ることは考えられる。

 兵に見える顔見知り。彼女も私を好意的に捉えてくれる。


「久しぶり、アリシアちゃん。いや、もうアリシア殿下、と呼ばないといけませんか。」

「いや、構わないよ。」


 鶏を可愛いと言ったり、図画工作の授業で私の作った棚を置物と言ったり、理解できない部分も多かったが、ずっと気にかけてくれていた子だ。


「それにしても変わったね。いや、戦争の時にも思ったんだけどさ。今度会ったら戦女神アリシア様って褒め称えようと思ってたんだけど、なんか畏れ多い感じになっちゃって。」

「そうか。アナ、時間はあるか。バルデス側に出たい。」

「上官に聞いてこないと。待ってて。」


 アナを見送れば、恵奈が目を丸くして私を見ていた。


「どうした。」

「いえ。アリシア様にも、あのようなご友人がいたのかと。しかし、あのような人間がお好みなのですか。」

「どういう意味だ。」

「虹彩で重用している秋人様も、先ほどの方のように、アリシア様とは真逆に見えます。」


 恵奈もなかなか素直に物を言う人間のようだ。そのせいで言葉を返せないまま、アナを迎える。


「私が案内するね。それと、護身用の銃。アリシアちゃんは剣も銃も持ってるみたいだけど、そっちの子は、えっと。」

「侍女の恵奈だ。彼女は戦闘が一切できない。」

「じゃあ、持ってても意味ないか。えへん。このアナがアリシア殿下、並びにその侍女エナ様を責任持ってお守りします。アリシアちゃんのほうが強いだろうけど。」


 一瞬だけ畏まって言い放ち、すぐに元の軽い雰囲気に戻る。そんなアナに国境越えの手助けをしてもらいつつ、道中で最近のフロンテラの様子を聞いていく。


「全然人は来ないよ。トラウマだろうって。見えたら殺される。だから見えないように、見ないように。バルデス首都までに通った村には生き残りもいたはずなのに、復興もされてない。女王アルセリアとアリシアちゃんが同列で語られてるんだよ。バルデス人を虐殺したって。」


 当然の帰結だ。アルセリアはなぜこれを、私がバルデスの救世主に見えると思ったのか。最後にアルセリアを殺したことよりも、それまで兵を殲滅したことに目がいくのは自然なことだというのに。


「ほら、ここがフロンテラに一番近い村。」


 既に廃墟だ。建物はさほど損壊していないが、人が住んでいる空気ではない。畑には鍬や鋤が置かれたままで、家の中ではまな板と包丁がこれから調理を始めるように置かれている。

 その家から出ると、男が襲い掛かって来た。


「死神アリシア!!」


 錆びたナイフを振りかぶるが、アナによって簡単に取り押さえられる。明らかに刃物の扱いに慣れていない人間だ。それでもなお藻掻き、私の望んだ憎悪を向けてくれる。


「お前のせいで、息子は、娘は、妻は、命を奪われた。サントスの友も、心を壊した!」


 息を飲む恵奈。アナはこのような相手を見たことがあるのだろう。冷静に動きを封じ、私に問いかけてくる。


「殺しますか、意識を奪いますか。」

「もう少し聞いていよう。」


 これが、今回の目的だ。


「私一人、戦場から生き延びて何になる。殺してやる、私から全て奪ったお前を!」


 彼がいつ失ったのかは分からない。しかし、アルセリアを討つという私の判断が遅かったために、両国の犠牲が大きくなったことは確かだ。私はアルセリアを改心させるために殲滅作戦を続け、多くを殺した。


「何が戦争を終わらせた英雄だ。魔王を殺したら他の全てが赦されるとでも思っているのか。背中を斬られた妻は、なぜ殺されなければならなかったんだ!」


 やはり私はサントスに帰れない。ここまで強い憎悪を抱かれているのだ。私自身がサントスに戻れば、バルデスの憎悪を刺激してしまうだろう。


「意識を奪え。今回、他人の土地に無断で足を踏み入れたのは私たちだ。」

「承知しました、殿下。」


 手早く首を絞め、意識を奪うアナ。冷淡な私たちのこの対応に、恵奈は信じられないものを見る目を向けた。


「用事は済んだ、帰るぞ。」




 また一週間かけて城へと戻り、私室へ招く。恵奈は上の空で茶を入れ、勧められるままにソファに腰かけた。


「エリス様、一つ伺ってもよろしいですか。」

「ああ、待っていた。」


 ようやく口を開いたと思えば、また口を噤む。問うべき事柄を吟味しているのだろうか。


「エリス様は、バルデスの男性の言葉を、どう受け止められておられるのですか。」

「どう、とは?」


 また考え込む。

 表向き、私の罪は何もない。国内では罪とすら思われていない。しかし、あの男性は私を憎んでいた。

 私の答えは決まっている。だが、恵奈はもっと自分の仕出かしたことを考えるべきだ。人の命までは奪っておらずとも、罪の軽重を決めるのは、罪を犯した者ではない。


「なぜ、殲滅作戦を実行したのですか。」


 本当のことは教えられない。アルセリアを救うという私の我が儘で、数多の民の命を無為に奪ったなど。


「サントスの民を守るため、と言えば納得するか。襲い掛かってきたのはあちらだからな。」

「それならなぜ、それをあの男性に訴えないのですか。一度は襲い掛かってきたのですから、見逃してくれなんて都合が良いんじゃないかって。」


 私に対する発言だからか、私の正当性を見つけようとしてくれる。もしくは、理由があれば罪も赦されると思いたいのか。


「それこそ都合の良い言い分だな。相手の大切な人を奪っておいて、許してくれ、とは。」

「だけど、」


 何かを言いかけ、言葉が見つからなかったのか口を噤む。戸惑いを顔に浮かべ、縋るようにこちらを見てくる。


「最初の質問に答えよう。私はあのような言葉を当然のものだと思っている。私はそれだけのことをした。その時どういうつもりでも、何かを奪ったのなら、奪った相手から憎まれるのは当然だ。」


 私に殺された、大切な者を奪われた彼らには、そうするだけの理由がある。殺した私にはそうされるだけの理由がある。だが、彼らもいつかきっと、前を向ける日が来る。思うところを抱えたまま、ついてきてくれる人々もいるのだから、私は私で前に進まなければならない。


「過去は変えられない。今、私たちにできるのは、より良き未来のために行動することだけだ。」


 あの多大な犠牲を無駄にしないために、意味のあるものとするために。これが生者の幻想かもしれないと思っていても。


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