妹への思い
「ベルトラン将軍。コロナード隊、私含め6名、帰還しました。」
向かった兵の1割に満たない数だ。バルデスが大砲と呼ばれる最新の兵器を持っていたことが想定外としても、大きな損害だ。
「ご苦労。こちらは抑えられている。アリシア、詳細を。」
「はい。」
詳細を聞いたベルトラン将軍は、その凛々しいお顔を歪ませていた。
「圧政で疲弊しているはずのバルデスが、あんな兵器を幾つも用意できるとはな。」
「その代わり、一人一人に銃を持たせる余裕はなかったようです。」
フロンテラでも大砲が使用されていた。幸い、砦での防衛線であり、被害の大部分は建物だ。壁を壊すために何発も使い、人間に向けて使う余裕はなかったようだ。
「兵の質自体も良くない。士気は低く、分断させればすぐさま投降した。」
「徴兵制度の影響でしょうか。」
アルセリアの統治は独裁的で、国民からの支持は薄い。そんな中で実施しても、兵の士気は当然上がらない。一部の美味しい思いをしている指揮官だけが張り切っても、結果はついてこないのだ。
「それもあるだろうが、明らかな囮だからだろう。いくら大砲があっても、それ以外は大した装備もないのだ。やる気も出んだろう。」
「トリゴでは逃げ帰る者は見えませんでした。装備も銃こそ持っていませんでしたが、小さな村を襲撃するには十分すぎる大砲も火矢も用意していて、整っているように感じました。」
「そちらが本命だったのだろう。」
「それにしては数が少なかったように思います。」
私たちよりも少し多い程度で、トリゴを抜けたとしても次の町で返り討ちに遭うだろう程度だ。
大砲で隊の大半がやられてしまった。それにも関わらず、あの場を抑えることができたのだ。
「少数精鋭か?」
「それにしては個々の実力が低かったかと。」
装備では劣るが数では勝る、と油断したのか。次々と討たれていく味方を見て、徐々に劣勢になっていく戦況を見て、撤退を選ばない理由は何だ。初動の大砲で、サントス側には大きな打撃を与えられていた。大砲が無力化された時点で一度引いて、立て直してからまた大砲を撃ちこめば、バルデス側に流れが向く可能性はある。
「南にも増援を送ろう。北すら囮かもしれない。アリシア、王都にいったん帰還し、陛下に今の話を報告してくれ。」
「はい、ベルトラン将軍。」
母上への報告も終え、私はしばしの休暇だ。戦場という異常な場に長く居すぎると、通常の生活に戻れなくなってしまうから。特に初陣ということもあって、特別な配慮をしてくださっているようだ。
10年前のバルデス独立戦争を経験していない兵はみな、今回が初陣だ。コロナード隊にも、私以外に初陣兵はいた。彼らは戦場という異様な場所を初めて経験する時、王女がいるという余計な緊張感も味わってしまったのではないか。そのために、普段の訓練での実力を発揮できなかったのではないか。
私が、彼らを死なせてしまったのではないか。
そうして廊下を歩いていると、正面の人物に気付くのが遅れた。
「おかえり、アリシア。よく生きて帰ってきてくれた。」
兄のレオンだ。今は彼も第一王子として政務を積極的にこなし、母からしばしば頼りにされるほどになっている。
「ただいま、兄上。こちらは変わりないだろうか。」
「ああ、アリシアが頑張ってくれたおかげだよ。」
「全てはベルトラン将軍の采配だ。」
私はまだ教えを乞うている立場だ。それに、彼は今も戦線を維持してくれている。
「そっか。それでも、お疲れ、アリシア。」
愛情に満ちた表情からは、本当に労わってくれているのだと感じ取れる。だからこそ、心にひっかかっていることが口をついて出てしまった。
「兄上、私は罪を犯した。」
人を殺し、味方を守れてもいない。それどころか、私が死なせてしまった可能性すらある。
思い上がっていたのだ。自分なら、物語の英雄のように勝利をもぎ取り、それを誇ることができると。
自分の傲慢さを見せつけられた気分だ。
「君は守ったんだよ、国と民を。それは認められる功績だ。」
「村は壊滅状態だ。人々が自ら避難していたから、一般人の犠牲がないだけだ。」
バルデスからの宣戦布告の報自体は、村にも伝えられている。しかし、バルデス軍の一部がそこを目指して進軍しているとの連絡はしていないし、避難の指示もない。先の戦争での経験から自主的に避難したとしか考えられない。
青々と茂るの小麦畑を放置しての避難。何か不審な点があったのか。その判断をできた人に聞いてみたいものだ。
「それが、戦争なんだ。一般人の犠牲が避けられただけ、良しとすべきなんだよ。」
「だが、」
そうできない私は、どうすれば良いのか。畑がなくなれば、彼らの収入も食料もない。一時的に支援できたとしても、これまでの生活に戻るには時間がかかるだろう。
「ごめんね。僕はそれを見るのが怖くて、それを背負うのが怖くて、逃げたんだ。いずれ妹か弟にそれを背負わせることになると分かっていたのに。」
兄上は戦場を知らない。しかし、その恐ろしさは理解してくれている。……これは、私が背負うべきものだ。
「貴方は立派に役目を果たしている。政務に積極的に取り組み、国を支えてくれている。それに、私のことも気にかけてくれている。」
彼の存在がどれほど私を救ったことか。母の愛を求めていた時も、傍に在ってくれたのは兄上だ。
「それでも、君にそれを背負わせた一因が、僕にもある。」
「兄上、」
暗い表情の彼に、何と言葉を続ければ良いのか。探している間に、彼は表情を切り替えた。
「イリスも心配していたから、顔を見せてあげてほしい。」
かつては思うところもあった妹イリス。今もまだ自己中心的な部分は見えるが、基本的には勉強熱心の良い子だ。将来私を支えたいからと、積極的に様々な国の文化や制度などを調べ、その成果をよく報告してくれる。
「イリス、時間はあるかな。」
「お姉様!お帰りなさい、待っていました。」
王女としてはあまり褒められたことではないが、イリスは自ら扉を開けると、すぐさま私に抱き着いた。はしゃいだ声で、しかし不満を述べる。
「心配してたんです。ちゃんと帰ってきてくれるのかなって。待ってるだけは辛いです。もちろん、お姉様がもっと辛い思いをしていることは理解してます。命がけで守ってくれて、大変な思いをして、疲れていてもこうして私のことも気にかけてくれてる、ってのは。でも、待っているしかできないというのも、苦しいんです。何かできないかって、何もできないんだって。」
早口に話しながら、徐々に声が震えていく。
「ただいま、イリス。不安にさせてすまない。見ての通り、私は無事だ。これでも剣も銃も自信があるんだ。信じていてくれ。」
同じ部隊の人間の大半が生きて帰って来られていないことなど、伝える必要はない。もう15歳だが、彼女はただ、人々を慈しむ愛らしい王女で良い。
「信じています。けれど、それとこれとは別なんです。お姉様がどれほど強くても、危険な場所にいることに変わりはないんですから。」
「そうか。それなら約束するよ、必ず帰ってくると。私はこんなところで死んでなどいられないのだから。」
どれほど言葉を尽くしても、きっと彼女の不安を取り除くことはできない。帰って来られるかどうかは、自分の意思で決められないのだから。
今回帰ることのできなかった者たちだって皆、帰ることを望んでいた。それぞれに待っている者がいえ、されど遺骨の一片さえ戻らない。生きた数人だけが、増援が来ないうちにと、その場を離れたのだ。
「絶対、絶対、約束ですよ!」
「ああ、必ず。」
この言葉にどれほどの意味があるのだろう。それでも不安を軽減できるというのなら、いくらでも言おう。本来であれば、立場のある人間が軽々しく「絶対」などと言わないよう諫めるべきだが、今回ばかりは見逃しても許されるだろう。彼女にとっては、ほとんど初めての戦争なのだから。




