新たな始まり
起きる気配のない秋人の寝台に腰かけ、イリスから今日届いた手紙を開く。彼女は毎月、手紙を送ってくれる。数回に一回しか返事できていないのが少々心苦しいが、関係を伏せるのであれば、イリスからの連絡ももっと減らすべきだ。
最初は時候の挨拶。涼しくなってきたとか、自分も犬を飼い始めたとか、他愛もない話だ。しかし、本題は別にある。
隣国のことですが、内乱が激しくなっています。共和制派と女王制派に分かれて、後者は前女王の隠し子を探しているようです。今は国内での捜索のみですが、十分お気をつけください。
お姫様の様子も気になります。お姉様ったら、問題ない、としか書いてくださらないのですもの。お姫様のお兄様や、お姫様のお姉様に似たよく似た男性、お姫様が懐いているという少年の話など、色々関係する話題はあるはずでしょう?
共和制で安定してくれれば、アルセリアに託された姫も危険に晒されにくくなる。それでもバルデスには近づけないようにすべきだ。
私自身は共和制になっても女王制になっても近づくべきではない。バルデスの民を虐殺した王女という立場に変わりはないのだから。彼らから見れば、私もアルセリアも同じだ。
お姉様、どうかお体にお気をつけて。一人で抱え込まず、周りの者を頼ってください。私も、きっとそちらにいる者もお姉様の力になりたいと思っています。それから、全てを自分の罪だと思わないで。どうか、あのお姫様に寄り添って、支えてあげてください。
強く気高いお姉様に憧れる妹より
イリスも随分と人の使い方が上手くなったようだ。まだまだの部分もあるが、固有名詞を避けて事実を伝えることもできている。何より、私の内心を見透かしている。私の罪も過ちも、私が密かに見守りたいと思っていることも。
その前に届いたものとは、というふうに半日以上、イリスからの手紙を読んで過ごす。その中でほぼ毎回触れられているお姫様の話。彼女自身は一方的に見ただけで、言葉を交わしたことはないはずだが、私が保護した少女ということで気にかけてくれているのだろう。
アルセリアもかつては優しい侯女だった。共に手を取り合える未来を目指した。しかし、その方法を間違えてしまった。繰り返される戦争で失われただろう命と、アルセリアの圧政と私の殲滅で失われた命と、どちらが多かったのか。ありえなかった未来と起きてしまった過去を比べても、答えなど出るはずもない。
何をしでかしていても、アルセリアの民と想う心と、妹を託した言葉に嘘はなかった。アルセリアを忘れられず、バルデスと愛良を結びつけることになりかねない私が、これ以上愛良に近づいても良いのだろうか。それが、バルデスと愛良の関係に気付かせることになってしまわないだろうか。
「エリスさん?」
思考の海から私を引き上げる、秋人の声。彼はぼんやりとした様子で、こちらを見上げていた。
「ああ、起きたのか。水は飲めそうか?食欲は?簡単に用意させるが。」
「両方ほしい。それと、ここは?どうなったんだ?」
まず水を飲ませて、起きていようとする秋人を寝かせる。
「なあ、」
「私の屋敷の、君の部屋だ。あとは騎士に任せてきた。後日連絡が来るだろう。私も説明に出向くことになる。」
「俺も?」
「私への報告だけで十分だ。」
「なら、来るまでにあったことを」
「休んでからだ。」
自分も手紙をまとめ、自室へ戻ろうと立ち上がる。
「エリスさんは?」
「気にするな。さっさと寝ろ。」
「……はい。」
聞きたいことはありそうだが、気付かないふりをして、彼の部屋を後にする。
今後について考えることも多い。愛良との関係もだが、今は預かった娘、新井恵奈の処遇が先決だ。ひとまず受け取ったが、新井子爵の悪行が明るみに出るだろう状況で抱える必要はない。皇国からさえ庇ってもらえた、となれば恵奈の忠誠心は高まるだろうが、新井子爵が受ける罰の重さによっては、それは私自身も皇国の敵とされる危険性を孕んでいる。
恵奈を皇国に差し出すべきか、これも秋人と同じように私が教育すると言い張るか。まだ考える時間はある。何より、恵奈は恵まれた環境には戻れなくとも、皇国のどこにも居場所がないわけではない。
傷自体大きなものがなかったおかげか、数日で秋人は問題なく動けるようになった。もうじっとしているのが不満なくらいのようだ。
「なあ、もういいだろ。」
「そうだな。無理はするなよ。」
「このくらい平気なのに。エリスさんも騎士かなんかだったんなら、このくらい何ともないって分かるだろ。」
この怪我は守れなかった証拠。一刻も早く治してほしいものだ。
「私が出かけている間も」
「分かってるよ。」
「それなら良い。では、行ってくる。」
本当に大人しくしているとは思えないが、使用人には帰って来た際に報告を、と指示している。何か始めたのならどうせ止められやしない。後で私から仕置きでもするほうが効果的だろう。
「待っていた、エリス殿。」
光輝殿からの呼び出しだ。要件は恵奈の件ともう一つ。
「なぜこんなに早く事を収めた?少し粘れば、もう一段上の獲物を仕留められたというのに。」
私に揺さぶりをかけたかったのは有栖侯爵を快く思わない者だけではない。皇族に牙を剥きたかった者だってそうだ。
「実行犯は確保した。そこから辿れるか、その先の者をどうするかはそちらの仕事だ。」
「尻尾を切られるだけだと分かるだろう。」
「他人の肉を切って、自分の敵の骨を断つ、と。随分と都合の良いことをお考えだ。」
秋人は既に、国外の人間である私のものだ。それを利用して自分の身をより安全にできるのなら、この上なく良い案に見えるだろう。
「最小の犠牲で、最大の成果を得る。そのために必要なことだと、分からないか。」
「誰にとっての犠牲なのだろうな。」
ふと、ラウラのことを思い出す。彼女はどこまでも利己的な人間だ。自分や自分の大切な者のためなら、他人を犠牲にすることなど厭わない。それを当然だと言ってのけ、罪の意識を抱かない。対立する者は敵で、それらの排除は食料を入手するための狩りと同じことだ、と。
彼女の理論なら、私のしたこと全てが肯定される。自分ではそこまで割り切ることができないが、誰かを守るために、国のためにならない行動を取るという選択肢を認められるようになった。
「俺を欺いていたということか。」
「自国の問題の解決を、他国の人間に頼るほうが危険だろう?手駒を晒しているだけ、信用してほしいものだ。」
歯を食いしばり、顔を歪める光輝殿。あからさまな表情を見せる程度には、信用されているようだ。
「同じ理論を返そう。存在しない姫と、そちらの国の一兵士を受け入れ、王位継承権を奪われた王女を受け入れた。これは本来、そちらの国内で解決すべき問題ではないか。」
「それは我が国の女王と、そちらの皇帝の間でなされた決定だ。それにただの皇子が異を唱えるつもりか。」
皇子や王女でも、皇帝や女王の決定を蔑ろにしてはならない。女王も皇国に対して、何らかの見返りを用意したはずだ。私個人も感謝の意を示すため、基本的には協力的な姿勢を示している。
「その手駒を与えた理由を、何だと思っている。」
「ああ、すまない。彼への慈悲かと。だが、貰い受けたものをどう使おうが、私の勝手だ。借りたわけではないのでな。」
皇子との会談も問題なく終えれば、学園での日常も戻ってくる。学園祭という大きな学校行事も終え、少し落ち着いた時間だ。自分の時間が確保しやすくなったからか、新しいことを始めようとする者も多い。愛良とラウラもそんな一員だ。
「エリス!あのね、今、ラウラと二人で〔麗しの華〕みたいなことしたいなって言ってたの。」
「でも私たちだけじゃ難しいこともあるしさ。エリスがいれば安心かなって。」
随分と親しい様子の愛良にラウラ。それぞれとは私も親しくしているが、こうして三人で話すのは珍しい。
「だが、私は歌ったことなど、」
いや、ある。しかし、彼女らの言うことは歌うこと自体を楽しみ、聞いている人も楽しませようという類のものだ。人心を引き付ける文化、道具という側面に主眼を置いてきた私とは、音楽に対する視点が異なる。
「私も友兄が教えてくれるまで、あんまり歌わなかったの。だから、今度は私がエリスに教えてあげる。」
「しかし、私がいては生徒たちに遠巻きにされて」
「そんなことないよ!エリスは格好いいもん!」
力強く言ってくれる愛良だが、彼女は物事を肯定的に捉える傾向にある。真に受けるべきではない。
「ありがとう。しかし、事実、私が話しかけるとみな緊張してしまうのだ。」
「話し方のせいじゃない?」
軽い調子で言い放つラウラ。話し方はそれほど影響するものか。
「物語の騎士様みたいな話し方だね。」
「私とかマリア、あとは研究部の友達の話し方を参考にしてみれば?少しは近づきやすいと思ってもらえるんじゃないかな。」
お嬢様のような話し方か、平民の少女のような話し方か。まずは学園で試すところからだ。相手によっては今まで通りにしたい。
「ああ、試してみる、わ。」
言い慣れない。か弱い姫にでもなった気分だ。
「あはは、ぎこちないねー。そのうち慣れるよ。」
「エリスも一緒にやってくれるってことでいいよね。」
「構わないわ。」
愛良の近くで彼女に寄り添って守るのなら、この活動は都合が良い。
まずは学内で活動を始める。昼休みや放課後の体育館を借りて、演奏などを披露する機会もある。ラウラにも楽器の経験はないが、自宅にピアノがあるから練習できると伴奏を買って出てくれた。
「体育館でするなら、三人の名前がほしいね。」
「〔麗しの華〕みたいな格好いいのがいい!」
彼女ら三人は、自分たちの名から取って〔麗しの華〕と付けたそうだ。全員に麗、もしくは華の字が入っているという。
私たち三人はどうだろう。ラウラ、神野愛良、エリス・スコット。私の感性では難しい。
「私たちは三人とも、お船に乗ってどこかから来てるよね。」
「大陸から、だね。」
愛良は悩んだ顔をする。自分が大陸から来たのかどうかすら把握できていないのだろう。だが、その程度なら教えても構わない。
「そうね、愛良も大陸から船に乗って来たと聞いているわ。」
「お兄ちゃんから?」
「さあ。」
エミリオと優弥の関係も極秘だ。エリスは優弥と個人的な関係を築いていない。聞いているはずなどないのだ。
「三人の共通点、か。特になさそうだよね。年齢も見た目もばらばら。出身地だって、大陸だっていうだけ。愛良ちゃんは可愛い系だし、エリスは綺麗系だし。それなのに私は髪色もありふれてて、瞳も淀んでる色で。」
「私は綺麗だと思うよ。海の色だね。」
はっとした表情になるラウラ。今まで持っていなかった表現らしい。気にしていた部分なのかもしれない。
年齢は私が十九歳、ラウラが十六歳、愛良が十三歳。見た目では、髪色は三人とも茶色系で似ているとも言えるが、名称にはし難い。そもそも、珍しい色ではない。瞳の色はばらばらだ。
「私は友兄と同じお庭の色なの。で、エリスは、うーんと、お日様の色だね。」
海と庭に太陽。自然豊かな表現だ。愛良自身もこの表現が気に入ったのか、それを補足するように話を続ける。
「お日様はね、お絵描きする時は、エリスがよく着けてる紅いピアスの色の時もあるの。キリッとしてるのが、エリスっぽいの。だからやっぱり、エリスはお日様のイメージ。」
「エリスが太陽で、愛良が森、私が海。自然と言えば、四季って言葉があるよね。」
「あっ、そうだ。織姫さんの織るも、シキって読めるんだよ。」
何の話だ。突然話題が変わるのも愛良の話し方ではあるが、本当に唐突であるため、ついていけなくなることもしばしばだ。その上、そこに深い意味はない。しかし、それらの意味を乗せて、掛詞のような命名にするのも面白い。
「ならば、四つの季節と書く四季と、未来を織るという意味で、〔シキ〕というのはどうだろう……どうかしら。」
「なんか素敵!」
「私もそれがいいな。」
二人とも気に入ってくれた。未来を織る、には私の私情も多分に含まれている。私も愛良の近くで、両国の未来を紡ぐのに一役買えるかもしれない。二人は深い意味など考えていなさそうだが。
愛良との接触が大幅に増えたことが心配の種でもあるが、現状では愛良を付け狙う輩は出現していない。警戒心を高めつつ、年を越す前に体育館での初公演だ。
「どきどきしてきちゃった。学園祭の時より見られてる気がする。」
「当然でしょう。十人以上が同時に立っている場合と三人だけでは、視線が分散しない分、一人一人がよく見られることになる。」
「愛良ちゃんなら大丈夫。何だったら、手繋いでもらって歌う?」
百に満たない聴衆だ。私にとっては何てことのない数だが、愛良は見られ慣れていないのだろう。ラウラの手を取り、深呼吸を繰り返している。
「うん!大丈夫、行こう。」
愛良が先頭に立ち、堂々と前を向き、舞台へ上がる。ラウラも少々硬い表情だが、彼女らなら心配は要らないだろう。
三人で並び、お辞儀をする。頭を上げれば、驚きに目を見張る聴衆の一部がいる。そうだろう。研究部の中で、私はこのようなことをする人間だと思われていない。簡単に頭を下げるようなことなどなかった。
愛良の短い口上が終わる。ラウラが跳ねるように弾き始めれば、愛良も繋いだ手を楽しそうに揺らす。そうなればもう、ここがどこであれ、目の前にいるのが誰であれ、関係なく彼女は歌える。
曲も終盤に差し掛かったところで、気になる目を見つけた。探るような、訝しむような。私がこのような活動をしていることに対する反応であれば良いのだが。
「ありがとうございました!」
拍手と、おそらくは愛良に対するものと思われる可愛いという声。初めてにしては上出来だろう。これで多少愛良の存在が広まったとしても、バルデスと結びつける者はいないはずだ。
寮での簡単な慰労会。愛良もラウラも満面の笑みで、ジュースを飲んでいる。
「楽しそうに聴いてくれたね。」
「うん!もっとやりたい。」
もう次の曲は何にするかを相談し始めている。気の早いことだ。
去り際の聴衆の会話を考えれば、次回はもっと人が多いと推測できる。友人にも伝えようなどと何人も言っていたのだから。何かが起きてからでは遅い。早いうちに今日の目の意味を探ろう。
愛良の髪色は珍しいものではない。瞳の色だって、他にいないわけではない。大陸から来たのに皇国風の名前であることが特徴だが、大陸から来た人間は他にもいる。即座にバルデスと結びつけられることはないはずだ。
「ねえ、エリスはどう思う?」
「好きにすると良いわ。」
「もう!聞いてなかったでしょ。同じ名前と見た目だけど、教科書では自分の知らない人みたいな性格で書かれてるの。たまたま一緒なだけかなって。」
曲の話ではなくなっていたらしい。教科書に載る、愛良の知り合い。アルセリアかその母くらいしか私には心当たりがない。
「どう書かれていたのかしら。」
「悪逆非道、暴君、狂王、破滅の女王、あと色々悪いこと。」
破滅の、とまで言われる人物を、私はアルセリア以外に知らない。バルデスは今も存続しているというのに。
愛良は何も知らなくて良い。アルセリアとの関係も、事実も、何も。それが私とアルセリアの願いだ。何も知らず、これ以上巻き込まれることなく、幸せになってほしい。
「愛良の知っているその人は、そんな人間ではなかったのでしょう?それなら違う人間よ。愛良、貴女は貴女の見たものを信じなさい。」
「?うん。あと、エリスも今日、緊張した?」
「いや、私は慣れているわ。」
唐突な私の助言をきょとんとした表情で受け入れ、またすぐに話題を変える。
私は次期女王としても将軍としても、大勢の民の前で話す機会があった。何をしておらずとも人から注目される立場だった。人の命を背負う立場だった。あの緊張感と比べれば、何もないも同然だ。
「へえ、学園に来る前に何かしてたんだね。」
ラウラの発言に肝が冷える。彼女にはある程度船で事情を話しているのだが、愛良が興味を持たないようにという配慮はなかったようだ。
「何をしてたの?」
「ちょっとしたことだわ。」
案の定、追及してきた愛良には誤魔化し、労いと次の曲の相談に話題を変えた。




