始動
私が秋人を制御できていると信じさせるための一学期が終わり、夏季休業も大きな事件が起きることなく過ぎていった。
二学期に入った頃、ようやく私たちも学園に戻る。一学期の間、問題を起こさず、私の管理下にあると示せたためだ。それでも、私の監視という建前上、私が学内に留まる日のみだ。どこかに出かける日は秋人も連れて行くか、屋敷で大人しくしていてもらうことになる。
ラウラは一足先に学園に戻されていた。あちらも相当甘いようだ。
「秋人、問題は起こしてくれるなよ。校則に違反するのも、授業を抜け出すのも禁止だ。六限が終わる頃に迎えに行く。放課後は教室で待っていろ。」
「はーい。」
厳しく見張っているとも示せるが、大切にしているとも見せられる。これでようやく事態が動くだろう。
生徒たちの注目を集めつつ、高等部まで送り迎えを繰り返せば、良い手紙が届く。奴らは釣られてくれたようだ。
浮足立つ気持ちを抑え、高等部生たちの相手を適当にこなしつつ、迎えに行く。
「秋人、来い。」
「へいへい。」
最初の数日は目立つやら何やら文句を言っていたが、今は黙って従うようになっていた。
私の部屋に連れ帰れば、例の手紙を見せてやる。
「何これ。」
「良いから読め。」
「えー、「お前の大切な者に危害を加えられたくなければ、月長で交渉しよう」?その人が危ないからどうにかしようって話?エリスさんに大切な人なんていたんだな。」
音読しろとは言っていないのだが。
月長は皇都にほど近い、橋本公爵家領の島だ。今、皇国にいる私が大切にしている者は数少なく、屋敷の侍女や侍従くらいだ。彼らでは捕まっても迅速な救出しかできず、証拠を確保することは難しい。しかし、最近ならそこにもう一人そう見える者がいる。
「おそらくはったりだ。君は狙われる心当たりがあるか。」
考える秋人。もちろん、私を都合よく使うための脅迫だ。
「エリスさんの家にいるから?」
「君はどの家の出身だ?」
まだ不十分だ。奴らが行動に移すだけの理由には彼の出身が影響している。
「有栖侯爵家だけど。」
「君が私預かりで済んでいる事実があるだろう。それは、私が君を庇い、有栖侯爵に肩入れしているように映る。」
そこで秋人に何かあれば私と有栖侯爵の間に亀裂を入れることができる。さらには皇族から私への信頼にも影響する。簡単に人材を捨てる人間に見えるからだ。私を孤立させることで何かを得ようとしているのか、味方に引き入れるために追い詰めようとしているのか。
「んで、どうするんだよ。」
「君なら耐えられるだろう。」
「はあ?」
捕まって、それを騎士に見つけてもらえば、あちらを罰してもらうことができる。重い罰が下らずとも、簡単に御せると思うな、と警告を発することができる。何より、戦う術を持たない使用人たちを守れるだろう。
しかし、秋人は何のことか分からないという表情を向けてくる。
「君は自分に関する噂を聞かなかったのか。」
「聞くたくねえよ。ペットとか飼い慣らされてるとか言われてんの。」
「聞いたんだな。」
学園でも教えてくれる人はいるだろう。善意であれ、悪意であれ。
「なら分かるだろう。これは私を利用するための作戦だ。ペット云々の噂も、君が私にとってどの程度の存在かを図っているのだ。」
「で、結果は?」
「人質に使える。その身の危険を示唆するだけで、御せると思うほどに、な。」
うぇ、と声を出し、嫌そうな表情をする。完全におもちゃだろ、という言葉は思わず漏れた本心か。
「つまり、俺は捕まって、相手を確認して逃げ出して来い、ってこと?」
「捕まって、相手を引き付けて、居場所を知らせてくれれば良い。安心しろ、私が助け出してやる。」
「……了解。」
私だけでなく、正式な騎士団の者が確認することが重要だ。秋人を攫わせるため、この脅迫状を受けて、私が警戒している姿を見せる必要がある。
「だから、明日以降も送り迎え、だな。」
「それはやめろ!寮の部屋で会うくらいで良いだろ。」
「そうか。では、それも追加するとしよう。」
毎日寮の個室で密会か。それはそれで誤解を招きそうだ。
皇都へ戻る船上で、ここからは見えない大陸に思いを馳せる。イリスも今年で十八歳。皇国の基準でも成人だ。少しは成長してくれているだろうか。
「エリスさん、どうしたんだ?」
「いや……」
立派な王女になっているだろうか。王女としての勉学に励んでいるだろうか。
「何かあんの?」
「大陸がある。」
水平線と皇国領の島々しか見えない。それでも、この先に私の故郷があると思えば、自然と視線はそちらに向く。
「なあ、エリスさんの故郷ってどんな所?」
「私が出る頃には緊張感に満ちた国だった。戦争があってな。」
話す範囲を考えなければ。一応、素性を隠している身だ。戦争など、小さなものを含めればどこでも起きている。諸島部では少なくなっているが、そこから身が割れる心配はないだろう。
「エリスさんは、その戦争に関係した?」
「まだ国は荒れている。本当に戦争が終わったとは言えん。もう、私にはどうにもできんが。」
私では火に油を注ぐ結果にしかならない。今はまだ詳細を話すつもりがないため、言葉少なに返す。しかし、何かを感じたのか、不安に目を染め、唐突な質問を発する。
「虹彩のことは好き?」
「どうした、急に。もちろん良い国だと思っているよ。」
「そうじゃなくて。友達とか、いるのかなって。」
同じ授業を受けている人はいる。自分から話しかけるようにもしている。研究部は一般民衆の枠に収まらない人も多いが、それでも様々な視点を知ることができるからだ。
「いるにはいるが。立場が違い過ぎる。」
研究部は頭の回る人間ばかりだ。そのせいで、私との関係性が及ぼす影響について考えを巡らせ、距離を取られている。ラウラや愛良は遠慮なく話してくれるものの、誰が聞いているか分からないここで話せば、彼女たちを危険に晒しかねない。
「貴族の友達は?」
「打算ばかりの奴らと友人になれると思うのか、君は。」
そうでない者も多いが、ここでは彼だけが特別だと思わせたい。
「俺は打算ばかりじゃない。」
「ああ、そうだな。君はそういうものとは程遠いところにある。」
「なら俺に言ってくれればいいだろ。貴族だし、打算はないし。」
私たちのほうにちらちらと視線を向けているのに、動く様子はない人間がいる。何をするでもなく、すぐ傍の海を見下ろし、興味のない風を装っている。
奴らは機会を伺っている。決定的な言葉を聞けば、標的を秋人一人に絞るはずだ。
「不思議なことを言う。君は私の友人などでは収まらないよ。」
「はっ?」
触れこそしないが、身を寄せる。唐突な私の言葉も合わせて驚かせてしまうが、彼の反応も奴らの確信を強められるはずだ。あとは、機会を用意してやるだけ。
「今日、私はやることがある。先に一人で帰っていてくれ。」
日付が変わる頃に戻れば、案の定、彼はいなかった。
「何か連絡は来ているか。」
「はい。新井子爵伴侶がお見えです。」
事前に指示していた通り、日付が変わる頃に帰宅するからと待たせてくれていた。あえて服を乱して、その部屋に向かう。
「申し訳ない、学園にいてな。」
「いえ、急に訪ねたのはこちらですから。」
にまにまと腹の立つ笑顔の女だ。黙っていれば美しく見えなくもないが、表情がいただけない。焦りを見せることも相手を躍らせるには必要なため、苛立ちを隠さず問いかける。
「本題に入ってもらおう。こんな夜更けに来るほどだ。よほどの要件なのだろう。」
「ええ。貴女の大切な人に関して、教えて差し上げようかと。」
今日攫われなければ、明日、城下を連れ回す予定だったが、不要になったようだ。こちらの思惑通りと勘付かせないため、何も気付かないふりをする。
「私が知らないことをお前が知っていると。不思議なことを言うものだな。」
「今どこにいるかは分からないでしょう?」
乱れた服装の私が悔しそうな顔をして見せれば、さんざん探し回ったように見えるはずだ。
「夜遊びをする性格でもないのにな。こんな時間まで戻らないとは。」
「ええ、心配でしょうとも。居場所、教えて差し上げましょう。」
「小さな子どもでもあるまい。自分の家くらいは分かるはずだ。」
一度は提案を突っぱねる。顔を窓へ向けて、机を爪で叩いて。
「それなのにこんな時間まで戻らない。自分の意思では戻れない何かがあるとは思いませんか。」
「何が言いたい。」
「いいえ。そういえば、なぜスコット様は彼を引き取られたのですか。」
ここからが交渉の本題だ。奴らの目的が垣間見えるだろう。そのためには、私にとって彼がただの手駒ではないと示す必要がある。
「妹に、似ているのだ。一所懸命で、信じて、裏切られていることに気付かない姿が。」
嘘ではない。守られることに慣れた者が、無邪気に信頼を示している。それらが、私から見た二人の共通点だ。
「妹君がおられるのですね。その子は今、どこに?」
「祖国に。私がいなくとも立派にやっているようで、寂しいものがあるが。」
実際のところは分からない。文面では判断がつかないからだ。
「ではなおさら、保護したペットの安否は気になるのではありませんか。」
「回りくどいな。知っているのならさっさと言わないか。遊んでいるような暇はない!」
胸倉と掴めば、女はほくそ笑む。こいつもなかなか分かりやすい。私がもはや取り繕う余裕もない姿を見せたことで、上手く操れると確信したのだろう。
「貴女は大切なペットの安否が分かる。では、私にはどのような利益があるのでしょう。」
「多少の融通は利かせよう。何が望みだ。」
具体的には何も答えず、多少の範囲も曖昧。表に出せない取引なのだ。成立したとして従うつもりもないが、言質を取らせる意味もない。
「あれを頂けると一番嬉しいのですが。」
人質に寄越せ、という意味か。この先私を操るつもりなら、それが手っ取り早い。もっとも、この要求が受け入れられるとは相手も思っていないはずだ。新井子爵伴侶は危ない趣味を持っているという情報もある。
「他人の物が欲しくなる人間か、お前は。やらんぞ、あれは私の物だ。」
「残念です。でしたら、少々の繋がりを。」
言っている内容は最初と変わらない。上手く使えば新井子爵側の内情を探れるだろうが、少々危険だろう。まだそこまでの教育はできていない。
「人と共有できるような物ではない。」
「それすら許していただけませんか。」
「ああ。私は大切な者を共有できるほど、心が広くないのでな。」
これで人質としての価値はさらに高まる。容易に居場所を教えはしないだろう。かといって私を刺激すれば、どんな報復が待っているか分からない。どこで手を打ってやろうか。
「可愛い娘が、欲しくはありませんか。」
内情を探らせるつもりだろう。もしくは私が本当に人を飼うような人間だと思われているか。ただし、これは上手く利用することも可能だ。
「良いだろう。私の調教は厳しいぞ。」
「期待しております。」
交渉成立だ。屋敷の中で探られても、大きな問題はない。こんな風に差し出される娘なのだ。対応によってはこちらの手の者とすることも可能だろう。
「それで居場所は?」
「月長です。」
手紙通りの場所とは驚いた。往復だけなら一日で済むが、捜索等も考慮に入れるなら、数日は見るべきか。学園にも連絡すべきだ。私に言うことを聞かせたいのなら酷い扱いにはならないだろうが、生きてさえいれば良いと考える可能性もある。なるべく急ぐ必要があるだろう。
「感謝する。娘は迎えに行かせる。余計な動きは許さん。」
「ええ、スコット様。支度はさせております。」
侍従に指示して、各方面へ連絡を入れる。私自身が向かうことに意味があるのだから、ここで大人しくしているつもりはない。
指示が終われば、この国で入手した剣を手に取る。使うことにならないのが最良だが、備えは必要だ。




