第二の罪、無力
成人の儀では、全身を紅の衣装で覆い、未来へ向けて誓いの言葉を述べる。
「この背には国を背負い、」
女王から賜った紅のコートには、国の紋章である薔薇が黒で刺繍されている。
「この手では民を守る。」
掲げた両手には紅の手袋。
「私は、国と民のために生きることを誓います。」
紅い雫型の耳飾りは楔だ。
権力を持つ者がそれを悪用しないよう、いつからか戒めとしてこれらの言葉が王族の成人の儀に付け加えられた。
服装を紅で揃えるにも意味がある。主には血の色を表す。
過去の戦で流された血、今を生きる民の血、つまりは命。過去を背負い、今を守り、未来を約束する。そんな意味が込められている。
今の情勢を見るなら、そこに未来に流される血を見る人だっているかもしれない。
背中の紋章は、文字通り国を背負うとの覚悟を。
両の手の紅は、自分の手を血で汚しても民を守るとの決意を。
耳飾りの雫は、傷を負うことなど厭わないとの精神を。
私たちは、自分の全てを国と民に捧げるのだ。
これから私が正式な場に立つ時は、必ずこの紅を体のどこかに身に着けることになる。それが民を想っているとの意思表示になるのだ。
一人前の人間として、国と民を守る人間として、認められる成人の儀。一人の人間として、新たな一歩を踏み出す大切な日だ。
しかし、少し大人になれたような喜びを味わう余裕など、私にはなかった。
親友のアルセリアが隣国バルデスで圧政を行い、かつてのサントス国民、今のバルデス国民が苦しい生活を強いられているのだ。彼らの中には過去のサントスに対する恨みを依然として抱いている者も多いが、大半の人間にとっては過去の恨みより今の生活が大切だ。
新しい女王の下で家族を養えなくなり、ついにサントスへ亡命する者まで現れ始めた。軍部はその密入国者の中に、サントスを害する気の者が混ざっていないか確認することに追われていた。
そうして、アルセリアの真意を確かめる機会もないまま、1年が過ぎた。バルデスの民は苦しみ続け、しかし独立してしまっている以上、亡命してきた者を保護する以上のことができないでいた。
このまま、アルセリアが暴君として名を遺すのを黙って見ているしかないのか。このまま、朽ちて行くバルデスと、疲弊するバルデスの民を見続けることしかできないのか。
そんな時、歓迎できない変化が訪れた。
「バルデスが宣戦布告をしてきたわ。」
一昨年の友好会談が幻のようだ。昨年は緊張状態で終わり、友好会談など開催できる状況ではなかった。そして今年に入り、ついに危うい均衡が崩れたのだ。
「母上、私には信じられません。」
アルセリアのバルデス国内での行動でさえ、嘘であってほしいと願っているのに。伝わる過程で、事実とは異なる情報が私たちのもとに届いてしまっただけだと。
「信じられなくとも、信じたくなくとも、それが事実よ。貴女も軍属なら、戦場に立つことになるでしょう。」
「分かっております。」
「指揮に関してはベルトラン将軍が頼りになるでしょう。」
私はまず、一般の兵士に混ざって参加するつもりだ。実際の兵士がどの程度動けるのか、戦場がどのような場なのか、経験してみなければ分からないことも多いだろう。訓練時は他の兵士と遜色ない動きができているため、きっと許される。
サントス軍の主力は、バルデス独立戦争時にも舞台となったフロンテラでバルデス軍を待ち受けている。そこから南北どちらに来られても、対応できるよう構えている。
「アリシア、バルデス軍の動きは把握しているか。」
将来的に、私はサントス軍を指揮する立場に成り得る。そのため、ベルトラン将軍から指導を受けている最中だ。
「はい。国境付近、このフロンテラに向かって来る部隊と、北寄りを進む部隊があると聞いています。」
「そうだ。後者はどこを目指しているか分かるか。」
机に広げられた地図に目を落とす。サントスとバルデスの国境は南北に延び、南端は海、北端はエスピノ帝国に接している。
北端、現エスピノ皇帝は争いを好まれない。他国の戦争に介入などしないだろう。
一方の南端はというと、以前からサントス王国は東の諸島部に存在する虹彩皇国と国交を持っている。港を攻めれば、虹彩皇国の船を巻き込む可能性も高く、虹彩皇国により近いバルデス王国は、西側と東側、両方を敵に回すことになる。
「エスピノ帝国との国境ぎりぎりを狙って来るでしょうか。」
「そうだ。バルデスもエスピノとの対立は避けたいだろうが、エスピノ帝国側に侵入しないよう気を付ければ良いだけだ。それなら、どこを目指す?」
バルデス、エスピノとの国境から最も近い場所、サントスにて最も北東に位置する村。
「シントロン侯爵家領のトリゴという村ですか。」
「そう、小さな村だ。大勢に影響はないだろうが、村人にとっては死活問題だ。」
そんな人々を守るのが、私の役目だ。
「中央部のほうは囮でしょうか。本軍が待機している所に突っ込んで来るとは思えません。」
「動きを封じる、という意味ならあり得る。こちらは私が。アリシア、君はコロナードについて北東部へ向かいなさい。」
「はい。」
辺境の村だ。青々と茂った小麦畑、その真ん中に集まる家屋。
「村人は既に避難を終えています。」
先に向かい村を偵察していた兵によるコロナード隊長への報告だ。それが本当なら村の近辺に人はいないはず。
しかし、家屋を挟んで向こう側に、既に布陣を済ませた様子の敵兵が薄っすらと見える。到着が早すぎやしないか。
そんなときでもコロナード隊長は焦らず指示を出す。それに従い、素早く家屋の陰に身を隠し、武器を構えた。
独立戦争では実戦に投入されなかった比較的新しい武器、銃。それを私たちは全員が所持している。あちらもここ1年である程度揃えたようであるため、油断はできない。
しばしの睨み合いを経て、コロナード隊長の指示で、こちらから発砲する。既に領土を侵犯されているのだ。攻撃の正当な理由がある。
装填していた数発を撃ちきり、再装填を行っていると、前列に大きな弾が着弾する。落ちた跡を見れば、それが人の腕で抱えられる程度の大きさであると分かる。
「何だ、あれは!」
直撃を免れた兵は散り散りになり、一部は銃を捨てて敵兵へ走って行く。
「退避!一度態勢を立て直す!」
コロナード隊長の必死の指示も、耳に入っていない者が多い。
そうこうしている間にも、再び大きな弾が固まっていたサントス兵に降ってくる。
そこからは統制の取れていない集団の足掻きだ。いつの間にかコロナード隊長の声も聞こえなくなっており、サントス兵は個人の実力だけで戦っているような状態になっていた。ほとんどが予備の弾まで使い切っており、もはや銃を捨てている。
敵兵に関しては、あの大きな弾以外、特別な装備が見えない。銃の代わりに火矢を持っている程度だ。剣術に優れているわけでもなく、接近さえできれば容易に排除が可能だった。
私も必死に敵兵を排除し、その背後へと回る。あの大きな弾より一回り大きな鉄製の筒が置かれており、その周囲には飛んできた物と同じ大きさの弾が並べられている。こんな物が当たれば、城壁でさえ無事では済まないだろう。
その弾による被害は減りつつある。固まっていなければ、素早く移動し続ければ、それには当たりにくい。それができない者からやられたため、被害が減った、というだけだが。
バルデス兵の個人の戦闘力は大したものではない。敵の脅威はあの大きな弾程度。そう考えた兵は多く、迅速に筒の周辺にいるバルデス兵から排除されていった。
そうして、大きな弾の着弾音は消え、剣同士が重なり合う金属音、そして悲鳴、苦痛に呻く声が代わりに響くこととなった。
初めての人肉を斬る感触と、死に瀕した人間が苦しむ姿。その時は倒れて行く味方の兵に気を取られ、これ以上奪わせまいと必死だった。自分がしていることを表面上しか理解せず、次々と敵兵を斬りつけ、貫いていった。
体が異常に熱く、目の前ですら霞んで見える。立ち尽くし、けれど気配を探ることは怠らない。
私たちの周りに動いている者はほとんどいない。その場で立っていられるのは片手で足りるほど。その数人でさえ怪我をしていて、無傷の者などここにはいない。
「アリシア、撤退の指示を。」
指示を仰いだのは、同じ戦場に向かわされていたエミリオ。今回、私にその権限は与えられていないが、残りの兵も私の指示を待ってる。彼らは実力があっても一兵士、対する私は王女だ。この場で、適任は私だった。
「撤退する。ベルトラン将軍に報告をしなければ。」
いつまでもここに留まるのは危険だ。増援があれば、私たちも無事では済まない。散々この村を荒らしたバルデス兵は、もうここにはいないのだから。
切り裂かれ、貫かれ、撃ち抜かれ、敵も味方を血を流している。昼頃に到着していたはずなのに、いつの間にか、陽も沈み始めていた。
血の海に、燃える家屋、そして終わりを告げる夕日。
振り返った最後に映った景色は、三つの紅だった。




