入学
誤字脱字を数か所、訂正。2020年9月26日
新しい制服で、新しい場所、新しい友達。始業式の前に、新しい名前で紹介されたら、初めて同い年の友達ができた。
「初めまして、神野愛良さん。」
最初に声をかけてくれたのは、絵本の中のお姫様のような人。同じ制服のはずなのに、なぜか私の周りの人と全然違う動きをしていて、斜め上を見ている。お目目はキリッとしていて、口角もキュッと上がっている上に、手は腰に当てている。違う世界に住んでいる人のようで、呆気に取られてしまう。
「私は瀬古絵里奈。侯爵家の一人娘だから、貴方とは立場が違うの。こうして声をかけてもらえるだけでも、有難いと思いなさい。」
「え?うん、ありがとう、絵里奈。」
こういう挨拶もあるなんて。お話ではこんなのなかったよ。
「誰が名前を呼んで良いと言ったのかしら。エリーとお呼びなさい。」
「うん、分かった、エリー。」
「エリーちゃん、よ。」
「はい、エリーちゃん。」
満足したようにエリーちゃんは笑うと、私に手を差し出した。
「おいでなさい。新人に指導するのも次期侯爵の務めだもの。迷わないようにしっかりついて来なさい。」
「案内してくれるの?ありがとう。」
その手をしっかり握ると、眉を潜めた。
「こういう時は軽く乗せるだけ。そんなに強く握ってはいけないわ。そんなのでは立派なレディになれないわよ。」
「立派なレディ?」
「そう、私があなたを立派なレディにしてみせるわ、覚悟なさい!」
反対の手で私をズビシッと指し、不敵な笑みを浮かべている。そうかと思うとさっと私の手を引いて、教室を出ていく。
「まずは、この並び。五年生の並びね。こっちの普通教室棟は一階に四年生、二階に五年生、三階に六年生。もう一つの棟は一年生から三年生ね。階で分けられているから分かりやすいでしょう。どんなお馬鹿さんでも、扉の上のプレートを見れば、どのクラスか分かるはずよ。」
どの教室も同じ見た目だけど、それなら間違えないね。エリーちゃんに手を引かれて、今度は階段を下りる。それからエリーちゃんは端を示すの。
「正門側の一番端が職員室。だけど、困ったらまず私を頼りなさい。隣は保健室があるから、具合が悪くなったら行くことね。遊ぶ場所でないことは理解しておきなさい。」
もう一つの棟を通り抜けると、似たような、もう少し小さな建物の前に出る。
「こっちは特別教室棟。音楽室や図工室、家庭科室が入っているわ。視聴覚室もここね。図書室もあるわ。でも、勉強のためなら中等部・高等部の図書館をお勧めするわ。こっちは簡単な本ばかりだもの。貴女レベルなら十分かもしれないけれど。もっと詳しい調べ事なら研究部の図書館だけれど、貴方には難しいでしょうね。」
説明だけして、特別教室棟と普通教室棟の間を歩き出すエリーちゃん。
「中には入らないの?」
「授業が始まってからで良いでしょう。貴女は一度に覚えられると思っているのかしら。そういうのを、傲慢、って言うのよ。」
本の内容なら一度で十分だけど、場所は覚えられない。だって、もう寮にだって戻る道が分からない。でも、授業の度に連れて行ってくれるみたいだから、安心だ。エリーちゃんは親切な子だ。
二つの棟の間は中庭。小さな緑がいっぱいだけど、床は土ではなくて、上履きが汚れてしまわないようになっている。屋根はないから雨の日は濡れてしまうけど、渡り廊下の下はアーチ状の屋根がついている部分だから濡れずに進める。
その中庭を通って行けば、ひときわ大きな建物がある。
「ここは体育館。乱暴な男子に気を付けて。全く、初等部の奴らはレディの扱いがなっていないのだから。入る時はきちんと体育館シューズに履き替えるのよ。規則を守るのもレディの条件なのだから。」
専用の靴があるのは事前に聞いている。きちんとお兄ちゃんと用意しているから大丈夫。
今度は一度、自分たちの教室がある棟まで戻って、昇降口で靴に履き替える。そうすると、正面にだだっ広い地面が見える。
「運動場ね。体育の授業はここか、さっきの体育館で行われるわ。隅に倉庫は見える?一輪車や竹馬が入っているの。また今度、遊び方を教えてあげるわ。貴女は何も知らないだろうから。」
体育館の丁度反対側に連れて行かれる。今日入って来た門と同じ見た目だ。
「ここが正門。毎日ここを通って来るの。見た目は中等部・高等部や研究部と同じだけれど、間違えないできちんと、初等部、と書いている所に入るのよ。間違えたら遅刻してしまうでしょうね。時間を守るのはレディ以前に人としての基本よ。」
遅刻は厳禁。人としてダメなんだ。字が書いてあるから間違えないだろうけど、確認は忘れないようにしないと。
「中等部・高等部のほうの案内は、いらないわね。知り合いもいない貴女に行く機会なんてないでしょうから。」
「知り合いいるよ!慶司っていうの。高等部の一年生だって。」
「人に伝える時はフルネームで教えるものよ。家名は何かしら。」
「知らない。」
エリーちゃんは私はじっと見て、溜め息を吐いた。
「愛良ちゃん、可愛いレディは異性への警戒心を忘れてはならないの。家名も名乗れない男なんて駄目よ。」
「学園に来るまでは遊んでもらってたよ。」
「もう!案内するから、会わせなさい。私が見極めてあげるわ。」
今度は中等部・高等部と書かれた所に入って行く。建物とかは大きくなっただけで、あまり変わらない。雰囲気は少し静かで、初等部より大きな人たち、慶司とか友幸と同じくらいの人がたくさん歩いている。
「作りは大きく変わらないわ。まずは職員室のほうから入りましょう。」
職員室の横にも昇降口がついていて、そこには大小二種類の来客用スリッパが置かれている。
「歩きにくいー。」
「次からは自分の上履きを持ってくることね。」
短い廊下を抜けて、中庭に出る。特別教室棟の隣、門に近い側にもう一つ、それより小さな建物がある。
「図書館はこっち。私は時々使っているわ。初等部のは必要なものが置いていないから。」
それから、中庭を歩いて行く。何人かとすれ違うけど、そのうちの一人とだけ目を合わせて、嫌そうな顔をした。相手は明るい髪色の男子生徒。その人も少し嫌そうな顔をしている。どちらも嫌そうなのに、エリーちゃんは近づいていく。
「ちょうど良かったわ、有栖秋人さん。」
「俺は会いたくなかったよ、瀬古絵里奈さん。」
「エリー様と呼びなさいと何度言ったら覚えるのかしら。」
やれやれ頭を振ったエリーちゃんは私に向き直って、その人を紹介してくれる。
「愛良ちゃん、この人は有栖侯爵家の第四子、秋人。私よりも頭の中身の詰まっていない、お馬鹿さんよ。だけど交友関係は広いから、人を尋ねるにはうってつけの人材ね。」
「初めまして、愛良。」
私には笑顔を向けてくれるけど、その笑顔は引きつっていて、エリーちゃんとの対応の差も不思議。
「神野愛良だよ。慶司って人、知ってる?魔法が使えるの。」
「え、と。同じ名前の人は知ってるけど……」
やれやれとわざとらしい仕草をしたエリーちゃんを補足してくれて、何を言ったらいいかも教えてくれる。
「貴女は本当に説明が苦手なのね。家名は知らないけれど、高等部一年生とは聞いているわ。……愛良ちゃん、外見の特徴は分かるかしら。あと、魔法というのはどういう意味かしら。」
「何かね、キラキラしてるの。お砂糖から鳥さん作る魔法が使えるの。」
秋人は少し考えて、自信なさそうに一人の名前を挙げる。
「桐山慶司先輩、かな。飴細工で色々作ってるけど。」
「一体どこの馬の骨かしら。家名も名乗らずに、可愛い女の子を誑かすなんて。会わせなさい!」
またズビシッと、今度は秋人に指を差している。エリーちゃんの決めポーズかな。
「今どこにいるかなんて知らねえよ。休みの日に〔琥珀色の時間〕に行ったらいいんじゃねえの。」
「あのね、始業式の日に、調理室に来たらいいよ、って言ってくれたの。」
二人とも私をじっと見る。その動きが揃っていて、本当は仲が良さそう。
「それを先に言いなさい。全く、迎えにも来ないなんて。秋人、案内なさい!」
渋々の先導で、私とエリーちゃんは特別教室棟に上がる。中庭と反対側にもお庭が広がっていて、日向ぼっこすると気持ち良さそう。
「ねえ、秋人も慶司と友達なの?」
先輩、って言っていたけど。
「うん、まあ、そうかな。時々お菓子をくれるいい人だよ。」
「侯爵家の令息とは思えない発言ね、どこの初等部低学年かしら。」
本当に遊んだ時は美味しいお菓子をくれた。作ってくれているところも見せてくれるの。だけど、エリーちゃんと秋人が見合っていて、言いにくい雰囲気。
並んでいる同じような教室を覗きながら通り抜けて、ようやく一つ開ける。
「慶司せーんぱい!愛良っていう子と、面倒なご令嬢が会いたいって。」
「面倒は余計よ。初めまして、家名も碌に名乗れない方。」
会っていきなりのエリーちゃんの発言に、慶司は大きく目を見開く。ボウルからフライパンに何かを流し込んでいる途中の手も止まっていて、驚いているみたい。そんな慶司にエリーちゃんはなおも言い募る。
「全く、初めて学園に来る子がこんな所に来られるわけがないでしょう。レディはきちんと迎えに行くものよ。」
「秋人、説明してくれる?」
「不要よ、自分で言うわ。愛良ちゃんを騙す悪い男を確かめに来たの。さあ、名乗りなさい!」
ズビシッと慶司を指す。今度は反対の手を腰に当てて、足を肩幅に開いて、完璧に決まった、というような顔をしている。
慶司は呆気に取られているけど、答えてあげている。
「桐山慶司、だけど。別に騙していないのと、君も名乗ってないよね。」
「なぜ私から名乗らなければならないのかしら。瀬古侯爵家が第一子、絵里奈よ。エリー様とお呼びなさい。」
斜め上を見ていて、誰に話しているのだろう。それに、自分から名乗らないけど、名乗りはする。なんだか不思議な子。
エリーちゃんも秋人も入口の辺りで立ち止まっていて、慶司も動きを止めたまま。何を待っているのか分からなかったから、慶司に近寄って、手元を覗き込んだの。
「ねえ、何を作ってるの?」
「え、ああ。パンケーキだよ。今、焼いてるからちょっと待ってね。」
「私もやる!」
「もう終わるから。クリーム塗るのは手伝ってもらおうかな。」
「うん!」
パンケーキを重ねて、間にクリームを塗ったり、果物を挟んだりするの。
「あと、飴細工はどうする?」
「また今度。今日はケーキがいいの。」
「両方できるけど。」
お菓子も食べて、魔法も見る。なんだか贅沢だね。欲張って悲しいことが起きてしまうお話を読んだ記憶がある。
「二つはダメなの。」
「じゃあ、来週の水曜日だね。」
私と慶司がお話している間に、秋人は調理台の向かいに座って、扉のすぐ前で視線を彷徨わせているエリーちゃんを気にしていた。
「絵里奈さんもいいよな?」
「来週?」
「いや、今日。」
「愛良のお友達でしょ。ちょっと待っててくれたら、ケーキができるから。」
せっかく誘ってくれたのに、エリーちゃんは両手を後ろに回して、チラチラとこちらを気にしているのに、近づいてくる様子はない。
「わ、私はどこの馬の骨か分からない殿方とは食事を共にしないの。だって、一人前のレディだもの。」
食べたいのに、一緒はダメ。よく分からない。エリーちゃんの考えは分からないけど、自分の気持ちは分かる。
「私はエリーちゃんと一緒にお茶したいな。」
「う。で、でも。」
じーっと見ても、エリーちゃんは頷いてくれない。私が言っても迷っているのに、秋人のほうを気にしているの。
私にはそれがどうしてか分からなかったけど、秋人には何か分かったようで、慶司について教えてあげている。
「一応、桐山商会の令息だから、素性ははっきりしてるよ。」
「あら。よく見れば、目元がお父様によく似ていらっしゃるわ。礼儀はなっていないようだけれど。」
急に態度を変えるのはレディとしていいのかな。だけどエリーちゃんはそんなことを気にしないで、慶司が誰か分かって安心したのか、ほっとした表情で秋人の隣に座った。慶司はそんなエリーちゃんを横目に見るけど、何も言わない。
「そういえば、愛良ちゃんはどういう家の子かしら。神野、なんて家名は聞いたことがないわね。頭の中身が詰まっていなさそうなあたりは、平民かしら。貴族でそうなのは一部だもの。」
一部、のところでやっぱり秋人を見ている。普通にお話できているけど。
「えと、お兄ちゃんと二人なの。お兄ちゃんは騎士で、二人でお船に乗って来たの。」
「前はどこにいたのかしら。」
「分かんない。お部屋の中。」
私がお家だと思っていた場所は、とんでもなく大きな建物の中の一部屋に過ぎなかった。憧れのお庭もその建物の一部だった。今は本当のお外に出て、色んな場所を歩けるの。
そう思って、嬉しいと表情に出せば、三人とも黙って私を見つめていたの。特にエリーちゃんは悪いことをした時のような顔をしている。
「それは、ずっと?」
「うん。」
「ごめんなさい、配慮が足りなかったわ。レディ失格ね。そうだわ、誕生日はいつかしら。お祝いしてあげる。」
お話の中のお姫様なら、国中でお祝いするの。私もお姫様のように扱ってもらえるのかな。でも、自分が生まれた日の話なんて、聞いたことがない。
「分かんない。」
「え?えっと、基本、自分や家族の誕生日は知っているものよ。」
「そうなの?」
「そうよ、貴女のお兄様に聞いてごらんなさい。知っているはずよ。もう、きちんと大人になっていくことを祝うくらいの気持ちは持っていてほしいものよね。」
お兄ちゃんが誕生日を教えてくれたら、お姫様扱いしてもらえるね。




