記憶の始まり
白く綺麗な部屋、可愛いお人形、たくさんの本、窓から見える風景、時々会いに来てくれる二人の女性。それが世界の全てだった。
きょうは、いいおてんき。くもがなくて、おにわがみえる。みどりと、きみどりと、あおみどりと、あとはいろんなおはな。
それに、きょうは、とてもいいひ。あいにきてくれたの。おおきいほうの、おんなのひとが。
「お待たせ。今日は何のお話が聞きたい?」
「くまさんのはなし!」
くまさんが、おともだちと、ぼうけんにでるの。いっぱいあるいて、ころんで、でも、たちあがって、いろんなものをみるの。おおきいおやまに、ながれるかわに、おさかなさんに、ほかのどうぶつたち。おおかみさんとか、りすさんとか、おともだちがもってふえて、おうちでおかあさんくまと、おとうさんくまが、おかえり、っていってくれるの。
「じゃあ、今日は前のとは違う、熊さんのお話にしましょうか。」
「うん!」
なんだろう。はやく、じぶんでも、よめるようになりたいな。だって、おおきいおんなのひとか、ちいさいおんなのひとが、いないとき、おにんぎょうさんと、あそぶことしか、できないんだもん。
「昔々ある所に、仲良しの熊さん家族がおりました。」
「くまさん、かわいい!このこたちだね!」
おたがいをみて、わらいあっているの。くまさんのおはなしは、いっぱいで、だいすきだから、おにんぎょうさんも、いっぱいもらったの。
いちばんおおきい、くまさんにんぎょうが、おとうさんくま。つぎにおおきいのが、おかあさんくま。つぎが、おねえちゃんくま。それで、おにいちゃんくまがいて、いちばんちいさいくまさんがいるの。みんな、おめめはわたしとおなじ、みどりなんだよ。おおきいおんなのひとも、ちいさいおんなのひとも、おんなじ。
「ふふ、そうね。お姉ちゃん熊とお兄ちゃん熊は、一緒にお庭でお花を植えていました。」
「ちいさいくまさんはー?」
おねえちゃんくまと、おにいちゃんくまを、ならべておくの。おにわはないけど、あるつもり。ちいさいくまさんも、いっしょがいいよ。
「一番小さい熊さんは、まだ小さいからそれを傍で見ていました。でも、少し気になって、お庭から離れてしまいました。」
ちいさいくまさんを、ことばにあわせてうごかすの。あれ?
「なにが、きになったの?」
「自分よりも、もっと小さな小さな栗鼠さんが、覗いていたのです。」
「おともだちかな。」
おはなとおなじくらい、ちいさいりすさん。りすさんのおにんぎょうも、あるの。おはなは、りすさんには、すこし、おおきいね。
「栗鼠さんが、おいでおいで、と森の中に誘ってきます。」
「いくー!それで、おともだちが、もっと、いっぱいになるの。」
あれ?それは、ほかのおはなしだね。
「一匹で森に入った小さい熊さんは、」
「いっぴきじゃないよ!だって、りすさんが、いっしょだもん。」
おねえちゃんくまと、おにいちゃんくまが、いっしょじゃないだけ。
「栗鼠さんと二匹で森に入った小さい熊さんは、栗鼠さんが小さすぎて、見失ってしまいました。」
「さがさなきゃ!ほかのおともだちにも、てつだってもらったら、だいじょうぶだよね。」
ひとりでは、みつけられなくて、みんなでさがせば、みつかるの。ほかのおはなしでは、そうだった。
「ええ、そうね。でも、気が付いたら小さい熊さんがいなくなっていた、お姉ちゃん熊とお兄ちゃん熊はびっくりしていまいます。」
ちゃんと、つたえてから、いかないと、だめだよね。だまって、でていっちゃ、だめなの。
「あとで、ごめんなさい、しよう。」
「そうね。でも、森の入り口に、小さい熊さんが着けていたリボンが落ちていたのに、気付きます。小さい熊さんは、栗鼠さんに夢中で、リボンを落としたことに気付かなかったのです。」
「りぼんは、だいじじゃないの?」
「リボンよりもお友達のほうが大事だったの。」
そうだね、おともだちは、いちばんだいじ。りぼんは、おとしても、きれいにできるもん。
「お姉ちゃん熊とお兄ちゃん熊は、お父さん熊とお母さん熊に、小さい熊さんがいないことを伝えました。」
「えらい!ちいさいくまさん、ちょっとうっかりしてたね。」
わすれちゃうことも、あるの。ちいさいくまさんは、まだちいさいから。
「そうね、あわてんぼうの熊さんだったのね。それから、四匹で一緒に、小さい熊さんを探しに森に入りました。」
「ちいさいくまさんは、どうしてたの?りすさんは?」
「四匹の熊さんは、まず、栗鼠さんを見つけました。」
ちいさいくまさんは、みつけてもらってないね。
「りすさん!ちいさいくまさんと、はぐれちゃってるよ?」
「だから、栗鼠さんも一緒に探します。」
おとうさんくまと、おかあさんくまと、おにいちゃんくまと、おねえちゃんくまと、りすさんが、いっしょ。みんなでさがしているから、みつけてもらえるね。
「ちいさいくまさんは?」
「小さい熊さんは、栗鼠さんを探しながら歩いていると、綺麗なお花畑に出ました。」
おはなばたけ!でも、みんなといっしょがいいな。
「いっぴきでぼうけんしてる!だめだよ、りすさんにもおしえてあげないと。」
「後で教えてあげようと思いながら、そこで出会った蝶々さんに栗鼠さんを見ていないか聞きました。」
「ちょうちょさん、りすさんみたー?」
ちいさいくまさんは、りすさんと、おおきいくまさんたちが、いっしょにいるって、しらないもんね。
「見てないよ、でも、小さい熊さんを探してる大きい熊さんたちは見たよ、と教えてくれます。」
いっしょにいるのに、きづかなかったんだ。りすさんは、ちいさくてみえなかったんだね。でも、おおきいくまさんとも、いっしょにいられるようになるね。
「おおきいくまさんのとこいくー。それで、おはなばたけを、おしえてあげるの。あっ、ちょうちょさん、ありがとう。」
いいばしょは、みんなでみたいもんね。おれいも、わすれないの。
「蝶々さんにお礼を言って、その大きい熊さんたちがいたと言われるほうへ、小さい熊さんは歩いて行きます。」
「りすさん、いた?」
「無事、合流できた小さい熊さんと、栗鼠さんたち。」
わたしは、ちゃんと、おぼえているの。ちいさいくまさんも、うっかりしなかったら、ちゃんと、つたえられるよね。
「おはなばたけ、おしえてあげなきゃ!」
「嬉しくなった小さい熊さんは、みんなをお花畑まで案内して、蝶々さんも一緒に、みんなでピクニックをしました。めでたし、めでたし。」
みんなでおでかけ、いいな。
「わたしも、おでかけしたい!」
「ごめんね、本当のお外は危ないの。だから、一人では出ちゃ駄目よ。」
いつも、そういうの。だから、いつも、まどから、おにわを、みるだけ。
「きょうは?」
「もう行かなくちゃいけないから、ごめんね。」
「じゃあ、もうひとつだけ。わたしにも、ちいさいくまさんみたいに、おとうさんとか、おかあさんはいるの?」
あったことないね。それに、おでかけしないから、ただいまも、おかえりもないの。いっしょに、ごはんをたべるのも、しないの。いっしょに、おねんねも、しないの。
「いないわ。お父さんも、お母さんも、お姉さんも。」
「おにいちゃんは?」
「いるかも、しれないわね。探せば、きっと。」
おにいちゃんだけは、いるかもしれないんだ。ほかは、いないけど。
おおきいおんなのひとが、いてくれるのは、ごほんいっさつぶんの、じかんだけ。でも、ちいさいおんなのひとが、きてくれるときも、あるの。
「ねえ、おでかけしたい。」
「お出かけ?」
「おにわでね、おともだちを、さがすの。」
「うーん、少しだけよ。」
ちいさいおんなのひとは、すこしかんがえたんだけど、つれていってくれたの。
はじめてのおそと。あぶないから、やねのなかから、みるだけなんだけど、いつもよりすっごくちかいの。いつかはきっと、あのみどりに、さわるんだ。
「もう良いかな。帰るよ。」
「うん……」
もっと、いっぱい、みたいけど。もっと、ちかづきたいけど。おへやに、もどってからの、ぷれぜんとも、だいじ。
「はい!」
「どうしたの、これ。とても綺麗ね。」
「かいたの!」
「私を描いてくれたの?ありがとう、とっても嬉しいわ。」
わらってくれた。しずかにしないと、いけないから、おうたは、だめ、なんだって。でも、おえかきは、しずかにできるから、いいの。
なぜか、二人ともほとんど来なくなってしまった。たまに来てくれるほうも、だんだんと来なくなって、お外を歩く人の音もしない。お庭のお花たちも元気がない。それでも、元気な緑もある。でも、手を伸ばしても届かないの。連れ出してくれる人がいないから。
今までは雪が降る季節でも、色んなお花が咲いていた。会いに来てくれる人も、今はいない。代わりに、お人形のお友達が私を温めてくれているの。
そうやって今日もお兄ちゃん熊を抱き締めて、誰かが来てくれるのを待っていた。
「こんばんは。」
知らない人の低い声。掛けてくれた上着が暖かい。
「お兄さん、誰?」
見た目もやっぱり、知らない人。ご本の聖女様ほどではないけど金っぽくて短い髪に、図鑑に載っていた翡翠のような瞳。今まで見たどんな人より背が高くて、体が大きい、男の人。
「俺はエミリオ。君は?」
「モニカっていうの。最近なんだか人が少ないみたいなの。どうしてか知ってる?」
お外から来たこの人なら、何か知っているかも。それに、二人とも違うから、教えてくれるかも。そうしたらね、エミリオは私のほうをじっと見ながら、本当に答えてくれるの。
「このお家の人が忙しくて、お友達を呼べなくなったんだよ。」
今まではお友達がいっぱいだったんだね。あの二人は、このお家の人のお友達だったんだ。それなら、私はこのお家の人に会ったことがないね。
「そうなの?そういえば、アルセリアもベアトリスも会いに来てくれないの。特にベアトリスはね、ずっとずーっと、来てくれないの。」
前はご本を読んでくれたり、お庭を近くで見せてくれたりしたのに。
「その人たちとはどんな関係なのかな。」
「お話に来てくれるの。でもお外には出ちゃダメって言うの。それなのに来てくれないんだよ。お庭もね、前は綺麗なお花がいっぱい咲いてたのに、今はみんな枯れちゃってるの。」
エミリオは私のお家をぐるっと見回す。お人形のお友達がいっぱいだけど、それには興味がないみたい。
「他の人は来るのかな。」
「ご飯持ってきてくれる人と、お着換えをくれる人。でも、何にもお話してくれないの。話しかけても、なーんにも。アルセリアとベアトリスも、お喋りしちゃダメって。」
だから、お話しできるのは二人だけ。エミリオで三人目。そうだ。
「ねえ、エミリオ。お散歩しよ。会いに来てくれないんだから、出てもいいよね?」
ずっと来てくれないの。いつになったら、お庭をお散歩できるのかな。だから、この機会にお願いするの。
お兄ちゃん熊を抱き締めたまま、エミリオの服の裾を引っ張って、訴えるの。一人で出ちゃダメなだけだから、エミリオと一緒ならいいよね。
「そうだな。じゃあ、おいで。」
お兄ちゃん熊にはお留守番をしておいてもらおう。
手を引いてエミリオが連れて行ってくれたのは、行ったことのない場所。アルセリアとは階段を下りた所まで。エミリオはさらにたくさん扉をくぐって、どんどん遠い所に連れて行ってくれるの。
「わぁ。初めてお外に出たの!」
屋根はあるけど、今までよりももっとお外。もう、一人では戻れないくらい遠い。
「良かったな。」
「うん!ねえ、エミリオは何をしに来たの?」
「アルセリアを探しに。」
お友達なんだ。でも、居場所は知らない。一人より二人のほうが、早く見つかるよね。ベアトリスのことも頼んじゃおう。
「私もアルセリアに会いたい!手伝うから、ベアトリスも探すの手伝って!あのね、ベアトリスはね、よく絵本を読んでくれたの。」
「そっか。じゃあ、一緒に探そうか。」
「うん!」
もしかしたら、エミリオがお兄ちゃんなのかな。だから、私を探しに来てくれたのかな。
色んな所を歩いて行く。お手手を繋いで、一緒に歩く。見たことのない物だらけで、初めての場所もたくさん歩く。
お話は大事。たくさんお話すると、仲良くなれる。だから、アルセリアとベアトリスのことを、たくさん伝えたの。二人とも優しくて色んなことを教えてくれた。ベアトリスは絵本を読んで、文字も絵も教えてくれた。アルセリアは本当のお外での話をしてくれて、お庭から緑とお花を持ってきてくれた。
エミリオは、そんな私の話を聞きながら、たくさんのお家の扉を開けていく。どれも見たことのないお家だけど、一つだけ、知っている物を置いていた。
「あっ、これアルセリアのだ!私があげたの!上手に描けてるでしょ?」
初めてのプレゼント。ベアトリスに絵を教えてもらってから、こっそり描いていたアルセリアの似顔絵。指を差して、エミリオにも見てもらおうと思ったのに、エミリオはお家の中を見渡している。だけど、一瞬だけ私の絵を見てくれた。
「そうだな。今はいないのか。」
「すっごく喜んでくれたんだよ。自分を描いてくれて嬉しいって。」
「そっか。」
簡単な返事だけで、エミリオは別のお部屋に行ってしまう。でも、すぐに戻ってきてくれた。
「モニカ、他にアルセリアがいそうな場所は分かるかな。」
「うーん、とね。お仕事するお部屋もあるって言ってたよ。でも、夜はちゃんと寝なきゃダメって言ってたのに、アルセリアはまだお仕事してるの?」
窓の外はエミリオを歩いているうちに真っ暗になってしまった。聞いてもエミリオはまだ何かを考えていて、答えてくれない。他のお部屋も探すのかな。
「あとは、お客さんとお話する小さい部屋とか、大事な人とお話する大きい部屋とか、いっぱいの人と話し合うお部屋とか、色々あるんだって。あのね、大事な人とお話する一番大きいお部屋は「えっけんのま」って言うんだって。」
「行ってみようか。」
アルセリアのお家から出て、エミリオがまたどこかへ連れて行ってくれる。エミリオが一緒なら、まだ寝なくていいよね。
広い所を見て、机と椅子がたくさんで。でも、エミリオはがっかりしてまた出ていく。そんなことを繰り返して、今までのどこよりも大きい扉を開いた。
「モニカ、ここが謁見の」
言いかけて全部の動きを止めたエミリオ。扉の中を覗き込もうとすれば、止められる。
「エミリオ?」
「ちょっと、外で待っててくれるかな。」
「うん。」
エミリオはきちんと戻って来てくれるから。
「お待たせ、モニカ。」
「お帰り!」
座って待って、戻って来たエミリオに抱き着いたの。そうしたら、頭をぽんぽんとして、また手を繋いでくれた。
「アルセリアはもうここにいない。一緒に行こう。」
「誰かに聞いたの?」
「ああ。」
また遠くへ、遠くへ連れて行ってくれるの。こんなに冒険ができるなんて、お話の中の人みたいだね。
「ねえ、今度はどこへ行くの?」
「俺のお家に帰ろうか。アルセリアたちが迎えに来てくれるまで。」
「うん!」
秘密の通路を通って、エミリオと初めて屋根のないお外に出た。それから、エミリオのお家に連れて行ってもらったの。今度はここで、アルセリアが来てくれるのを待つんだって。




