事件の顛末
春休み中、オルランド様から、四月以降も数か月は学園に行かなくて良いと言われた。それ以外はリージョン教徒が一人処刑されたことだけ告げ、詳しくは聞かせてくれなかった。しかし、内務大臣が罷免され、勤めていた公爵が爵位を息子に譲ったことと関係しているとは教えてくれた。
もっと詳しく知るには、夏海さんに確認するのが良いだろう。マリアはたいして知らないだろうから。
「夏海さん、何かあったんですか。」
「リージョン教徒に騙されて危険物を皇族の下に近づけた。その罪で橋本公爵は罷免され、爵位をご子息に譲った。騙したリージョン教徒は処刑された。それだけよ。」
「なぜ私は謹慎になったのでしょう。」
一族なら連座で処罰を受けても納得できる。だけど、私は少し話しただけの赤の他人だ。
「貴女はどこまで知っているのかしら。」
「夏海さんが言った内容くらいです。」
謹慎の理由も何も聞かされていない。中山香さんに関係するだろうとは分かるけど。
「事件のあらましから教えるわ。今から言うのは貴方にとっての事実ではないだろうけれど、表向き事実とされたことよ。
中山香が〔聖女〕の妹から入れ知恵をされて、橋本公爵家と有栖侯爵家を共倒れさせ、あわよくば皇族にもダメージを与えようとした。」
何それ。私は親しくなるために話を聞いただけで、何も入れ知恵なんてしていない。せいぜい、教義の解釈について語り合った程度だ。そう反論しようと口を開きかけるが、夏海さんに制止される。
「ひとまず聞いてちょうだい。
そのために、中山香は有栖秋人に橋本公爵からだと偽り、毒の仕込まれたナイフを渡した。その後、一か月ほど空けて、橋本公爵家の紋章の封蝋をして、皇族殺害の指示書を渡した。」
こんなものが事実とされるということは、中山香さんが私から何かを言われたと証言したのか。毒の仕込まれたナイフも、橋本公爵家の紋章の封蝋がされた指示書も、出てきているのか。
だけど、これだと私が謹慎で済んでいる理由も、橋本公爵が処罰される理由も分からない。橋本公爵は名前を使われただけじゃないの。
「真実がどうであれ、これで納得せよ、ということね。貴女に関しては、中山香と有栖秋人を結び付けた証拠しかない、という理由で、謹慎に留めたのよ。本当のところはエリスさんに聞いてちょうだい。私からは言えないの。」
どうしてここでエリスの名前が出てくるのだろう。大陸の人だから、貴族だとしても皇国の話には関係なさそうなのに。
「エリスは知っているのですか。」
「ええ。行けば秋人からも何か聞けるかもしれないわね。エリスさん預かりになっているから。」
余計に分からない。だけど夏海さんは本当にこれ以上何も言う気はないようで、まだ暖かいお茶に手を付けた。
今から行ってもエリスは答えてくれるかな。そもそも、屋敷にいるのかな。
オルランド邸から出直し、急な申し出だったのに、来ると良いと返してくれたエリスの屋敷に向かう。
「〔聖女〕の妹、ラウラです。」
「どうぞ、お通りください。」
綺麗な芝の庭を横目に、落ち着いた印象の扉が開かれる。
「お待ちしておりました。」
「へっ?」
「は?なんでお前が。」
丁寧な言葉遣いと仕草で一瞬出迎えてくれたのは、秋人。すぐに雑になったけど。何、今の気持ち悪い対応。
「エリスに話を聞きに来たの。先に手紙を出したんだけど、聞いてない?」
「すっごい大事な客、としか。」
「ねえ、エリスはどこ?」
「ああ、こっち。」
ここはエリスの屋敷だ。それなのに秋人が自分の家のように案内している。いったい、どういう扱いになっているのだろう。預かり、言っていたけど、それはどういう意味か。
色々気になるけど、まずはエリスに聞こう。そう思って、黙ってついて行けば、ソファに腰掛けたエリスが待っていた。
「よく来た、座ってくれ。聞きたいことがあるのだろう?」
「どうして私は謹慎になったの?あと、どうして秋人がエリスの家にいるの?」
気が逸って座りきる前に、その上二つ同時に問いかけてしまう。秋人も隣に座って、答えを気にするように見ている。
「ラウラはどこまで知りたい。」
「全部。夏海さんが言った表向きの事実だと私が指示したみたいになってるし、橋本って公爵も利用されただけなのに処罰されたことになってる。そんなのおかしいでしょ。」
過激派を穏便に排除するつもりだったのに。政府内に入り込む過激派を排除するという目的は共有できたはずなのに。結果として政府内の過激派を取りまとめていたらしい香さんは排除できたけど、なぜか私がその上にいることになっている。
考えるようなエリスに、私は夏海さんから聞いた少ない情報を伝えた。私はこれだけしか知らないのだ、と。だけどそれに反応したのは秋人で。
「俺は橋本公爵から直接ナイフを渡された。中山香からじゃない。指示書も持ってきたのはお婆さんじゃないって家の侍従が言ってた。」
「どういうこと?」
「分かった、全て説明しよう。」
降参と言うように両手を上げ、エリスは真剣な目でこちらを見る。
「まず、今回の事件に関してだが、本当のところは私にも分からない。推測しかできん。誰が嘘を吐いていて、皇族がどこまで隠しているか分からない以上は。その点を踏まえて聞いてほしい。
おそらく、橋本公爵と中山香が共謀して、国家転覆を企んだのだろう。二人はかねてから親交があり、共通の利害があった。」
なぜ私の入れ知恵というくだりが必要だったのか。結局、謹慎にするのなら、そんな嘘を入れる必要なんてないのに。
「政府内部にいるリージョン教徒の取りまとめ役の中山香が、自分の理念に表向き賛同した秋人を橋本前公爵に紹介した。その前公爵は秋人にナイフを渡し、指示書を一か月ほど空けてから届けさせた。
ナイフを持ち込む役に、自分たちの派閥の者ではなく、秋人を選んだ理由は分かるか。」
しようとしていることが皇族の殺害だ。事が明るみに出れば、自分が殺されるだけでは済まない。だから、自分に辿り着かれそうな身近な者は使えないし、大切な者は使いたくない。
「自分と派閥の者を守るため。」
「それは自分の派閥の者を選ばなかった理由だろう。そういった側面もあるかもしれないが、それより秋人を使う利点があったんだ。」
侯爵家の人で、知り合いが多いくらいしか思いつかない。あとは馬鹿っぽいと思われているらしいこととか。
「事が露呈した場合、有栖侯爵の陰謀だと言えるからだ。事実、橋本前公爵はそう言った。」
「都合が良過ぎない?そんなの、全部陰謀って言ったもん勝ちになっちゃうでしょ。」
「ああ、もちろん、認められないはずだった。だが、有栖侯爵が面倒なことをしてくれた。自分は秋人の行動を把握していた。そう証言したんだ。これはつまり、秋人の独断だという逃げ道すら、自ら放棄したんだ。」
秋人の独断になれば、処罰されるのが一人になるだけで、橋本前公爵にとって都合が良いことには変わらない。
「そんなので何か変わるの?」
「ああ、変わる。橋本公爵家と有栖筆頭侯爵家の対立に。国としては大貴族が欠けるのは避けたいが、これだけのことをしておいて、お咎めなしとするわけにもいかない。どちらの家も潰さない程度の処罰で収めたかったのだろう。その代わり、どこかに皇族暗殺未遂の罪を着せる必要が出てくる。」
お貴族様同士なら何をやっていても構わないけど。だってこれは貴族の問題で、マリアには関係ない。
「そこで都合が良かったのが中山香。罪を全て中山香一人に押し付けても、リージョン教徒だが一信徒であることから、リージョン教との関係性もそこまで悪化しないと考えられた。一方で、それでは皇国の受けるダメージのほうが大きいという不満が残る懸念があった。そこで、〔聖女〕本人ではないが、リージョン教において特殊な立ち位置にいる〔聖女〕の妹に目を付けた。」
貴族の不満を鎮めるために、私に罰を与えたということか。納得できない。それは完全に向こうの都合で、私たちは関係ないのに。
「謹慎で済んでいる。許容してくれ。」
過激派を排除する目的はある程度達成できた。中心となって駆け回っていた人物が処刑されたのなら、多少は静かになるはず。
私がそれに関わったという不名誉はどんな影響があるか。〔赦しの聖女〕が融和派であることは明らかな事実。その妹が過激派と関わりを持っていても、それは揺るがない。身近な者にも赦しの姿勢を貫いているという点では、悪い印象を与えないだろう。
「まあ良いけど。」
「それなら次は秋人だな。」
「俺にはもうちょっと早く聞かせてくれても良かったんじゃねえの。」
「二度手間は断る。ラウラも知りたいだろう?」
「え、うん、まあ。」
何も教えてもらえていないのに、素直に従っていたのか。エリスは怒らせると怖いというのを、身をもって知っているからかな。私も大人しく聞いていよう。
「では、橋本公爵家と有栖侯爵家への処罰だが。公爵家の当主ともあろう人間が利用されていると気付けないのは問題だとして、爵位を長男に譲らせた。一度だけ見逃すと言付けてな。有栖侯爵は王都にいなかったことから、上手く使われた秋人を私に差し出すだけで良いとされれば拒めん。
で、秋人への罰だが、裁定としては私の手に渡った時点で果たされている。後は私に託された。謹慎と教育は私の一存だ。」
エリスの所にいることが罰になるのか。こんなに格好良いお姉さんなのだから、むしろご褒美になりそう。お仕置きは厳しかったけど、教えるのは上手だったし。つまり、秋人への罰はほぼなし。不公平だわ。
しっかり説明もしてもらったから私は納得できたのに、秋人は不満いっぱいの顔をしている。
「俺はその一存の理由が聞きたい。」
「私は君の両親のように甘くないということだ。私への態度もいずれ改めさせるから覚悟しておけ。」
エリスが侯爵家の人を預かれる立場ということは、エリスはそれ以上の立場。その上、他国の人間なのにそこまで信頼を得られている。それにもかかわらず私はおいておくとして、秋人の態度を今は見逃す。どういうつもりなのだろう。
今回の事件に関して、皇国からの処罰の理由とか必要性、橋本前公爵や有栖侯爵がそれを受け入れた理由は聞けた。だけど、その中でエリス自身の話は出てこなかった。
「結局、エリスが秋人を預かる理由は何?」
「今言っただろう。秋人は事が露呈した場合の生贄として使われようとしていた。そしてそのことに気が付かなかった。それは有栖侯爵の教育の下で育ったから。だから、別の者の下で教育し直す、という話になっているんだ。」
秋人が誰か他の家に預けられる理由ではあるけど、エリスが預かる理由ではない。エリスの意思はそこに働いていないから。
「そうじゃなくて、エリスがそうしようと思ったのはなんで?エリスは皇国の人じゃないから命令される立場でもないだろうし、皇国のために何かをする理由はないでしょ?」
「ラウラに貴族の立場は難しいかもしれないな。」
苦笑を向けられるけど、最初から分からないと決めつけられるのは不本意。説明してくれれば理解できるから。
「分かるよ。だから聞かせて。」
「それなら言えないこともあると分かってくれるか。」
どちらにせよ、教えてくれないのか。個人的な感情が理由だから教えたくない、とかかな。そんな性格には見えないけど。
「私はまだしばらくこの国にいる予定だ。だが、単身こちらに来た私には味方が少ない。この屋敷で働く者も未だ借り物だ。今回のことで有栖侯爵に貸しを作り、魑魅魍魎の跋扈する貴族社会で動くための準備ができたということだ。」
有栖侯爵家を味方につけるため、ってことか。そうすると教育が少し不穏に聞こえるけど、まあ良いか。
「それで有栖侯爵はエリスを良く思ってくれるんだ。」
「ああ。一番可愛がっていた出来の悪い末っ子を、首の皮一枚で救い上げてくれた恩人になるからな。」
「ほぼほぼ詐欺だろ、それ。手紙を待て、って言ったのはエリスさんなのに。」
秋人が事実を伝えると意味がなさそう。むしろ騙して攫ったように見えるかも。
「知ったところで何ができる。その場合は君が人質になるだけだ。」
「この悪魔。」
「教育的指導が必要か?」
仲良くなっているようだから、どちらのことも心配しなくて良さそう。他に気になるのは。
「貴族社会で動くって何?」
「貴族の義務を忘れた者と戦うことだ。」
生まれながらに存在する身分、貴族と平民。貴族は衣食住に困ることがない羨ましい身分だけど、義務があるみたい。
「その義務は?」
「国や人々を守ること。そのためには自分や家族も犠牲にする。有栖侯爵のようにそれができない者も多いがな。」
マリアも信仰のために家族を犠牲にできる人だ。既に一度、父親を犠牲にしている。私はマリアを犠牲になんてできないけど。
「守る人々の中に、家族は入ってないの?」
「貴族の家族もまた、貴族だからだ。守る側であって、守られる側ではない。」
「子どもでも?」
「幼い頃から貴族の義務を学んでいるはずだからな。」
自分の身を犠牲にしてでも守れ、ということか。余計な犠牲を増やさないために、おそらく混乱を避けるために、誰か一人に罪を被せる。だけどそれで本当に悪いことを企んだ人を捕まえられないのは問題ではないのか。
「なんだか厳しいね。」
「ラウラは知らなくて良いことだ。」
優しく私を見るエリスの目も、一瞬合ったのに逸らされた秋人の目も、私だけ除け者にしているように感じられる。話せば分かることだってあるのに。立場の違いを明確にされた気分だ。
「本当に、そうかな。」
「どうしても知りたいのなら、友人たちから感じ取ってみると良い。学園生活を送る中で分かってくることもあるだろう。今分からなくても、これから聞いてみるのも良い。時間はまだあるのだから。」
分からないことは少しずつ。マリアに対しても、同じことだよね。あと問題はいつ学園に戻れるかだけ。
「ねえ、エリス。私の謹慎は他を見て決める、ってオルランド様から聞かされたんだけど、どのくらいになりそうか分かる?」
「秋人次第だな。私の対処を見て参考にするつもりだろう。私はある程度教育を済ませてから戻す気だが、少々てこずっていてな。一学期の間は期待しないほうが良い。」
教育、と言ったところでエリスはにやりと笑い、秋人は顔を逸らす。本当にどういう意味の教育なのだろう。大丈夫かな、性格変わったりしないよね。少し不穏な空気になったところで、それに巻き込まれないよう退散することにした。
たまには、マリアと互いのことを話し合おう。この機会に、知識ではない感情を。
「ねえ、マリア。お父さんのこと、恋しくならないの?」
「もう随分前の話よ。目標として覚えていたいわね、いくつになっても。」
昔でも恋しくならないわけはない。
あれは、何歳の時のことだっただろう。マリアと出会うよりずっと昔の話。
見渡す限りの廃墟。かつては裕福な人間が住んでいたのだろう大きなお屋敷も、食うに困らない程度の人間が住んでいたのだろう小さな家屋も、全て朽ち果てていた。雨風を凌げれば満点、最悪、どちらかだけでも防げれば良いというような荒れ果て具合。
また一つ、命が消えて行く。食料を得られず、動く気力を失い、静かに目を閉じる人。暗い空気を切り裂く、甲高い悲鳴。あそこでは人肉すら、命を繋ぐための食い物だった。
あそこに流れて来た大人たちは、自分だけが不幸なのだという態度を隠さない。これ以上誰にも苦しめられたくない、力ある者が勝つ世界なのだ、だから今度は自分たちが奪うのだと言い訳をする。誰も責めていないのに、自分から言い訳を始める。子どもが必死に町から盗んできたパンを横取りする。
そんな人間は長く生きられない。自分より遥かに弱い者からしか奪うことができないのだから。目の前のパンに夢中になって、後ろから迫るナイフに気付けない。私たちはパン一つで、大人一人分の肉を手に入れた。
なんで私たちだけがこんな目に。
自分たちを捨てた両親でも、愛してくれなかった両親でも、恋しくなった。
「ラウラ、どうしたの、突然。」
「マリアは信仰のためなら、家族を犠牲にする?」
「そんなことしないわ。〔名も無き神〕は贄を求めないもの。」
そういう答えは求めていないのだけど。マリアのことだから本気で言っているだろう。聞き方を変えないと。
「あのね、マリア。」
「私は人の気持ちが分かっていないと、ある人から言われてしまったの。それでラウラに寂しい思いもさせてしまったし。だから、聞きたいことがあるなら、真っ直ぐに聞いてほしいの。」
私が聞きたいこと。そっか、マリアも分からないことは多いから。
「私のことは特別に大切?何にも代えられない、家族だって思ってる?」
「もちろんよ。今はもう、貴女だけが私の家族だもの。」
この言葉が、どこまで私の思いと同じかは分からない。だけど、これから分かるよね。だって、一緒の時間を多く過ごせるのだから。




