有栖秋人視点:潜入
ラウラの紹介を受けて、知り合えた中山香さん。お喋り好きのお婆さんだ。
「あら、今週も会いに来てくれたの?」
「お姉さんのお話が楽しくって。」
「まあまあ、お口が達者ね。」
おばさんとかお婆さんはたいてい、お姉さんと呼んでおけば機嫌良く話してくれる。呼び方一つ間違えただけで睨んでくるけど。
今日来ているのは気に入っているという場所の一つ。林の中に建つ、本当に小さな小屋だ。数人が寝転べばもう、いっぱいになってしまいそうなくらい。物もほどんとなく、秘密基地と呼ぶにも殺風景。香さんが掃除しているおかげで、綺麗ではあるけど。
「なんでこんな小屋が好きなんだ?」
「少し昔話をしましょうか。」
そう言って香さんは壁に体を完全に預けて座り、板が打ち付けられた窓を見た。
「昔々ある所に、小さな男の子がおりました。その子の家は貧しく、毎日食べるだけで精一杯でした。
その日も、男の子は両親の帰りを待っていました。しかし、日が完全に沈んでも、そしてまた昇っても、帰って来ませんでした。自分の神に祈っても、両親が帰ってくることはありませんでした。」
長くなりそうだ。香さんの話が楽しいと言った手前、短くお願い、と言えないのが辛い。
「意を決して、男の子は一人で探しに出かけました。凍える冬の朝、男の子は一人、あてもなく歩き続けました。丘を登り、平地を歩み、森を抜けました。疲れてもう足が動かない。そんな時、一軒の小屋を見つけます。
ご飯があるかもしれない、暖かい毛布があるかもしれない。そう期待して男の子は扉を開きますが、中には何もありません。それでも雨風を凌げるそこで男の子は力尽き、すぐに寝入ってしまいます。
男の子は夢を見ました。自分が家を出ようとした時に、たくさんのお米を持った両親が帰って来た夢を。お腹いっぱいに雑炊を、しかも卵の入った雑炊を食べて、暖かい布団で両親と一緒に寝て、とても幸せでした。
しかし、目覚めても何もありません。一人、寒さと空腹を感じるだけ。泣く元気すらありません。そこへ、一人の男性が入ってきます。
「おい、子どもがこんな所で何をしてるんだ。」
男の子は返事をする元気もなく、倒れたまま目だけを男性に向けました。すると男性は自分の上着を被せてくれたのです。その上、焚火で何かを焼き始めました。
しばらくすると、その何かを男の子の口の中に入れます。噛んでも噛んでもなくならない、魔法のような食べ物でした。それでもしっかりと空腹感はなくなり、男の子はその男性と暮らすことにしたのでした。」
にっこりと笑ってこちらを見る香さん。話は終わったかな。
「何の話?それ。」
「この小屋に纏わるお話よ。偶然出会ったこの小屋で、二人暮らしを始めたのね。その男性はリージョン教徒で、男の子に、人を助けるのは神ではなく人だ、と教えたの。男の子は祈っても神は助けてくれなかったと体験で知っていたから、それが真実だと分かったのね。」
リージョン教は正しい、素晴らしいという話か。いるかどうかも分からない神に祈りましょうより、人同士で助け合いましょうのほうが受け入れやすいけど。
「自分がその男性に救われたように、自分も他の人を救おう。それを実践していったその子は聖人と呼ばれるようになったの。人々が彼を尊敬し、貢物をしても、それを貧しい人たちに分け与え、自分は死ぬまでこの小屋に住み続けたのよ。」
「へー。よく考えると不思議だけど、納得できる話だよな。宗教自ら神は救わない、なんて言うの。」
神に救いを求めないのに、宗教としてまとまっている。存在する証明をせず、ただ信じているだけ。神がいることで利益を得られているわけでもないのに。
「神はただこの世界を創ったことが偉大なのよ。その後のことは私たちに託された。だから、その期待に応えるのよ。」
そのために過激派は色々やろうとしている。それを暴くのが、俺の役割。
「俺も手伝うよ。お姉さんだけじゃ大変だろ?」
「優しい子ね。それなら教えの復習をしましょうか。」
面倒な。色々と教えてもらったけど。ラウラからも、香さんからも。
まず、〔名も無き神〕が大地、海、空、時間、生命を創った。その神は、自分が創った世界を愛した。だけど世界を人々に託して、自分は干渉しない。
その人々を誰とするかで、派閥間の対立がある。
オルランド猊下や〔聖女〕をはじめとする融和派は、世界に生きる全ての人々と解する。だから、他の誰が何をしようとも、神の愛する、託された人のすることとして、受け入れる。今の国家も他の宗教も対立する派閥も全部。
一方でアルフィオ彩光司教をはじめとする過激派は、〔名も無き神〕を信仰する人々と解する。だから、リージョン教徒以外が法を作り、国家を作っても争いはなくならない、神に託されていない人々が世界を導いても正しい世界には辿り着かないとして、排除しようとする。国も他の宗教も。
香さんは過激派。当然、過激派が信じているほうだけを答える。
「〔名も無き神〕が世界の色んなものを創って、リージョン教徒に世界を導くように託した。で、今は皇族が導いてるから、香さんたちが頑張って、正しい世界に戻そうとしてる。」
「大雑把に言えばそんなところね。じゃあ一つ、頼まれてくれるかしら。」
ようやくだ。一か月もかけた甲斐があった。
「うん、何でも言って!」
「橋本公爵は知っているかしら。」
三公爵の一人で、公爵家の中では一番影響力に欠ける。光春兄さんや夏海姉さんの話では、あと少し橋本公爵家が何か失態を演じて、兄さんたちが頑張れば、うちが公爵家になれるかも、ということだった。
競い合う関係、というかうちが追いかける形だから、家同士の仲はあまり良くないらしい。その影響で橋本公爵とは面識がない。貴族同士でも知り合いは、成人するまでは親しい家の人とか学園で会った人くらいだから、それ自体は珍しいことではない。ただ、突然会いに行く不自然さができるだけ。
「知ってはいるけど、話したことはないよ。」
「紹介状は書くから安心して頂戴。」
でも会いに行くという連絡は俺からしないといけない。つまり有栖侯爵家からするわけだから、やっぱり不自然。喧嘩を売りに行ったと思われるかもしれないくらいだ。
「で、その橋本公爵の所に行けば良いの?」
「ええ、私たちではなかなかね。国家がもたらす身分の壁は大きいわ。お使い、よろしくね。」
日を空けて、橋本公爵を訪ねる。
「お会いいただきありがとうございます、橋本公爵。中山香さんからの手紙を預かってきました。」
「感謝する。」
託された手紙を渡せば、公爵はじっくりと読み、怪しく微笑んだ。
「なるほど。君は、今の国を憂いているか。」
香さんに協力すると言っただけで、彼らの理念に賛同するとは言っていないから、その確認だろう。具体的に何をするか分からないけど、聞き出すために賛同するふりは必要だ。
「ええ、香さんの話を聞いて、力になれたらと。」
「そうかそうか。では、君に重要な役割を与えよう。」
机から箱を取り出し、さらに箱の鍵を開け取り出した物は、ナイフ。
「それは人を介したくないのでな。今渡しておこう。くれぐれも誰にも気付かれないように。」
「あの、これは、」
「時期が来れば、手紙で知らせよう。もちろん、焼却処分するように。知られれば、君も命を落とすことになるぞ。」
大丈夫かな、これ。ナイフですることなんて、碌なことではないだろうから、持っているだけで証拠にされるかもしれない。このナイフは鞘にも柄にも装飾がなく、一見ありふれたもの。護身用で誤魔化せるか。
懐にナイフを隠しての帰宅。相談するならエリスさんだよな。
「私を家に呼び出す貴族も珍しい。」
「だって学園じゃ聞けねえし、早いほうが良いと思って。」
得体に知れないナイフなんて持ち歩くほうが危ないから、仕方のないこと。船を乗る時にまず止められるし、寮の部屋に置いておくにも不安が残る。自分の家なら引き出しに鍵をかけておけば安心だ。
部屋に案内して、ナイフを見せる。
「抜いても構わないか。」
「うん、俺は抜いてないけど。」
慎重に確認してから、そっと鞘から抜くエリスさん。刃のほうも変わっているようには見えない。
「ふむ。君にはどう見える?」
「え、普通のナイフだけど。」
肘から先と同じくらいの長さの刃。湾曲もしておらず、両刃だ。
「刃先をよく見て見ろ。」
「んー?」
少し触れただけで刺さりそうなくらい尖っていて、刃物としてしっかり使い物になるが、いたって普通のナイフだ。何かの証ではなく、本当に何かを傷つけるための道具、という感じ。
「分からないか。小さな溝が切先から鰐にかけてある。うっかり目に刺すなよ。」
「うーん……あっ、あった。」
「こういう構造のナイフは毒を仕込むための物だ。簡単に作れる物ではないからな。依頼人を辿れば、特定も可能だろう。」
特定できるなら、もう調べるのは十分かな。エリスさんに渡して、それで終わり。毒を仕込めるナイフなんて、長く持っていたくない。
「手紙で指示するとも言われたけど。」
「ではその手紙と合わせて、光輝殿に知らせよう。」
春休みに入っても、なかなか連絡が来ない。そわそわと休みの大半を過ごし、終わりに近づいた頃、ようやく橋本公爵家の家紋の封蝋をされた手紙が届いた。
時が来た。その刃を高貴なる者に突き立てろ。
橋本公爵から見て高貴な者。皇族かな。影響力の違いはあっても、同じ公爵家に対して「高貴なる」なんて言葉を使わないだろう。進展があったという連絡をエリスさんに伝えて、こっそり渡しに行けば、今度こそそれで終わりだ。




