〔琥珀の君〕を救え!
マリアの〔赦しの舞〕の儀式も無事に終わり、三学期も始まった。マリアから〔琥珀の君〕への想いは再確認できていないけれど、あれ以上は何も起きておらず、私と過ごす時間への影響もない。そんな比較的平穏な日々に戻っていた。
私の心は平穏を取り戻したけど、未だ〔赦しの聖女〕と〔琥珀の君〕が恋仲だという噂は続いていた。
「本当、いい加減にしてくれないかな。」
「大変だね。」
あれからたびたび秋人と参加している〔琥珀の君〕と愛良ちゃんのお茶会。今は愛良ちゃんに会うことも目的の一つになっている。
今日も〔琥珀の君〕が愛良ちゃんに指導して、お菓子を作っている。今、いくつかの材料を混ぜているらしい愛良ちゃんの様子を見ながら愚痴っているのは、嫌がらせに関して。年が明けてから特に、〔琥珀の君〕は色々とされているらしい。
「うちの店に来てるだけで、個人的な関係はないってのに。」
「慶司大丈夫?怪我してない?」
愛良ちゃんの心配ももっともだ。本人からは何も聞かないが、一部〔聖女〕の狂信者のような人とか、恋心を秘めている人などから本当に色々とされているらしいというのは美華から聞かされている。
「大丈夫、少し絡まれてるだけだよ。」
「そっかー。なんかね、慶司が純真な〔聖女〕様を騙してるんだ、って話もあってね、〔聖女〕様を助けなきゃ、って話してる人もいたんだ。」
心配の表情を前面に押し出しているのは愛良ちゃんだけど、秋人も同じように心配していることは顔色からも読み取れた。
「気を付けろよ。頭のおかしい貴族連中は、何をするか分かんねえから。」
「それを秋人が言うんだ。」
自分も貴族なのに。普段は忘れてしまうくらいであっても、その事実は変わらない。
先ほど混ぜた生地を焼き始めた愛良ちゃんの隣で、洗い物をするつもりなのか袖を捲った〔琥珀の君〕の右腕には痣があった。
愛良ちゃんもいる手前、黙っていてあげたほうが良いのか迷い、ちらりと秋人を見れば、視線が返って来る。私と同じように迷ったように視線を彷徨わせるけど、結局、〔琥珀の君〕に見つからないよう視線をやり、それから私に強めの視線を寄越してくる。これは、私が言えということか。私よりも以前からの知り合いで、親しいはずだから、秋人が言ってほしいという気持ちで私も睨み返す。しばし無言の攻防を繰り返すけど、秋人が口を開く様子はなく、根負けした私が渋々問いかける。
「〔琥珀の君〕さ、殴られたりした?」
「なんで?」
惚けた反応。本当に隠すつもりなのだろう。追及するのは気が引けて黙ってしまう。そんな私に代わって、秋人が続ける。それなら最初から自分で聞いてくれないかな。
「腕に痣あるけど。それ、学内で?」
「さっき怪我してないって言ったのに!」
不満いっぱいの顔で、愛良ちゃんは叫ぶ。しかし、その目は不安に潤んでいる。
「大丈夫、大したことないから。」
「なんでそんなことするの?酷い、痛そう。」
腕を軽く掴んで見る愛良ちゃんのほうがなぜか痛そうで、ほんのりと涙を浮かべている。だけど〔琥珀の君〕は彼女の問いには答えてあげない。この前、質問の後押しをしてくれから、今度は私が教えてあげよう。
「〔赦しの聖女〕と仲が良いと思われてるから、ヤキモチを妬く人がいるの。」
「ヤキモチ?」
「そう、自分より〔赦しの聖女〕と仲が良いなんて、って。」
私みたいに。だけど愛良ちゃんにはそんな感情が理解できなかったようで、きょとんとしている。〔琥珀の君〕はそんな愛良ちゃんを、完全に微笑ましいものを見る目で見て、頭を撫でている。
「愛良にはまだ早いかな。分からなくて良いよ。」
「うー。でも、ヤキモチ妬かれないようにしたらいいの?酷いことしないで、って言ってもやめてくれないの?」
「そういう問題じゃないんだよ。本当に愛良は気にしなくて良いから。」
何とかしたいのだろう愛良ちゃんは、むむ、と難しい顔をしている。そんな彼女の手助けをしてあげたいという気持ちは秋人も同じだったようで。
「俺らが何とかするからさ。誰がやってるか調べて、やめさせれば良いんだろ。」
「そうだね。〔琥珀の君〕に嫉妬する人でしょ?すぐに分かるよ。」
秋人も一応、お貴族様だし。圧力でもかけてもらえば、すぐにやめるだろう。それが駄目なら私が一発ぶん殴るだけ。〔琥珀の君〕に向けるつもりだった拳を、〔琥珀の君〕を守るために振るうのも変な気分だけど。
私たちの言葉に、愛良ちゃんは身を乗り出す。前にフライパンがあるから危ないよ。さりげなく〔琥珀の君〕が彼女の体を支えている。
「本当に!?」
「もちろん、任せて。」
マリアが本当に騙されているのなら、〔琥珀の君〕を殴るのは私の役目。それまでは無事でいてもらわないと。
「私もお手伝いする!」
「じゃ、愛良は慶司を守る役目だな。一緒にいて、何かあったら先生とかに言えよ。」
秋人はなぜか愛良ちゃんを関わらせたくないみたい。上手く話を持っていけば、むしろ〔琥珀の君〕とマリアに関する誤解は解けて、愛良ちゃんにも危険が及ばない状態にできるのに。愛良ちゃんも数年経てば子どもではなくなるのだから。
「分かった、任せて!」
「もう少ししたら噂なんてみんな忘れるでしょ。そんなに気にしなくても。」
もう何か月も経ってこの状態なのに。〔琥珀の君〕は要らないと感じているようだけど、五つも年下の可愛い女の子がこんなに心配しているのだから、これくらい受け入れてもらわないと。私たちは勝手にやるだけだ。
「愛良ちゃんのために大人しくしといてよ、〔琥珀の君〕。」
「なら、早速調べないとな。行こう、ラウラ。」
調理室を出て、まずは簡単な作戦会議。
「〔琥珀の君〕に嫉妬する奴ってことは、〔聖女〕に懸想する奴だよな。」
「そういうことだろうね。誰だろう。美華あたりは詳しいかも。」
「じゃ、俺は詩織とかに聞いてくる。」
詩織は従姉らしい。当然ながら貴族だ。貴族のご令嬢はなぜこんなに噂好きなのだろう、特に恋愛関係の。
教室に戻るが美華はもうおらず、女子寮や特別教室棟を巡って、ようやく見つかったのは図書館。
「いた!美華、少し聞きたいことがあるんだけど、」
「外に出てからにしようか。」
「あっ、ごめん。」
近くの花壇に腰掛け、ゆっくり話を聞こうとする。だけど美華は直接座りたくないようで、少し嫌そうにして立ったままだ。
「それで、どうしたの?」
「〔琥珀の君〕に嫉妬してる人を探してるの。」
「そんなのいくらでもいるでしょう。平民や爵位の低い男性なら大抵、該当するのではないかしら。今、虹彩で最も注目されている女性よ。適当に聞いても当たると思うわ。」
何の参考にもならないが、説得力はある。平民であるはずの〔琥珀の君〕が〔聖女〕と親密な関係を築けているのなら、自分にも機会があると思ってしまうのだ。マリアだって身分は平民で、宗教上の地位があるだけなのに。
「実際に危害を加えた人、なら?」
「知らないわよ。それこそ本人に聞きなさい。お知り合いなのでしょう?」
もっともだけど、愛良ちゃんの前で話してくれるのか。考える私の肩に手を乗せ、美華は優しい声をかけてくれる。
「行動力があるのは貴女の良いところね。そんな貴女の行動を妨げているのは何かしら。」
「初等部六年生の女の子がいつもいるの。」
愛良ちゃんの特徴を伝えるが、美華は知らない子だと。いない状態を作り出す案もなく、何も得られないまま、調理室へと戻った。
「ただいま。」
「お帰り!何か分かった!」
彼女の求める情報は何もなく、〔琥珀の君〕から聞き出すためにも彼女には席を外していてほしい。だけど、愛良ちゃんには言いづらいし、良い口実も見つからない。
どうしようかと黙れば、〔琥珀の君〕が私たちの分のケーキも用意してくれる。
「どうせ分からなかったんでしょ?ほら、二人とも食べて機嫌直して。」
言い方に不満はあるけれど、ケーキは食べる。甘くて美味しいそれを頬張れば、皇国に来てからほぼ毎週甘味を食べている贅沢に気付けた。
「で、何か言うことは?」
「……ご馳走様でした。」
今ここで聞けない不満はあるけれど、甘いケーキが心を慰めてくれる。その感謝の気持ちを込めたけど、求められていた言葉とは違ったようで視線が鋭くなるものの、それ以上の追及はない。しかし深い溜め息を吐いた〔琥珀の君〕の横には愛良ちゃんがべったりとくっ付いていて、秋人の言った役割のために、本当に片時も離れようとしなかったことが推測できる。
「秋人は?」
「……ごめんなさい。」
その謝罪で、愛良ちゃんも何も分からなかったと気付いたようで、残念そうな表情を浮かべる。それを受けて〔琥珀の君〕の秋人への視線がさらに強まり、秋人は焦ったように言い募る。
「待って、待って!せめて愛良が帰ってから!悪かったと思ってるから。」
「へえ?じゃあ、どう言い聞かせてくれるつもりかな、これ。」
これ、と愛良ちゃんに目を向ける。まだしっかりと服を掴んだまま。守るため、なのだろう、おそらく。
「えーと、愛良?もう俺たちが帰って来たから大丈夫。俺とラウラが守れるから。」
「でも、何にも分からなかったんでしょ?」
その通りなんだけど。秋がない分、純粋なその発言に心が抉られる。秋人も言葉を詰まらせているし、今度は私が言いくるめてあげよう。
「分かったよ。でも、知ってることが相手に伝わったら、愛良ちゃんも危ないかもしれないから、愛良ちゃんには内緒。」
「なんで危ないの?二人は危なくないの?」
「知ってる人がいないようにしようとして、愛良ちゃんにも痛いことするかもしれないから。私と秋人は強いから大丈夫なの。これでも学年で上位一割に入るんだから。」
自信満々の私の発言とそれに同意する秋人に押されて、少々の不満を残しつつも愛良ちゃんは〔琥珀の君〕から手を離した。
「ちゃんと守ってあげてよ!聞いちゃいけないお話なら帰るから。」
小さく頬を膨らました姿も小動物のようで愛らしい。ちょこちょこと部屋を出ていく後ろ姿に、ようやく罪悪感が生まれた。
「悪いことしちゃったかな。」
「そう思うならまず、せめて愛良に聞こえないように言ってくれるかな。心配してくれるのはありがたいけど。」
思ったより柔らかい表情の〔琥珀の君〕からの苦言。あそこまでぴったりとくっ付いて離れないなんて思わなかった。友人が怪我をしていて、これからもするかもしれないと思えば心配になるが、〔琥珀の君〕は愛良ちゃんから見れば五つも上の男子だから。
「あんなに、不安になるんだね。」
「人の事情を勝手には話せないけど、あの子はずっと寂しい思いをしてきたんだよ。自分では気づいてないだけで。で、少なくとも秋人には分かるはずでしょ?」
「反省してるって。だから、愛良を安心させるには、本当にやった奴とかを見つけて、何とかしないといけないだろ。」
寂しい思いをしてきたというのは、血の繋がらない兄と関係があるのだろう。両親の話は聞いていないけど、触れてはいけない話題かもしれない。いずれにせよ、今、彼女の力になりたいと思うことに変わりはない。一人だったのは私も同じだから。
「私たちなら力になれる。だから、教えて。誰にやられたの?」
それでも言い淀む〔琥珀の君〕。綺麗に手入れされた手は荒事とは無縁そうだ。それでも他人に頼りたくない性分なのかもしれない。マリアと過ごした地域には、女の子に頼るなんて、という考えの人もいたから。
だから、私から言っても答えにくかったかと、秋人から言ってもらうように頼もうと目を向けた。
「渋っててもしょうがないだろ。もうそうしないと愛良は不安なままなんだから。」
「先生には言ってるし、これ以上事を荒立てても、」
「本当に何とかなると思ってんのかよ。相手が誰だか知んねえけど、貴族ならなかったことにされるだけだ。平等なんて上辺だけなんだよ。」
存外真剣な秋人の言葉。普段ふざけているようでも、そういうところはしっかり見えている。〔琥珀の君〕も普段と違う秋人の様子に気圧されたのか、軽く息を吐くと、諦めたように言った。
「新井栄太。子爵家のご子息様だと。ご丁寧にも名乗ってくれたよ。」
「自分でやったんだ、意外だな。一度、家のほうにも聞いてみるよ。」
秋人の知り合いらしい。それも、性格が分かるくらいには近しい人物で、家に行き来するような仲。
「私も〔聖女〕周りで聞いてみる。貴族関係は秋人にお任せってことで。」
〔聖女〕が原因の問題なら、島口さんも何か知っているかな。さすがにこれは管轄外かもしれないけど。一度聞いてみるくらいは良いだろう。




