〔琥珀の君〕は誰?
屋敷に送ってもらってからも、あまりマリアとは話せなかった。私は大人しくしているように言われたし、正面から向かい合える自信もなかったから。
そして日曜日。そこまで酷い怪我じゃないから私はもう歩いても大丈夫、学園に戻ると言った。けれど、オルランド様は傷が悪化すると困るからと、一週間休むように言った。学園に連絡してくれて、今週はマリアと長くいられると楽しみにしていたのだけど。
マリアは忙しかった。皇国の施設に勉強のため向かう日もあったし、そうでなくとも家庭教師に来てもらって勉強していて、私は一緒にいられなかった。これじゃ、学園にいるのと変わらない。
友人ともいられない、鬱々とした一週間を過ごし、やっと学園に行ける。
「おはよう、ラウラ。足、怪我したんだって?大丈夫か。」
「どこから聞いたの、それ。」
一週間も休んだことで心配してくれる人も多かった。だけどなぜか秋人は私が足を斬られたことまで知っていた。
あの一件は内々に片付けられたと聞かされた。〔聖女〕様の初儀式に関わることで、誰かが襲われるような事件は、〔聖女〕様にとって不名誉だから、と。
「え?まあ、内緒。俺には色々伝手があるんだよ。」
「ふーん。怪我はもう治ってるから大丈夫。」
横で耳に入ったのだろう。美華も先ほどは何があったのか聞いてきたが、今は心配そうに見てくれている。
「本当に?無理はしないで。」
「大丈夫だって。ねえ、美華は〔琥珀の君〕が誰か知ってる?」
「名前は聞いたことないけど、」
〔琥珀の君〕の話を始めた途端、秋人はその場を離れる。それを横目で追いつつ、記憶を手繰る美華の話を聞く。
「彩光の〔琥珀色の時間〕にいるって話は前にしたよね。年齢は私たちと同じくらい。土日しかお店にいなくて、もしかしたら光陽に通っているかも、って話よ。」
「へえ。」
学園内で探せば会えるかも。喫茶店でマリアのことを聞くのは抵抗があるし、その場で殴るなんてことしたら、街の見回りの兵士に捕まっちゃうからね。
「悪いわね、私が知っているのはこれくらいだわ。でもどうしたの、急に。」
「ううん、何でもないの。」
放課後まで、意識して琥珀色の髪と瞳の人間を探していた。けれど、そう都合よく見つかるわけもなく。
今日はもう諦めよう。そう寮へ帰る途中。
「ラウラ。」
「あっ、エリス。」
研究部に通うエリスに遭遇した。相変わらずキリッとした表情で、格好良い女性だ。
「特に用があるわけではないのだが、後ろ姿が見えたのでな。」
「友達と話すのなんて、そんなもんでしょ。そうだ、エリスは〔琥珀の君〕って知ってる?」
「ああ、聞いたことはあるが。それがどうかしたのか。」
「うん、えっとね。少し長くなるから、寮で話そう。」
あまり人に聞かれたくない話だから、私の部屋に案内する。こんな人にあまり片付いていない自分の部屋を見せるのは恥ずかしいけど。
「……それで、〔琥珀の君〕を探してるんだ。」
「そうか。君は彼に嫉妬したのだな。」
理解が早い。簡単に言えばそういうことだ。自分で言うのは恥ずかしいけど。でも、私のたった一人の家族を奪われるかもしれないのだから、仕方ないよね。
「うん。だってマリアは〔琥珀の君〕が大切、って言ったから。」
「それなら彼と君は恋敵だな。宣戦布告でもしてくると良い。」
負けないから。喫茶店の人なら、運動関係の実技は得意ではなさそう。学年で上位一割の私なら勝てるはず。
まずは〔琥珀の君〕の正体を突き止めないと。
翌日、逃げる秋人を捕まえて、もう逃げられないよう両手を掴んだまま問い質す。強引に逃げようとするなら蹴るだけだ。
「〔琥珀の君〕が誰か知ってる?その話始めるといなくなるよね。」
「お姉さんに聞いたら良いんじゃねえの。」
「マリアは教えてくれないから聞いてるの!」
じっと見つめれば、あかさらまに目を逸らされる。やっぱり知っているみたい。
「……明日。」
「え?」
「明日の放課後、連れてってやる。」
連れて行くって、もしかして。期待に胸が躍る。
「その〔琥珀の君〕に会わせてやるって言ってんだよ。」
「やった!」
手を離せば、素早く逃げられる。言質を取ったからもう良いけど。必要な情報どころか、〔琥珀の君〕に会う道筋まで手に入れられた。
どんな人なのだろう。マリアが素敵だと言って、救ってくれたと評する人。喫茶店〔琥珀色の時間〕で働く、琥珀色の髪と瞳の人。〔琥珀の君〕なんて名前を付けるくらいだ。言葉や色の印象から考えると、喫茶店で働いていることも合わせて、優しい人かな。ふんわりした雰囲気を持っていそう。
でも、どんなに優しそうで、ふんわりしていて、可愛くても、素敵でも騙されてはいけない。私からマリアを奪う人なのだから。
翌日、待ちに待った放課後。
「さあ、行くよ!」
秋人の腕を掴み、教室を飛び出る。
「お前、どこ行くか分かってんのかよ。」
「知らない。さっさと案内して。」
「横暴!」
なんだかんだ言いつつ案内してくれた先は、調理室の一つ。学園生は予め申請しておけば、誰でも借りることができる。調理器具なんかも、しっかりした形で錆びついていない金属製の鍋とかフライパンとか、豊富に揃っている。ヴィネスにはなかった物ばかりだ。最新の設備だそうだから当然だけど。
「毎週水曜日、ここでお菓子を作ったりしてるんだ。」
「へえ。」
ここに来れば会えるわけだ。ご機嫌な雰囲気で入る秋人に続いて、視線の先の人を観察していく。
「〔琥珀の君〕っ。」
「秋人まで。〔聖女〕様も余計なことをしてくれたよ。」
返事をしたのは、確かに琥珀色の髪と瞳の男子生徒。背は秋人より低いけど、平均くらいの範疇には入るかな。切れ長の目で、美人さん。話し方だってはっきりしていて、ふんわりした雰囲気ではない。マリアへの咎を含んだ言葉からも優しさを感じられない。
これが、〔琥珀の君〕?勝てそうではあるけど。
「ねえねえ、〔琥珀の君〕って何?」
「うちの店に〔聖女〕様が来て、俺のことを〔琥珀の君〕って呼んだんだ。」
鍋で何かを熱している〔琥珀の君〕にぴったりと寄り添う小さな女の子。焦げ茶の髪に綺麗な翠の瞳、大きなお目目に、華奢な肩。誰が見ても可愛い女の子だ。制服から初等部の子だと分かる。よく似合っている若草色の髪留めも、誰かが選んでくれたのだろう。
その子はしかし、一瞬だけ困った顔をした。
「そういうことじゃなくて、えっと。まあいいや。……〔琥珀の君〕っ。」
「はい、どうしたの?」
「呼んでみただけ。」
「だろうね。」
女の子はそういう言い回しが好きなのかな。美華もだけど、他にも〔琥珀の君〕という名付けの感覚を褒めていて、なんだか口に出したくなるという人はいた。
こんなに元気で無邪気な子の前で、宣戦布告なんて物騒な真似はできない。わざわざ違う区画の初等部からこちらに来ているのだから、仲は良いだろうから。
予定を崩されて、ただ黙っていると、〔琥珀の君〕もこちらを認識した。
「で、そっちの子は?」
「〔赦しの聖女〕の妹で、」
「ラウラです。」
「え?あー、今の〔聖女〕様には内緒で。俺は桐山慶司。〔琥珀の君〕以外なら好きに呼んでくれたら良いよ。」
今のところ、マリアに恋しているようにも、人を救えるようにも見えない。せっかく良い名前を付けてくれたのに、嫌がっているし。
半ば睨むように凝視していると、女の子がぴょこんと私の前にやって来て、にこりと笑った。
「神野愛良、初等部六年生だよ。お客さんだね。」
「そういうわけじゃないんだけど。」
いや、ある意味そうか。マリアを誑かさないでと言って、一発ぶん殴る心の準備をしてきて、穏やかな会話をする用意はないけど。どう穏便な言い訳をしようか考えていたのに、秋人が本当のことを言ってしまう。
「〔琥珀の君〕に会いに来たんだよな。」
「俺に?でも、秋人が連れてくるなんて。」
余計なことを。不思議そうな〔琥珀の君〕も、マリアとの噂で私が会いに来た理由に検討がついていないみたい。三人とも私の言葉を待つように、こちらをじっと見ている。良い言い訳が分からなくても、もうこうなったら言うしかない。
「マリアが素敵だって言う〔琥珀の君〕を確かめに来たの。騙されてたら困るからね!」
腰に手を当てて堂々と言う。気合で負けてなんていられない。まあ、こんな奴なら大丈夫。全然素敵じゃないから、マリアもそのうち目を覚ましてくれるだろう。
なんだか面倒そうな顔をされたけど、気にしない。愛良ちゃんを驚かせてしまったのは悪いことをした気がする。
「慶司はよく嘘吐くけど、悪い騙し方はしないよ。」
きょとんとしながら、庇うつもりなのかよく分からないことを言う愛良ちゃん。でも、この子は嘘を言っていなさそうだし、〔琥珀の君〕がよく嘘を吐き、人を騙すことは事実だろう。
それを知って今度こそはっきりと睨めば、〔琥珀の君〕は呆れたような目を向けてくる。
「〔聖女〕様は喫茶店に来てくれるお客さんってだけ。騙すも何もないんだよ。ちゃんと適正価格でやってるから。」
これもどこまで本当だか。秋人は私の思っていることにおおよそ察しがついたのか、必死で笑いを堪えている。隠しているつもりかもしれないけど、隠せていない。だから、思いきり足を踏みつけてやる。上靴だからあまり痛くないだろうけど。
私の行動が見えた愛良ちゃんは、さっと距離を取った。
「そろそろ温まってるかも。」
そのまま調理台の前に戻った彼女は、鍋の中を覗き込む。
マリアに関して聞きたいことはまだあるけれど、今日は退散しよう。また、愛良ちゃんのいない時にでも。扉のほうへ向けば、愛良ちゃんから声をかけられる。
「ラウラは見ないの?綺麗なんだよ、慶司の魔法。キラキラなの。」
「魔法?」
「驚くから。良いよな、慶司先輩。」
一瞬目を離した隙に、秋人は調理台近くの丸椅子に座っていた。〔琥珀の君〕本人は歓迎していなさそうだけど、諦めたように言う。
「愛良が誘ってるからね。」
「ラウラは何年生なの?どこから来てるの?〔聖女〕様の妹って本当?」
愛良ちゃんの口から矢継ぎ早に繰り出される質問。〔琥珀の君〕の視線がさっさと答えてあげろと言っているように感じられる。
「秋人と同じ高等部一年生。〔聖女〕と一緒に大陸から来たの。〔聖女〕の妹なのは本当。血は繋がってないけどね。」
「へえ、私と同じだね。私も、お兄ちゃんと血は繋がってないけど、家族なんだよ。」
それでこんなに無邪気に笑えるのか、この子は。私と違って、両親について何かを思うこともないのだろうか。親しくなれば、このことも聞いて良いかな。
「じゃあ、〔聖女〕様ってどんな人?すごく綺麗な人って聞いたんだけど。」
「うん、綺麗だよ。長い黄金の髪は美しく靡き、同じく黄金の瞳は人の心の闇を照らす、ってね。常に微笑んでる人で、信心深い人でもあるよ。」
おとぎ話の聖女と混同されている部分もあるけど。それに近いものはある。今は〔琥珀の君〕という特定の人物に対する興味もありそうだ。
お話に夢中の愛良ちゃんに〔琥珀の君〕は優しく声をかける。
「愛良、火を使ってる時は目を離さないようにね。」
「あっ。ごめんなさい。」
鍋の中を見て、半透明な中身を取り出すと、それを捏ねたり伸ばしたりし始めた。キラキラしている、はこの時の様子を言っていたのかな。しばらくそうすると、〔琥珀の君〕がまた声をかける。
「そんなもんで良いかな。じゃあ、次は、」
「形に切っていくの。」
「そう。手早くね。」
薄い楕円をいくつも作り、それを五個程度ずつまとめている。
「いつ見ても不思議だよな。」
「魔法だからね!」
愛良ちゃんの小さな手から作り出されるこの光景が、魔法のようというのは理解できる。一通りできると、彼女は〔琥珀の君〕を伺う。
「どう?」
「うん、綺麗にできてる。可愛いお花だね。」
それから私たちに自分が作った物を誇らしげに見せてくれる。それから自分で口の中に入れて、満足気だ。
「美味しい!」
「味はいつも同じはずだけど。」
仕方ないなあと言うような優しい微笑みの〔琥珀の君〕だけど、愛良ちゃんに美味しいと伝えてあげている。秋人も手を伸ばすと私の口に押し込んだ。とても甘い贅沢品だ。
「見る物じゃないの?」
「食べながら見たっていいだろ。」
そう言いつつ、秋人は自分の口にも放り込み、ゆっくりと味わっている。お貴族様なんだから、自分の家で好きなだけ食べられると思うけど。
どことなくゆったりとした雰囲気。今なら聞いても良いかも。
「〔琥珀の君〕はさ、」
「ラウラだっけ。とりあえず名前で呼んでくれるかな。」
「……マリアと会った時どうだったの。」
桐山慶司という人間と親しくするつもりはない。私は〔琥珀の君〕と戦うのだから。マリアから詳しい話を聞けなかったけど、今のところ〔琥珀の君〕はマリアにさほど良い印象を抱いていないみたい。だから、今聞いても大丈夫。
「普通のお客さんだよ。彩光に来たばかりの人は飴細工を初めて見る人も多いし、店の前で立ち止まってることも珍しくない。そのうちの一人ってだけ。」
「その時、何を話したの?」
マリアにとっての特別な時間での出来事。私にも詳しく教えてくれない。
「〔聖女〕様から聞いてないんだ。じゃあ、あんまり俺から答えるのも良くないかな。」
教えろという気持ちを込めてじっと睨むけど、伝わった様子はない。
「〔琥珀の君〕が〔聖女〕様を誑かした、って言って回ろうかな。」
「はあ?」
「ねえ、「誑かした」って何?」
反論しようとする〔琥珀の君〕を遮ったのは、愛良ちゃんの純粋な疑問。答えにくくて、三人とも黙ってしまう。愛良ちゃんの目がキラキラしていて、私は目を逸らしてしまうけど、秋人は発言者が責任持って説明しろとでも言うように睨んでくる。
そして〔琥珀の君〕はというと。
「愛良は知らなくて良いことだから。大きくなったらそのうち分かるよ。」
完全に子ども扱い。それも小さな子どもに対するようにして、愛良ちゃんの頭をポンポンと撫でている。ただし、その視線は余計なことを言うなと言わんばかりに、こちらに向いている。
これはチャンスだ。
「で、何を話したの?」
「近所のお勧めについてくらいだよ。特別なことは何も。」
何か隠しているのか。それとも、〔琥珀の君〕にとっては特別ではなかったけれど、マリアにとっては特別な何かがあったのか。やっぱりマリアにも聞かないと分からない部分はありそうだ。今は愛良ちゃんがいるから答えてくれないだけの可能性もある。
結局、この日はほとんど何も聞き出せないまま、お開きとなった。珍しい物は間近で見られたけど。来週こそは聞き出してやろう。




