島口弘樹視点:〔赦しの聖女〕誘拐事件
昨夜、マリアさんが攫われた。彼女はこの3か月で有名になった人だ。敬愛されるオルランドさんに認められた〔赦しの聖女〕として、童話のような容姿も相まって、一部の人間に担ぎ上げられている状態だ。
一方で、いきなり現れたマリアさんがオルランドさんと親しくしているのを快く思わない者も、聖女に夢を見ているからこそマリアさんが偽物だと言う者もいる。後者はリージョン教における〔聖女〕がただの称号だと理解していないだけだが。
そしてマリアさんは昨日、一人街中を散策し、今住んでいるオルランドさんの屋敷に帰って来なかった。
今朝には第一皇子の行方も掴めなくなっている。普段から護衛などを振り切り、勝手に出かけられることもあるそうだが、いつもなら陽が昇る前にお帰りになる。それが今回、完全に陽が昇ってもお戻りになっていないそうだ。
さらに昨夜、黄金の女性と漆黒の男性が共にいたという証言も得られている。
「貴方が島口弘樹さんですか。」
「ええ、そうです。」
宗教省の受付前で待っていると、鈍い金髪に翡翠の瞳の騎士に話しかけられる。
今回はオルランドさんの要請があって、宗教省も捜索に加わることになったのだ。わざわざそんな要請をされたのは、マリアさん誘拐にリージョン教特有の動機があるとか、監禁先の手掛かりに成り得るとでも考えられたからだろう。
「神野優弥です。貴方の護衛も兼ねております。」
「よろしくお願いします。」
そして俺の場合はもう一つ理由がある。聖女、聖人と似た容姿の彼らを攫った相手なら、また同じように狙い得る。俺の髪も漆黒だ。要は、囮にされたのだ。
「島口さん、行きましょう。」
ついたのは皇都の郊外。騎士も多い街中で犯行に及ぶはずもないと、わざと騎士の数を減らされた一角を任され、捜索に当たらされたのだ。発見なんて期待されていない。犯人の手掛かりを得るほうを期待されているのだろう。そのためには、返り討ちにするか、捕まって脱出することが求められる。
俺自身、多少剣術などを嗜まされたおかげで、容赦なくここまで連れて来られるのだろう。そのため、普段は携帯することのない剣を携え、不測の事態に備えている。
しかし、それは本来の職務から大きく外れていて、何事もなく見つけられるのならそれが良い。ただ襲われるのを待っているつもりもない。
「神野さん、この近辺に人を隠せるような場所はありますか。」
「幾つかが空き家になっていますが、飛び飛びですから、人を連れ込めば周辺の住民に気付かれる危険があります。林のほうが人目は避けられるでしょう。」
小さな木造の家が立ち並んでいる。俺の目にはどれも変わり映えなく、人が住んでいるかどうか、外からでは分からない。ちらほらと人影は見えるため、見つからないことが困難であることは分かる。
林なら見つからない。その上、この辺にはかつて聖人が住んだとされる小屋がある。リージョン教関係なら、あえてそこを監禁場所に選ぶことは十分あり得るだろう。
「なら林のほうを見てみましょうか。」
「貴方も狙われ得る立場なんですよ!これ以上、人目のない場所は避けるべきです。この辺りならまだ住民に他の騎士を呼びに行ってもらえますが、林の中に入ってしまえば、気付いてもらうことすらできません。」
どうやら神野さんには何も伝えられていないらしい。純粋に俺の身を案じてくれている。
「頼りにしています、神野さん。」
狙われることを期待されている人間に付けられる護衛。ただ攫われては犯人に辿り着けなくなってしまう。かといって殺してしまえば動機や背後関係が分からないまま。生きて捕らえられるだけの実力者であるはずだ。
「本当にあったんだな。」
意外にもあまり朽ちておらず、最近まで手入れされていたことが伺える。建てられてから年月が経っているだろうことは見ても分かるが、今も何者かによって使用されているようだ。
「確認してきますので、ここでお待ちください。誰が隠れているか分かりませんから。」
念を押していく神野さんが入るのを確認して、扉をくぐる。そこには二つの人影が倒れている。黄金の髪の女性と漆黒の髪の男性だ。
「マリアさんと、もう一人は?」
「外でお待ちくださいと言ったはずです!」
ぱっと見たところ外傷はないが、二人ともピクリとも動かない。
「容体はどうですか。」
「……お二人とも眠っているだけで、問題ありません。」
ここで目覚めるのを待つのも危険か。誰かが来るかもしれない。そうなれば必要なのは人手か。
「俺が知らせて、」
「出ないでください!」
応援を呼ぶため出ようとすると、叱責するような厳しい声で止められる。外からは複数の足音と声が聞こえていた。
「何でこんなに早く見つかるんだよ!」
「こんな所、誰も来ないって言ったの誰だ!」
文句を言いながら入って来る、明らかに素行の悪い男二人。どちらも剣を腰に下げていて、体格もそれなりだ。
神野さんは先に入った男を蹴り飛ばし、後ろの男とまとめて小屋の外へと押し出す。続いて小屋から出て、こちらに一瞬だけ目を遣った。
「島口さん、応援を要請してください。」
次の瞬間、二人の男へ剣を向けた神野さんは彼らの注意を引いている。その横を通り抜けて、神野さんで男たちの視線を遮る。彼は一人で二人を相手している状態で、気を引き続けてくれている。
急いで応援を求める意味の黄色の光を発する弾を撃ち上げる。これで比較的近い騎士たちが来てくれるはず。
小屋へ入れないよう防いでくれている神野さんを助けるつもりで近寄れば、既に二人の意識を奪っていた。今は縄で拘束している最中のようだ。
先に小屋の中へと戻れば、マリアさんともう一人の男性の意識はまだ戻っていなかったが、携帯していた小さなナイフで手足の縄を切る。大人しく助けを待っていたのか、擦れたような痕は残っておらず、殴られたような痕も見えない。
他にも傷がないか確認していると、マリアさんの目が薄っすらと開かれた。
「う、ん……。あっ、殿下、ご無事ですか。」
少々気の抜けた声で、男性のほうへ向く。そこではっと何かに気付いたように、自分の両手を見つめた。
「拘束が解けてる。」
男性のほうも意識が戻り、行方不明の二人だと確認が取れた。これで休日出勤は終わりだ。
マリアさんと第一皇子を無事に騎士たちが送り届け、彼らの捜索に関する特別業務は一旦終了とされた。しかし、犯人の捜査はこれからだ。
数日は通常の王侯貴族関連の事件と同様、騎士団によって行われた。その際、尋問も当たり前のように行われたが、結果は芳しくない。神野さんが捕らえた二人組は有益な情報を持っておらず、裏の仕事斡旋所が唯一、引き出せた情報だ。奴らはそこで、見張りの仕事を請け負ったと言う。
そのため、奴らは攫われた人間についても、狙った理由も、どこの誰が攫ったさえも知らなかった。何も知らないまま、少し離れた所から攫われて来た人間を見張っていただけ。
裏の仕事斡旋所についても、騎士たちによる調査が行われている。しかしそれもあまり成果を挙げられていないという。騎士が近づいた時点で警戒されて、隠されてしまうのだと。
そのため、再び宗教省、とりわけリージョン教庁の人間が捜査に加わることなった。今回の俺たちに期待されているのは、なぜ、あえて聖女や聖人に似た人間を狙ったのか考え、宗教的な目線から捜査を行うことだ。
「今回もよろしくお願いします、神野さん。」
「こちらこそ、ご協力感謝します。」
手柄などの問題で揉めることを避けて、皇族関連を主に騎士が、聖女関連を主に宗教省が行うこととなった。ただし、宗教省の人間には必ず騎士が一人は付けられている。
「まずはオルランドさんに話を聞きに行きましょう。」
騎士団への通報までの流れは、おおよそ聞いた通りだ。そして、マリアさん誘拐犯の心当たりに話題が移った時だった。
「マリア様は私の方針で教育を受けている。だから狙われたのだろう。だが、これ以上はリージョン教内部の問題だ。詮索は控えてもらえるか。」
オルランドさんは皇国におけるリージョン教の最高権威。次いで〔聖女〕や〔聖人〕だ。皇族は寓話の聖人と同じ漆黒の髪と瞳を持っているだけで、リージョン教における立場は持っていない。そのため、あくまでも協力という形で話を聞かせてもらう必要がある。
「既にその対立のせいで被害者が出ています。皇国に存在する唯一の〔聖女〕を失うのは、リージョン教にとってもマイナスではありませんか。」
「全ての罪は赦されるべきだ。そして、対立も受け入れるべきだ。違うかな。」
彼らの考えはやはり理解から遠い所にある。身近な者を害されてなお、教えに従うなんて。こういうところはオルランドさんも狂信的だ。多少強めに言ったところで、不敬だとか言わないあたりはありがたいが。
「受け入れた結果が、マリアさんの誘拐でしょう。これ以上、無為に危険に晒すおつもりですか。」
「神は全てをお赦しになる。ならば我らも赦せるはずだ。」
「それで犠牲になるのはマリアさんでしょう。これからの危険を排除するために、捜査にご協力ください。マリアさんを守ることに繋がります。」
彼らは教えに殉じることのできる人間だ。しかし他人を犠牲にすることには強い抵抗を覚える。既に起きてしまったことを赦しても、これからの危険を説けば、あるいは。
「マリア様は、私の考えに賛同してくださる。」
「だから犠牲にしても構わないと仰いますか。」
目を瞑り、口を閉ざされた。性格の悪い聞き方をした自覚はある。しかし、少なくとも週に一回会うマリアさんに何かあれば、少々寝覚めが悪い。俺は説得できる立場にあるのだから。
「……リージョン教でも内部対立がある。主に、他の宗教に対する在り様と、皇国との付き合い方に関して、対立が生じているのだ。」
オルランドさんの対応を一言で表すなら「寛容」だ。〔名も無き神〕が人々を愛するから、その人々が生み出したリージョン教以外の宗教も当然認め、人々が生み出した国家という組織も認める。協力する場合さえある。マリアさんが儀式関連の学習で宗教省に通っているのもオルランドさんの方針だ。
オルランドさんは対立派閥に関する話を続けられる。
「彼らはリージョン教だけが正しいと思っている。そして〔名も無き神〕の願う正しい世界に一刻も早く近づけることが、自分たちの使命だと信じている。だから、間違った教えを広める他の宗教を排除すべきと言うのだ。
正しいリージョン教が、国と協力しているのも気に食わないらしい。」
リージョン教はこの国でも広く信仰されている。それは敬虔なリージョン教徒からすれば本来の教えとは違う形かもしれない。しかし、多くの皇国民は護符と法衣を身に着け舞う儀式が、災害を鎮めたり豊穣をもたらしたりすると信じている。
その儀式を行うために必要な物の多くを、皇国が用意している。リージョン教はそれに協力することで資金面の利益と信者を得る。皇国も人が集まって金銭が動き、リージョン教を通じて人心を得られる。どちらにとっても利益のある協力関係だ。
これが今も続いているのは長く第六枢機卿を務めているのが、オルランドさんだからだ。
「その対立する者たちの名前は教えていただけますか。」




