第六枢機卿オルランド視点:〔赦しの聖女〕誘拐事件
夜も更け、闇が支配する時間となった。今日は綺麗な三日月だ。しかし、ラウラも今はそれを共有できるような余裕はない。
「オルランド様、まだ駄目ですか。」
「そうだね、探して来よう。君はここで待っているように。」
あまり遅くならないうちに帰って来ると仰っていたマリア様が、眠る時間になっても戻られない。
喫茶室の机の周りをぐるぐると歩いていたラウラはぴたりと動きを止める。
「私も行きます!」
「ならん。君はまだ子どもだ。」
彼女はまだ16歳。大陸では成人とされるが、虹彩皇国では18歳で成人だ。未成年の子を、こんな夜遅くに出すわけにはいかない。
言い募るラウラを家の者に任せ、自分は家を出る。目指すは、マリア様に勧めた市場だ。
人の賑わう昼間とは違い、閑散としている。誰一人歩いておらず、聞き込みのしようもない。だが、ここに出店している人の中には、近くに住居のある者もいる。
そこから一軒ずつ訪ねて行く。
「夜分に失礼、黄金の髪と瞳の女性を探しているのだが。」
「オルランド猊下!?ええ、今朝見ました。美味しそうに葡萄を食べてくださいました。」
「どちらに行ったかは分かるか。」
「ええ、あちらのほうに。」
指されたのは街の中心部に向かうほう。私の屋敷から真っ直ぐここに来たのなら、来てすぐに戻ったことになる。
「戻ったのか?」
「いいえ、一度通り過ぎられたのですが、反対側の店を見つつ、歩いて行かれました。」
「そうか、感謝する。」
他にも数軒訪ねたが、同じような証言ばかりだった。マリア様の容姿がこの国でも目立つもののおかげで、みな覚えていてくれたのだろう。
私の屋敷に近い側に戻れば、少々雰囲気が変わる。おしゃれな喫茶店や愛らしいアクセサリー店、小さな商会の本部などが雑多に立ち並ぶ通りだ。
「夜分に失礼。」
同じように店の者に聞いていくが、ここは先ほどの通りと違い、露店ではない。店の中にいても、通りの様子に気付いていないことも多い。
それでも何軒も回れば、気付いた者を見つけられる。
「黄金の髪と瞳の女性、ですか。瞳の色は分かりませんが、金髪の女性なら、午前中、正面の喫茶店〔琥珀色の時間〕さんの前で立っているのを見かけましたよ。」
簡単に礼を告げ、出て行こうとすれば、呼び止められる。
「隣の桐山商会さんに行けば、おられると思いますよ。喫茶店は奥さんがやっておられるのですが、商会の2階に住んでおられるんです。」
彼女の親切心に感謝の意を伝え、今度こそ、そこへ向かう。
「ええ、来られましたよ。」
恰幅の良い女性、桐山夫人から話を聞いていく。
「その後の予定などは聞かなかったか。」
「さあ。その時は開いたところでしたので、対応自体はほとんど息子に任せてしまったんです。呼んできましょうか。」
「ああ、頼む。」
完全に眠っていたのであろう、深夜に呼び起されることとなった彼女の息子は、控えめに言って不機嫌そうにしている。
「こんばんは。何ですか。」
「君が黄金の髪と瞳の女性と話したのか。」
「ええ。飴細工を気に入ってくれたようです。」
「その後の予定は?」
逸る気持ちが抑えられず、言葉少なに問い詰めてしまう。
「決めていないようでした。周辺の店や広場での公演について伝えれば、行ってみる、と。本当に行ったかどうかは分かりませんけど。」
「公演団体は?」
「〔虹蜺〕です。」
帰り道では陽が落ちていたはずだ。大勢の人が集まり、知らない人が話しかけてきても不審ではない。その時に何かあったか。
人のない中央広場。目撃情報を確認しつつ歩けば、〔琥珀色の時間〕での証言通り、ここに辿り着いた。上演していた〔虹蜺〕も既に撤去を終えており、明かりも全て消されている。大勢の人がいたここでは、痕跡など見つけられないだろう。
だが、〔虹蜺〕は皇都を始め、皇国内で活躍している演劇団体だ。この皇都に本部を構えていて、こんな夜更けでも話くらいは聞かせてもらえる。
「今日の公演について、話を聞きたいのだが。」
「はい、どのようなことでしょうか。」
「黄金の髪と瞳の女性が見に来なかったか。」
「はぁ?」
受付カウンター内の青年は意味が分からないとでも言うような声を出した。
「それは、関わった全員に話を聞け、ということでしょうか。」
公園での上演では、入場券などが不要で、誰もが自由に見られる。そのため確認方法が、話を聞く、一択になるのだ。そんな無茶な要求をしたわけだ、私は。
しかし彼は、普段常識外れな貴族を相手にしているのだろう、第六枢機卿である私を前にして全く委縮することなく、問い返した。
それには感心するのだが、今は非常事態だ。
「その女性は今日の舞台のモデルになった〔赦しの聖女〕だ。その公演に向かったところまでしか、足取りが追えていない。誰か見かけていないか。」
途端、青年の対応が変わる。
「そういうことでしたら、すぐに確認してまいります。しばしお待ちを。」
奥の扉へと消えて行く青年。これでマリア様の所在が掴めると良いのだが。
「お待たせいたしました。今、本日の公演に居合わせた団員全てに確認をしております。」
目撃者がいれば来てくれるという。いなかった場合もそれを伝えに来る。期待しつつ、焦りに満ちた数時間。それでも陽が昇る前に、彼はやって来た。
「君が〔赦しの聖女〕を見たのか。」
「はい、」
「まずは名乗るべきだったな。オルランドだ。詳しい状況を聞かせてもらえるか。」
「杉浦友幸と申します、猊下。中央列、端のほうから観覧されていました。隣には漆黒の髪の男性がおられましたが、お知り合いかどうかは分かりません。」
現状、唯一の手掛かりとなった彼は、夜中に叩き起こされた上、配慮を欠いた私の対応にも気分を害した様子を見せず、丁寧に返してくれる。
「漆黒だったのか。」
「公演開始後まもなく、まだ明るい時間に確認した際には、美しい漆黒に見えました。」
黄金の女性と漆黒の男性。さぞ目立ったことだろう。
この国にいる黄金の髪の女性はマリア様くらいだ。漆黒の髪の男性は今皇都にいる人間に限れば、数人しか心当たりはない。
「公演後はどこへ向かった?」
「いえ、そこまでは……」
「他に変わった様子はなかったか。」
「ずっと見ていたわけではありませんから、気付きはしませんでした。」
彼の言い分はもっともだ。やはり皇国に協力を仰ぐべきか。
心当たりの一人がいるのは、皇都における貴族たちの屋敷が集まる一角。
緊急事態ということで、叩き起こされることになる島口君には諦めてもらおう。
「お待たせしました、オルランドさん。」
使用人に案内された応接間で待っていると、程なくして夜着に上着を羽織っただけの島口君が現れる。
「夜遅くにすまない。マリア様が日没以降、行方知れずだ。今日は会っていないか。」
訝し気に眉を顰めつつ、質問には答えてくれる。
「ええ、まぁ。今日は休日ですから。昨日なら会いましたが。あの、なぜ、こちらに?」
昨日なら儀式の勉強のため、皇国の施設へ出向いていた。その時に会ったのだろう。
「島口君、私はこれから皇国に〔聖女〕行方知れずの報を入れる。その捜索に、君たちも参加してほしい。」
漆黒の髪の男性の心当たりは、後は皇族だ。この時間からいきなり出向いて、話を聞くことは難しい。攫われたのが〔赦しの聖女〕なら、宗教省の人間の思考も捜索には役立つかもしれない。私から伝えれば、騎士も他省の介入を拒みにくいはずだ。
「騎士団長を呼んでいただけるか。」
「オルランド猊下!?お待ちを。今すぐに。」
驚愕する騎士。それもそうだ。数十年いて、私がここを訪ねたことなどなかったのだから。今までは騎士に頼むことなど滅多となく、あっても宗教省を通してだったのだから。
「珍しいお方が来られたものだ。なあ、オルランド第六枢機卿。」
「久しいな、武田騎士団長。」
個人的には何度も会っているが、互いの立場を意識するのは久しぶりだ。リージョン教会の枢機卿と一国家の騎士団長など、特別関わることのない役職なのだから、当然と言えば当然か。
「こんな時間に来られたのだ。よほどの要件なのだろう。」
「ああ。〔赦しの聖女〕マリア様が行方知れずになっている。黄金の髪と瞳の女性なのだが、夜に〔虹蜺〕の公演を観覧されて以降、足取りが掴めない。」
私の屋敷に戻る途中で攫われたか。それしか考えられない。
「捜索要請、というわけか。オルランド自らこちらに来た理由は?」
「捜索に宗教省の人間を参加させてほしい。誰が何の目的で誘拐したかはっきりしない現状、そちらの視点からの捜索も有益だろう。」
「それは私の権限ではないな。提案することはできるが。」
「それで構わない。宗教省のほうにも捜索に参加してほしいと伝えている。」
このような形で皇国と関わるのは好ましくないのだが。今はマリア様の御身が第一だ。




