虹彩は
虹彩は光と闇に満ちた国。漆黒の髪と瞳の皇帝が国を治め、多くの島々を従える。
ラウラが光陽学園で学び、私がオルランド様の下で学ぶ。そんな日常が始まって早3か月。私は焦っていた。
オルランド様のお屋敷の一室。朝のお茶の時間だと言って、オルランド様がおられる時はいつも勉強などの開始が遅らされる。
今日はこちらのお菓子だというお饅頭と、湯呑のお茶が置かれており、ここだけ時間の流れが遅くなっている気分だ。
「オルランド様、こんなにのんびりしていて良いのでしょうか。」
「救うには心の余裕も必要ですよ。」
体感では長くも短くも感じられる1秒。けれど、実際には同じ速さで進んでいる。今こうしてゆっくりしている間にも救いを求めている人々がいるのかと思えば、落ち着いてなどいられない。
「ですが、」
「街を見回ってみてはいかがですか。良い所ですよ、虹彩というのは。」
小さな露店がいくつも立ち並ぶ通り。大商店が並ぶ高級志向の通りに行ってみても良かったが、より救いを欲しているのは都市の中心部から離れている場所のはずだ。
今日は一般の人に紛れられるようなロングスカートにブラウス、カーディガンという格好。聖職者ではない自分、というのも新鮮な気分だ。
「今朝とってきた林檎だよー!シャキシャキの食感も、ほのかな酸味も、最高さ!」
「お姉さん、目が良いね!そっちは特別に仕入れたのさ!」
あちらこちらから呼び込みの声や売り子と客の会話が聞こえてくる。真剣な目で果物や野菜を見つめている人がいれば、望みの物を手に入れて満足げな人もいる。
「ここは豊かなのね。」
暗い顔の人は見当たらず、痩せ細った人も見えない。全体として非常に明るく、賑やかだ。
「そこの聖女様、一粒食べてごらん!」
この格好でもばれてしまうほど、もう一般人にも知れているのか。けれど他の人と変わらない対応で、新鮮味を感じる。
好奇心に負けて、差し出された明るい緑の粒を口に含む。
「美味しい。」
皮まで食べられてしまった。噛んだ瞬間から口に広がる瑞々しさと、爽やかな甘み。このような物まで開発されているのか。
「だろう?一房いかが?」
「考えさせていただくわ。」
今日は見て回ることが目的だ。誘惑に負けて荷物を増やさないように気を付けないと。
少し遅い朝市から中心部に向かって歩いていると、可愛らしい通りに出る。ガラス越しに小さな髪飾りやぬいぐるみなどが飾られていて、歩くだけでも目を楽しませてくれる。
「綺麗。何でできているのかしら。」
とりわけ私の目を引いたのは、細く煌めく線で作られた琥珀色の鳥。胴体部分が人の頭ほど大きさで、その尾は長く垂れ下がっている。凛と止まっている姿は清廉な空気さえ感じさせる。
「飴ですよ、お姉さん。」
扉の札を開店に変えた少年は、鳥と同じ琥珀色の髪と瞳をしていた。
「飴でこんなものが作れるの?」
「ええ。お時間をいただければ、作らせていただきますよ。もっと小さなものになりますけど。」
そうして案内された店内は落ち着いた印象の内装だ。木目が安心感を与え、大きな窓が明るさを確保している。
カウンターの内部に入った少年は砂糖を熱して、溶かし始めた。
「この飴は観賞目的ですけど、他のお菓子は美味しいんですよ。」
「じゃあ……」
壁に貼られたメニュー表には整った字でお菓子の名前がいくつも書かれていて、心が惹かれる。
「その日の仕入れの状況によって、変わるものもあるんです。」
「へぇ。今日はどれがお勧めかしら。」
「今日だと、甘芋のタルト、ですね。」
「ならそれと、何か飲み物をお願い。」
「はい。……母さん!甘芋のタルトと、ティ一つ!」
返事の代わりか、透き通ったベルが鳴った。
少しすれば少年の背後にあった開いたままの扉から恰幅の良い女性が盆を片手に出てくる。
「いらっしゃい。……こちら、甘芋のタルトとストレートティになります。」
薔薇の花が象られたような、柔らかい黄色のペースト状のもの。それがしっとりとした生地の器に入っている。
食べてみると、砂糖とも果物ともまた違った甘さと微かな塩味が口の中に広がる。
「美味しい。本当にお芋なの?」
「ええ、もちろん。初めて食べた方は大抵驚かれますね。」
単純に蒸かして食べることもある、紫の皮のお芋。お菓子扱いされることもあると聞いたことはあったけれど、ここまで甘いとは。
「面白いわね。」
じっくりと味わっている間に作業が進んでいたようで、少年から問いかけられる。
「お姉さんは何色が好きですか。」
「色?そうね……」
ふと彼と目が合う。
「琥珀色、にしておきましょうか。」
自分の色と分かったのだろう。彼は軽く笑い、作業を続ける。
黄色の水滴を、溶けて透明になった砂糖の中に入れて混ぜ合わせる。するとキツイくらいの色合いが柔らかなものへと変わっていく。
全体が同じような色になって、引き伸ばしたり捏ねたりと、なんだか楽しそうだ。
「それは何をしているの?」
「艶を出しているんです。ほら、綺麗になったでしょう?」
透明感が増し、引き伸ばした時の筋も美しく残る。
そこからの工程は驚くほど早かった。
手の平よりも小さいくらいに豆の形を作り、薄く延ばして切った飴を二つくっつける。豆型の部分が伸ばされ、細く長い線が作られる。反対側はほんの少しだけ尖らせて。
最後に、尖らせた左右に一つずつ黒い点を描き入れた。
「可愛らしいわ。」
「ありがとうございます。」
琥珀色の小さな鳥。同じような形状の鳥がいくつも置かれているのは、こうして作って見せているからか。希望すれば買い取って帰ることもできると言われたため、ありがたく頂戴する。
「ねえ、この辺りで何かお勧めの場所ってあるかしら。」
「この通りなら可愛い小物が置かれた店がいくつもありますし、中央広場の周辺には屋台もあって、見ているだけでも楽しめますよ。今日の夕方には一般向けの舞台も上演されます。確か演目は『赦しの聖女』。」
私の話だろう。もう舞台にされているのか。
「面白そうね、行ってみるわ。ありがとう、またね〔琥珀の君〕。」
少年の声を背後に店を出る。控えめな看板には〔琥珀色の時間〕という名前が刻まれていた。そういえば、女性の髪も綺麗な琥珀色だった。
「こんなお店も、あるのね。」
私の知る世界とは大きく違う。こんなに穏やかにお茶とお話ができるお店なんて、豊かで、心の余裕もないとやっていられないだろう。
きっとここで救われた人もいる、私のように。確かに良い所だ、虹彩は。
彼の勧めで、散々ウィンドウショッピングを楽しみ、私の話と思われる舞台を見に行く。
そこは既に人だかりができていて、この地域の住民には親しまれている娯楽なのだと理解できる。
広場の一部が舞台になっていて、その周辺に聖職者の白い法衣のような格好の人や、オルランド様のような刺繍の施された法衣の人が立っている。
「みなさま、お待たせいたしました。本日の演目は『赦しの聖女』。数か月前、虹彩皇国に訪れた黄金の髪と瞳を持つ麗しの聖女様、彼女が紡ぐ物語。彼女は何を思い、何を成して来たのでしょう。」
どこから伝わったのか、ソンブラ村で誘拐された話から始まっていた。その他も、なぜか私が体験したことが、かなり盛られた状態で演じられた。
一部には完全なる創作の話もあったけれど、観客は楽しんでいるようだった。見目の麗しい者ばかりが演じていて、私も自分のことでなければ、純粋に楽しめたのだろうけれど。
「こんばんは、お嬢さん。浮かない顔だけれど、君はこういう話は好きじゃないのかな。」
突然、隣で見ていた男性から話しかけられる。
「え?いえ、どうしてお話の中の聖女はみな、黄金の髪と瞳なのかしら、と思っただけですよ。」
「迷惑な話だよね。聖人は漆黒の髪と瞳、とかね。」
彼の髪と瞳も漆黒だ。彼も私と同じような体験をしているのかもしれない。
「目立たないうちに失礼します。このお話が気に入った方に気付かれたら騒ぎになってしまいそうですから。」
「ああ、そうだね。僕もさっさと退散しようかな。」
あまり遅くなるとオルランド様も心配される。これ以上は散策をせずに真っ直ぐ帰ろう。
けれど、何度も振り返ってしまう。後ろを誰かがついて来ているような気がしたのだ。不安を抱えつつも、何事も起きなければ良いと、足を速めた。
堅い床に転がされているようだ。手足も動かせず、縛られているような感覚まである。
「痛い!誰だ、こんなことをするのは!私を誰だと思っているんだ!」
低くない男性の荒げられた声と、床に打ち付けられる音。近くにいることは分かるが、触れられるほどの距離ではない。
「あの、貴方も捕らわれたのですか。」
「ああ、君も?お互い、今日はついてないね。」
ついてない、で済ませられたら良いのだけれど。
「私は夜に戻る予定でしたから、すぐに探してもらえると思います。」
「それは良かった。僕はよく抜け出すから、一晩は探してもらえないよ。」
暗闇に目が慣れてくると、その男性が公演を隣で見ていた人物であると気付く。漆黒を隠していないが、一応身分を隠しているのなら、こちらも黙っておくべきなのか。
「捜してくれるのはオルランド第六枢機卿です。ですので、きっと、助けが来るまで、そう時間はかからないと思います。」
「へぇ、君もオルランド枢機卿と知り合いなんだ。名前を聞いても良いかな。」
「マリアです。〔赦しの聖女〕の名をいただきました。」
「君が!こんな所だけれど、それなら僕も名乗らなくては。虹彩皇国第一皇子、光輝です、〔聖女〕様。」
皇子殿下。意外な人と意外な場所で知り合いになるものだ。会うことがあってもオルランド様からの紹介になるだろうに。
「どうぞマリアと。」
「なら僕のことも光輝と呼んでください、マリア様。」
「分かりました、光輝様。私たちにできるのは、外にいるであろう相手を刺激せず、大人しく助けを待つことだけです。大丈夫、オルランド様は私たちを救ってくださいます。」
名を与えられた〔聖人〕ではないけれど、それに等しい行いをしておられる。私にも街の様子を見に行くよう促し、余裕のない心が救われるきっかけを与えてくださった。きっと今度も危険から救ってくださる。




