聖女は
聖女は希望だ。人々に希望を与え、導く。
黄金は聖女の色で、希望の色で、朝の色で。私が逃れられないもの。
倒れ伏す何人もの大人と、中央に立つ一人の少女。
「本当に強かったのね。」
「こんなもんよ。」
ヴィネスに近づくほど、暴力的な人間が増えて行く。気候的には人間が住みやすいものになっていくが、治安は悪くなっていく。
自然の植物が多くなるにつれて建物の跡地も多くなり、そこを生活の拠点にする人も多くなってきた。
彼らはただ、自分の場所を守りたいだけなのだ。
「もう少し、話を聞いてくれるとありがたいのだけれど。」
「駄目よ。だって、大人は騙されて、弱かったから流れて来ただけだもの。ずっとここに住んでる人なんていない。子どものほうがここの生活には慣れてるの。ここの大人は助け合うことなんてできないんだから。」
先ほどもばらばらに私たちに襲い掛かり、誰一人、連携しようとはしていなかった。明らかに栄養の足りていない体で、自分たちより遥かに小さい少女に伸されていた。
「普段から話したりしないのかしら。」
「しない。ただ傍にあることを許してるだけ。それも、おかしな動きを見せれば排除してやろうと企んでね。それか、利用してやろうとか、奪ってやろうとか、そんなことを考えてるんだよ。」
彼らは臆病なだけ。けれど、私たちも治療薬などを持っていなければ、薬草だってない。探している間に襲われれば、また怪我人が増えるだけだ。
「神よ、人を傷つける罪を、見殺しにする罪を、お赦しください。」
「悪いのは襲ってきた奴らでしょ。だいたい、こんな周縁に住んでる奴なんて、内部に入ることもできなかった特に弱い奴だから。私の敵じゃないね。」
何度か襲われつつも、ラウラのおかげで大きな怪我をすることもなく、教会まで辿り着く。
駆け寄って来る子どもたちと、リエト様。
「マリア様、よくご無事で……!」
「「「「おかえりー!」」」」
「ご心配をおかけして申し訳ありません、リエト様。ですが、この辺りの子が攫われることは減るでしょう。」
これでやっと、子どもたちとリエト様との平穏な日々に戻れる。この地域の人々を救う、穏やかな日常に。
そんな生活も2年足らずで、突如として奪われる。
いつものように、頑張る子どもたちと畑の世話をしていると、見知らぬ小綺麗な男性を連れてリエト様が近づいて来られる。男性はこの近辺の人間とは思えなような整った身なりで、誰かを探すようにキョロキョロしている。
「マリア様、今よろしいですか。」
「はい。あの、そちらの方は?」
「フェルモ様です、帝都からマリア様を迎えに来られました。フェルモ様、こちらがマリア様です。」
リエト様の紹介の間もフェルモ様は私をじっくりと見られている。
「初めまして、フェルモ様。マリアと申します。」
「私のことをフェルモとどうぞ呼び捨てに。……貴女が聖女様ですか。」
帝都とソンブラは比較的近かったけれど、行ったことはなく、伝わるような出来事もなかったはずだ。
「いいえ。一部の方がそのように呼んでくださるだけで、私には過大な評価です。」
「ご謙遜を。ソンブラからもプエルトからも評判は届いております。リエト様からもお話を伺いました。」
ソンブラであったのはお父様の功績と容姿だけ。プエルトのこともただ運が良かっただけだ。
「私はまだ何もできておりません。」
「では、それをご自身でお伝えください。ロレンツォ様がお呼びです。」
ロレンツォ様。リージョン教会の枢機卿という、教皇に次ぐ地位に就く、六人のうちの一人ということしか分からない。教義と同時に教会組織についても学んだはずだが、興味の差か、それ以上のことを思い出すのは難しそうだ。
「マリア様、ここは私にお任せください。子どもたちも、救いの旅に出られたとなれば、納得してくれます。」
「ラウラは連れて行ってもよろしいでしょうか。」
「付き人でしたら、お連れすることもできます。」
リエト様に聞いたつもりが、フェルモさんから返事が来る。
付き人は高貴な身分の人が連れていることが多く、教会関係者でも位が高ければ連れていることもある程度のものだ。当然、私はそのような立場の者ではないのだけれど。
「私はついて行くよ、マリア。付き人でも何でも、必要なことがあるなら覚えるから。」
「ありがとう。では、二人で行ってまいります。」
すっかり見慣れたヴィネスの荒れた風景。ここで私はお父様を失った。
かつてお父様は、傷を負って得たものは未来の子どもたちが決めてくれると仰っていた。ここで私がお父様を失って得るものは、きっと未来のラウラが決めてくれる。
ラウラを連れて、フェルモさんと三人、ヴィネスを後にし、帝都を目指す。最寄りの村までは徒歩しかないけれど、お金さえあればそこからは馬車も利用できる。
フェルモさんのおかげで、プエルトよりも遠くても、移動期間も短く、体も辛くない旅程となった。
「ようこそ、帝都セントロへ。」
石造りの街並みが広がる大都市。まだ明るい通りにはいくつもの街灯が立っていて、その全てに毎日火が灯されるのかと信じられない気持ちになる。
人通りも非常に多く、歩いていれば逸れてしまいそうだ。
そんな中を私たちは馬車のまま、抜けていく。馬車同士がすれ違ってもまだ余裕のある道幅だからこそ、街中の移動にも用いられているのだろう。
「ここは商店が幾つも立ち並ぶ通りになります。ご興味がありましたら、またご案内させていただきます。
この先を進んで行けば、ロレンツォ様のお屋敷となります。」
煌びやかな装飾品、肌触りの良さそうな衣類、動物を象った人形など、様々な物が店の外からでも見えるように展示されている。
食事処も喫茶店も並んでいて、歩く人もみな、満ち足りているように見える。
「ここは、幸せそうね。」
私のいるべき場所ではない。救いを必要とする場所が、私の場所だ。
「夕食までこちらでお休みください。ご用件がありましたら、こちらのベルを鳴らしていただければ、対応いたします。」
扉の内側近くに設置された小さな鐘には、垂れ下がった紐と、廊下の壁伝いに這っている紐が繋がっている。離れた場所にも聞こえるよう工夫されているのだろう。
一人に一つ案内された部屋の家具類は一見簡素な雰囲気で統一されているけれど、よく見れば聖職者の家としては贅沢過ぎるのではないかと思えるほど、美しい物たちが置かれている。
決して色合いが派手なわけではない。けれど、カーテンにしてもテーブルクロスにしてもカーペットにしても、全てさらさらとして手触りも良く、混じり気のない白だ。金の刺繍まで施されていて、どれほど手間のかかった一品なのか、想像もつかない。
窓から庭を見下ろせば、食用にも薬用にもならない色とりどりの花が咲き誇っている。少し視線を上げれば噴水まで見えて、ロレンツォという人物への不安は高まる。
「マリア、今いい?」
「ええ、どうぞ。」
少し寝て元気になったラウラの服も新しいものに変わっている。彼女の碧い瞳を意識してか、全体が水色のワンピースで、まるで水の精だ。
「綺麗ね。」
「マリアも。本当に聖女様みたい。」
聖女は黄金のイメージを持たれている。私の法衣も全体が白いのは他の聖職者と同じだが、裾に金の刺繍がさりげなく施されていて、私のためだけに用意されたと分かる。
「ここは裕福だね。お食事も期待できそう。」
「ええ、そうね。」
窓の外では、陽が沈もうとしていた。
「お待たせいたしました。お食事の用意が整いましたので、食堂まで案内させていただきます。」
その先で待っていたのは一人の老紳士。
「ようこそ、マリア様。ロレンツォと申します。遠路はるばる、ありがとうございます。」
静かな夕食を終えても、ロレンツォ様はなかなかお話を始めない。
「ではロレンツォ様、そろそろお呼びになった理由を伺ってもよろしいでしょうか。」
「そう焦らないでください。今、お話させていただきますから。……マリア様を〔聖女〕に任命するための式典を、執り行うのです。」
「それは私が黄金の髪と瞳を持っているからですか。」
人は見た目に惑わされる。私自身、聖職者として相応しい行動を心掛けているが、〔聖女〕になれるほどのことはできていない。
「貴女はご自身の成果に無頓着のようですね。貴女の周りの人々は、まさに聖女様だと色々なお話を聞かせてくださるのですよ。
ソンブラ村ではご自身を監禁し、村に火を放った男に説教し、他の住民が死罪を望む中、貴女自身は赦されたと。
プエルト港でも奴隷商人たちを相手に臆することなく立ち向かい、子どもたちを救ったと。
それに、」
ロレンツォ様はラウラに視線をやる。私が望んで、食事の同席させてもらったのだ。ラウラは付き人扱い
で、言わなければ共に食事は取れなかったから。
「その子にお父上を殺害された、と。ですが貴女はその時、まず赦し、そして義妹にされたそうですね。」
「ええ。全ての罪と人は赦されるべきです。」
神が愛しておられるのだから。それはきっと、憎しみに満ちた世界ではなく、愛に満ちた世界を望んでおられるから。それならば私も愛し、赦そう。
「その姿勢が、人々からは聖女に見えるのです。貴女はどんな名が与えられるのでしょうね。」
「既に決まっているのですか。」
「ええ。猊下が直々に授けられます。この時期に枢機卿が四人も集まるのは珍しいことなのですよ。」
枢機卿の席は全部で六つ。
第一枢機卿は、この大陸中部を主な活動範囲とされる。今はロレンツォ様が就いており、場合によっては教皇猊下ではなく今回のように第一枢機卿の名で呼び出される。
第二枢機卿は大陸南部。ソフィアという優しい雰囲気のお婆さんと聞いている。大陸二番手で女王制のサントス王国に配慮して、歴代女性が務めているとか。
第三枢機卿は大陸西部、第四枢機卿は北部、第五枢機卿は東部。けれどしばらく荒れているため、第五の席は空いたままだ。
そして第六枢機卿は東の諸島部。基本的にそちらにおられるため、大陸の枢機卿とはまた違った権限を持ち、活動内容も異なる部分があるという。
今回集まることになったのは第一から第四の枢機卿。彼らの前で、教皇から〔聖女〕の称号を賜ることになる。
好天に恵まれた屋外の式典場。真っ白な床には六芒星が描かれており、中心に教皇と私、教皇の側に偏って四人の枢機卿が跪いている。
「マリア、貴女を〔赦しの聖女〕と認めます。」
教皇からお言葉と同時にネックレスを賜る。掛けられたそれは、トップに手の平ほどの大きな黄金の円盤が付いている。円盤には凹凸で満月が描かれていて、ラウラのことも表してくれているのかと嬉しくなった。月の精霊と同じ名のため、偶然の一致かもしれないけれど。
「〔赦しの聖女〕マリア、これからも赦しで以て人々を救うことを期待します。」
続いてロレンツォ様からは黄金の、ソフィア様からは漆黒の半月のブローチを、並べて着けていただく。二つが合わされば、黄金と漆黒の満月のようだ。
「〔赦しの聖女〕マリア、人々を導くことを期待します。」
第三枢機卿と第四枢機卿からは、黄金と漆黒の三日月のイヤリングをいただく。
厳格なお婆さんといった風貌の第三枢機卿も、繊細なお爺さんのような第四枢機卿も、式典前に話す暇はなかったけれど、その目で祝福の気持ちを伝えてくださっている。
「私マリアは〔赦しの聖女〕という名に相応しく、人々を救い、導くための努力を怠りません。」
本来であればこの宣言の前に、第五枢機卿並びに第六枢機卿からもお言葉と装飾品を授けられる。けれど第五は空席、第六も来られない。そのため、今回は省略となり、後日第六枢機卿に会いに行くか、いつになるか分からない第五枢機卿の任命を待つことになる。




