罪は
罪は犯される。いつでも、どこでも。その犠牲になるのは、弱い者ばかり。
教会では、朝も早いうちからリエト様と子どもたちが畑の世話をしてくれている。もう見慣れた光景だ。
あの後、私とラウラは子どもたちを狙ったと思われる人間を探しに行こうとした。けれど、リエト様と当の子どもたちから全力で止められてしまい、結局何もできないままだ。
代わりに、今いるこの5人を救おう。簡易の家を建て、畑を作り。それでも、抜け出す機会は伺っていた。
そうして数年もすれば、最初は私たちが調べに行ってしまわないように気を付けていた彼らも目を離す。
私たちは再び、あの文様のあった場所までやって来ていた。
「マリア、文様の解読でもするの?」
あれが何かの意味を持っていることは確信している。けれど、私でも読めない文様の解読をラウラに手伝ってもらうのは難しく、また、子どもたちの救いにそれは必要ない。
「いいえ。子どもたちを狙った人を探すのよ。」
「正義の聖女様になるんだね!マリアのことは私が守るよ。」
『正義の聖女様』。お伽噺の一つだ。
あらすじはいたって単純なもので、正義感に溢れた黄金の髪と瞳の少女が、罪を犯した人々を裁いていく、というものだ。裁かれた人は心を入れ替えて、それまでの罪を償うために生きて行く、というお話。そして罪を裁く旅の途中、何度も危機に見舞われるけれど、その都度、今までに裁いた人が助けに現れてくれるのだ。
「ありがとう、ラウラ。けど、本当に危ないと思ったら逃げなさい。私を置いて、逃げるのよ。」
「え……。大丈夫、私は素手でも十分強いから。」
「ラウラ。」
少し強めに名を呼べば、不服そうに了承してくれる。私にも逃げることを約束させて。
「なら、少しこの辺りを見てみましょうか。」
文様の周りを歩いていく。他の場所に移動しても良いけれど、ここが一番損傷は少ない。他は瓦礫が多くて歩き難い上に、見通しも悪い。
あの4人の子ほど幼くはないが、ラウラは十分攫われ得る。私も彼らとは違う目的でなら可能性はある。ラウラは私と出会った時を10歳とするなら14歳、私だってまだ18歳なのだから。
「ラウラ、何か気付いたら教えて。」
「うん、任せて。」
陽も高くなった頃、一組の男女が現れる。
「君たち、こんな所でどうしたの?迷子かな。」
首に大きな宝石をぶら下げた女性が近づく。大きな男性はその数歩後ろに追従し、周囲に目を配っている。
「ううん、ここに住んでるの。」
「あら、こんな危ない場所で。お姉さんについてきたら、美味しいものと、暖かいお布団があるわよ、おいで。」
子どもたちが見た大人とは別人だろう。こんなに印象的な人、一瞬でも見ていれば忘れられない。
こちらを警戒させないためか、柔らかな声色で、ゆっくりと動いている。彼女は本当に保護のために動いているかもしれない。それなら近辺の救いへの協力のため、教会関係者と明かしても良い。けれど、誘拐するつもりなら明かすことは好ましくない。私たちがいる間だけ行動を控えて、見つからないようにするだけになると困る。
「本当ですか。妹にも美味しい物を食べさせてあげたいと思っていたんです。私が小さい頃に、両親は亡くなってしまったから……」
彼女を見極めるために俯いて見せれば、彼女は私たちの手を引いていく。
「少し遠いけれど、頑張れるかしら。」
「「うん。」」
ラウラも私の意図を酌んで、何も知らない子どもの振りをしてくれる。
体感で数時間歩いた先にあったのは、驚くほど綺麗な船と手入れの行き届いた小さな港。ラウラや子どもたちが住んでいた廃墟から歩いて行ける距離にあることが信じられない。
「ここから行けば、美味しいご飯も、暖かいお家もあるわ。もちろん、仮の物だけれど、それらと同じような物が船の中にもあるわよ。」
「本当!?やったね、お姉ちゃん!」
文字通り飛び跳ねるラウラ。いつもと違う大げさな仕草は、今の状況への理解を伝えてくれているのだろう。
「ええ、貴女たちはもう救われたのと同じよ。安心して良いわ。」
桟橋を渡る女性の背を見つつ、ラウラがこっそり話しかけてくる。
「本当に乗るの?マリア。」
「ええ、まだ彼らが悪い人か分かっていないでしょう?」
渋るラウラの先を行く。どちらにせよ、すぐ後ろを男性が歩いているのだから、逃げられはしない。
「部屋は小さいけれど、遠くには行かないから、安心して頂戴。」
船は私もラウラも初めてで、ゆらゆらというゆっくりとした振動に、真っ直ぐ歩くことも難しい。
「疲れたでしょう?すぐ船を出してご飯を持って来るから、そこの毛布でゆっくり休むと良いわ。」
女性が出て行くのを見計らって、ラウラが口を開く。
「ねえ、マリア。大丈夫だよね。」
「きっとね。」
部屋の中には十数人の子どもが押し込められていた。全員が寝転べば手足のどこかが触れそうな狭さにもかかわらず、どの子も明るい表情をしている。
「この子たち、おかしいと思わないんだ。」
「ラウラも前のままなら、この子たちと同じだったかもしれないのよ。何も教えないでね、彼らを刺激してはいけないから。」
お腹を壊す心配のない食事に、一人一枚の毛布。これだけで、ヴィネスとその周辺の子なら恵まれていると感じられるだろう。
ラウラも毛布の誘惑には抗えず、他の子たちと同じように眠ってしまった。何時間も歩いて疲れたせいもあるだろう。いざという時動けないのは私も困る。食事を待たずして、私も柔らかな感触に身を委ねた。
「マリア、中に籠っててもしょうがないよね?甲板に行って来るから。」
「分かったわ、無茶しないでね。」
子どもたちは、何人か目を覚ましている子もいるが、どの子も身を寄せ合ったまま動かない。ここにいれば、暖かい世界が待っていると信じているのだろう。
「ねえ、君はどうしてここにいるの?」
「ご飯くれるって。おいしかったよ。他の子にもあげるから、もっといっぱいある所はもうちょっと待ってね、って。」
この子は毛布を鼻の下までしっかりと被っていた。次の子も頬擦りをして、幸せそうだ。
「君はなんて言って連れて来られたの?」
「暖かいよ、って。もう寒い思いしなくていいよ、って。」
他の子たちも似たような答えばかり。みな、私たちと同じように言われて、誘われたようだ。そのことに不信感を抱いている子はいない。
一つの部屋に押し込めたことにも違和感が残る。けれど、大人数を安全な場所へ連れて行くなら、予算の都合でこうなってしまうことはあり得る。食事も毛布も本当に用意していた。
私たちが彼らを疑い過ぎただけかと思い始めた頃。
「あ゛ーー!」
少女の絶叫が聞こえた。
甲板へ走れば、両手首を片手で掴まれ、男に吊り下げられたラウラの姿があった。
「ラウラ!」
「お姉さん?この子、ちゃんと躾してるの?勝手に人の部屋に入るなんて。」
「ごめんなさい!マリア、私ね、調べようとしたの。だって、こんな奴ら程度、蹴っちゃえば良いと思って!」
ラウラは必死に暴れているけれど、逃れられそうにない。女も眦を吊り上げて、私に近づいてくる。
「すみません、好奇心が旺盛で。いつも注意はしているんですけれど。」
「駄目ね、この子たちは。別室に入れておかないと。他の子に悪影響だわ。」
女が私に掴みかかる。振りほどこうとした手も封じられ、蹴りも届かない。私はラウラほど喧嘩に自信もなく、あっけなく捕まった。
たったの数分で二人とも両手を縛られ、別室に閉じ込められる。ガコンと閂の掛けられる音がして、もはや出られないことを悟る。
「マリア、ごめんね。私のせいで。」
「貴女のせいじゃないわ。だって、調べようとしてくれたんだもの。その成果が今なの。彼らは子どものために連れ去っているわけではない、ということが分かったわね。」
こんな風に閉じ込めるなんて、救う側の人間のすることではない。あとは港に着いてからどう動くかだ。きっと、その時しか機会はない。
「次開いたら、足だけでもやっつけてあげる。」
「駄目よ。大人しくしているの。次の港で助けを求めましょう。」
助けてくれるような人がいると良いけれど。いなければ、……商品ルートへ一直線、か。
バタバタという足音と、子どもたちの元気で無邪気な声がする。続いて、トントンと足音が近づいてくる。ガタンと閂が外され、女と男が姿を現す。
「お待たせ、お嬢さんたち。貴女たちの番よ。」
ラウラは睨みつけているけれど、ここで抵抗するのは得策ではない。
手は結ばれたまま、船を下ろされる。陽は高く、暗い室内に慣れた目では、開けているのが辛いほど眩しい。
隣には大きな、何倍もの人数を乗せられそうな船が泊まっていて、子どもたちの姿も見えない。この大きな船に乗せかえられるのだろう。
「ラウラ!」
私の声を合図に、二人して全力で走る。前後を挟まれていても、横に抜けてしまえば関係ない。腕を振れないのが走りにくさを感じさせるけれど、少しの距離ならきっと大丈夫。
足元がしっかりと整備されているのが救いだ。躓くようなこともなく、真っ直ぐに街中へと駆けて行く。
「誰か!あいつらを止めなさい!うちの大事な商品なの!」
後ろからドタバタと奴らがやって来る。けれどなぜか追いつかれなくて。むしろ前方を塞ぐ人間を躱すことに意識が取られる。
「横取りしようっての!?聖女色はうちの物よ!」
女の金切り声。さぞ高く売れるのだろう、お伽噺の聖女と同じ色を持つ私は。
けれど、それなら。
「ラウラ、先に行って。」
私が少し足を緩めるだけで、彼らは私に意識を集中させるはず。
「駄目!一緒に行くの!」
「助けを呼んできて。このままじゃ、二人とも捕まるだけだわ。」
私に合わせて一度は速度を落としたラウラは、再び足を速め、砂埃舞う大通りを駆け抜けて行く。
お願い、間に合って。




