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シキ  作者: 現野翔子
若草の章
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悲しい出来事

 午前中、お仕事で出かけていた秋人が帰って来た。あの耳飾りも、目立たず邪魔にもならない物だからと着けて行ってくれたのだ。それなのに、帰って来た秋人はそれを着けていなかった。


「お帰り。」

「ああ、ただいま。」

「あれ?耳飾り、どうしたの?」

「え?」


 自分の耳を触って確認している。


「無くしたみたいだ。」

「そっかぁ。」


 お揃いだったのに、残念だ。だけどお仕事している最中に落としたなら気付かなくても仕方ないのかもしれない。


「まあ、でも、耳飾りくらい」

「くらい?大切じゃなかったの?」


 私は秋人からもらった物はどれも大切で、無くしたくないと思っている。無くしてしまうことはあるかもしれないけど、そうなればとても寂しい気持ちになるだろう。他にもあるとは思っても、悲しいことには変わりない。


「もちろん大切だけど、動いてたら落とすことはあるだろ。」

「私はそんな話してない。大切にしてたのに、なんで、くらい、って言い方になるの?」

「それは、言葉の綾だ。別に大切じゃないって意味じゃない。」


 大切にはしてくれている。だけど無くしてもそんなに残念には思わない。私の贈り物への対応と私への対応が同じになるわけではないけど、物だって無くして少しくらい残念に思ってほしい。


「大切なのに無くして悲しくないの?」

「悲しんだって戻って来ないだろ。今すぐ探して来いって?」

「そうは言ってないでしょ!」


 見つかるから悲しむわけではない。悲しいは感情だから、何かのために起こすものではなくて、自然と湧き上がってしまうものだ。


「じゃあ、どうすれば良いんだよ。」

「別にどうにかしてほしいわけじゃないよ。私は仕事の続きしてくるね。」


 本人が悲しいと思わないのに悲しんでと言ったって、それは悲しんでいるふりをするだけになる。だからこれは仕方のないことだと自分に言い訳して、音楽室に戻った。

 楽しかった時のことを思い出して曲を弾いたり作ったりしていれば気分も晴れるはず。そう思って作りかけの曲を取り出す。秋人とお揃いの耳飾りを買った日に作り始めたものだ。

 あの日はただただ楽しかった。その後、私の贈った耳飾りを着けて出かけてくれるのも嬉しくて、もしかして秋人が夜会で私に自分の贈った首飾りを着けてほしいと言うのは、こういう気持ちになると知っていたからかな、と気付くこともできた。贈る側と贈られる側の気持ちを同時に感じるだけではなく、お揃いという点が特別さをより強めてくれている。

 今日も帰って来たら、その耳にお揃いの耳飾りが着いていると思っていたのに落としていて、その上そのことに気付いていなかった。百歩譲って気付いていないことは許せても、それを悲しむでも気に掛けるでもなくそんなことで済まされたのは悲しかった。

 楽譜を見ても気分は沈んだまま。このままでは楽しい曲の続きなんて書けず、歌う練習もできない。今日の仕事は諦めて、友兄に相談しよう。まずは私の問題を解決しないことには、何もできそうにない。


 執務室に行けば、アリシアの声でどうぞと入れられる。だけど今は顔を合わせ辛い秋人もいて、こちらをほっとしたように見ていた。


「愛良、」

「アリシア様は秋人のほうをお願いします。俺は愛良の話を聞いてきますので。」

「ああ、頼んだ。」


 秋人が何かを言う前に友兄が遮った。そして速やかに私を部屋から連れ出し、おそらく自分の部屋に連れて行く。


「あのね、友兄。悲しい事があったの。」

「うん、何があったんだ?」


 起きたことと、秋人の態度や言葉、その時の自分の気持ちを簡潔に伝えていく。言っても解決はしないけど、少しだけ気持ちは軽くなった。

 そう説明している間に、友兄の部屋に着く。


「ゆっくり飲みながら話そうか。どうしたら愛良の悩みが解決するか、ちゃんと俺も考えるよ。前は愛良に助けてもらったから。」

「うん、ありがとう。」


 お茶の用意を簡単にしてくれる。今はお話が目的で、お菓子を食べる時間ではないから本当にお茶だけだ。


「まず、愛良は、耳飾りくらい、って言われたのが悲しかったんだよな。」

「うん。だって私は秋人からもらったのちゃんと大切にしてるのに、秋人も大切にしてるとは言ってくれたのに、無くしても良いみたいなこと言うんだもん。」


 私の気持ちを捨てられた気がした。私の込めた気持ちを無視された気がした。同じだけの想いをその耳飾りに込めていたと思っていたのに、そう思っていたのは私だけだった。人には着けさせようとするのに、自分は着けていようとしてくれないのか、とさえ思えてくる。


「そっか。ちゃんと大切にしててほしかったんだな。」

「大切にしてくれてるから、着けて行ってくれたんだとは思うの。だけどね、なんか、大切なのに無くしても何とも思わないの?って。」


 大切な物を無くせば悲しかったり、寂しかったり、嫌だったりする。秋人の態度や言葉からはそれを感じられなかった。


「そうだな、不安になるよな。愛良は、物を無くした時どうする?」


 見つからないかな、と思って、心当たりを思い出す。持っていた記憶がはっきりあるのはどこまでか、どこではっきりないと認識したのか。持っていたかどうか怪しいその間に、落としそうな場所はどこか。一番落としそうな場所から順番に、探していく。


「ありそうな所を探すよ。」

「探すまでの間に、ないね、って言われたら?」

「それくらい、すぐ見つかるよ、って。あっ!」

「そういうこと。秋人もすぐ来てくれるから、きちんと話してみような。」


 いつもは思ったことをお互いに全部伝えるから、こんなことにはならない。言葉が足りなくて喧嘩するのはアリシアと友兄のほうだ。それなのに、今日は私と秋人がしてしまった。話を最後まで聞かなかったからかな。だけど、あの言い方は誤解をしてしまう。私も言い方には気を付けよう。

 反省していると、足音に続いて小さく扉が叩かれた。


「友幸さん、愛良いますか?」

「ああ、入って。」


 恐る恐るといった様子で掛けられた秋人の声に、友兄は気楽に答えた。やはりそっと開かれた扉から身を滑り込ませた秋人は、素早く私の前に膝をついた。


「愛良、俺には何が悪かったのか分からないから、何について怒ってたのか、どうか教えてくれないか?改善するから。」


 私の両手を握り、まさしく懇願といった様子だ。アリシアに何を言われたのだろうと心配になるくらい、弱気になっている。


「あのね、耳飾りくらい、って言われたのが嫌だったの。秋人は、私からの耳飾り、要らなかったの?無くしちゃっても探さないの?」

「違う、違う、そんなことない。欲しいよ。探す気だった。今日はそんなに遠くに出かけたわけじゃないから、アリシアさんに報告した後、探せば良いと思ったんだ。そんなに時間は経ってないはずだから、皇国騎士が見つけて拾ってても、聞けば分かると思って。」


 本当に誤解だった。耳飾りくらい、の続きを落ち着いて聞いていれば、探す気であることくらい分かったはずだ。それをしなかったのは、私が言葉の一部から早とちりしてしまったから。


「うん、じゃあ、私もごめんなさい。耳飾りくらい、って言うから、どうでもよかったのかなって思って、悲しくなったの。」

「そっか。俺も紛らわしい言い方して悪かった。」


 膝をつくのを止めて、抱き締めてくれる。これで仲直りだ。よかったと思って笑い合えば、友兄からため息が出る。


「お前らは単純で良いな。アリシア様も秋人くらい真摯に色々言ってくれれば良いのに。」

「でも今のはアリシアさんの助言だからな?何に対する謝罪なのか把握すること、それから誠心誠意、許してもらえるまで謝罪すること、って。」


 役に立ちそうなのは一つ目くらいだ。いつも秋人は何かあったら真剣に謝ってくれるから、そう長く許さないという気分は続かない。

 アリシアもいつも真剣に見える。友兄には違ったように見えているのかな。


「だいたい、いつものアリシアさんと友幸さんのやつは、友幸さんが黙り込むからじゃねえの?」

「原因はアリシア様だから。隙あらば人には言えないようなことをしようとして。その癖、俺から言ったりやったりしても、どうした、の一言で済ませるんだよ。」


 話しながら徐々に不機嫌になっていく。友兄はアリシアに不満が多いみたい。人には言えないようなことが何か分からないけど、言えないと言っていることを聞きたいとは言えない。


「したい気分だったって言えば良いだろ。なあ、愛良。」

「私、今、秋人とキスしたい。」


 一瞬驚くけど、すぐに口付けてくれる。私もお返しをして、緩んだ表情のまま友兄に目を向ける。


「こういうこと。アリシアだって、したいって言えばしてくれるよ。駄目な時は駄目って言って、したい時はしたいって言うの。」


 お手本まで見せてあげたのだから、次からはできるかな。それとも素直にお願いするのは、友兄には難しいかな。


「秋人みたいに何にも言わずに応えてくれるなら考えるけど。まず、急にどうした、って言ってくんの。何でも良いからしろって言ったらようやくしてくれるけど、そんなに寂しかったかとか言ってくるし。俺がたまに愛良みたいに言ったら悪いかよ。」


 今はご機嫌斜めの時間らしい。こういう時は黙って話を聞いておけば、アリシアがそのうち迎えに来てくれる。


「完全に日頃の行いだろ。いつも駄目駄目言ってる人が突然してって言い出したら、そりゃどうしたってなる。俺も愛良が急に手繋がない、キスも駄目、とか言い出したら何かあったかって思うよ。」

「恥ずかしいの我慢して言ってんのに。」


 頑張ったのに褒めてもらえないのが嫌なのかな。喜んでもらえないのが寂しいのかもしれない。


「友兄は頑張ってお願いしてくれて嬉しい、って言ってほしかったの?」

「え?いや、それは、困る。別に何も言わなくて良いんだよ。どうした、も何もなくて良い。ただ、俺がしてって言ったことだけしてくれれば。」


 アリシアもしたいことはあると思うけど、それは駄目と友兄は言う。自分のしたいことをしてほしいなら、相手のしたいことをしてあげたいとは思わないのかな。

 私の疑問を友兄にぶつけようとした時、ノックもなく扉が開かれた。


「そうか、そう思っていたんだな。すまない、友幸。次からは気を付けよう。ちなみに、今は何をしてほしい?」


 つかつかとアリシアは友兄に近寄り、その顎を掴んで自分のほうを向かせた。私なら口付けてほしくなるけど、なんて答えるのだろう。


「な、なに、も?いや、今は、そんな、ない、です。」


 目が右往左往している。合ったと思ったら、秋人に手を引かれた。


「俺たちはお邪魔みたいだから出てようか。」


 待て、という友兄の声を背後に、部屋を出る。中では色々言っているようだけど、もうアリシアに任せておこう。


「耳飾り、探してくるよ。」

「うん、行ってらっしゃい。」


 秋人を廊下から見送って、私もお仕事の再開だ。


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