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シキ  作者: 現野翔子
金の章
19/192

家族は

 家族は傍にいない。それが当たり前だった。

 代わりに、教会付属の孤児院の子たちがいてくれた。






 午前に毎日のお勤めを済ませて、孤児院の子たちと触れ合う。


「マリア様ー!ご本読んでー。」

「はい、今日は何を読みましょうか。」

「『最初の聖女様』!」

「えー、『聖女様の奇跡』がいいなー。」


 『聖女様の奇跡』は始終凄惨だ。絵本という都合上、可愛らしい絵柄だけれど、戦いに傷ついた人々を癒して回る少女が描かれている。女の子のエヴァが好きなお話だ。


「そうね、この前はエヴァの好きな本を読んだから、今日はピーノの好きな本にしましょう。」

「やったー!」

「はーい。」


 男の子のほう、ピーノが本棚まで駆けて行き、剣を片手に勇ましく立つ女性が表紙の絵本を持って来る。


「はい、読んでー!」

「やっぱり、マリア様と聖女様ってそっくりね!」


 エヴァももう『最初の聖女様』を聞く気分になったのか、わくわくした表情で待っている。


「エヴァちゃん、お話の時、あんまり喋らないでよ。」

「分かってるよー。お喋りしながら聞くのも楽しいのに。」

「マリア様のお話が途切れちゃうから!」

「分かったってば。」


 言い合う様子は微笑ましいけれど、このままでは始められない。


「じゃあ、良いですか。」


 二人は首が折れそうな勢いで頷いた。



「『最初の聖女様』。」


 文字通り、最初にこの世に現れた聖女とされる女性の話だ。

 最初のページには、森の中にいる黄金の髪と瞳の少女、それから彼女を囲む栗鼠や小鳥、蛙、蝶、鼠など、多くの人が好む生き物も好まない生き物も、たくさん描かれている。


「昔々、美しい女の子が森の中に一人で住んでおりました。

 お父さんもお母さんも見たことがなく、他の人に会うことも稀でした。

 けれども、女の子は寂しくありませんでした。森の動物たちがいてくれたからです。」


 次のページには、少女に木の実を差し出す栗鼠、果実を差し出す鳥、跳んで見せる蛙、飛ぶ蝶、木を削る鼠が描かれている。


「女の子は彼らから多くを教わりました。

 栗鼠からは食べられる木の実を、鳥からは果実を。

 蛙からは跳び方を、蝶からは飛び方を。

 鼠からは物の作り方を。」


 一枚捲れば、虎と戦う少女、それを眺める狼や熊、鷲、蛇といった生き物たちが現れる。


「女の子は戦い方も教わりました。

 虎からは素早い身のこなしを、

 熊からは大きな相手の躱し方を、

 鷲からは空中への警戒心を、

 蛇からは気配の感じ方を。」


 嬉しそうな少女の前では、貰った木の実や果実がたき火で焼かれている。


「女の子はそんな動物たちが大好きでした。

 そんな風に、幸せな毎日を送っていました。」


 次には、鼠を押さえつけた鷲と、動かない鼠、泣く少女が描かれる。


「そんな時、女の子は見てしまいました。友だちが友だちを食べるところを。

 けれど、それは仕方のないことなのです。生きるためには、他の生き物を食べる必要があるのですから。」


 森に背を向ける少女。森の動物たちはそんな少女を見送っているけれど、その中に鼠と鷲の姿はない。


「女の子は森にいるのが辛くなりました。だから、同じ人間がいる町に行きました。」


 石畳の道の上で、細く白い女の子が尻餅をついていて、大きな男が剣を向けている。

 黄金の髪と瞳の少女はそこへ走っている。


「人間は人間を食べません。それなのに、争っていたのです。

 黄金の女の子は、目の前の白い女の子を助けました。

 けれど、争いはここだけの話ではありませんでした。

 黄金の女の子は、困っている人を助けたいと、森の動物たちから教わったことを試していきました。」


 剣を片手に少女は、剣や槍を構える兵の前に立ちはだかる。


「黄金の女の子は、争う人々を止めました。そうして、巻き込まれるしかない人々を救ったのです。」


 ページには、砂埃舞う土地と緑豊かな大地が、対比的に描かれている。


「黄金の女の子は全ての争いを止めることはできませんでした。

 しかし、争いのない場所も生まれました。」


 焦土の立つ一つの墓標。


「こうして、黄金の髪と瞳の女の子は、人々を救い、希望を遺したのです。」



「かっこいいな、聖女様って。」

「うん、それにとっても優しい。マリア様みたい。」


 キラキラとした目で見てくれる二人。


「私はそのような者ではありませんよ。」

「私、お祈りしてくる!マリア様って聖女様みたいにとっても素敵なのよ、って。ピーノも行こう!」


 勢いよく立ち上がるエヴァはピーノの手を掴み、礼拝堂へと駆けて行く。


「まだ行くって言ってないよ!」


 文句を言いつつ、ピーノも引きずられるようについて行った。




 ソンブラの教会は決して裕福ではない。建物の修理も住民に協力してもらって、自分たちで行うほどだ。

 そんな所々にボロの見える礼拝堂で祈りを捧げるピーノとエヴァ。彼らは幼くとも教えを理解していて、神に救いを求めることはしない。ただ、私たちにお話ししてくれるように、祈りを捧げる。


 彼らにとっての神とは、どのような存在なのだろう。父や母のような存在か、兄や姉のような存在か。少なくとも、私たちより身近に感じているらしい。こうして、唐突にお話しようとするのだから。


 膝をつき、手を組み、静かに目を瞑る二人。彼らの後ろには他にも昼の祈りを捧げている人が数人いる。ここにいない住民も含めて、いったい何人が教えを理解できているのだろう。私たちが法や規則を守るのは神に与えられたからではなく、神は救いを与える存在ではないのだと。


 彼らの祈りを見守っていると、頭上からボンッボンッという何かが爆発するような音がした。


「みなさん、外へ出てください!」


 祈りを捧げていた大人たちが扉に殺到する。大きな扉の両側を素早く開けば、彼らは難なく通り抜ける。けれど、ピーノとエヴァは気付いていないのか、まだ膝をついている。

 駆け寄り、腕を掴んだ時には、既に天井からパラパラと石の破片が落ちてきていた。


「ピーノ、エヴァ、こっちに。」


 通常の礼拝では見ることのない彫像の裏側。そこには小さな扉が隠されており、その中の階段を下りれば、ドゴンという大きな音と衝撃が幾つも響く。


「マリア様、大丈夫ですか。」

「ええ、別の出口から出ましょう。」


 震えた声のエヴァも、何も言わないピーノも不安でいっぱいになっている。私が、支えてあげなければ。



 薄暗い地下を蝋燭の頼りない灯りで進む。両手をピーノとエヴァと繋ぎ、少しでも明るくしようと歌声を響かせて。


「母よ、感謝します。私をこの世に生み出してくれて。

 父よ、感謝します。私の歩む道を指し示してくれて。

 神よ、感謝します。愛と赦しを私たちに与えてくれて。」


 家族の愛を謳う曲。一般的によく知られたもので、誰もが一度は聞いたことがあるだろう。


「マリア様はその歌が好きなの?」

「ええ、とても優しくて、残酷な歌ね。」


 家族のない子にとっては残酷だ。別の箇所では、家族は生まれた理由で、生きる意味で、失えば立っていられない、とまで言っているのだから。

 その家族から不要と捨てられ、存在を否定されたことすらある教会の孤児にとって、これは残酷ではないか。私たちが新たな家族だと思わせてあげられれば良いけれど。


「どうして、残酷なのに好きなの?」

「あなたたちと出会えたから。あなたたちを産んだ人がいなければ出会うことはできず、あなたたちがどこかからやって来なければ、やはり遠い所で互いに知ることなく過ごしたでしょう。」


 彼らとの出会いは私にとって救いだ。母のことは朧気で、父とも交流は少ない。そんな時、傍に在ってくれたのはこの子たちだ。

 私の答えにエヴァは難しそうな顔をしたが、ピーノには何か伝えられたのか、先ほど私が歌ったのと同じ旋律で歌い出す。


「マリア様、感謝します。私を神の家に連れ帰ってくれて。

 マリア様、感謝します。私の進む先を思い悩んでくれて。

 マリア様、感謝します。家と友を私たちに与えてくれて。」


 ピーノは私が初めて拾った子だ。碌な服を着ておらず、痩せ細ったこの子が、村の入り口に座り込んでいたのだ。

 捨てられた子の気持ちは分からない。ただ想像するだけだ。だから、詩を替えて歌ったピーノに返す言葉が見つけられず、ただ黙って繋いだ手に力を込めた。



 そうして代わる代わる歌いながら歩けば、二人とも泣き出すことなく、非常通路の先へと辿り着く。ソンブラよりも古びた扉だが、まさか同じように崩れることはないはずだ。


「少し待っていてください。」

「「はい。」」


 ただ歩くよりも疲れただろう。へばり込んだ二人を置いて、教会内の様子を伺う。

 人の声も衣擦れの音もない。隣村でも子どもの足では一人の時より遅くなる。相当な時間が経過していると考えられるため、教会を利用するような時間ではなくなっているのだろう。


「大丈夫、行きましょう。」


 眠ってしまったエヴァを背負い、礼拝堂を出るともう星々が瞬く時間で。隣を歩くピーノも非常に眠そうに目を擦っている。

 ピーノには頑張ってもらい、すぐ近くの司祭様の家の戸を叩く。ごそごそという音の次に、扉が開かれた。


「……はい、どちら様でしょうか。」


 記憶にあるよりもさらに年老いた男性が姿を現した。


「ソンブラのマリアです。お久しぶりです、ステファノ様。」

「大きく、なられましたね、マリア様。」


 目を瞠った彼は、隣の男の子と背の女の子を認め、招き入れてくださった。



 一つの寝台に二人を寝かせ、蝋燭の小さな灯りで事情を説明する。


「ソンブラでそのようなことが……」

「それに関連してなのですが、しばらくの間、あの子たちを預かっていただけませんか。」


 ソンブラの教会では今、あの二人のみを預かっている。彼らの安全さえ確保できれば、随分と動きやすくなる。


「マリア様もこちらに滞在いただければ、向こうに知らせをやりますが。」

「いいえ、ステファノ様。これは私のすべきことなのです。ソンブラの人々を救うことが、ソンブラ教会で仕える私の勤めです。」


 このオスクロ村は小さい。教会にも司祭が一人いるだけだ。つまり、知らせを出すということは村人の誰かに伝言を頼むということだ。彼が親切心で言ってくれているというのは分かるのだけれど。


「マリア様もまだ庇護されるべき子どもです。後は私たち大人に任せてくだされば良いのです。」

「ソンブラの礼拝堂も古びています。ですが、突然崩れてしまうほど脆くなっていたわけではありません。それはお話した通りです。」


 数年前、ソンブラ村には移住者がやって来た。あの村には似つかわしくない品の良い身なりの男性トマスさんだ。村の中ではかなり良いほうのお家に住んでいて、使用人や私兵を抱えている。


「ですが、貴女が戻る必要はありません。安全なここで私と一緒に待っていましょう。」

「いいえ、私も聖職者です。ですから、原因を調べるのです。私なら探りを入れられます。」


 彼らは使用人に至るまで、上質な物を身に着けている。

 ソンブラは小さな村だ。互いに支え合い、日々を生きている。盗賊なども村人たちが協力して何とか退けている程度の村。そんな村に力ある呪術師がいるとされ、何度か狙われたこともある。いずれもその呪術師を特定できず、村人にも大きな被害はなく失敗に終わっている。けれど、トマスさんの私兵を用いて襲われればなす術はないだろう。

 証拠も何もないけれど、誰もがあの男を怪しんでいる。


「危険です。それならなおさら、マリア様を帰すわけには、」

「いいえ。これは私にしかできないことで、あまり広めたい話でもないのです。」


 しばしの沈黙。見つけ続ければ、ステファノ様は諦めたように口を開いた。


「分かりました。娘も友だちが増えたと喜んでくれるでしょう。どうか、お気をつけて。」


 

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