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シキ  作者: 現野翔子
若草の章
186/192

初めての出張演奏

 年も明けると、初めて他の貴族の屋敷に演奏のため招かれた。おめかしをして、馬車に乗り込む前にアリシアと友兄に挨拶だ。


「行ってくるね。」

「ええ、気を付けて。対応に困ったことがあったら秋人に聞きなさい。愛良から振れば口も挟みやすいわ。」

「うん、分かった。」


 心配したアリシアから他にも注意事項が続く。出発時間が遅くなってしまいそうだ。約束の時間を大きく過ぎることはないけど、秋人はもう準備をしてくれているから待たせてしまうかもしれない。


「決して一人で行動しないこと。言葉遣いや対応に気を付けるのは大丈夫よね。それから、」

「その辺で良いでしょう、アリシア様。愛良、今日の相手ならそんなに心配することはないよ。練習だと思って行っておいで。俺もその人にはたくさんお世話になったから。」

「うん、行ってきます。」


 友兄が話を切り上げてくれたおかげで、私は部屋を出られる。外で待ってくれている秋人と御者をこれ以上待たせないように、足早に向かった。

 もう既に準備は終わっていて、すぐにでも出発できる態勢が整っている。


「お待たせ。ごめんね。アリシアが色々気を付けたらいいことを教えてくれてたの。」

「そっか。じゃあ行くぞ。」


 馬車に乗せてもらい、御者に指示して出させた。歩いて行ける距離だけど、貴族の人はあまり自分で歩いて人の家に出かけないらしい。歩くのに適した服装でもないからかもしれない。今日の私の服装も、舞台で演奏する時や夜会の時の衣装ほどではないけど少し豪華で、靴の踵も上がっている物だ。


「今日、誰の屋敷に行くかは分かってるよな。」

「弘樹と桃子の家だよね。」


 十二月の文化交流公演で会った時に、そろそろ私も貴族のお家に呼ばれるかもね、という話をしてくれていた。そして今日、招いてくれたのだ。


「島口伯爵家、だな。まあ、今日会うのはその二人だけど。俺も愛良も知ってる人だけど、一応正式にお呼ばれしてるわけだから、態度には気を付けないとな。」

「大丈夫だよ。アリシアにも似たようなこと言われたもん。」


 着くまでの間、同じことを繰り返されるのかな。そう思って、もう聞いたと伝えたのに、秋人からの注意は続く。


「今日は大丈夫だと思うけど、他の人に招かれた場合は求婚されることもあり得る。そういう時は俺と婚約してる、それはアリシア様の意向でもある、って答えれば良い。この前、優弥さんも一緒に話しただろ?」

「うん。今日は大丈夫なら、気にしなくてもいいよね。」


 アリシアより具体的だ。だけど、今日注意することだけに絞ってほしい。音楽家として正式に招待された場合は何があるのか、どんな雰囲気なのか分かっていないから、色々言われても意識しきれない。


「練習だろ?他の貴族に招かれた時のために慣れておくように、だから他の貴族の時に気を付けるべきことは知っておかないと。」

「うーん、じゃあ、聞くね。」


 今日は気を付けないけど、他の日には気を付ける。それが難しいから今日も気を付けるようにする。友達に会いに行くのになんだか大変だ。


「迂闊に触れられないようにもすべきだな。挨拶で抱き締めることもあるけど、最初にこっちからお辞儀をすれば、同じように返してもらえるから。」

「握手はいいの?」

「まあ、仕方ないだろ。一回でも手の甲に本当に口付けてきた相手なら拒んで良い。」


 挨拶では口付けるふりをすることもあるらしい。だけど、本当に口付けるのは駄目。ふりのつもりで勢い余って当たってしまうこともある気がするけど、それは考えないみたい。


「あとは、」

「あっ、もう着くよ。」


 まだ少し距離があるけど、話を遮った。知っているように言われたことは多いけど、今日気を付けることは少ない。弘樹と桃子は私の友達でもあるから、そんなに身構えなくても楽しくお話しできるだろう。


「もう一つくらい注意する時間はあっただろ。」

「最初だから何があるのかな、楽しみだな、って気持ちで向かいたいの。」

「まあ、今日はそれで良いか。」


 馬車から下ろしてもらえば、二人が出迎えてくれた。夜会の時よりも日常着に近い服装で、私も意識して気を引き締めないと、うっかり学園にいた頃のように話してしまいそうだ。


「本日はお招きいただきありがとうございます。」

「来てくれて嬉しいよ、愛良。」

「今日もとっても可愛いわ。」


 挨拶も事前に聞いていた通り、私にしかされない。秋人が護衛の時は基本的にいないものとして扱われるそうだ。今日は知り合いだから少し話すことはあるかもしれないという話だけど、秋人から話しかけることはないという。私から話しかけたり話題に上げたりすることは問題ないそうだから、気にせずにいられる。

 屋敷の中に案内してくれている間、桃子が積極的に話しかけてくれた。


「愛良ももう立派な音楽家ね。あんなに素敵な曲を作れるなんて、驚いたわ。」

「気に入っていただけて嬉しいです。今日は、桃子様のためにも作って来ているのですよ。」


 歌うためではない曲だって作っている。もちろん自分が作った曲だけではなくて、昔の人が作った曲も覚えて、練習してきた。


「まあ、嬉しいわ。愛良のその繊細な指が、私たちのために奏でてくれるのね。そうだわ、アリシア様と友幸様、ご婚約されたと聞いたわ。おめでとう。」

「ありがとうございます。帰ったら二人にも伝えますね。」


 お兄ちゃんも一緒に婚約の話をしてからまだ半月も経っていない。それなのに桃子はもう知っていた。アリシアと友兄の婚約はもっと前にしていたのかな。


「まず色々お話して、ゆっくりしてもらおうと思ったのだけれど、私のための曲がとっても気になるの。来ていきなりだけれど、聴かせてくれるかしら。」

「もちろんです。今日はそのために来たのですから。」


 ピアノも当然あるけど、お茶できる机と椅子も用意されている部屋に入るなり、私はピアノの席につく。全部覚えているから楽譜なんて要らない。ただ音符を追うだけではなく、込めたい気持ちがたくさんあるから、見ている余裕もない。

 この屋敷の人がお茶を用意して退室すれば、茶器の音も扉の音もなくなった。それから私は桃子のための曲を弾き始める。

 学園にいた頃が一番よく会っていた。桃子が卒業してからも遊びに来ることはあった。だけどそれも徐々に減り、私が卒業してからは文化交流公演でくらいしか会えていない。それも他の人とのお話があるから桃子や弘樹とばかり話すこともできなくて、今日が久々に長い時間を取って話すことのできる機会になっている。

 花嫁の幽霊さんと勘違いしたこととか、様々なことを思い出していく。その時も私には桃子はお姉さんに見えていたけど、今はもっと大人に見える。私も成長しているはずだけど、同じだけ桃子も成長しているから、私にとってはお姉さんのまま。そんな思い出が桃子の曲だ。

 弾き終えると、二人とも笑顔で拍手をしてくれた。


「素敵だったわ、ありがとう。自分のためというのがまた嬉しいわね。気分が高揚してしまうわ。」

「こんなに近くで聴かせてもらえると、また違った素晴らしさを感じられたよ。ほら、こっちで一緒にお茶にしよう。」


 弘樹に招かれて、対面に座る。空だったカップの一つにお茶を入れてくれて、お菓子も勧めてくれた。だけど、この後歌うかもしれないから、お菓子は食べない。歯を磨きには行けないから。


「本当に素敵だったわ。ねえ、ああいうのってどう作っているのかしら。音楽家の方がどうしているのかなんて全く想像できなくて、興味があるの。」

「うーん、他の人については分からないので、私に関してだけになるのですが。」

「ええ、もちろん、愛良がどうしているかを教えて頂戴。」


 何か作りたいという気分の時に音が聞こえてくる。これは少し違う気がする。思い浮かぶけど、実際に聞こえるわけではないから。ピアノの前に座ると手が動く。これが感覚としては近いかもしれない。勝手に動くわけではないけど、弾いてみて、これだ、と思ったものを書き留めている形が多い気がする。

 皇国に来るまでは自分で曲を作るなんて考えたことがなくて、来てからも新しい曲を知るだけで楽しかった。聞いたことのない曲や伴奏、旋律が思い浮かぶなんて想像しなかった。だけど今は自分が作って、不思議だと思われる立場になっている。


「作りたいなって思った時に、色々弾いてみるんです。弾いて、聴いてみて、繋ぎ合わせていく感じが多いです。それらが連なって一つの曲になる、感じだと思います。」

「そうなのね。」


 桃子が主に話してくれて、弘樹とも話をしていく。合間に曲を弾いて、また会話をして。そんな風に時間が過ぎて行った。




 陽が傾き始めた頃、弘樹が初めての提案をしてくれた。


「愛良、今夜は泊まっていくと良い。」

「良いのですか?あ、でも、アリシア様に何も言っていないのです。」

「こちらから連絡を入れれば問題ないから、心配する必要はないよ。」


 まだまだ話したいことはたくさんある。桃子とも弘樹とも話し足りていない。


「ならお言葉に甘えて良いですか?」


 もっと話したい。そう思って出した結論なのに、弘樹も桃子も苦笑を浮かべた。さっきまでは楽しそうに話してくれていたから、二人とも喜んでくれると思ったのに、そうはならなかった。


「良くないな。」

「どうしてですか?」


 自分から誘ったのに、なぜ肯定的な返事が駄目なのだろう。


「こういう誘いは断るべきなんだ。でないと怖い思いをすることになるかもしれない。」


 断らないといけない誘い。これはアリシアも秋人も教えてくれなかったことだ。あんなにたくさん細かいことを言っていたのに、大事なことを忘れていたみたい。私は忘れないから、弘樹の助言もこれからは生かせる。


「はい、分かりました。泊まる提案は、断る。」

「そうだ。で、秋人は相手を睨まないこと。かなり無礼だからな、それ。愛良が頷きそうになったら、先約があるでもアリシア様から帰宅を命じられているでも良いから、相手にも聞こえるように愛良に教えるんだ。睨まずにな。」


 振り返ると、本当に秋人は弘樹を睨んでいた。それでも何も言わなかったのは、今日は護衛だから振られるまでは黙っていることになっていたからかな。


「助言、感謝します。……結婚してんのに誘ってんじゃねえよ。愛良も俺と婚約してんだよ。」

「役者で遊ぶ貴族がいることはお前も知ってるだろ?音楽家も同じように扱われることはある。それと、お前も言葉遣いには気を付けろ。」


 アリシアに知られたら秋人は怒られてしまう。友兄に話したらアリシアにも伝わってしまうから、帰ってもこの部分は省いて伝えよう。


「今日は初めてだから分からないことも多かったでしょうね。こうやって少しずつ学んでいけば良いわ。愛良、また呼んだら来てくれるかしら。」

「はい、また来たいです。」


 こうして、私の初めての出張演奏は無事に幕を閉じた。


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