誕生日の続き
アリシアの部屋でも友兄の部屋でもないけどノックをしてから、声をかける。
「今開けるわ。」
ここでずっと話していたのかな。それなら、時間はたくさんあったから、とても仲良くなれたのだろう。
だけど、扉を開いて見えたアリシアの顔は困り果てていた。椅子に足を組んで座る友兄は不機嫌そう。喧嘩したのかな。
「どうしたの?」
「ええ、少し、私には解決できなくて。」
友兄はこちらを見ない。どこを見ているのだろう。視線の先には、今は誰も弾いていないピアノしかなく、自分が弾こうとしているわけでもない。
その視界を遮るように立つと、ちらりと私を見るけど、やはり逸らされる。
「何があったの?」
「さあ、何だろうな。」
アリシアを睨んで、また目を逸らす。説明してもらおうとアリシアを見ても、困った顔のままだ。
「私にも分からないの。さっきから何に怒っているのか教えてくれなくて。」
「別に怒っているわけではありませんけど。冷酷なアリシア様には分からないんじゃないですか?」
明らかに怒っている人の声だ。その上、冷酷な、なんて怒っていなければ言わないだろう。どうして大好きと歌った後にこんなことになっているのか、私には不思議でならない。
どうしようと顔を見合わせる私とアリシアを置いて、秋人が友兄の横に屈む。
「なあ、アリシアさんに何されたんだ?」
「お前もアリシア様の側だろ。」
「付き合いで言ったら友幸さんとのほうが長いんだから、そうとは限らないだろ。」
それを言うなら私も友兄とのほうが先に会っている。何せ、学園に入る前だ。アリシアとは偶然学内で出会って、それ以来気にかけてくれている。だけど、友達同士の喧嘩なら、どちらの味方というわけではなくなるだろう。どちらが悪いという問題でもない。仲直りしようという気持ちと、次に同じことで喧嘩しないようにお話をするだけだ。
今、アリシアは仲直りしたいと思っていて、友兄を怒らせた原因を知ろうとしている。友兄は怒ってはいないと言って、アリシアには分からないとも言うのに、理由を教えようとはしていない。言いたくない内容なのかな。だけど、それならそうと言わなければ、アリシアには分からないままだ。聞き続けても良いのか、そっとしておいたほうが良いのかさえ分からない。
長い逡巡の末、ようやく友兄が口を開いた。
「俺と結婚するのはそんなに嫌かよ。そりゃ色々言ったけど、埋め合わせはしたし、だいたいアリシア様だって結構酷いことしてるし。最近はちゃんと仲良くなれてるって気がしてたのに。」
結婚したいとアリシアは言っていたのだから、嫌なんてことはない。二人でいる間に何を話してそうなったのだろう。何か誤解が起きているから、アリシアがきちんと弁解してあげてほしい。だけどアリシアは黙ったままだ。
「友幸さんは、なんで嫌がられてるって思ったんだ?」
「俺との結婚は、俺に対する罪の償いで、姉との約束のためでしかない。でもそのアリシア様の言う俺は、俺じゃない。それはもう死んだ人間なんだよ。」
辛そうに吐き出される言葉が何を指し示しているのかよく分からなくて、アリシアを見上げる。だけど、私と同じように分かっていなさそうな表情をしていた。
「ここは特に防音のしっかりした部屋だ。君がもう死んだ人間とはどういう意味か教えてくれるか。」
「だから!俺は杉浦友幸であって、ラファエル・バルデスじゃないんです。一度バルデスに現れたのだって幽霊。あれは俺じゃない。」
珍しくアリシアに対して雑な言葉遣いをする友兄だけど、誰もそれに言及しない。アリシアも話し方よりその内容を確かめることに思考を割いている。
友兄がバルデス王子をする時はラファエルで、私のお兄様になる。だけど、私もその時はモニカと名乗って、バルデス王女をしていた。ここではそうではないから、それに関係する理由は嫌なのかな。だけど、呼び名が違うだけで、違う人になっているわけではないから、死んだという表現は不思議だ。
「仮に、アリシアさんが友幸さんと結婚したいとだけ言ったとするなら、友幸さんは頷いたのか?」
「そんな仮定に意味はないだろ。」
「ならば言おう。友幸、私と結婚してくれ。」
「妥協されたみたいですね。」
つれない返事だ。二人ともお互いのことが好きなのに、どうしてこうなのだろう。私にはまだ何も分からないけど、秋人には何か分かったのか、今度はアリシアに向かって問いかけていく。
「アリシアさんは友幸さんのお姉さんと約束したから結婚しようって言ってるのか?」
「理由の一つではある。」
友兄が秋人を睨んで、その肩を握った。服に指が食い込んでいて、少し痛そうだ。
「ごめん、違う、聞き方を間違えた。」
「違わないだろ。結局はそうなんだよ、アリシア様にとっては。」
手を離して、またそっぽを向いてしまう。自分と結婚しようとしている理由がアルセリアとの約束だから嫌なのかな。それだけではないと言っているのだから、友兄のことが好きという気持ちもきちんと持っている。好きではないのに結婚しようと言うはずもないから、やっぱり考えても友兄が不機嫌な理由はよく分からない。
「えー、じゃあ、アリシアさん。ほら、何か友幸さんに言うことあるだろ。」
「私はアルセリアから三つのことを頼まれた。両国の未来と、妹と弟のことだ。」
「いや、そうじゃなくて。あー、もう。愛良は俺のことどう思ってる?」
会話から置いていかれているような気はするけど、秋人のこの質問は簡単だ。私の気持ちはよく分かっている。
「大好き!ずっと一緒にいたいって思ってるよ。」
「ありがとう。俺も愛良とずっと一緒が良いよ。」
にっこりと笑ってくれた、私の心はほかほかする。こんなことをしている状況ではないと分かっていても、嬉しい気持ちは隠せない。だけど口付けには続かず、秋人の視線はアリシアに戻ってしまう。
「アリシアさんは?」
「私も愛良を守りたいと」
「そっちじゃねえよ。友幸さんを、どう思ってんの?って。」
「守りたいと思っているよ。今は支えられてもいるな。」
硬い、と秋人が呟く。それには私も同意だ。素直に言えば私と同じはずなのに、アリシアはよくそういう言い回しをする。
「アリシアは友兄のこと好き?」
「ああ、そういうことか。もちろん好きだ。友幸、愛しているよ。」
驚いてアリシアを見た友兄の顔は少し赤い気がする。
「ど、どうせ口先だけでしょう。」
ふいと少しアリシアから視線を逸らすけど、ちらちらと見ていることはアリシアも気付いているだろう。
「どうすれば信じてもらえるだろう。君は金品で愛情を感じる人間ではないだろう?」
アリシアが近づいてくる。それに秋人も気付いて、私と一緒に場所を空けた。だけどまだ近くに立って、様子見を続ける。
友兄の頬をアリシアが指でなぞれば、今度は友兄が困ったような顔を私に向けた。
「アリシアは本当に友兄のこと、大好きだと思うよ。」
「い、いや、そうじゃなくて。愛良は、よく秋人にこういうことされてるのか?」
たまにくすぐられるくらいだ。それより抱き締めたり、口付けたりが多い。だけど、友兄が聞きたいのはそういうことではなくて、きっとどう対応するかということだろう。
「自分がしたいと思ったことをすればいいんだよ。目瞑ったらキスしてくれるよ。」
むしろ友兄は目を大きく開いて、アリシアを凝視している。
「俺は、別に、こういうのを求めていたわけではなくて、ですね。俺への罪とか、姉との約束ってどういうことかとか、伴侶を何だと思ってるんだとか、そういうのを、聞きたくて。あの、ちょっと、触らないでください。」
しどろもどろで、目線もアリシアから外れていく。だけどもう怒った雰囲気は完全に消えていて、一安心だ。それを感じ取ったアリシアも友兄の言葉に従い、落ち着いて話を始めた。
「君に対する罪も、友との約束も、伝えたことがあるだろう。君は突っぱねてくれたがな。伴侶に対しては、そうだな。難しい質問だ。」
そうかな。結婚して、ずっと一緒にいる人だ。夫婦の片方で、自分の相手の人のこと。それを聞いているわけではないのは分かっても、やはり難しい質問とは思えない。伴侶になってほしい人という意味で考えても、特別に大好きな人になる。
分からないけど、私が口を挟んではいけない。だから、秋人と二人で静かに見守った。ここで出て行っても解決しないことはさっき証明されてしまったから。アリシアと友兄は二人だけで話すことが難しいみたい。
「この先の人生を共にしたい相手、だな。君が拒むなら、責務は背負わせない。私と同じ重荷を背負えとは言わない。だが、隣に在ってはくれないだろうか。」
つまり一緒にいてほしいということだ。嫌なことはさせないから、ただ一緒にいてほしいと乞うている。
「サントス王女は何人でも伴侶を持てるでしょう。重荷は別の誰かに共有してもらえれば良い。俺はそんなアリシア様の伴侶の一人に過ぎないわけですね。」
くすりとアリシアが笑った。それを友兄が見咎める。
「すまない。ならばこうしよう。私はただ一人、君だけを伴侶とすると誓う。責務は私だけでもこれまで担ってきた。君にこれ以上の負担を強いたくない。」
友兄が手の甲で口元を隠した。だけど漏れ見える口角は少し上がっているように、私には見える。
「だったら、さっきの罪とか約束とかは何だったんですか。」
「そう言えば君を裏切ることはないと信じてもらえると思ったんだ。私の想いを伝えても、それは私の我が儘だ。私は罪を抱えたまま、そう願ってはいけないと」
「贖罪だって我が儘でしょう。俺は貴女の贖罪の対象でしかありませんか。俺を伴侶に望むのは、ただアルセリアの弟という理由だけですか。」
口元を隠していた手を下ろし、組んでいた足もいつの間にか直されていた。真剣な表情の友兄に、アリシアも手を取って真摯に答えている。
「いいや、そんなことはない。私は杉浦友幸という人間を、愛しているよ。」
そう言ってアリシアが友兄に腕を伸ばし、私の目は秋人に塞がれた。耳元でこっそりと伝えられる。
「部屋を出よう。たぶんもう大丈夫だ。」
そのまま歩かされて、手を外された時には部屋の外に出されていた。