アリシアの誕生日
歌の練習もして、朝の用意も整ったら、秋人も一緒に音楽室で待ち構える。ここには友兄が連れて来てくれる手筈になっているから、入ってきたらすぐに弾き出すのだ。そのために前奏を長めに作っている。
アリシアに座ってもらって、友兄の準備が整えば、歌が始まる。私もアリシアへの想いをたくさん込めて、きっと友兄も心を込めて歌っている。聴いてくれているアリシアはとても嬉しそうににこにことしていて、少しずつ作っていてよかったと思える表情だ。
曲が終われば、拍手をして、友兄も私も順番に抱きしめてくれた。
「ありがとう、二人とも。この曲は愛良が作ってくれたのよね。」
「うん。だけどね、同じ気持ちは友兄も込めて歌ってたと思うよ。ねえ?」
友兄は返事もせず、アリシアから目を逸らすけど、きっとアリシアには伝わっていた。だからもう一度友兄を抱き締め、その手を取って目の前に跪いた。
「私は私の生涯を以て、君に対する罪を償おう。決して、友との約束を違えない。」
とても真剣な声色で、私はどうしようと動けずにいた。すると、そっと秋人に手を引かれて、部屋を出される。小声でその名を呼べば、唇に人差し指を当てて、無言で静かにするよう指示された。
扉の向こうからは少し不機嫌そうな友兄の声がする。
「別に。俺はそんなこと求めてませんけど。」
アリシアも何か言ったのだろう。だけどその内容を聞かないまま、そこから離される。廊下を進みつつ、アリシアへのお祝いの続きをしないのか問いかけた。
「今は二人にしたほうが良いだろ、たぶん。しばらくしたら戻れば良い。」
「二人でお話しするかな?」
「大事な話をするんだよ。だから俺たちは聞かないほうが良い。」
予定は少し後回しになってしまうけど、二人が大事な話をするなら構わない。今日はアリシアの誕生日なのだから、アリシアのことが最優先だ。
そう言い聞かせようとしても、気になってしまうこともある。
「ねえ、アリシアの友兄に対する罪って何だろう?」
「色々あるんだよ。たぶん愛良にも似たようなこと思ってる。まあでもそっちは愛良が何にも言わないし、俺もいるからってので強くは言わないんじゃないか?」
アリシアはいつも助けて守ってくれている。悪いことをされていないのに、どんな罪があると思っているのだろう。
「色々、かあ。」
「そ、色々。俺にもよく分かんねえけど。当事者でどうにかしてもらうしかない問題だろ、これは。ほら、俺たちは落ち着くまで庭でも歩いて待ってよう。」
玄関を通ろうとした時、秋人は一度立ち止まった。
「時間あるし、今、十二月の贈り物の札書くか?」
「駄目。アリシアの誕生日なんだから。私からのお願い事はしないの。」
見慣れたお庭を歩きながら、今日の作戦の確認だ。予定とは変わってしまったから、それをこの後実行するかどうか決めてしまいたい。
「お話終わったら、二人ともお庭に来るかな?」
「まあ、来なくてもゆっくり話す時間は確保できたわけだから、問題ないよな。」
お庭に呼び出して、秋人にどこかへ連れて行ってもらう目的は、二人で話してもらうことだった。それならお庭に誘き出す必要はない。一緒にお散歩もしたいとは思うけど、アリシアがしたいと思うかが一番大事だ。
友兄もお話の中で贈り物を渡すことはできるだろう。私からの贈り物もできているから、後は秋人からだ。
「秋人はアリシアに何贈るの?」
「自分の成長、とか。愛良をちゃんと守るっていう約束とか。アリシアさんの命令ってだけじゃなくて愛良のことは守りたいと思ってるからさ。アリシアさんは友幸さんも愛良も守りたいわけだから、愛良は俺に任せられるってなったほうが安心だろ。」
私はアリシアに見せられるほど成長しているかな。まだまだできないことも、したことがないこともたくさんある。歌を作って贈るのは、成長を見せることにもなっているかもしれない。
「具体的には何をするの?」
「手合わせとか。アリシアさんが要らないって言うなら何もねえけど。」
お祝いの贈り物は気持ちを伝えるための道具だ。秋人からアリシアには手合わせや約束で伝わるというなら私の心配することではない。
言葉を交わさなくたって、一緒に歩いていれば心は温かくなる。だけど、風が吹くと体は寒さを感じた。少し歩きにくくなるけど、ぴたりと身を寄せれば、歩くことを止めてぎゅっと抱き締めてくれる。
「どうしたんだ?」
「ううん。寒いなあって思って。」
頭をくしゃくしゃと撫でた後、アリシアが友兄にしたように、私に向かって跪いてくれる。指先に口付けて、真剣な表情に変わった。
「なあ、愛良。生涯を以て罪を償う、ってどんな意味だと思う?」
謝り続けることかな。だけど、お誕生日おめでとうに対する返事がごめんなさいは答えになっていない。大好きに対する返事なら、自分は好きではないと答えるみたいになってしまう。
「分かんない。ねえ、何?」
「一生一緒にいたいって意味なんだよ。さっきアリシアさんは友幸さんに結婚してほしいって言ったってことだな。」
罪を償うが結婚になるなんて、私の頭からは絶対に出て来ない発想だ。不思議で、少し難しい気もして、指先だけ繋がれた手に反対の手を乗せた。
「だから俺も言いたくなったんだよ。」
ちらりと自分の腰元に目を向けた。今は帯剣していないけど、出かける時は必ずそこに剣が下がっている。そして真っ直ぐに私を見上げた。
「俺は俺の剣を愛良に捧げる。」
この言い回しは私も知っている。だけどこれは、騎士が主人に忠誠を誓う時に立てるものだ。秋人はアリシアに既に言っているはずで、私は主人ではない。だから、アリシアが友兄に言ったものと意味が違う。
「今は剣もないからちょっと締まらねえけど。」
「アリシアにも言ってるでしょ、これは。」
苦笑を向けてくれるけど、私は手も離して庭の散歩を続ける。アリシアは友兄のためだけの言葉を作ったのに、秋人はアリシアにも向けたことのある言葉を私に選んだ。
また手を繋ごうとしても、私はそれに応えてあげない。
「言ってねえよ。これも生涯に一人だけにしかしない誓いで、主人に必ずするわけじゃない。俺も当然、アリシアさんに向けては言ってない。」
「でも、前にそう聞いたことあるよ。」
「絵本とか言い伝えの類じゃねえの?忠誠心に厚い人なら今も主人に誓ってるかもだけど。」
それなら、私のためだけの言葉になる。意味を考えれば、嬉しいことかもしれない。剣を捧げる。剣がないから締まらないけど、と言いながらでも言えたなら、本当に剣を贈るという意味ではなさそうだ。忠誠を誓うという意味に注目するなら、私のために言うことが不思議になる。
分からないなと思いつつ、私のためということだけは分かったから、手は繋いであげた。
「ねえ、剣を捧げるってどういうこと?」
「伝わってねえんだ、これ……」
あからさまに落胆した呟きが零れている。伝わるように説明し直してくれればきちんと分かってあげられるから、私は黙って待った。
「うん、要は、一生一緒にいたいって意味だな。俺が、他の誰でもない俺が、愛良を守るっていうことなんだよ。」
「私も一緒にいたいよ。守ってくれるって言ってもらえるのも嬉しい。でも、危ないことは減らしてね。」
こう言ってくれれば私でも分かりやすい。騎士だから危ないことをしないでと言ってもそれはできない。だからせめてと減らしてと言った。
「分かったよ。心配かけたくないしな。」
「心配はかけてもいいの。隠すほうが駄目だよ。」
「隠し事はしない、嘘も吐かない、ってことだろ。分かってるよ。」
約束をして安心すれば、先ほどの言葉の意味を反芻する。心がぽかぽかと熱くなって、大好きの気持ちでいっぱいになった。だから、繋いでいた手を離して、ぎゅうと抱き着く。
「ずーっと一緒なんだね。」
「そういうこと。優弥さんにもちゃんと言わないとな。」
嬉しい報告をお兄ちゃんにもできる。すぐにでも言いたくなるけど、お兄ちゃんの予定も分からず、一人でも出かけられない。
「いつ言えるかな。」
「今度、街行くついでに寄ってみるか。」
「久しぶりにお兄ちゃんの作ったご飯も食べたいな。」
なかなかお手伝いもさせてもらえなかったけど、一緒に食べるのはおいしかった。サントス邸に来てからは会う時も自分から向かうことが少なかったから、お家で食べるのとは少し違う雰囲気だった。
「予定さえ合えば、一晩くらい泊まることもできるんじゃないか?」
「秋人はどうするの?」
お兄ちゃんと私が住んでいた家は小さい。二人で住むには十分だけど、他の誰かを泊めるような広さも寝台もない。
「次の日の朝に迎えに行くよ。優弥さんがついてるなら、俺が離れても問題ないから。」
「お兄ちゃんに連絡入れて、予定合わせよ!」
「ついでじゃなくなったんだな。」
話したいことがたくさんある。街を歩いていても、お兄ちゃんに会うのが楽しみできっと集中できない。アリシアに新しい仕事をお願いされた話もしたい。今日の話も、文化交流公演の話も、他にも色々したい話はいっぱいだ。
今からもう楽しみになって、体全体が弾んでいく。お庭を見ようと思っていたのに、あまり見ることなく、足は進み、腕は揺れる。
「ほら、そろそろ戻るぞ。あっちの話も終わってるかもしんねえから。」
「うん!アリシアと友兄ももっと仲良しになってたらいいね。」
この短い時間でも、私と秋人は気持ちを確かめ合えた。あまりアリシアには好きと言わない友兄にも伝える時間はあったはずだ。一緒にいたいと不思議な言い回しでも伝えたアリシアからもっと分かりやすく伝え直しているかもしれない。
最近は二人での口論も減っている。仕事で一緒にいることも増えている。今は仕事ではない時間だから、ゆっくりお互いの気持ちを話せただろう。
「さすがにあんな風に話し始めてるんだから、色々話せてるだろ。」
「友兄とは練習中にアリシアのことどう思う?って話もいっぱいしたから、気持ちもまとまってると思うんだ。」
もやもやしたまま分からない気持ちがあっても、話せば分かるようになったりする。一度私と話して整理できているから、アリシアには分かりやすいように話せているだろう。
そんな期待をして、二人を残してきた音楽室へと戻った。