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シキ  作者: 現野翔子
若草の章
180/192

お歌の練習

 朝ご飯を済ませれば早速昨日の続きだ。友兄と一緒にアリシアへの歌の練習を再開しよう。歌でなくても大好きとありがとうは伝えるけど、歌でも伝えたい。これは私だけが伝えるより、私よりもアリシアと一緒にいる時間の長い友兄が言ってあげたほうが喜ぶだろう。私はそう思って、友兄に提案した。

 だけど友兄の反応はいまいちよくない。


「いや、普段から俺とアリシア様はお互いにそんなこと言うような関係じゃないから……」

「普段言わないからこそ、こういう機会に言うんでしょ?」


 言葉では伝えにくい人も、伝わりづらいことも、歌でなら伝えられる。私も、私と出会ってくれてありがとう、とか、生まれて来てくれてありがとう、なんて言わない。歌という形にするからこそ、口に出せる言葉たちだ。

 だけど、そういった想いを自分が抱いていると自分で認めてあげられないと、歌という形でも伝えられない。自分の想いはまず自分が認めてあげよう。


「友兄はアリシアのことどう思ってるの?私は大好きだよ。いっぱい褒めてくれるし、悩んだ時に話聞いてくれるし、卒業後の進路だってアリシアが解決してくれた。いつも助けてくれて、守ってくれてありがとうって思ってる。」


 アリシア自身は忙しいから直接守ることは難しいと言うけど、たくさん守ってくれている。出かける時は一人にならないようにと注意して、閉じ込めたいわけではないのと言って、調整するわと返事をしてくれる。そして、秋人とゆっくりお出かけする時間をくれるのだ。

 きっと友兄にだって同じようにしている。それを友兄も感じて、大好きになったから一緒にいて、力になろうとしている。


「まあ、ありがたい、とは思ってるけど。」


 楽譜を眺めながら、不本意そうに答えてくれる。助けられていることや大切に思ってくれていることは分かっているようだ。


「アリシアとこれからもたくさん一緒にいたいって思う?」


 これはアリシアに対する想いだけではないかもしれない。一緒にいたいと思う誰かは何人いたっていい。私も秋人だけではなくて、お兄ちゃんやアリシア、友兄、ラウラなど何人も思いつく。その上、アリシアとたくさん一緒にいるということは、同じ家にいる私や秋人とも一緒にいることになる。

 だけどこれには答えず、友兄は楽譜を椅子に置いた。


「愛良、お茶にしようか。」

「まだ早いよ!全然練習できてないし。」


 歌に込める想いの再確認。それも大事だから、歌詞も書かれた楽譜を友兄の手に押し付ける。渋々受け取ってくれるけど、楽譜を眺めて長々と溜め息を吐かれてしまった。


「嫌?アリシアに大好き、ありがとう、一緒にいよ、って歌うの。」

「そういうわけじゃないんだけど。愛良みたいに全力で大好きとか言うような歳でもないし。」

「年齢なんて関係ないでしょ。きちんと気持ちは伝えようよ。」


 嫌ではないのに抵抗している。色々言い訳を用意して、なぜか避けようとしている。どうしてそんなに歌うことを拒むのかな。


「愛良は秋人に普段から大好きって言うのか?」

「気が付いた時に言うよ。誕生日にはきちんと伝えたもん。」


 毎日言うようなことはしないけど、何かの機会があれば自分の気持ちは伝えるようにしている。とても喜んで、私に大好きと返してくれるから、はっきり言葉や態度で伝えると嬉しいことがあると感じられた。

 友兄はじっと穴が空くほど楽譜を眺めて、自分を納得させるように呟いた。


「まあ、歌、だしな。うん。」

「歌える?」

「一応確認なんだけど、これは愛良がアリシア様に対して思ってることを書いてるんだよな。」


 気持ちを全部詰め込むようにした。収まりきっていない思いもあるかもしれないけど、これが今の私の全力だ。強くて頼りになるアリシアに、大好きだよ、いつもありがとうの気持ちを伝えるための歌だ。助けてくれて、生まれてきてくれて、私と出会ってくれてありがとう、となかなか言えない気持ちを込めた。もちろん、一緒にいると安心するという気持ちも、これからも一緒にいてねという気持ちも入っている。

 作る時は私の思いをと意識した。だけど、その中には友兄のアリシアへの想いと一致する部分だってたくさんあるだろう。


「うん。少しでも伝わったらいいなと思って。」

「そっか。分かった。よし、練習しよう。」


 やる気になってくれた。それは嬉しいけど、私の思いを代弁する形に捉えられてはいないかな。そうではなくて、友兄の想いをこの歌に乗せて、アリシアに伝えてほしい。私も一緒に歌うのだから、私の思いは私が伝えられる。


「友兄には、この気持ちは一緒だなって部分ないの?大好きなアリシアが生まれた日は特別、みたいなの。」

「なくはない、けど。アリシア様の前で歌うんだろ?それはちょっと、ほら、愛良なら愛良らしいってなるけど、俺がやっても急にどうしたって感じになっちゃうからさ。」


 珍しいから気になるだけ。誕生日だからとか、伝えたいと思ったからとかで理由になる。その理由も伝えれば喜んでもらえるものだ。やらない理由にはならない。


「なってもいいよ。普段言わないからさらに喜んでもらえるかもね。」

「いや、うん、まあ、それはそうかもしれないけど。いや、やっぱり喜んでもらえるかどうかは分からないだろ。」

「きっと喜んでくれるよ。だって、アリシアも友兄のこと大好きだから。」

「そう、だな。分かった、ちゃんと歌うから。ほら、練習しような。」


 私が練習しようとしていなかったみたいな言い方は気に入らないけど、友兄自身の想いをアリシアに伝える気になってくれたならそれでいい。

 前奏に続けて、声を合わせる。するとさっきまでの抵抗が嘘のように、友兄はしっかり歌ってくれる。私にとっては聞き慣れた、話し声とは少し違う声だ。もう童謡を教えてもらったり、子守唄を歌ってもらったりすることもないけど、安心する歌声。それと同時に、学園の友達の〔萌葱の君〕に対する評価も思い出す。歌っている時が特に愛らしくて素敵だと。

 だけど、自分の気持ちを、自分の言葉で伝えること以上に真っ直ぐ伝えられるものはないと私は思う。歌う時はその歌詞や旋律に相応しい感情の揺れを意図して表現するけど、自分の言葉で伝える時はふいに揺れてしまうものだ。相手に対して何の打算も含まない愛が伝われば、それこそ素敵だと思うから。


「やっぱり友兄の歌声って素敵だね。」

「ありがとう。愛良も可愛かったよ。」

「うん。でもね、友兄はちゃんとアリシアのこと考えて歌ってたの?」


 誰かに向けて歌われたものでも、そんな想いがあるのかと聴いている人の心は温かくなるかもしれない。だけど、アリシアが聴いて、自分に向けて歌われているのだと感動するようなものになっていたのかな。これは誰かに向けて、大勢の聴衆に向けて歌うものではない。たった一人、アリシアにだけ伝えるための歌だ。他の人がどう感じるかなんて関係ない。ただアリシアだけが私たちの愛を感じ取ってくれればそれで充分なのだ。


「まあ、これを、アリシア様のことを想って歌うのは、なあ。」

「難しい?アリシアの好きな所いっぱいあげてみようよ。」


 私は作る時にたくさん考えた。今まで意識しなかったことも、どんな所が好きかなと考えれば、どんどんと出てきて書ききれなくなってしまったほどだ。友兄もきっとこうやって考えてみればアリシアの好きな所がたくさん思いつくだろう。これはきっと、好きな部分を探すのではなく、思い出す行為だから。

 準備の時にこうして好きな人のことを考えることも、心が浮つく時間だ。その人の誕生日が自分も待ち遠しくなる。そしてその日がもっと楽しくなる。用意したことも、その間あなたのことを考えていたのだと伝えることも、喜んでもらえる。毎年来ているはずのその日のおかげで、その人とより近づけるのだ。


「好きな所というか。愛良、俺たちには隠さなきゃいけないことがたくさんあるだろ?」

「そんなにないよ。」

「アリシア様にも言われてるだろ。俺たちがここで平穏に暮らしたいなら、大陸でのことは黙っておけと。」


 バルデス関連の話だ。初めにいた時のことも、攫われた時のことも、その後共和国宣言をしに行った時のことも、内緒にしなくてはいけない。だけど、今ここで生活していて、その話をすることにもあまりならないから、隠し事をしている感覚は薄い。


「私はそんなに気にならないよ。」

「ああ、問題はそこじゃないんだ。隠さなきゃならないってことは、ばれるとまずいってことなんだよ。そしてそれは、アリシア様にとっても同じこと。それなのに、アリシア様は俺たちを守ろうとしてくれてるよな。」


 アリシアの好きな所を説明してくれていたのか。色々言っているけど、自分も危険なのに守ってくれて嬉しいという内容だ。


「うん!アリシアは自分が怪我しても友兄のこと守ろうとしたもんね。」

「怪我するとかしないとかだけじゃない。アリシア様が守ってくれるから、他の貴族から理不尽な目に遭わされないんだよ。そういうのは、ありがたいと思うよ。」


 照れたように笑ってくれるけど、それをアリシアにそのまま伝えてあげようとはしないのかな。絶対に喜んでくれるから言ってあげてほしい。


「それも誕生日の時に言う?」

「さあ。改めて言うのも気恥ずかしいだろ。」

「アリシアもきっとすっごく喜んでキスとかしてくれるよ。」


 秋人に改めて大好きと言った時はしてくれた。私が嬉しくなって抱き着きたくなることと同じような感覚で、秋人は口付けがしたくなったのだと教えてくれた。

 素敵なことを教えてもらったと思って、今友兄にも教えたのだけど、友兄は驚いて私を見るだけだ。


「どうしたの?」

「愛良はその経験……?」

「あるよ。」


 今更驚くことではない。友兄に見える所でも口付けも抱き着くのもしているのだから。それなのに口を手で覆って、まじか、と呟いている。


「もう、何?」

「それは、むしろ、言えないな。されたら、困るし。誕生日の時だろ。それ愛良もいる」

「後で言ってもいいでしょ?二人の時に。」


 また黙って何か考えている。解決の手助けになればと思って、私の知っていることを教えてあげよう。


「いきなりされたら驚くかもしれないけど、慣れたら大丈夫だよ。」

「よし、分かった。後で考えるから、今は練習しようか。」


 悩むことなく結論を出したと思ったら、ただの問題の先送りだ。だけど、後でアリシアと口付けの練習をするなら、先送りにしても解決する。だから今は私も従って、歌の練習を再開した。


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