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シキ  作者: 現野翔子
金の章
18/192

信仰は

 信仰は人の心にあるもの。

 その強さも正しさも、他の誰かに分かるものではなく、他の誰かに示すものでもない。






 だというのに。

 最近このソンブラに越して来た男は、それを理解していない。


「聖女様は熱心に祈られるのですね。信仰心がお厚いようだ。」

「私は聖女ではありません。」

「いやいや、貴女ほど聖女に相応しい方はおられませんよ。」


 品の良い服装に似つかわしくない、媚びるような態度に視線、そして言葉。その実、私に対する敬意は孤児院の子ほどもない。それにもかかわらず、暇さえあれば、教会に来て私に話しかけてくる。


「トマスさん、私などに構わず、どうぞご自分の礼拝にお戻りください。」


 けれど彼はそれに答えず、美辞麗句を並び立てる。


「こんなにお美しい聖女様があれほど強く祈っておられたのです。神もその願いを聞き届けてくださるでしょう。何を祈っていらしたのですか。」


 神は願いを叶えられる存在ではない。それを何度告げても、この男は理解してくれない。


「感謝を。生命の溢れるこの世界を生み出し、今もお見守りくださり、赦しを与えてくださることへの感謝を。」


 聖女として相応しい内容を祈るよう心掛けている。ただの聖職者でもそうあるべきだけれど。


「おお、さすがは聖女様。私のような男は、つい自分のことを祈ってしまうのですよ。例えば、そう、貴女の隣に相応しい男になれるように、とか。」

「お戯れを。私はまだ子どもです。」

「貴女は年上の男に興味はございませんか。」


 いつもこうだ。私への好意を隠さず、伴侶や恋人に求めるものまで聞いてくる。無断で触れるような真似はせず、他の人からそのようにされている場合に助けてくれることもあるが、あまり気持ちの良いものではない。

 たった13歳の子ども相手に、何を考えているのだろう。


「トマスさん、勤めがございますので、私はこれで。」

「ああ、お邪魔して申し訳ない。また明日、楽しみにしております。」




 聖職者としての勤めの中には、信者の悩みを聞くものがある。神が聞いているという体でやることもあれば、顔を合わせて聞くこともある。これはその信者の希望によって選ばれるものだ。


「こんにちは、マリア様。今日はマリア様が聞いてくださるのですか。」

「ええ。ルーチェさん、どのようなお話を聞かせてくださるのですか。」


 本来は懺悔のために使われる部屋に案内する。ここは他人に聞かせたくない話をする時ならいつでも使われている。現状、懺悔よりも他の目的に使われることが多くなっていて、親しんでもらえていることを嬉しく思う反面、これで良いのか悩ましくもある。

 ルーチェさんはその懺悔室をよく利用されている。懺悔はあまりされないけれど。


「先ほどお話されていたのはトマス様ですよね。」

「貴女がご覧になったものが全てです。」


 聖職者はその業務において知り得た情報を他人に漏らしたりしない。その信用で罪の告白をしてもらえるのだから。これが限界の答えだ。


「そうね、マリア様はいつもそう仰っているわ。」


 俯き呟くルーチェさん。ガバッと上げられた顔に、不安げな瞳が揺れている。


「マリア様はトマス様をどのように思っていらっしゃるのでしょう。」

「ルーチェさん、私が個人についてどうこう言うことはありません。ですが、貴女の望む意味に限ってなら、答えられます。」


 他人についてはあまり語れない。けれど、今までの言動を思い返し、何度も同じような問いを繰り返されたことを思い出せば、今またルーチェさんが何を気にしているのかは容易に想像がつく。


「私はトマスさんに恋愛感情を抱いておりません。」


 私と彼が話している時の鋭い視線、私と対峙した時に不安に揺れる目、彼と話す時に輝く瞳。影から彼を見つめる姿、染まった頬。どれを取っても恋する乙女のそれだ。


「では!マリア様は誰をお想いになっているのですか。」


 一転して上げられる口角。心配事が一つ消えたからだろうけれど、この女も私に何を期待しているのだろう。何度も確認するほど不安になっているのに、相手に想いを伝えることもせず。


「特定の殿方に想いを寄せてはおりません。」

「こういう人が良いな、とか、こんな人が素敵、とかはありませんか。」

「そうですね。自分の勤めを果たし、人々を救える人が良いです。」


 これは自分がなりたいものでもある。変わらない私の返答に、彼女も追及はしない。


「そっかー。じゃあ、今日はトマス様のお話をさせてください。」


 今日、の間違いだろう。そうして、いつものように今週あった彼女と先ほどの男の出来事を聞かされる。主に彼女が素敵だと感じた男の姿についてだ。

 聞き飽きた話だ。貴族様なのに自分の家の畑を手伝ってくれた、とか、一緒にお散歩をした、とか。転びそうになって支えてくれた手が力強かった、とか、微笑みが可愛らしい、とか。



「ありがとうございました、マリア様。」

「いいえ。ルーチェさんが満足されたのなら何よりです。」


 眠気を抑えつつの話が終わり、ようやく解放される。そんな様子を表に出すわけにはいかないけれど。彼女の相手は同じ年頃の女性が適任だ。


「マリア様に幸があらんことを。」

「貴女にも。上手くいくことを願っています。」


 そうすれば、私に付き纏うあの男もいなくなる。どちらにとっても幸せな結末だ。




 こうして、信者の話を聞くことも私の勤めの一つだ。

 けれど、私はまだ勉強する身でもある。教科書を読み、一般の知識と同時に、聖職者としての知識を蓄えていく。

 そうして、教えと、聖職者としての勤めを理解していくのだ。





 今の世界は〔名も無き神〕によって創られた。 


 果てのない空間に、ただ黄金の光と漆黒の闇だけが浮かんでいた。

 彼らは時に混ざり合い、時に分離し、その境目を曖昧にしていた。


 神によって、大地が生み出され、海が満たされ、空が広げられた。

 生まれた大地は黒と茶色、それに白だけ。植物も何もなく、ただ乾いた土地が広がっていた。

 満たされた海は何も映しはしない。生物も何もなく、ただの大きな水溜まりに過ぎなかった。

 広げられた空は流動的で、虹が踊り狂うほど。法則性のない変化で、ただ色が乱れ散っていた。


 そうして、神は朝と夜をお創りになった。

 光は朝に、闇は夜に。それは絶えず繰り返され、ようやく今の時間が生み出された。


 最後に、生命が創られた。大地は緑にあふれ、海は生物で満たされ、空は天候を手に入れた。



 神はそんな自身の創られた世界を愛された。


 ありとあらゆる生命が共に一つの世界で生きている。そして、一つの世界で成長していく。

 その様を、この上なく愛された。


 たとえ、大地が揺れ、数多の命を奪ってしまっても。

 たとえ、海が逆らい、大地を覆い隠してしまっても。

 たとえ、空が暴れて、海も大地も壊してしまっても。


 ただひたすらに、見守られた。彼ら自身の力で乗り越えられると信じておられたから。


 そして大地も海も空も生命も、その期待に応え、朝と夜を繰り返し、再び動き出した。



 そんな生命に満ちた世界に、人間が生まれた。彼らは他のどの生物より弱く、儚く消えてしまいそうな存在だった。

 しかし、そんな心配を余所に、彼らもまた逞しく生きていた。


 弱い力を知恵で埋め、少ない数を協力で補った。

 そうして徐々に数を増やし、文明を築いていった。


 文字を生み出し、複雑な言葉を操る。今までの他のどの生命にも見られない特徴だった。


 そうして、それは愚かさをも生み出した。


 不必要なほど富を求め、他者から奪う。

 生きるのに必要な分を確保することさえ困難な者がいる一方、余るほど抱える者がいる。


 それでも神は見守られた。自身の生み出した世界で、みなが平穏に生きることを望みつつ、彼らもまた、自身の知恵で乗り越えられると信じて。



 人は法を作った。最初は小さな集落から、やがては大きな国家へと。

 それでも争いは終わらない。個人と個人の対立は、集落同士の戦闘へ、そして国家同士の戦争へ。


 それを繰り返し、人の世界は生きてきた。




 神は全てを愛し、見守られる。この世に生きる全ての子らを。


 ただ、神はお救いにならない。だから、その子である私たちが、救いを与え、希望を与えるのだ。

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