おかしな動き
昨日の夜、今日は早めに休むからと伝えて、秋人との会話をほどほどに切り上げた。そのせいで今朝は早く目が覚めてしまった。まだ外も暗いくらいの時間だ。秋人も寝ているかもしれない。そう思いつつ、簡単に身支度を済ませて、部屋を訪ねてみる。
コンコンコン、と何回も叩くけど、返事はない。そっと開けて入ってみても、そこには誰もいない。隠れているはずはないから、もう起きているか、出かけているのか、そのどちらかだ。
諦めて食堂に行けば、今日はまだ食事の準備中だった。
「愛良ちゃん、もう少し待ってね。しっかり食べられるように今用意してるから。」
「うん、ありがとう。お庭歩いてくるね。」
待っていてもすることはないから、しっかり着込んで少しお散歩だ。暗いお庭を歩いて、いつもとは違う雰囲気を味わう。サントス邸の中だから怖くはないけど、一人で暗い中を歩くことなんてないから、どきどきしてしまう。
潜んだ何かが現れるような、誰かが迎えに来てくれるような。そんな恐怖と期待がないまぜになった気分で、どことなく探索をしている気持ちにもなりつつ、見慣れているはずの庭を練り歩く。
自分以外の音が聞こえるはずのない時間。自分の足音や服の擦れる音すら気になってしまう。
「愛良、今日は早いのね。」
「きゃあ!」
思わず声を上げて振り向く。
「そんなに驚かないで頂戴。珍しいと思っただけよ。」
「あ、おはよう、アリシア。」
とても薄着だ。もう葉っぱも散っているような時期だというのに、上着も着ずに寒そうだ。
「今日はどうしたのかしら。」
「ちょっと早く目が覚めたの。アリシアは寒くないの?」
「動いていたから平気よ。それにもう戻るわ。愛良も冷え切ってしまう前に戻りなさい。」
陽が昇り始めている。いつもこんな時間から動き始めているのか。
「うん、そうするね。」
駆け足で戻るアリシアを見送り、私もゆっくりと食堂に戻る。アリシアとは別の食堂だから一緒に食べることはないけど、いつもなら秋人が一緒に食べてくれる。今日は難しそうかな。
そんなことを考えつつ玄関に入れば、風がない分、暖かく感じられた。気付かないうちに体が冷えてしまっていたのかもしれない。
「愛良?え、もう起きてんのか。」
「お帰り、秋人。どこ行ってたの?」
剣を腰に下げた秋人が驚いたように私を凝視している。一昨日の晩は少し様子がおかしくて、昨日の晩に試せばやはり安堵していた。そして今、少し慌てたように視線を逸らした。
「え?ああ、いや、ちょっと。」
「ちょっと?」
「あー、鍛錬だよ、鍛錬。外走って来ただけだから。ほら、愛良も朝ご飯これからだろ?着替えてくるから先行っててくれ。」
本当に走って来ただけなら一度誤魔化そうとした理由が分からない。剣を装備しているのも、私を遠ざけるように部屋に急いで戻るのも不思議。おかしいのは桐山商会の前で襲われてからだ。それと何か関係はあるだろうか。
考えながら食堂に向かうけど、答えは出ない。戻って来た秋人を見ても、手掛かりになりそうな物は持っていない。
「愛良?どうしたんだ。」
「ううん、何でもない。いただきます。」
昨日の夜、私が寝ると言ってから出かけて、今帰って来たところなら、秋人に休む時間はなかったはず。昼の間もずっと一緒にいるわけではないから分からないけど、夜の間ずっと何かをしていたなら疲れているはずだ。
顔色を見る限り疲れは見て取れない。目の下に隈もないし、いつも通りだ。だけど、聞いてみれば何か口を滑らしてくれるかもしれない。
「ねえ、何か疲れてる?」
「そんなわけないだろ。ちょっと走って来ただけなんだから。」
夜出かけるところを見たわけではない。今夜確かめてみようか。その前に友兄やアリシアに聞いてみようか。だけど二人とも忙しいから、こんなことに費やす時間はないかもしれない。
「ご馳走様でした。」
食器類を台所の人に返して、食堂の前で別れる。その時私は、今日も仕事頑張るね、と言ったのに、秋人は変な返事をした。
「ああ、お休み。」
「お休み?」
「あ、えっと。行ってらっしゃい。」
笑って誤魔化そうとしているけど、私はきちんと聞いた。夜に出かけていたことはこれで確実。だけど、何をしていたのか聞いても出かけたことすら隠そうとしたなら、答えてはもらえないだろう。
「うん、行ってくるね。」
だから今日はまずアリシアの所だ。気になることは先に片付けてしまおう。
扉を叩き、用件を告げると、アリシアの声が返ってくる。
「入って良いわ。」
「失礼します。」
座ったアリシアと机を挟んで友兄が立っていた。机の目の前の部分には書類が一枚だけ分けて置かれているから、何か話し合っていたのかもしれない。
「どうしたのかしら。」
「朝早くから珍しいな。アリシア様が鍛錬するような時間にもう起きてたんだって?」
「うん、目が覚めたから。それでね、ちょっと気になったことがあったから二人にも聞こうと思って。今、忙しい?」
「いいえ、大丈夫よ。話して頂戴。」
友兄は体をこちらに向けて、しっかり聞く姿勢を見せてくれる。アリシアも机に腕を置いて、話すよう促してくれた。
「うん、あのね、――」
一昨日の事件とそれ以降の違和感を伝える。秋人の様子がおかしかったり、いつもより落ち着きがなかったりしたことも、だ。
「――でね、夜に出かけてるみたいなんだけど、私には隠そうとするの。アリシアなら知ってるかなって。」
「そうねえ……」
悩むように机の上の手を組み直す。私を見てくれていた視線が下がり、机か床か分からない場所をじーっと見つめている。書類の端をぺらぺらと弄び出した。
友兄も書類の端を弄ぶアリシアを眺めて、黙っている。
「まず、知ってるか知ってないかだけ教えて。」
これなら悩むことなく教えてくれるはずだ。私には教えたくない内容でも、答えられるはずだから。
「知っているわ、もちろん。任務として向かわせたのは私だもの。」
秋人はアリシアの専属騎士だ。お兄ちゃんは皇国騎士だけど、騎士という点では同じ。つまり、危険なことが待っている職業。お兄ちゃんも夜から仕事の日はあって、怪我をして帰って来ることもあった。怪我をしてほしくない、危ない目には遭ってほしくないと思っても、そうはいかないものだ。
だからせめて、教えてほしい。きっと大丈夫だと信じているから、いつ出かけて、どんな危険があるのかだけでも知っていたい。
「どういう任務なの?」
「愛良。貴女のお兄さんは、自分の任務を全て貴女に教えたかしら。」
どの地域の見回りをする、どこの場所の警備をする、など教えてくれていた。何時頃に家を出て、何時頃に帰ってくるかもしっかり伝えてから出かけていた。会いには来ないように注意されたし、どの道順で見回りするかは言わなかったけど、出かけることすら隠そうとされたことは一度もない。
「きちんと教えてくれてたよ。見回りとか警備とか。」
「ええ、そうね。その程度なら教えられるかもしれないわ。けどね、皇国の雇っている騎士と、個人の専属騎士では担う任務が大きく異なるの。愛良が心配することではないわ。」
危ないことをさせないでと言いたいわけではない。任務の邪魔をするつもりでもない。ただ知りたいだけなのに、アリシアは教えてくれない。
「なら、なんで私に黙って出かけるの?任務で出かけるって言えば良いだけじゃないの?」
「愛良を不安にしたくなかったのよ、きっと。」
何も言わずに行ってしまうことのほうが不安になる。いつもなら出かける予定がある時は言ってくれるのに、どうして今回だけ隠そうとするのだろう。
「何それ。友兄もおかしいと思うよね。隠し事で安心なんてできないよ。」
「そうだね。アリシア様にも隠し事が多いから。秋人は隠し事が下手だからこうやって愛良も気付いたけどさ。」
隠し事は何があるか分からなくなるから不安になる。後で教えるとか、楽しみに待っていてとか、そんな風に言ってくれていればわくわくしながら内容を想像できるけど、そうでないなら危ないことの可能性もあると思いついてしまう。特に今回のような襲撃があった後ならなおさらだ。
「言えないこともあるのよ。知らないほうが良いことだってあるわ。」
「アリシアが隠すように秋人に言ったの?」
任務としてそれを命じられたなら従うしかないだろう。私はただ不安になりたくないから知りたいだけで、知っているだけで危ない目に遭うことかどうかも分かっていないのだから。
「ええ。だけどもう心配要らないわ。少し頼みたいことがあっただけだから。」
安心させようと笑ってくれるけど、私に与える情報が増えてはいない。
「愛良。アリシア様に聞いたって分からないこともあるんだから、それは本人に聞くと良いよ。アリシア様に聞いた、出かけるところを見たって言えば、秋人だって言い逃れはできないだろ?」
「出かけるところは見てないの。」
「じゃあ今夜見れば良い。」
今夜もまだ出かける予定らしい。それを友兄も知っているのに、私には秘密にしていた。そのことも不思議だけど、全部一緒に聞き出せば良い。まずは今夜の作戦からだ。
「分かった。早く休むって言ってこっそり覗けば良いかな。」
「愛良のこっそりならきっと気付くわね。まあ、頑張ってみなさい。」
「うん。時間くれてありがとう。」
仕事の時間なのにたくさん私のために時間を使ってくれた。そんな認識を忘れないようお礼の気持ちを伝えて、音楽室へ向かう。その間も今夜の作戦を考えた。
私が少し気をつけてこっそり覗くだけなら見つかってしまう。だけど、完全に眠ったと思って油断していればどうだろう。寝たふりも気付かれてしまうかな。今日は早くに起きたから、早い時間に寝たふりをしても信じてもらえる気もする。
今夜は昨日休むと言った時間くらいに寝たふりをしよう。それから見つからないように気を付けてどこへ行くか確かめる。
作戦が決まったところで、音楽室に着く。夜が来るまで、しっかり私の仕事をしよう。