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シキ  作者: 現野翔子
露草の章
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陰鬱な時

 陽が沈んでいく。襲撃はないまま、夜が訪れる。一週間、何事もなく過ぎてほしいという思いと、何があっても必ず守るという意思を抱えて、時を過ごした。それと同時に、昼間の出来事が思い返された。

 坊ちゃんと呼び慕う職人、マリアへの警戒心、そこに見えた信頼関係。それがあってなお、〔琥珀の君〕はマリアを求めた。他に何も持たない、本当に特別なのはマリア一人だという私から、少しだけマリアを遠ざけた。何より、それがマリアの心を支えたという事実が、やりきれない思いを私に抱えさせる。


「お待たせ。」

「早かったね。」


 昨夜より随分早く、秋人がやって来た。愛良ちゃんに勘付かせないという指示はどうなったのだろう。


「何かあったか。」

「特に何も。襲撃はなかったよ。」

「いや、そうじゃなくて。」


 暗さで表情はあまり分からないはずだ。今、私は沈んでいても、悟られることはない。それでも、すぐにマリアに会える顔をしていない気がして、意味のない会話で時間を稼いだ。


「こんな時間に出かけて、愛良ちゃん心配するんじゃないの?」

「今日は早く休むって言ってくれたから。もう寝てるよ。」


 早すぎやしないか。愛良ちゃんが普段どのくらいの時間に休んでいるか知らないが、私ならまだマリアとゆっくり話している時間だ。


「秋人は良いよね。毎日、大切な人と一緒にいられて。」

「そんな気の抜けた話してる場合じゃないだろ、今は。どうしたんだよ、急に。」


 私は、今はまだマリアと毎日会える。もちろん私はマリアを守れるなら、毎日一緒でなくても構わない。また会えると、姉妹であることに変わりはないと分かっているから。だけど、大切にしてくれる人がいるのに私からマリアを奪い、そしてそれがマリア自身にも望まれている事実が、私の感情のやり場まで奪っている。


「〔琥珀の君〕って商会の人たちから慕われてるんだね。」


 今日会った職人さんだけではない。昨日の従業員の人も同じように呼んでいた。〔琥珀の君〕もそれを当たり前のように受け入れて、マリアがいなくても満たされている世界に見えた。


「あ?まあ、そうみたいだな。」

「でも、自分の身に何かあったら、その人たちの生活にも影響することも分かってた。」


 私がいなくなったとして、困る人はいるのだろうか。もちろん、マリアや愛良ちゃんが悲しんでくれることは分かる。だけど、困りはしないだろう。マリアの体を守る人には他の聖騎士たちがいて、マリアの心を守る人には〔琥珀の君〕がいる。


「次期会長だってずっと言われてるからだろ。継ぐものがある人は色々大変みたいだから。それ言ったら〔聖女〕様もアリシア様も同じようなもんだと思うけどな、俺は。」


 リージョン教の〔聖女〕と、サントス王国の王女様と、次期商会長と。全てに共通するものは見えない。慈悲に溢れ、どんな罪人も赦すマリア。立場に縛られて、自分のすることを決めるアリシア。そして、マリアを奪うのに、マリアの心を救える〔琥珀の君〕。どこに共通点があるというのだろう。


「同じ?」

「みんな背負うもんが多いだろ。アリシア様見てるとそんな気がする。」

「背負うもの、ねえ。」


 マリアは〔聖女〕として色々なものを期待されている。だけど、それはマリアの思いに優先するほどのものだろうか。それに応えることもまた、マリアが望んでいるから背負うことになっているのだろうか。


「別に俺らがそこまで気にすることじゃねえよ。できる手を貸したら良いだけだ。今、こうやって守ってるみたいに。」

「私が守ってるのはマリアのためだから。〔琥珀の君〕がいなくなれば、マリアはすごく悲しむ。」


 私の一番はマリアで、最優先で守るのもマリアだ。〔聖女〕として背負っているものやその重さなど分からなくても、私はマリアが大切だから守るだけ。


「それが手を貸してるってことじゃねえの?」

「そうなのかな。」


 背負うものの重さは変わらない。何も共有できていない。私がマリアのやっていることを半分も理解できていないだろう。争いを避けるためにその身を危険に晒すことに、マリアほどの意味を見いだせていない。それでも、私はマリアがそれを望むから、止めず、マリアを狙う者を殺しに行かない。

 〔琥珀の君〕との関連では何も言われていないから、相手を傷つけることもできる。知ればマリアは望まないと言うだろうから、知られないように気を付けて、動き続けている。


「アリシア様の話だけどさ、愛良のことを任せられるから助かってるって言ってくれたりするんだ。友幸様のことでも、自分じゃ手が回り切らない部分もあるからって。外に出る時も、護衛されることに慣れてない二人は、親しい俺が守ってたほうが安心できるみたいだからって。」


 マリアも少し離れた場所から守られることが多い。信者との交流に重きを置く時は特に、聖騎士がその邪魔となってしまわないように、目立たないよう気を付けている。


「マリアも〔琥珀の君〕を守ってるのが私で、安心してくれてるのかな。」

「それは知らねえけど。」


 そうだと嬉しい。マリアの心を守れる〔琥珀の君〕を守ることが、マリアの安心に繋がっているのなら、私もマリアの心を守っていることになると思えるから。


「自分で確かめてみるよ。じゃあ、後はよろしく。」


 駆け足でオルランド邸へ向かう。私が〔琥珀の君〕を守る理由を一つ増やすために。




 まだ屋敷の人たちも起きている。マリアもまだ起きて本を読んでいた。


「お帰りなさい、ラウラ。」

「ただいま。あのね、マリアはさ、私が〔琥珀の君〕を守ってると安心する?」


 帰って来ていきなりの私の問いに、マリアはきょとんとしている。だけど、私の真剣な様子に気付いたのか、微笑んで返してくれる。


「もちろんよ。ラウラは何度も私を守ってくれたもの。きっと大丈夫だって思えるわ。ラウラが守ってくれているから、私は来週会うのを楽しみにできるのよ。」


 マリアを守ってきた私だから、マリアは安心できる。他の聖騎士たちではなく私だからこそ、できることなのだ。


「そっか。良かった。マリアも忙しくしてるからさ、少しでもマリアの悩みの種を減らせたらって思ってたの。」

「ありがとう。悩みの種というなら、ラウラともたくさん時間を取りたいことだわ。だって、ラウラは任務で夜に戻って来ないこともあるでしょう?」


 夜に戻っていても、〔琥珀の君〕に会う日と被っていれば、そちらが優先になっている。その上、血みどろの話は隠したいため、話す内容に困ってしまったこともあった。


「私だってマリアとたくさん一緒にいたいよ。結婚すれば今より一緒の時間は減っちゃうだろうし。」

「そうね。だけど、今私が慶司さんに会いに行っているように、ラウラが私に会いに来てくれると嬉しいわ。」


 時間が減ることには変わりない。それでも、それがマリアの望む未来なら、私は構わない。任務で顔を合わすことならあるかもしれない。落ち着けば、今より時間は確保しやすくなるかもしれない。そう思っていないと、また〔琥珀の君〕に嫉妬してしまいそうだ。

 微笑むマリアと私の間に、少しの沈黙が流れる。一緒にいたい、話していたいと思うのに、何を話そうか、私は迷ってしまうのだ。


「ラウラは私の大切なたった一人の妹よ。」

「うん、覚えてるよ。」


 だけどきっと、今はマリアの一番ではない。そんな風に思ったことを気付かれたくなくて、私は質問でマリアの思考を逸らす。


「マリアは今日、何か良いことあった?」

「あら、ラウラには分かってしまうのね。今日、信者の方にね、早いけれどおめでとうございます、って言われたのよ。私にも心の柔らかい部分を預けられる相手が見つかったのね、って。もちろん、婚姻の誓いを知った方からの言葉よ。」


 心底幸せそうな顔で、少しだけ頬を染めて教えてくれる。マリアにとっては、私といられる時間が短くなる悲しみより、〔琥珀の君〕と過ごせる時間が長くなる喜びのほうが大きいのだろう。


「実際に婚姻の誓いを交わすまでは色々と大変でしょうけど、出来る範囲でお力をお貸しします、って言ってくださったの。危険も増えたけれど、こうして祝福してくださる方もいてくださるのよ。」


 私も当日には隠し事なく心の底から祝福してあげたい。きっとそのうち、私もマリアが〔琥珀の君〕のことを幸せそうに話す姿を思うところなく受け入れられるようになる。


「良かったね。私もその日が楽しみだよ。ねえ、婚姻の誓いってどんな格好をするの?」

「特別な衣装なんて必要ないわ。必要なのは、将来を誓い合う二人と、それを聞き届ける聖職者だけだもの。」


 そんなにひっそりとした、神聖なものにはならないだろう。何せ、〔聖女〕様と桐山商会の次期会長の誓いであり、聞き届ける聖職者がオルランド様なのだ。他の者たちからの手出しを抑えるためにも、立ち会う人は多くするだろう。


「マリアも楽しみ?」

「ええ、もちろん。だけど、誓うことが重要ではないの。その後から新しい生活が始まるのだから。誓いは一つの区切りというだけよ。」

「そうだね。」


 ふふふ、と今会えない寂しさを埋めるように笑っている。一刻も早く会わせてあげたい、一緒にいられるようにしてあげたい。そんな気持ちになるけど、こればかりは私の力ではどうにもできない。


「一緒に生活するようになったらどうなるのかしら。一緒にお料理したりするのかしら。どうしましょう、私、皇国に来てからお料理していないわ。」

「大丈夫だよ、マリアは料理できるんだから。それに、〔琥珀の君〕が教えてくれるよ。」


 必要ないのに私にも教えてくれた。お菓子作りもお料理も本人が得意なようだから、マリアにできなくとも問題ない。相手も〔聖女〕様が料理できるとは最初から思っていないだろう。


「そうかしら。貴族のお屋敷ではないなら、自分でお掃除もお料理もお洗濯もするでしょう?それなら私も一緒にしたいわ。」

「心配ないって。マリアはできるんだから。気になるんだったら、今度会った時にそれも聞けば良いよ。」

「ええ、そうね。一週間で話したいことも聞きたいこともたくさん溜まってしまうわね。」


 それでもマリアはその事実に喜ぶ。大陸では自分も炊事洗濯をしていたのだから、聞くまでもなく手伝えると思うのに、不安になったのだろうか。


「安心して待っててよ。私がしっかり守るから。じゃ、明日も早いから私はもう寝るね。」

「ええ、お休みなさい。ラウラも無理はしないで。」


 マリアが憂いなく笑っていられるように、私は〔琥珀の君〕を守ろう。それがきっと、私にできることだから。


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