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シキ  作者: 現野翔子
露草の章
175/192

緊張の問い

 職人の所へ向けて出立するという午後。鞄を持って、路地の奥へ向けて歩き出した。大通りとは反対方向のため、どんどん道は細くなっていく。人が住んでいる気配もない一角を通り抜けると、どことなく騒めいている。誰かの怒声も聞こえた。

 一つの建物の前で立ち止まる。


「ここだから、外で待ってて。」


 ノックをしても、内部の物音や声で掻き消されているのか、返事も近づく足音もない。〔琥珀の君〕は慣れた様子で扉を開け、大きく一声かけた。


「こんにちは!連絡を入れた」

「ああ、坊ちゃん!ちょいと待ちな。今場所を空けるでよ。おや、そっちの嬢ちゃんは見習いさんかい?」


 窓から見えたのだろう。しかし問いかけておきながら、答えを待つことなく、誰かに何か指示を出している。訂正は〔琥珀の君〕がしてくれるだろう。

 路地には、私の他には誰もいなくなったけど、先ほどの男性は声が大きいのか、そちらの言葉だけが明瞭に聞こえて来る。


「へえ!良い子と知り合いだったもんだねえ。――おうおう、ありがてえ人脈だ。――」


 徐々に言葉は不明瞭になっていき、聞こえない時間も長くなっていく。


「あんだって!――準備だけ!?――機会を――さっきの――」


 聞こえても途切れ途切れで、内容は分からない。私の知る必要のないことだ。

 変わらずこの地区には人の騒めきがあるものの、路地に人影も、近づく足音もない。周辺の屋根の上にも影はなく、見える窓からも狙われていない。

 どれほど経ったか分からないくらいになると、一際大きな怒声が響いた。


「会わせろ!一言文句言ってやらあ!」


 慌てたような〔琥珀の君〕の声も聞こえたが、何を訴えているのかは分からない。ドタバタと背後の建物から足音が近づき、バタンと開かれた扉からは恐ろしい形相の男性が出て来た。


「嬢ちゃん、リージョン教の聖騎士ってのは本当か!そっちの〔聖女〕様のせいでなぁ、俺らの坊ちゃんはえらい目に遭ってんだぞ!」


 だからこそ、今ここで、大声で言うべきではない事実なのだけど、彼は怒りに支配されていてそれが分からないようだ。〔琥珀の君〕の制止のおかげで掴みかかってくることはないけど、それがなければ今にも胸倉を掴み上げてきそうな勢いだ。

 何を言ったのだろうと〔琥珀の君〕を見ると、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「マリアさんとのこととか、昨日の朝のことが噂になってるみたいで。ラウラをここに紹介するためじゃないなら何のために連れて来たんだってことを説明したら、ね。」


 聖騎士だと言ったらこうなったようだ。マリアが無理に迫ったわけではないのだから、彼の怒りは理不尽に感じられる。〔琥珀の君〕自身も認めている以上、二人の関係を否定することは、彼が大切にしているであろう〔琥珀の君〕の判断や想いを否定することにも繋がるのだ。

 なぜ〔琥珀の君〕はその辺りも説明しないのだろう。


「お言葉ですが、〔聖女〕様はそちらの桐山慶司さんの想いが伴わない婚姻の誓いに価値を見出しておりません。その申し出を受けるかどうかは彼の手に委ねられました。」


 とても大事な話だ。だからこそ、本当は自分で言ってほしい。その想いについては、私から言えることではないのだから。


「ああ!?一市民が大きな宗教の〔聖女〕様とかいう奴に言われて、断れるとでも思ってんのか!?」


 そんなものに臆する人間ではないだろう。マリアもそんな圧力をかけるような人間ではなく、それを感じさせる雰囲気も持っていない。

 男性の手が出されることはないと判断したのか、〔琥珀の君〕も彼の腕から手を離し、様子を見守っている。当事者が見守るなど、随分と余裕のある態度だ。


「桐山慶司さん。貴方は〔聖女〕でもあるマリア様のことをどうお考えですか。」


 私が問うことで、傍観者の立ち位置を崩させる。私は事態の解決に協力するけど、これは〔琥珀の君〕自身の言葉で納得させるべき問題だ。彼も私の言葉では信用に足りないと判断することだろう。


「俺は、大切な人だと思ってるよ。傍にいたいと思ってる。それに、多少危険なのは婚姻の誓いの話が出る前からなんだ。」


 この言葉でも、まだ引き切らない。勢いは失われているが、納得はしていなさそうだ。それとも引き際が見つからないだけだろうか。

 一度拳を握りしめ、真剣な目で私に問うてきた。


「お嬢ちゃん。〔聖女〕様ってのは、坊ちゃんをどうお考えなんだ。」


 これはきっと大切な問いだ。ここで間違えれば、彼らはマリアを認めないだろう。

 私を救ってくれた人、特別な人。そんな風に言っていた。しかし、それを伝えるだけで十分だろうか。その言葉は歪んで伝わってしまわないだろうか。マリアの想いを、私が勝手に伝えても良いものだろうか。

 迷った結果、私は返事を拒んだ。


「私は〔聖女〕様ではありません。そのお心は本人だけのものです。私に分かるのは、居所のなかったマリア様のお心が、桐山慶司さんによって救われたということだけです。」


 間違いなく、〔琥珀の君〕と出会ってからマリアは変わった。〔聖女〕としてあろうと余裕を無くして、そこから救い上げられて。最も近くにいたはずの私が気付かなかった、ただのマリアという主張を拾い上げた。

 私はマリアの妹でも、マリアがただのマリアと呼ぶ心に気付かせてあげられなかった。


「〔聖女〕様は自分のせいで誰かが危険に晒されても気にしないお方か。」


 言葉に激しさはない。しかし、鋭く、マリアを見極めようとしている。私を通して、マリアを見ようとしている。


「気にされます。婚姻の誓いの申し込みは正しかったのかと、昨夜も悩んでおられました。」

「申し込む前に、危険に晒すことになると分かっただろう。」


 マリアは分かっていなかったのかもしれない。婚姻の誓いが済めば安全になるとは伝えたけれど、一時的により危険になるとまでは伝えなかった。私も、まさか明るい時間帯に、人通りもあるというのに、狙われることになるとは思っていなかった。

 今もその危険に晒されている。


「お話、中でさせていただいてもよろしいですか。屋外に長く留まることは、彼の身を危険に晒します。」


 急いで〔琥珀の君〕の背を押し、屋内に避難させている。〔琥珀の君〕のことを俺らの坊ちゃんと呼び、その身を危険に近づけた〔聖女〕に敵意を露わにするということは、大切に思っているのだろう。まさか私がマリアを奪われると思った時とは違うだろうけど、大切な誰かを守るために行動すること自体は責められない。

 入口付近の硬い椅子に二人は座り、私にも席が勧められた。


「私は護衛ですので。」


 入口側に立ち、先ほどの質問に答えていく。


「マリア様は世情に疎いお方です。貴族たちが〔聖女〕の伴侶にどれほどの価値を見ているか分かっておられなかった。自分が親しくすることで危険に晒すということも、婚姻の誓いがなされた時には危険が減るということも、周囲から聞かされて知っているに過ぎません。」

「危険が減る?現状、減ってねえだろうが。」

「今はまだ婚姻の誓いがなされておりません。なされる前の最後の機会だと、他が動いているのです。」


 あと一年足らず。それだけの期間を凌げば、マリアは望んだ生活を手に入れられる。


「んで?お嬢ちゃんが守ってるのは?」


 マリアの頼みだと嘘を吐くことは簡単だ。しかし、それが露呈した場合、マリアに対する彼の信用は地に落ちるだろう。

 聖騎士の任務に聖職者の想い人や伴侶を守るものはない。リージョン教において、聖職者は身分ではなく地位であるため、個人にしか帰属しないのだ。今回の例は非常に特殊なものであり、私の厄介払いも兼ねられているのかもしれない。任務内容も、気に掛けるようにという非常に曖昧なものだった。

 だからここで私が答えるべきは、嘘でも事実でもない。私にとって〔琥珀の君〕がどういった意味を持っているかだ。


「桐山慶司さんは、マリア様の心を守るために必要なお方です。ですから、私はマリア様を守るために、桐山慶司さんを守ります。」


 聖騎士である事実とここまでの言葉から、私がマリアを敬愛していることは伝わっているはずだ。

 私が見下ろす形になっていても、男性は気にすることなく、私の視線を真っ直ぐ受け止めた。そして、ふっと視線を外して立ち上がると、私の肩を叩いた。


「悪かった。お嬢ちゃんは正直者だな。俺を説得するために何としても守るとか、大した危険はないとか何でも言えたってのに、そうはしなかった。だけどな、俺らは今の桐山会長に世話になってるし、この坊ちゃんのことも小さい頃から見てる。だから余計な危険に遭ってほしくないという思いがあるんだ。」

「ええ、約束しましょう。その身は私が守ります。」


 この約束を違えることは、マリアの信頼を失わせることにもなる。〔琥珀の君〕には傷一つ負わせてはならない。

 決意を新たにしていると、少し会話から置き去りになっていた〔琥珀の君〕が戸惑いの声をあげた。


「ええと、なんか解決した、かな?じゃあ、帰らせてもらいますね。また来週の初めに来るので、それまでに図面はお願いします。」

「任せとけ。可愛い子ちゃんが驚くような物用意してやらぁ。」


 騒がしかった彼を置いて、路地を歩く。


「ごめんね、ラウラ。悪い人じゃないんだけど。」

「分かってるよ。自分の手の届く範囲の人を守ろうとしただけでしょ、あの人も。」


 人は手の届く範囲しか守れない。自分の得意な領域でしか守れない。あの人には物理的な危険から〔琥珀の君〕を守る力がないから、〔聖女〕との接近を危険視した。それだけだろう。


「自分たちの生活も懸かってるから必死なんだよ。ずっと、俺が継ぐことになってるから大きな問題も起きてないけど、ここで俺がいなくなれば、次の会長を誰にするかで対立が生じて、あの人たちも巻き込まれることになるから。」

「お貴族様みたいな問題だね。」


 貴族も血縁でその身分や爵位を継いでいく。誰が継ぐかで揉めないよう、虹彩皇国では第一子から順に継いでいくことになっているそうだ。


「そうかもね。違うのは他人でも継ぎ得るっていう点かな。」

「もっと相応しい人がいればそっちにもできるわけだ。」

「まあ、理論上は。実際は取引先とかからの信頼にも影響するから、他に良い人がって言って、内部で対立すること自体、不利益だよ。」


 〔琥珀の君〕が継げなくなった場合に、次の会長は誰かと揉めることも不利益になる。その不利益が先ほどの人にも届くのだろう。


「あーあ、どこも揉め事でいっぱいだ。」

「いやだから、今はうちでは起きてないんだって。俺の身に何かあれば危ないって話ね。」

「火種はあるってことでしょ。」


 それを燃え上がらせないために、私が守る。あの様子では、〔琥珀の君〕に何かあれば、彼らはマリアにも牙を剥きそうだから、そうさせないために私が守り切ろう。


「そんなこと言い出したら切りがないよ。」

「うん、分かってる。私は私の守りたい者だけを守るから。」


 一番はマリアで、その次にマリアの心を守れる〔琥珀の君〕。それから愛良ちゃんたちも余裕があるなら守りたい。だけど、その優先順位は間違えないようにしよう。


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