注意事項
馬車の外に私が乗ってしまえば、そこに〔琥珀の君〕がいると分かってしまうこともあるだろう。そのため内部に同乗し、外から見えないようカーテンもしっかり閉めた。
「行きも思ったけど、自分がこんな風に護衛される身になるとは思わなかったよ。」
「どうでも良いことを気にする人が多いからね。〔聖女〕の伴侶なんて、マリアが大切にしてるっていう価値しかないのに。」
それも伴侶だから大切にしているわけではなく、大切だから伴侶という立場が与えられたに過ぎない。マリアが選ばなければ与えられないその立場を、他者が強引に奪うことなど不可能だ。
「王宮御用達とかの看板を掲げられるのと同じくらい、いや、場合によってはそれ以上の価値があるよ。〔赦しの聖女〕が選んだっていう事実は、何の罪も犯していない、清廉潔白な印象を与えられる。」
「お商売には都合が良いって?もしマリアをそんな風に利用したら赦さないから。マリアを道具のように使うなら、私が赦さない。」
「しないよ。そんなことのために申し出を受け入れたわけじゃない。」
こんなところで嘘を吐くとは思えない。きっとマリアを泣かせない。そう信じたからこそ、マリアの心を守る相手として、私は認めた。
「マリアを泣かせても赦さない。」
「分かってるよ。そんなことしたらラウラに殺されちゃうもんね?」
数回本気で殺そうと思ったことはあるけど、今は思わない。そんなことをすればマリアがより悲しむと知っているから。〔琥珀の君〕を失ったことを悲しみ、それを殺したのが私だという事実に苦しみ、それでも赦す態度を貫くためにまた苦しむのだろう。
今は私も〔琥珀の君〕を守ろうとしている。しかし、そのためには本人の協力も必要だ。
「じゃあ、一週間は大人しくしておいて。」
「予定を全部潰せって?さすがにそれはできないよ。明日の午後には職人さんたちに会う予定もあるんだから。」
「ずらせない?」
「第四回文化交流公演に関係するものだからね。あんまり日に余裕がないんだよ。」
詳しい日取りは知らないが、マリアの舞の儀と近い日に開催されると聞いている。それは十二月末のため、あとひと月ほどしかない。あまり無理も言えないだろう。
「仕事関係は仕方ないか。マリアと会う予定はなしで良い?というか、なしね。マリアには今日帰ったら私から伝えておくし。」
「それも一週間?」
「そう。この辺の巡回兵を増やしてくれるそうだから、それまでね。」
「ならマリアさんによろしく伝えておいて。」
その程度なら簡単だ。他に伝えておくべきことはあるだろうか。私用の外出についても注意しておいたほうが良いかもしれない。
「ちょっとした散歩とかお買い物とかも控えたほうが良いね。少なくとも護衛なしに出かけるのはやめてほしい。」
「分かったよ。」
「それから店に立つのも。外から見える場所はどこでも狙撃の危険があるって思ったほうが良い。」
「まるで重要人物だね。」
事実そういった扱いだ。だから、護衛はその予定を把握しておく必要がある。通常であれば行き先の安全を事前に確認するけど、今回は難しいだろう。それでもせめて予定は知っておきたい。
「この後はどんな予定?」
「明日の午後まで出かける予定はないよ。明後日と明々後日もあちこち行くことになるね。」
「それは貴族の家?馬車で?」
「職人さんとか取引先に、徒歩で。馬車なんて入れる道幅ないからね。」
聖騎士の制服で傍に付いていれば、多少は攻撃を躊躇させられるだろうか。
「言っとくけど、仰々しいことはやめてよ。特に職人さんたちはそういうの苦手だから。」
「ついて行くのは私一人だけど。聖騎士の服装ってだけでも難しそう?」
気難しい人たちに会うのだろうか。話す現場に居合わせず、入口で待っているとしても多少の圧はあるだろう。それを受け入れてもらえるか。
「そう、だね。権威的なもの自体を嫌う人もいるから。それと分からないほうがありがたいね。」
「じゃあ私服で行くよ。制服は聖職者の護衛の時に着るよう言われてるだけだから。」
それ以外なら任務に就く際も着用義務はない。後は具体的な場所だ。
「具体的にどの辺に行くの?」
「明日行くのは――」
商会に着くまでの間、できる限り詳細に場所を聞いていく。どの辺りから狙われそうか、どの道順が最も安全か。それを自分の知識の範囲でも選択することで、余計な危険は避けられるだろう。秋人が来る時間によっては、自分で確認に向かっても良い。
そうしていると、普段使う道を全て聞き出す前に、商会の前に到着してしまった。
「じゃあ、続きはまた後で。」
先に降りようとする〔琥珀の君〕を引き留め、馬車周辺の安全を確認する。これだけでは分からないことも多いが、少なくとも近くで待ち構えている人物はいないと分かった。
「どうぞ。早く中に入るようにしてね。」
少しでも狙撃の危険を減らすため、夜会の時のように手を貸して、近くにいるよう気を付ける。
「ありがとう。御者さんもありがとうございます。」
黙って礼を返され、降りきったのを確認すると、速やかに馬車は走り出す。それがそう離れないうちに、私たちも店の中に入った。
「お帰りなさい、坊ちゃん。六条公爵が先ほどいらっしゃいましたよ。」
「六条公爵が?来られる予定はなかったはずですよね。」
「ええ。街に降りたついでに、と。」
「分かりました、ありがとう。」
今までに見たことのない一面だ。ご両親と同じ世代の方に見えるが、長く勤めている従業員の方なのだろうか。
ここですることはないようで、奥の執務室か書斎のような部屋に入って行く。それに私も続こうとするが、止められる。
「ここは外部の人間に見せられない物もあるから。開けておけば無事は確かめられるでしょ。」
見える壁は一面本棚だけど、中央付近には窓がある。カーテンを開ければ外から容易に内部を確認できるだろう。
「今日は特に警戒が必要だから。外から狙われないように、カーテンは開けないほうが良いよ。」
「見えてるのは中庭だから。正面に見えるのもうちの建物だね。」
完全に外なら、家の中からより外から守るべきだ。しかしそこが中庭であるというなら、危険は少ないだろう。他人の家の屋根に上るのは非常に不審で目立つ行為であるため、多少距離があっても巡回兵が気付いてくれる。
「なら大丈夫。それでも大きな物音か異常を感じたら入るから。」
私は部屋の外に待機し、内部の様子を伺う。〔琥珀の君〕がカーテンを開けたと思ってもまだ薄いカーテンが掛かっている。覗き見を警戒していないとすれば、書物が日に焼けないようにしているのだろう。その前の机にはペンとインクと思しき物が置かれていて、紙束も近くに乗せられている。
〔琥珀の君〕はそれを手に取って何やら書き記している。さらに、私の視界から出ては何冊もの紐閉じの本を机に置いていく。おそらく、ここからは見えない壁も本棚になっているのだろう。席に着いて持って来た本を確認しながらさらに何かを紙に記していくその表情は、あまり見ない真剣なものだ。
見える木の影も非常に短くなった頃、〔琥珀の君〕は部屋から出てきた。
「お疲れ。」
「ラウラも。ずっと立ってたでしょ?」
「護衛の任務なんてこんなものだよ。立って警戒して。何も起きないのが一番良い。」
守れているという実感は得にくいけど、何かが起きてほしいわけではない。何かが起きても守れるような心積もりだけは忘れないよう、警戒し続けるだけだ。
昼食の時間だろうか。しかし、〔琥珀の君〕は正面の店舗のほうへ向かう。
「ちょっと。警戒するって話、忘れたの?」
「一声かけるだけだから。入口のほうには出ないよ。」
衣類や装飾品が並ぶ空間に繋がる扉を軽く開け、従業員の人たちと言葉を交わしている。先ほどはいなかった人が一人増えていて、その人も〔琥珀の君〕に丁寧な言葉遣いをしていた。
扉を閉めると廊下を反対方向、自宅のほうに歩き出す。
「ラウラ、昼食は?」
「予定にないね。」
軽く溜め息を吐かれた。通常の護衛の場合は交代で食事を取るが、今日は一人のため昼食は抜くことになる。だからそんな反応をされても、これは私のせいではないのだ。
「簡単な物で良ければ用意するよ。」
「ありがとう。」
一食程度抜かしても問題ないけど、くれるというなら頂こう。お菓子作りが得意ということは、食事を作るのも得意なのだろうか。口に入るなら私はさほど味を気にしないため、何が出てきても問題ないだろう。
「あ、何か手伝う?」
「できるの?」
自慢ではないけど、私の学園での調理実習は壊滅的と称されたことがある。マリアと野草スープなどを作った経験があるはずなのに、これは料理かと言われたことすらあるのだ。その上、オルランド邸では一切調理を行っていない。
「手を出さないでいてくれたほうが早く終わりそうだね。」
「一応、指示がもらえればできないことはないけど。学園では絶対に味付けをやらせてもらえなかったくらいだね。」
「ああ……。」
何を納得したのだろう。味付けという行為に慣れていなかったから、多少濃かったり薄かったりしただけで、食べられない物にはならなかった。もっとも、食べられる物しか使っていないのだから、出来上がる物も当然食べられる物にしかならないけど。
自宅部分の台所で、調理にかかっている。乾燥肉や数種類の野菜を切り刻んで、とその手は早い。私なら何倍もの時間がかかるだろう。
「いつも自分で作ってるの?」
「外に食べに行く日もあるよ。今週は余計な外出控えたほうが良いんでしょ?」
少し歩けば手頃な価格の食堂もある。ただし、そういった場所ほど警戒が必要になるため、この配慮はありがたい。行こうとしても止めるけど、守られる側が危険を認識しているのとしていないのとでは、心労が雲泥の差だ。
「個室のある店なら気にしなくて大丈夫だよ。まあ、道中考えたら家で済ませてくれたほうがありがたくはあるね。」
「普段から作ってるから一週間一人分増えるくらいなら大したことないね。」
切った材料と米を深さのあるフライパンに入れて、炊き始めた。
「味は分かるんだよね?」
「もちろん。」
「甘いとか美味しいとかは前も言ってたっけ。じゃあ単純に自分では作れないだけか。」
「何の話?」
自分で獲物を狩って焼くくらいなら、今でもできるはずだ。
「味覚が狂ってるわけじゃないって話。騎士でも最低限自炊くらいはするでしょ?」
今はオルランド様のお世話になっているけど、第六枢機卿の代替わりやマリアの婚姻によっては、私はあの屋敷を出ることになるかもしれない。
「聖騎士ならそういう人も多いね。」
「なら未来の義理の妹のために、簡易のお料理教室を始めようか。」
調理に関する私の実力を把握しながら、今作っている物についての説明を行ってくれる。それを聞きながら、炊き上がるのを待っていた。