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シキ  作者: 現野翔子
露草の章
171/192

警戒は必要

 兵を見送れば今後の相談だ。


「私はマリアとの婚姻の誓いが終わるまで、〔琥珀の君〕を気に掛けるように指示を受けてる。さっきみたいなことがあった以上、護衛という形になるね。今後どうするかは〔琥珀の君〕次第だよ。」


 四六時中見張るよう指示されているわけではないけど、今離れるべきではないだろう。明るくなってから襲撃が実行されているのだ。日中だからといって油断はできない。


「今日は商談の予定だったけど、この愛良の様子じゃ難しそうだね。」


 ミルクをちびちびと飲んで一見落ち着いているようにも見えるけど、視線はきょろきょろと安定しない。


「また時間を用意させてほしい。アリシア様に説明して、なるべく早く予定をつけるから。」


 秋人が提案するけど、愛良ちゃんがガンッとカップを机に置いて、話を中断させる。手をお腹の前で組んで、何やら気合を入れているようでもある。


「私、今日話せるよ。アリシア様に今日のお仕事、秋人も付けるから頑張ってって、慶司とも知り合いだったら頑張れるよねって、言われてるの。ちゃんとお仕事できたよって言いたいから。」

「愛良。続けて襲撃される危険がないわけじゃない。この店の前で襲撃されたのなら、このままここに留まるべきじゃない。愛良ができないからじゃなくて、安全性を確保するために帰るんだよ。」


 愛良ちゃんの手は震えている。恐ろしいと感じている気持ちに負けたくないのだろうか。しかし、恐怖は身を守るための感情だ。それに無理に抗う必要などない。

 何とか説得しようとする秋人だけど、愛良ちゃんは頷かない。秋人にも、ここが襲撃された際に愛良ちゃんが巻き込まれたとしても、私が〔琥珀の君〕を優先して守ることが分かるのだろう。秋人が愛良ちゃんを優先するように、私が〔琥珀の君〕を優先するから、愛良ちゃんの安全のためにはサントス邸へ帰ることが最善となる。


「ラウラだっていてくれるんだよ!?」

「愛良、聞き分けてくれ。異常が起こったらアリシア様に報告するのも、大切な仕事だろ?」


 私が愛良ちゃんを守らないと言えば、愛良ちゃんを傷つけることになると思っているのだろうか。しっかり説明すれば理解してくれると思うけど、その意思を伝える前に、〔琥珀の君〕が折衷案を提示した。


「今日の俺の一番の仕事は、サントス邸との商談。だからそっちの都合さえ良ければ、サントス邸に出向いて話すこともできるよ。今日もアリシア様の提案で愛良をこっちに寄越してくれるって話になってたわけだし。」


 愛良ちゃんがその案に飛びつくように目を向ける。しかし、秋人はあまりそれに乗り気ではなさそうだ。


「店のほうはどうするんだよ。」

「基本的に俺や両親が直接対応しないといけない相手ってのは急に来ないからね。来てもあっちの非礼だから、居留守でも許される。だから従業員に任せても問題ないんだ。」


 よほど相手を平民だと見下している貴族くらいだろう。貴族であることを声高に叫ぶ者でも、貴族として手本を示すと傲慢に言い放つ者なら、予定を告げてから来るはずだ。


「じゃあ一緒に来てもらお。」

「どうかな、秋人。アリシア様のご予定は?」


 渋々といった様子で、質問には答えていく。


「今日は一日執務の予定にはなってる。帰ってきたらすぐに様子を聞きたいから、対応できるようにしておくとも言ってた。」

「だけど、馬車で移動中に狙われたら対処しにくい。〔琥珀の君〕が狙われてることは確かだから、同乗するのは愛良ちゃんの身に危険が及ぶかもしれない。」


 馬車の中の人間を直接狙うか、馬を狙うか。前方に立ち塞がるか、後方や横から銃で撃ってくるか。馬車の中は見えないため、いずれにせよ、愛良ちゃんが巻き込まれる危険性が高くなるだけで、〔琥珀の君〕の安全性が増すわけではない。


「アリシア様の判断を仰ぐ必要のあることが起きたら、慶司さんなら連れ帰っても良いとは言われてる。ラウラがその護衛だって言うなら数には数えないから問題ない。だけど、そのアリシア様の判断が必要な状態ってのに、こんな危険は想定されてなかったはずだ。」


 私としてもサントス邸に向かうことは賛成だ。ここに留まるより、貴族の邸宅としてしっかりと警備されている場所のほうが安全だろう。私も常に張り詰めて守ることは難しい。少しでも気を抜ける時間があったほうが、本当に危険な状態になった時のための体力を温存しておける。


「慶司さんは、その商談が昼を跨ぐことになっても構わない?」

「一応、空けてはいるよ。」


 また考えている。愛良ちゃんも秋人の決定を待っているため、想定外の事態が発生した場合にどうするかは秋人が判断するよう命じられているのだろう。


「馬車だけ後から寄越すって方法でも、来てくれるんだな?」

「帰りも送ってくれるならね。」

「じゃあ、それで行こう。愛良、一回帰るぞ。」


 部屋を出る愛良ちゃんと秋人を追って、〔琥珀の君〕は店の入り口まで見送ろうとした。


「待って。周囲の確認を行うってさっきの人が言ってくれてたんだから、無駄な危険を冒さないほうが良いよ。」


 仲間が潜んでいないかどうかの確認だ。もう終わっているかもしれないけど、今出る必要もない。狙われたのはおそらく〔琥珀の君〕であるため、愛良ちゃんが帰るために出るのは問題ないだろう。


「じゃあ、ここからで。ごめんね、愛良。」

「ううん。また後でね。」


 ばいばいと手を振って、二人は店から出て行く。それを見送ると〔琥珀の君〕は、さて、と私の上着を手に取った。


「何するつもり?」

「染み抜き。時間経つと落ちなくなるよ。」

「店のほうは?」

「護衛連れてたら威圧感があるでしょ。別の従業員がいるから良いんだよ。今日は元々、愛良の対応と、その後の諸々をこなす予定だったから。」


 私が〔琥珀の君〕の邪魔をすることにならないのなら、お願いしよう。血はなかなか落ちないというのは家の使用人からも聞いている。自分で落とそうとしたことはないけど、今日は制服でもないため、染み込んでしまうのだろう。

 自宅で石鹸を手に取ると、通り抜けて庭に出る。井戸から水を汲み上げて、上着を少し湿らせて。


「そんなにじっと見られるとやり辛いんだけど。珍しい?洗ってるとこ見るの。」

「うん。初めて見るね。」

「嘘でしょ。オルランド邸では、見ないか。その前は?」


 マリアと出会ってからなら、洗濯物も自分たちで行っていた。私は手伝う程度だったけど、染みなど気にした覚えはない。いくら食料に余裕ができて、衣服も少しもらえたといっても、最低限寒さを凌げるなら十分といった程度だった。


「泥とか付いてなければ良いってくらいだったね。石鹸もなかったし。マリアが薬草で石鹸みたいなものを作ってくれた覚えはあるよ。」

「ああ、ごめん。余計なこと聞いた。」


 忘れたい記憶ではない。私にとっては大切な思い出の一部だ。それなのに、なぜか謝られえてしまった。


「マリアとのささやかな生活も好きだったけどね、私は。」

「少しだけ、マリアさんから大陸にいた頃の、出会う前どうだったかって話も聞いたから。触れないほうが良かったかな、って思ってさ。」

「ああ、そういうこと。」


 愛良ちゃんに話したような内容だろう。ずっとこの皇都で生きて来たなら、少々刺激的に感じられる話だ。私にとっては当たり前だったそれも、時に残酷と表現されることがあるとは知っている。


「他を知らなければ辛くも何ともないんだよ。知識もなければ想像もできない。今より良い生活の発想すら持てないんだ。さすがに今、同じような生活に戻されたら苦しいだろうけど、その当時は生きてるだけで十分だったからね。」


 一度手にしたものは手放せない。マリアと出会う前のような生活も、マリアと一切関わらない人生も、今の私には耐えられないだろう。どれほど離れてもまた会えると思えるから、こうして笑っていられるのだ。


「ラウラも色々あったんだね。」

「誰だってそうでしょ。多かれ少なかれ、何かを抱えて生きてる。あの愛良ちゃんだって、色々あるんだから。」

「それはそうか。」


 何も知らなければ、愛良ちゃんが失われた王家の血を引く王女だと思うだろうか。血の繋がった兄と他人のふりをし、血の繋がらない兄をあれほど慕っていると思うだろうか。あんなに無邪気に笑う、年齢のわりに幼くも見える言動の子の背景に、隠されたものがあると思うだろうか。

 マリアもまた同じだ。〔聖女〕様として立つマリアに、影を見る人はいないだろう。


「だからそれを共有してくれる人を欲するんだよ。私がマリアを求めるように、マリアが〔琥珀の君〕を求めるように。マリア自身がただのマリアと定めた者を受け入れてくれる人を欲してるんだ。」


 マリアがただのマリアと称する時間にも〔聖女〕と称する一面は見え隠れする。〔聖女〕と称する時間にもただのマリアと称する一面はある。それでも、マリア自身の意識は異なるようだから、その時間を認識してくれる相手を欲するのだろう。


「ラウラじゃ駄目だったんだね。」

「私だけじゃ、駄目だったんだよ。私もいなくちゃ駄目なんだから、自惚れないでよ?」

「手厳しいことで。」


 パン、と私の上着を物干しに掛ける。今日は雲一つなく降りそうにないため、この後は気温が上がっていく一方だろう。今は少々肌寒くても問題ない。


「護衛はどのくらいまでを予定してるの?」

「婚姻の誓いまでだね。」

「いや、そんなに長い話じゃなくて。今日の話。」


 以前の事件の際にはアリシアが皇国騎士を、〔琥珀の君〕を狙う者の排除に協力するよう巻き込んでくれた。今日の襲撃ではサントス邸の愛良ちゃんも危険に晒された。また少し力を入れて今日の襲撃犯関係を洗ってくれるのではないだろうか。そうだとするなら、捜査がしっかりまた始まれば、奴らは動きにくくなるだろう。今警戒すべきは、捜査の手が伸びる前にと焦って動く者がいないかどうかだ。

 そうなると、今夜は離れるべきではない。明日もまた今朝のように外に出るなら、その時間も注意が必要だ。


「明日の朝までは確実だね。それ以降は〔琥珀の君〕の予定次第。」

「夜は?まさか寝ないの?夕飯もいるでしょ。」


 任務次第では一晩程度眠らずに明かすことはある。食事も一食くらいなら問題ない。


「鍛えてるからね。」

「マリアさんも心配するよ。」

「突然任務で戻らなくなることもあるから。まあ、可能そうならサントス邸から予定が変わったって手紙でも出させてもらおうかな。帰りに寄らせてくれるなら、あー、でも、それは止めたほうが良いね。まあ、最悪連絡は入れなくても大丈夫。」


 心配はかけたくないけど、一日で解消できる不安だ。〔琥珀の君〕に万が一のことがあって残る心の傷に比べれば何てことのないものだろう。


「それは、秋人とかに相談しないとどうにもできないね。俺の明日以降の予定は、戻ってからでも。」

「建物の中にいるとかしてくれると楽なんだけどね。」


 今日からはマリアを交えない時間も増えるのだろう。そんな不本意な思いを抱えながら、迎えの馬車を待った。


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