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シキ  作者: 現野翔子
金の章
17/192

私は

 私はマリア。家名は持たない。






 〔名も無き神〕に仕える人間は全て、名だけを持つ。神の下では全てが平等に愛される、という意識を忘れないためだ。

 厳しい戒律などを考え、それを守ることに注力する人々もいるけれど、それらは全て任意のもの。私たちは何も課せられてなどいない。ただ〔名も無き神〕を信じ、祈ると決めただけ。

 〔名も無き神〕はこの私たちの生きることのできる世界を生み出し、全てをご存知で、全てを愛し、赦される。けれど、直接手を差し伸べられることはない。

 愛と赦しが〔名も無き神〕から与えられる全てだ。



 今日もまた〔名も無き神〕に祈る。


 神とは概念。私たちの生きる物質世界には存在し得ない。神の声が聞こえることもあり得ない。

 神とは天上の存在。ただ私たちを見守り、そこにあるだけの存在。赦し以外に、私たちとの関係をお持ちにはならない。


 白で統一された礼拝堂の正面に、大理石で象られた神のお姿。あれは人間の想像に過ぎない。神の姿を知る者などいないのだから。神がただ一つのお姿しかお持ちにならないはずもない。

 その白に包まれた世界で、様々な衣服で身を包んだ彼らは祈る。ただひたすらに祈りを捧げる。彼らは、日々の糧を得るための労働をするだけで、必要以上の富を得ることはない。


 私もその一員だ。親のない子たちと遊び、面倒を見て、引き取られていくのを、あるいは16歳の成人を機に巣立って行くのを見送っている。

 彼らと違うのは、親が分かっていても生まれながらに家名を持たないこと。両親が共に聖職者であれば、その子もまた家名を持たない。

 彼らは親が分からずとも、必要ないと捨てられようと、かつては持っていたし、いずれは持って、神に仕えない生き方を選ぶのだろう。


 閉ざされた未来の可能性を、リージョン教徒の私は知らず過ごしていた。



 そんな平穏に満ちた世界。祈り、自ら糧を得、生に感謝する日々。

 それが当然だと思っていた。




「マリア、良い子でいましたか。」

「はい、お父様。お勤めお疲れ様です。」


 お父様はこの教会におられないことが多い。人々に救いを与えるため、大陸の各地を転々とされているのだ。


「寂しい思いをさせてしまいますね。」

「いいえ。それがお父様の成すべきことなのでしょう。」


 貧しい人々に寄り添い、抑圧される人々に力を貸す。ただそれだけのことが、どれほど難しいか。


「ええ、マリアにもいつか分かることでしょう。力なき民に救いを与えることの大切さが。」

「はい。……お父様、お怪我をされたのですか。」


 法衣の隙間から覗く、右手首の包帯。お父様はよく傷を負って帰って来られ、治りきらないうちにどこかへ出かけてしまう。


「これも必要なことなのですよ。何も失わずに、何かを得ることはできないのですから。」

「その傷で、お父様は何を得られたのですか。」


 お父様は曖昧に笑われる。そこからは何も読み取れず、何も得られなかったのではないかと疑いたくなってしまう。


「得たものは、未来のあの子たちが決めるのです。」

「そうですか。……お母様にはお会いになれましたか。」


 幼い頃には会った記憶のあるお母様。けれど、ある時から一度も戻られていない。


「いえ。ガイア様もお忙しい方ですから。」

「そう、ですか。」


 会ったとて、もう話したいことも忘れてしまった。沢山あったはずなのに。



「ただいま、みんな。良い子でいましたか。」

「はい、イーヴォ様。」


 お父様を笑顔で出迎える教会の子たち。小さな村だけれど、現在3人の子を抱えている。


「あまり会いに来られず、すみません。」

「マリア様がいてくださいますから。私たちには未来の聖女様がついていてくださるのです。」


 〔聖女〕、それは教会から与えられる称号。人々に尽くし、救いを与え、神の赦しを伝える。何より希望を見せる。多くの宗教画や寓話で描かれる存在だ。

 その容姿はたおやかな乙女のこともあれば、凛々しい女性のことも、慈愛に満ちた老婆のこともある。描かれる場面も、幼子をあやす姿や、その身に命を宿した姿、傷付いた人を癒す姿、盾を手に人々を守る姿など様々だ。

 それにもかかわらず、私が未来の聖女と言われる理由。それは鮮やかな黄金の髪と瞳を持っていること。

 どの宗教画でも、聖女は必ず黄金の髪と瞳で描かれる。黄金は光の色、人々に救いと希望を与える存在として、相応しい色なのだろう。

 その上、私は聖職者の両親から生まれ、敬虔と呼ばれる部類の人間だ。それが私に聖女を見る理由だろう。


「マリア様、どうかされましたか。」


 年長の子ルカが気遣うように顔を覗き込んでくれる。


「いいえ、何でもないのです。」

「……イーヴォ様は、多くの信者にとってとても立派な聖職者様です。しかし、それが親として立派であるという保証にはなりません。」


 ルカももうじき教会を出て行くほど大人だ。16歳で成人してなお、孤児を抱える余裕などここにはない。時折、残された子の様子を見に来ることはできても、ここはもう、彼の家ではなくなる。


「尊敬すべき、お方です。お父様もお母様も。私がここで幸せでいられるのは、お二人のおかげなのですから。その使命を妨げてはなりません。」

「マリア様はそのお二人のお子です。貴女には許される我が儘があるのですよ。」


 神は全てをお赦しになる。けれど、救いを与える両親を引き留めるなど、未来の聖女として相応しいものではない。


「私は神に仕える身です。今も、これからも。これ以上を望むことは、ありません。」

「お寂しいのではありませんか。僕を含め、ここの子らは親を持ちません。しかし、聖女たらんとする貴女い、よほど普通・・の子について知っています。

 普通・・の子には父と母がいて、毎日食事を共にし、言葉を交わすそうです。互いに敬語を使うこともなく、時には他人を傷つけてでも守ろうとするのです。」


 屈んで目を合わせてくれるルカの目が寂しそう。けれど、その意図も内容も分からない。

 私は普通・・ではない。私だけの立場があるのなら、それで満足すべきだ。


「ルカ、私には多くの人がいます。貴方も他の子らも聖職者もみな、いてくれます。お父様もお母様も救いを待つ者のもとへと、救いを与えに行かれているのです。私もいずれそうなります。普通・・の子らのように両親がおらずとも、それは私にとって誇るべきことなのです。」


 お父様とお母様が今、救いを与えていらっしゃるのなら、寂しいと言ってここに縛り付けてはいけない。それは私が人々から救いを奪うことになるのだから。与えたいと望みつつ奪うなど、そちらのほうが耐えられない。


「マリア様、少しくらい我が儘を言っても、神はお赦しになりますよ。」

「ええ、少しでなくとも神はお赦しになります。ですが、それに甘えてばかりではいけません。人を律するのはいつでも人なのですから。神はただ全てを受け止め、お赦しになるのです。」


 ルカの瞳がほんのりと潤む。けれど、私にはかけるべき言葉が見つけられない。なぜルカが悲しんでいるのか分からないのだから。お父様やお母様であれば、ルカのような人にもきっと救いを与えられるのに。




 私の両親はあまりこの教会にはおられず、いる時も傍にいられる時間は短い。その代わり、いつも気にかけてくれる女性がいる。


「マリア様、気にかかることがおありですか。」

「申し訳ございません、サラ様。集中を欠いておりました。」


 サラ様は聖職者ではなく、近くの森に一人で住んでおられ、私たちに協力してくださっている方だ。そのせいか、時には闇の魔女とまで呼ばれる。その漆黒の髪が闇を連想させるのかもしれない。瞳の瑠璃色も、神秘的な何かを感じさせる。


「イーヴォ様がお怪我をされてお帰りになったそうですね。」

「ええ。何かを得るために必要なことだと。ですが、何を得たのかは教えていただけませんでした。」

「完治しないままに旅立たれたとも聞きましたが。」

「はい。人々が待っているからと。」

「ご心配でしょう。」

「いいえ。それがお父様の成すべきことなら、お父様はきっと成し遂げられます。」


 帰って来られなくとも悲しむことはない。お父様が救いに殉じるだけだから。


「マリア様、」

「サラ様、説明を続けていただけますか。」


 長い溜息を一つ吐かれるサラ様。その次には優しい母の顔を隠し、厳しい師匠の顔になられる。


「マリア様、この二つ、どちらが今必要な薬草ですか。」


 サラ様は両手に一つずつ、薬草をお持ちになっている。一瞬見ただけでは同じものに見えるけれど、よく見れば異なる点もあるはずだ。

 まず左手のもの。薔薇のように尖った葉っぱで、色は濃い緑。表面はツルツルしていて、葉脈は網状脈。

 次に右手のもの。おおよそ同じだけれど、若干色が薄いように見える。光の加減の可能性もあれば、個体差で片付けられる程度でもある。


 今日は簡単な傷薬を作るための採集だ。必要な薬草は2種類。止血の効果があるものと、鎮痛の効果があるものだ。

 今サラ様が手にしておられるものは鎮痛の薬草と、よくそれと間違えられる薬草だろう。


「左手のもの、だと思います。」

「今の状態で判断できたのですか。」

「色が左のもののほうが濃いのです、濃い緑という条件から判断しました。ですが自信はありません。」

「ええ、そうですね。一つ確認してみましょう。」


 サラ様は裏返しにされた。すると、全く違う点が見える。


「あっ、右手のものです。」


 左手のものには白い綿のようなものが薄っすらと見えるけれど、右手のものは表面と同じようにツルツルしている。


「きちんと覚えていましたね。マリア様、こちらを間違えて入れるとかぶれてしまいますから、気を付けてください。」

「はい、サラ様。」

「正しい薬草のほうは少し多めにとっていきましょう。村にもやんちゃな子はいますからね。」

「ええ、元気なのは良いことです。」




「このぐらいにしておきましょう。」

「はい。お力になれましたか。」

「もちろんです。マリア様は記憶力に優れていらっしゃいますから、大変助かっております。」


 触れることがなくとも、その表情でサラ様は思いを伝えてくださる。


「良かったです。人々を癒す貴女の力になれて。」

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