託す相手
〔琥珀の君〕が休みの日でも、マリアが活動の時間は多い。特に午前はマリアが好んで教会に向かうため、ほぼそうだ。そんな時を狙って、私は彼を訪ねた。
「やほっ。ちょっとマリアのことで、大事な話があって。」
軽い調子を心掛けて片手を上げると、あからさまにがっかりした様子を見せられる。
「マリアさんと一緒に来た時で良いだろ。」
自宅に上げてくれるけど、当然マリアにするような親切さも優しさもない。誰にでも同じような態度のほうが信用ならないため、マリアを預ける相手としては合格だ。
「こんな時間に来るわけないでしょ。」
「分かってるよ。」
お茶も出されないまま、本題に入る。私と〔琥珀の君〕の間に必要なのはこれ以上の個人的な親密さではない。
「マリアと結婚するって話だけど。」
「もう動き出してる。いくらラウラが本気じゃなかったなんて言っても止められないよ。」
「止めるつもりはないよ。」
本気で勧めている。私はマリアを守るだけ。そのためなら、私がマリアと過ごす時間を減らしたって構わない。
「じゃあ何?」
「マリアの心を救って、守って。私じゃ、できないことだから。」
机に額が付くほど頭を下げれば、息を飲む音が聞こえる。何度も衝突した私から、こんな風に頼まれるなんて思っていなかったのだろう。
「俺には、マリアさんはラウラのことも大切にしてるように見えるけど。」
戸惑いの表情を隠さずに、私を見ていた。私がなぜ、こんなことを言い出したのか分かっていないようだ。一度はその目で私の罪の現場を見たというのに、マリアが私に何を見るか、分かっていない。
「大切にしてくれてるよ。だけど、私はマリアが大切だから守るために罪を犯すの。マリアが好まない殺人だって平気でできる。私とマリアは、根本的に在り方が違うんだよ。」
罪を深く認識し、その罪を赦すことを信条とするマリア。マリアを守るためなら罪を犯すことも厭わない私。罪と同じ言葉で表現していても、それに同じだけの重さを見ているのかさえ分からない。
〔琥珀の君〕を守ることだって、マリアの心を守るための手段に過ぎない。私にとっては最優先がマリアであるとはっきりしている。その次に愛良ちゃんたちを守ることも考える。自分の手の届く範囲で、守りたいと思う人だけを守る。
「頼まれなくても、マリアさんを悲しませるつもりはないよ。」
真剣な様子で告げられるけど、この言葉だってどこまで信じて良いか分からない。それでもこの言葉に縋るしか、私にできることはない。どれだけ足掻いたって、〔琥珀の君〕以上にマリアの心を守ることはできないのだから。
「本当に、頼んだよ。私には体しか守れないから。」
話はこれで終わりと、私は席を立つ。もう私に話すことはなく、〔琥珀の君〕から私に伝えるべきこともないだろうと思っていた。しかし、それは覆される。
「何かしようとしてる?自分のことも大切にね。マリアさんだけじゃなくて俺も、きっと愛良も心配するから。」
この身を犠牲にするような馬鹿な真似はしない。死んだらそれで終わりなのだから。死者の国に行ったとしても、死んでもう一度この世界に生まれたとしても、それはもう今の私ではない。そこでマリアと出会えるかも分からない。
それでも、自分の身が傷つく程度で守れるものがあるから、私はこの身を危険に晒す。
「マリアは死者を過去にして、きっと前に進める。だから、私に万一のことがあったらお願い。このこと、マリアには内緒で。」
「分かったけど。」
多少納得はいっていなさそうだけど、ここは信用するしかない。伝えればマリアを余計に苦しめるだけだとは分かってもらえているだろう。
頼めば次は〔琥珀の君〕自身の安全の話だ。
「マリアとの結婚の話が進んでるなら分かってるだろうけど、そっちの身も危険に晒されてるんだ。だから今日みたいに、人が訪ねて来ても気軽に自分で出ないほうが良いよ。」
「ああ、それは警備がいるから。」
確かに表、商会の入り口にはいた。しかし、自宅の玄関の側には立っていなかった。首を回せば視界には入るだろうけど、すぐに刺されれば警備が駆けつけても間に合わない距離だ。刺されたり斬られたりした場所が悪ければ、目的を果たした敵を捕らえるだけとなる。
「脅して言うことを聞かせようとする相手ならそれで良いけど、殺そうとする相手なら駄目だよ。だから、約束もなく来た私が言えたことじゃないけど、あれは出るべきじゃない。家の中か表から相手を確認して、それからでないと。」
「ラウラも騎士なんだね。分かった、気を付けるよ。」
当然だ。もうマリアを守ると言い張るだけの子どもではない。しっかり相手の狙いを考えられる一人前の騎士だ。
奴らも目立つことは避けたがるはず。大きな音を立てずとも、侵入が見つからないようきょろきょろとしていれば、周囲の人間は不審に感じる。だけど、あたかも知り合いのように自宅を訪ねれば、通行人が他人の家の前に立つ人物を見かけても客が来ただけのように見えてしまう。
「事態が落ち着くまで、まあだいたい婚姻の誓いが終わって、その話が貴族たちの間で広まるまで、かな。その期間なら、聖騎士を付けられるかもね。」
「冗談でしょ?」
「本気だよ。まあ、聞いてみないと分からないけど。」
〔聖女〕が望んで接触を図り続けた相手が、それを原因として死亡するなんてことになれば、それはリージョン教にとって不利益なことだ。今までその話をしなかったのは、〔琥珀の君〕の家にも身を守ることのできる警備が多少なりとも存在したせいだろう。そうでなければもっと早く提案していたはずだ。
ただし、婚姻の誓いが終わったとしても、〔琥珀の君〕に宗教的な立場が与えられるわけではないため、常に聖騎士によって守られることはない。
「気を付ければ良いんでしょ。どこかに出かける時には護衛を付けるとか。大丈夫、聖騎士までは必要ないよ。」
「本当に気を付けて。じゃ、用はこれだけだから。」
話は終わり、と席を立つ。明るいうちに済ませるべき用事が今日はまだ残っているため、あまりここでゆっくり話してもいられない。
「ラウラ、ありがとう。一応忠告は受け取っておくよ。それと、マリアさんによろしく。」
「マリアに会うほうが早いかもね。」
振り返ることなく、私はその場を後にする。約束の時間が迫っていた。
大通りの途中、様々な人が憩う中央広場。そこで一人佇み、誰かを待っている男性がいる。
「秋人!ごめん、お待たせ。」
「何だよ、人に聞かせたくない話って」
「ここではちょっと。」
目的の場所に向けて歩き出せば、大人しくついて来てくれる。
私のやろうとしていることは愛良ちゃんやアリシアにも影響を与えるかもしれない。私は二人とも親しく、敵対する家の中には愛良ちゃんに懸想している者がいるという噂がある家も含まれているから。だから、秋人にもアリシアにも伝えるべき話だ。
「それならそっちの家でも、うちでも良かっただろ。外で会うより確実に人払いできる。」
「姉にも愛良ちゃんにも聞かせたくないの。」
マリアの名は知られている。大陸なら同じ名の者だって珍しくないかもしれないけど、皇国では目立つ。愛良ちゃんは一般の人々に知られるような立場ではないため、聞かれても後をつけられる心配はないだろう。
人の恨みを買う行動を取っている自覚があるため、誰かに狙われていないか気を付けつつ、大通りに沿って歩いて行く。
「どこに向かってんの?」
「お店。ちょっとお高いけど奢るから。」
「お前には借りがあるから、二回くらいなら手伝うけど。」
奢ると言ったことがそんなに似合わなかっただろうか。頼み事があるのは確かだけど、聞き入れてもらうために奢るわけではない。
「ほとんど場所代みたいなものだから。詳しいことは着いてからね。」
「ご主人様には黙っとけみたいな話は無理だからな。」
「むしろ伝えてって話だから、それは安心して。」
私の警戒心から何か感じ取ったのか、秋人も名を伏せて話をしてくれる。しかし、周囲に聞かれていることを意識した会話では限界がある。店に入れば詳しいことを話すつもりでもあるため、マリアから聞いた彼らに関係する別の話題を持ってくる。
「そういえば姉から聞いたんだけど、合同結婚式を検討してる、って。」
「ああ、ご主人様が勝手に言い出したやつだから。また今度お兄さんも呼んで家族会議って言われてる。いつになるか分かんねえけど。」
命に係わる危険はないようだ。あったとしても、アリシアがいる以上、私の気にすることではない。
「そっちは平和だねえ。」
「鬱陶しい相手がいるから結婚なんて話が出てるんだよ。」
同じ屋敷にいる以上、よく会っていても不審ではない。個人的な関係があるかどうかも、外からは分かりにくいはずだ。
「へえ、それはどういう意味で?」
「時間が取られるって意味で。手紙類はご主人様が握り潰してくれてるけど。」
恋文が届いているらしい。そうやって愛良ちゃんを屋敷に留めようとしているなら、相手も気付きそうだ。アリシアが愛良ちゃんのこともとても大切にしていることは周囲にある程度伝わっていると考えたほうが良いだろう。
「秋人はその手紙を読んでるの?」
「誰がどうやって近づこうとしてるかを知れば警戒もしやすいだろ。だからご主人様が確認した上で、俺も確認するように指示されてるんだよ。」
マリアへの恋文は届いていただろうか。私にその情報は回ってこないため、対処のしようがないかもしれない。
「なるほどね。奪われないように最大の注意を払ってるわけだ。」
「本人は隙だらけだけどな。」
信頼している相手には警戒などしないのだろう。傍にいて守ってくれると思っているから、他者がいても油断している可能性もある。
「警戒されたいの?ご主人様が許してるなら、少しくらい手を出しても嫌がられないでしょ。」
「愛人様に怒られるんだよ。」
まだ結婚していないからこんな呼び方になるのだろう。友幸さんも平民ではあるけど、役者として貴族の間では名が知られている。平民でも一部知っている人はいるだろう。
「それは大変。愛人様のご機嫌伺いのお土産でも持って帰らないとね。」
「絶対本人の前ではそういうこと言うなよ。後で俺が怒られるんだから。」
そんな風に聞かれても問題のない話を続けて行った。