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シキ  作者: 現野翔子
琥珀の章
159/192

ご挨拶

 私の中で一つの答えが出たことで、少し心にゆとりができ、次に慶司さんと会う日を落ち着いて待つことができた。うっかり他の人に聞かれてしまうことのないよう、ご自宅に伺ってのお話だ。

 少々いつもより緊張した気持ちで玄関の扉をくぐる。もう陽も落ちているため、ご両親も一階にはおらずとも、家の中にはおられるだろう。


「マリアさん、今日は緊張してる?そんなに警戒しなくても、取って食べたりはしないよ。」

「いえ、そういうわけではないの。ただ、その。」


 今日はこの話をしに来た。だけど、なぜか伝えることを躊躇してしまう。先延ばしにする理由はないはずなのに、お茶を飲み、手を組み直し、時間を稼いだ。


「悩み事なら聞くよ。力になれるかどうかは分からないけど。」

「ええ、ありがとう。その、婚姻の誓いを、検討しているの。」


 まず理由の説明をしたほうが良かった。いきなりこんなことを言われても驚くだけだろう。けれど、慶司さんはにっこりと微笑んでくださった。


「嬉しいよ。でも、どうして急に?」

「ラウラが結婚すれば安全になる、と言っていて。あ、だけど、それだけではないの。私にもそういった気持ちがあったから、それで少しでも危険を軽減できるなら、と思ったのよ。」


 愛良の助言のおかげだ。私ではこんなに真っ直ぐに説明できなかった。自分の想いに迷ってしまった。私は私を信じることができなかった。そんな私の言葉を信じてもらえるのだろうか。


「本当にラウラから言ってくれたんだ。」

「ええ、私も驚いたわ。だけど、私の妹であることに変わりはないからと言ってくれたの。ラウラもきっと大人になったのよ。」


 しっかりと考えてくれているのか、黙り込まれる。一生に関わる問題だ。そう簡単に結論は出ないだろう。

 結婚すればどうなるのだろう。一緒に住ませていただくことになるのだろうか。そうなれば私がこちらに来るのだろうか。それはそうだろう。私が今住ませていただいているのはオルランド様のお屋敷で、代々第六枢機卿が住まわれているお屋敷だ。そこに〔聖女〕とその妹として寄せさせていただいているに過ぎない。

 沈黙が痛い。これほど何かを話していたいという気持ちより、言葉のない時間を避けるために話したいという気持ちが強くなったことはあっただろうか。そう我慢できずに話しかけようとした時、ようやく慶司さんが口を開いてくださった。


「俺としてはとても嬉しい提案で、ぜひ、と答えてしまいたいものなんだけど。やっぱり色々マリアさんには影響力があるから。両親も呼んで来て良いかな。」

「ええ、もちろんよ。私もきちんと挨拶しなくてはいけないもの。」


 このような場合には正式に名乗るべきだ。リージョン教聖職者イーヴォとガイアの娘にして〔赦しの聖女〕マリアである、と。けれど、今この場に、私は〔聖女〕として来ていない。ただのマリアは何と名乗るべきだろう。

 名乗りに迷っている間に、正寿さんと賀代さんが降りて来られた。失礼のないように立ち上がり、目を見てはっきりと言葉を発する。


「こんばんは、正寿さん、賀代さん。マリアと申します。」

「ご丁寧にありがとうございます。これから家族になるのでしょう?そんなに硬くならないでください。」


 賀代さんに撫でられた私の手は固く握られていた。肩を押されれば簡単に椅子に戻り、自分で思っていた以上に緊張していたと気付く。


「そうだわ。マリアさん、私のことをお義母さんと呼んでくださらないかしら。」

「母さん、気が早いから。」


 呼びに行った時に少し話してくれたのだろう。その一瞬で賀代さんは結論を出されたのだろうか。


「あら。でも、まさちゃんもマリアさんが来てくれると嬉しいわよね。こんなに綺麗な娘さんにお義父さんなんて呼ばれた時を想像してみてほしいわ。」

「そうだな。善は急げとも言う。マリアさんの都合がつき次第、婚姻の誓いの日取りを決めさせていただきたい。」


 落ち着いた様子で腰かける正寿さんも乗り気のようだ。リージョン教の婚姻の誓いは盛大な儀式ではない。聖職者一人と誓いを交わす二人だけでいれば成立する。


「ええ、あの、こんなに早く受け入れていただけるとは思わなくて。日取りはオルランド様にも相談させていただくわ。お、お義母様、お義父様。ありがとう。」


 少々気恥ずかしい。父母を呼んだのはもう何年前だろう。母と離れてからはもう二十年を過ぎているかもしれない。


「巷で噂の〔聖女〕様はこんなに可愛らしい人だったのね。」

「あ、ありがとう。だけど、一つ気になることがあって。急なお話なのに、どうしてこんなに温かく受け入れてくださるのかしら。」

「そうなったら嬉しいわ、と話していたのよ。ねえ。」


 心底喜んでくださっているような賀代さんが話しかけるけれど、正寿さんは少々難しい顔をされている。


「周りの商人連中にちょっかいをかけられないかと心配を、」

「まだかまだかと言っていたのは正ちゃんのほうでしょ。ごめんなさいね、自分たちの時とは違い過ぎて戸惑っているみたいなの。」


 賀代さんのほうがお話し好きのようだ。話を遮られても正寿さんもさほど嫌そうにはしておられないため、二人の間では問題にならないのだろう。


「自分たちの時、というのはどのようなものかしら。」

「マリアさんもこういったお話はお好きかしら。そうねえ、今から全部話すと朝になってしまうわ。少し短めにまとめるわね。」


 そうして時は四十年ほど遡る。二人の出会いから話し始めてくれるつもりのようだ。短くまとめても朝までに話し終わるのだろうか。

 賀代さんは楽しそうに話し続け、正寿さんもにこにこと微笑んで、時折相槌を打ちつつ、聞いている。そこへ慶司さんがこそっと耳打ちをしてくださる。


「長いから適当に聞き流しといて良いよ。」

「参考になる話もあるかもしれないわ。」


 私たちが話していても気にすることなく、賀代さんの話は進められていく。


「そうして数年ぶりに再会してあら不思議。懐かしいと同時に初めて会ったような新鮮な気持ちを味わったの。それでいて離れ難くなってしまったのよ。記憶にあるより十倍、いえ、百倍格好良くなっていたのだから。」

「賀代も美しくなっていたよ。もちろん、年々魅力が増していて、今はもっと美しい。」


 長年共にいてなお、互いをこのように思い続けられるのは羨ましいことだ。私も思い続けられるだろうか。このような会話が私には美しく見えたのだけれど、慶司さんはうんざりしたように眺めておられた。


「二人で話すなら、俺たちは庭に出てても良いかな。マリアさん、今日も月は綺麗だから。」

「え、ええ。少し失礼するわ。」


 私から話を振ったのに出て行ってしまうのは二人に悪いだろう。けれど、この話題を振ったこと自体、慶司さんには悪いことをしてしまったかもしれない。


「好きではないお話だったかしら。」

「まあ、何回も聞いてれば飽きるよ、あれも。短くまとめるとか言っても朝までかかるから。」


 大変なお話し好きのようだ。流石にまだここで一夜を明かすわけにはいかない。正寿さんも止めないのは、二人でのお話の時間をとても大切にされているのだろう。

 見上げた月は美しいけれど、今日は少し落ち着かない気分になる。


「とても仲の良い、ご家族なのね。」

「そうかもね。マリアさんの話は、聞いても良いことかな。」


 私の家族は、今はもうラウラだけだ。母は幼い時に音信不通となり、父はラウラと会った日に亡くなっている。


「ええ、良いけれど。聞いて楽しい話ではないわ。」

「これから家族になる人のことは知りたいんだよ。俺の家族のことは一部知ってもらえた。だから、次はマリアさんの家族の話が聞きたいんだ。」


 どう話せば良いだろう。迷いつつ、口を開く。


「大陸の小さな村で、父も母も聖職者をしていたわ。けれど二人とも、より救いを求める人が待っているからと、よく遠方に出かけていたの。」


 その村で聖職者をしていた、というより、その村を拠点に聖職者をしていた、と言うほうが適切だ。一年の半分も村には滞在していなかっただろう。けれど、時折幼子を連れて帰ってくるから、村の人たちも何をしているか知っていて、他の地域の聖職者も父母のことを知っているくらい尊崇を集めていた。


「だけど母はある時から戻らなくなって。話も聞かなくなったの。」


 私と同じように別の居場所を見つけたのか、父と同じように殺されたのか。遺品の一つすら帰って来ることはなかった。生きているのか死んでいるのかさえ分からないままだ。


「母が戻らなくなってから何年も経った頃、私は父と一緒に救いの旅に出たの。だけど、その時向かった場所で、父は一人の少女に殺されたわ。私の目の前で、胸を銃弾で撃ち抜かれて。」


 慶司さんは息を飲むけれど、口を挟むことはない。私は話を続けた。


「だけど私は父の娘として、与えるべき救いをその少女に与えたの。そして月の精霊ラウラと同じ名をその少女に与え、自分の妹にしたのよ。」


 はっと、庭の向こう側に視線をやられる。しかし、今日はラウラを連れていない。そこには暗闇が広がっているだけだ。


「ね、楽しくない話でしょう?」

「いや、話してくれてありがとう。それで、ずっと、ラウラと一緒にいられるんだ。」

「当時のラウラには死が理解できていなかったのかもしれないわ。荒廃した地域で、毎日食べることもままならないような場所だったから。」


 私もそれをラウラがどう感じていたか分かっていなかった。曲作りのために愛良に話す横で聞いていて、どれほど追い詰められ、私の常識の通じない場所だったのか、認識を改めさせられた。


「信じられる?人の死体さえ食料にしなければならない環境だったと言っていたのよ。」

「よく、あれだけまともに、いやある意味まともじゃないけど、一応おかしくならずに育ったね。」


 神経を擦り減らす環境だっただろう。だけど、そんな中でも人は生きていた。罪を互いに犯しながら命を繋いでいた。


「今はもう、かけがえのない家族なの。救うためではなく、傍にいてほしいと思える大切な妹よ。だから、悪いことをすることはあるかもしれないけれど、その時は少し叱るくらいで赦してあげてほしいの。」

「最近は特に何もないから安心してよ。」

「そうね。ラウラのことも信じているわ。」


 ラウラも忙しくなり、三人で出かけることもできないけれど、大切な人同士が対立していないのなら、私は素直にこの幸福を受け入れられる。

 月は優しく、空に浮かんでいた。


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