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シキ  作者: 現野翔子
琥珀の章
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宗教交流会

 神を食す発想が容易に受け入れられる文化に比べれば、リージョン教と始祖教の違いなどは些細かもしれない。いや、その宗教だって、争いを好まない点では同じはずだ。

 そんな葛藤を乗り越え、オルランド様が皇国に協力を要請した、リージョン教と始祖教の信者たちを交えた小さな交流会が開催された。開催場所として、宗教省の会議室の一つをお借りしている。


「本日は集まってくださってありがとう。私たちは異なる紙を信仰しているけれど、その教えには共通点もあるでしょう。あるいは、異なる教えの理由を知ることも、互いの距離を縮めてくれることと信じているわ。」


 最初はこの催しの提案者である私の挨拶からだ。聖職者ではなく、信者同士の対話に重きを置くため、簡単に済ませる。

 次に挨拶されるのは始祖教の神である三木一さん。代表者として誰か一人聖職者を互いに出すということになっていたが、まさか一さん直々に来られるとは思わなかった。文化交流事業公演にも自ら望んで出席したことも合わせると、とても行動的な人なのだろうと推測できる。


「私も長らく、他の宗教を攻撃してしまう身近な信者の方を見て、悲しい思いをしてきました。ですので今回、オルランドさん、並びにマリアさんの提案で、このような場が得られたことを非常に喜ばしく思います。」


 その他、参加してくださる方々も自己紹介を行い、早速本題に入る。何の議題もないままでは話し合いも始め辛い。そのため、まずは私から争いに関するリージョン教の態度を説明させていただく。


「リージョン教の唯一の〔名も無き神〕は、平穏な世界を望まれる。だから、私たちは争うことを罪とする。その罪も赦されるといった教えもあるけれど、して良いこととされるわけではないわ。今日はその辺りは省略しましょう。」


 教えの重要な部分全てを語る場ではない。信者同士の対話が進むよう、話題を提示するに留めたい。

 事前の話し合いの通り、続いて一さんが始祖教における争いへの態度を説明してくださる。


「始祖教でも、最初の神は争いを憂いて生まれたとされています。人々を平穏に導くため、何度も生まれ変わり、何度でも人を導くとされています。今日は私が今代の神であることを忘れて、話してください。」


 互いの教えのことや、互いの宗教においてなぜ争いが避けるべきこととされるのかなどに関して、彼らは話を深めていってくださる。


「始祖教はそもそも、争いを回避するために、無用な犠牲を出さないために生まれた宗教です。争いを忌避する神が、平穏に導くため、私たちの前に現れてくださったのです。」

「リージョン教においては、人を愛する神は人が傷つくことを悲しまれます。また、愛する誰かを失う人の悲しみを生じさせないため、猊下や〔聖女〕様は、人が対立することのないよう、力を尽くしてくださっているのです。」


 どちらがより正しいか、どちらがより世界のためになるかなど争う必要はない。両者が協力して、世界を平穏へ導くのだ。〔名も無き神〕は全ての人を愛されているのだから。

 神の話には深入りしない。今回は争いに関する態度が主題だ。それをここにいる信者の方々も分かってくださっているため、現在起きている対立に話を広げてくださる。


「ええ。始祖教の今代の神も、他との対立を拒み、争うことのないよう指針を示してくださっています。ですが、始祖教信者の中には、人を虐げる者を打倒することこそ、最初の神の望んだことではないのか、と主張する者もいるのです。」


 打倒する方法にも色々あるだろう。人を虐げようという思いを変えさせることで、その思想を打倒したと表現することもできる。


「その人を虐げる者というのは、どういった者を指しているのでしょう。打倒には、どういった方法を想定しているのでしょう。」

「これは一部の過激な者たちの考えなのですが、全ての罪を赦すというリージョン教の教えは犯罪行為を増加させる、つまり〔赦しの聖女〕として罪を赦しているマリアさんが弱者を虐げていると。打倒にはその命を奪うことまで想定しているようです。」


 一部分だけ教えを知っているから、誤解が深まり、〔赦しの聖女〕が虐げているように見えるのだろう。リージョン教は、神は全てを赦すとするが、人が人を赦すために罰を与えることもまた容認している。そして現在、皇国においては、リージョン教の〔聖女〕や聖職者が罪を赦しても、皇国による刑罰を受けることは免れない。


「マリア様はむしろ救ってくださっているのです。日々の罪の意識から、私たちを。人が人を赦すため、赦された実感を得るため、人は罰を求めるのです。」


 少し興奮された方がいらっしゃる。ここにいる人がそういった考えというわけではなく、そういう人がいたという話でこうまで反応される方には、周囲が気を付けてあげる必要があるだろう。

 今回はこういった事態に対処するため、私や一さんが同席している。


「誤解をされている方もいらっしゃるのね。それなら、互いの教えについて学ぶ機会を設けても良いかもしれないわ。」

「ええ。実際にマリアさんを狙えるとは思えませんが、そうやって反感を抱いているような人がいたのです。」


 私たちの会話で落ち着きを取り戻した方が謝罪し、また対話は続けられる。


「リージョン教の内部でも思想の対立は生じています。神は全ての人を愛する。しかし、彼らは人をリージョン教徒と定義し、愛されているのはリージョン教徒のみであり、世界を導くこともまたリージョン教徒のみに許された特権だとするのです。」

「私たちは人ではない、と。」

「ええ。それもまた、同じ人としての関わりが薄いからだとは思いませんか。同じ言葉を交わし、同じ時間を過ごした相手なら、同じ人だと思えるはずです。」


 信者の方からこういった言葉が出るのは喜ばしい。今回は主旨を説明し、自ら参加したいと声を上げてくださった方々のため、もともとこのような思想を持っていたのかもしれない。それでも、信者の方々の中にも私たちと同じような思想を抱いている方がいらっしゃると知れるのは、私や一さんにとっての収穫だ。

 やはり、交流する機会を設けることは、争いを減らすために必要なことなのだという思いを強めてくれる。


「交流したとて、罵詈雑言が飛び交えば意味を成すまい。」

「今の私たちの対話に、意味は感じられませんか。」

「話せば分かり合えると楽観視もできません。」

「一定数、相手を武力で以て打倒することに意義を見出している者もいるでしょう。しかし、そういった者たちに惑わされず、大多数の誤解を解くことが、全体としての平穏に近づくのではありませんか。」


 未知への恐怖。それは全知ではない人である以上、自然に抱き得る感情だ。知らないから誤解し、知らないから恐ろしくなる。武力による打倒を謳う者も、知れば考えを改める可能性はある。


「私たちの教えは、なのですが。これを読めば理解できるという風にまとめられた一冊の書物があるわけではないのです。創世記や宗教詩などがあり、それらを教会で教えていただく。そして、司祭様や〔聖女〕様、猊下からの説教を聞き、理解を深めていくのです。」


 思想の一部は絵本などからも学ぶことができる。しかし、それらも膨大で、私もオルランド様も、全てを把握しているわけではない。


「始祖教においても同じです。神の残した手記として残ってはいますが、同じ話題が繰り返されていたり、全く関連の見えない話題が並んだりしていて、教えを学ぶには少々苦戦する代物なのです。やはり、上位信者の方から教えていただくことが中心になります。」

「上位信者、ですか。」

「司祭のようなものです。生まれたばかりの神の世話や教育を行ったり、その他の信者に教えを説いたりします。神がおられない時代には、生まれてくるまでの間を彼らで繋ぐのです。」


 名称にこそ上位とついているが、宗教として人間に上下があるという教えではないそうだ。むしろ、聖職者と信者を明確に分けないために、同じ信者という名称を用いていると言う。


「神がおられない時代は、そうやって、導いてくださる神の生まれ変わりを信じて、耐えたそうです。いつかきっと良くなると未来に希望を抱くことで、辛い現実を耐えられると。」

「その間に、平穏が遠ざかってしまうことはありませんか。」

「導く者もないまま、それぞれがばらばらに行動を始めれば、神をお迎えできない。そう考える者が大半ですから、上位信者の一部が行動を起こそうとしても、大半の者がついて行かないのです。今は耐え忍び、神を待つ時間なのだと。」


 神がいないという絶望の中でも、彼らは強く生きて来た。しかし、やはり一さんを神とし、自分たちが教育を施した相手を指導者と仰ぐ姿には不思議なものを感じる。


「そういった考えは、書物に記されるものでしょうか。」

「いいえ。書物に記すことのできるものなど、ごく一部でしょう。だからこそ、他の宗教の方に理解していただきにくいのかもしれません。」

「〔聖女〕様、教えを数冊の書物にまとめても良いでしょうか。双方、互いの教義について知らないことは多いです。ですが、こういった機会だけでは、知ることのできる人も限られます。」


 一日中話し合ったとしても、教えの一部分についてしか話す時間はないだろう。参加できる人数も限られる。教えをまとめることは、まとめ作業をする人の理解をより深めることにも繋がる。私も知らない逸話を知る機会を得られるかもしれない。


「ええ、ぜひお願いしたいわ。」

「始祖教でもやってみましょう。完成すれば、マリアさんも読んでいただけますか。」

「もちろんです。こちらも一さんに読んでいただきたいと思っています。」

「喜んで。」


 これはオルランド様にもお伝えしよう。数多に存在する宗教詩や逸話を集め、書物にまとめることは大変な労力を必要とするはずだ。私たちからも何らかの助力をしたい。一部の教えなら、まとまってはいなくても書物に記されているはずだ。


 教えの編纂という成果を得て、第一回宗教交流会は大きな衝突もなく終了した。


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