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シキ  作者: 現野翔子
紅の章
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イリス視点:停戦条約

 お姉様、私は今、バルデス王国との和平交渉の場に来ています。開催場所はエスピノ帝国南部のクエンカ。これが今年成人の儀を済ませた私にとって、初めての大任となります。補佐してくれる人はいますが、今回は私が主導です。憧れのお姉様の支えとなれるよう、そしてお姉様が安心できるよう、全力で務める所存です。


 お姉様は私がきちんとできるのか、不安に思っておられることでしょう。お母様からも心配され、お姉様の時より随分ゆっくりとした教育だと周囲の者たちからは聞かされました。


 成人の儀で、私はお姉様の背負っておられるものを知りました。ですから、私は私にできることをして見せます。もう、待っているだけのお姫様ではないのだと、分かっていただけるように。




「このような場で、これほど愛らしい少女と話せるとは思いもよらぬ幸運だ。」


 そんなふうにこちらを馬鹿にした発言をされたのは、バルデス王国の外務大臣を務めるブルーノ・ガルバンという方。

 「愛らしい」という言葉も、お姉様やお兄様から向けられるものとは大きく異なる印象を抱きました。成人したばかりの姫だと、こちらを侮っていらっしゃったのでしょうか。お姉様なら、相手にするな、と言うことでしょう。


「ありがとう。」


 だから私は、立場は貴方以上だと言いたくなったのを、ぐっと堪えました。お兄様が頭脳で、お姉様が武勇で国を支えられるのなら、私は愛情深い王女となりましょう。そのためにはいつも穏やかでいなくてはならないのです。

 引きつりそうになる頬を無理に上げて、表情を保っていると、ようやく待っていた人物が会場に入って来られました。


「お久しぶりです、セリオさん。」


 お姉様は軍人になるために行動し、そして軍部の人間としてお忙しくしていたからご存知ないことでしょう。ですが、私も大臣たちと一緒に、他国の人間と会うこともあったのです。このエスピノ帝国のセリオ・ルイスさんとも、その関係で知り合いました。


「お久しぶりです、イリス殿下。ガルバン殿、ご自身の立場をお考えになられては如何でしょうか。」


 今回のルイスさんは大陸連盟の代表として来られております。同じ連盟に属する国同士での初めての戦争、ということで大陸各国が注目していて、セリオさんが私たちの会談に立ち会ってくださることになったのです。

 そのような立場ではありますが、セリオさんは本来、エスピノ帝国の公爵子息です。対するガルバンは、エスピノ帝国の半分もない国の子爵に過ぎません。顔をしかめられはしましたが、言葉を発することはできなかったようです。


 そんなガルバンに一瞥をくれて、セリオさんが場を仕切られました。


「では、サントス王国代表イリス殿下、並びにバルデス王国代表ガルバン殿、大陸連盟から派遣されましたこのセリオ・ルイスが立ち会わせていただきます。」



 和平交渉、停戦のための交渉。そう表現するものの、既にバルデス側に戦争を続けるだけの力が残っていないことは、お姉様ならよくお分かりだと思います。

 強いる女王が亡くなり、民は疲弊しているこの状況。ほぼ、サントスの提案が受け入れられるだろうと思っておりました。


 我が国から望むのは賠償金と、当然停戦協定。独立を認め、関係も徐々に改善している中での一方的な侵略行為を考えれば、妥当なものでしょう。お姉様は優しすぎると仰るでしょうか。

 しかし、これでもガルバンは文句を言ったのです。信じられますか。


「賠償額が高すぎるのではありませんか。今のバルデスにそのような力は残っておりません。貴女のお姉さんが殲滅してくれたおかげで、人的被害が大きすぎるのです。国を立て直すためには資金が必要なのですよ。」


 要求額は決して高額ではありません。サントス領であった頃のバルデスで徴税していた額のたったの5年分なのですから。

 お姉様が殲滅したのも「サントス国内に侵入してきたバルデス兵」でしたよね。それについて苦情を言うなんて、自分たちの行いを忘れたのでしょうか。


「我が国はこれ以上、譲歩しません。領土を要求しないのです。これくらいは呑んでもらいます。」


 戦争の結果、国境が変わるのは珍しいことではないでしょう?それをしないということの意味を、彼は最後まで理解してくれませんでした。


「被害の内容を考慮していただけませんか。兵の中には農民もいたのですよ。民が飢えかねません。」

「自分たちで攻め始めて、負けたからその被害に配慮してくれ、ということですか。」


 彼の言い分を言い換えると、こうなりますよね?ふざけているのでしょうか。勝てば領土が手に入る、負けても不利益はない、なんて受け入れられるはずがありません。

 大陸連盟としても、負けた場合の損失を小さくして、侵略行為を容易にするような結果は避けたいでしょう。


「まさかそのようなこと。ただそれなら停戦ではなく、休戦にはできませんか。私どもも国内向けの言い訳が必要なのです。慈悲を、いただけませんか。」


 なんと醜い行いでしょう。自国の価値を下げていると気付いていないのでしょうか。対等な国に対して慈悲を乞うなど、あり得ません。

 戦況も完全にサントスに向いています。これ以上の戦いはバルデスにとっても利益にはなりません。それとも、すぐに立て直して再びサントスを攻められるとでも思っていらっしゃるのでしょうか。そんなの、互いの民が犠牲になるだけです。


「戦争の経緯を、大陸連盟が把握していないとでも思っているのですか。」


 常の穏やかな空気を崩し、セリオさんは厳しいお顔をされました。これが大陸連盟の意見なのでしょう。お姉様、私たちは連盟を味方に付けました。


「いえいえ。しかし、このように愛らしい王女から特別な歓待を受ければ、心が揺れることもありましょう。それが悪いと言っているわけではないのです。誰もが一時の情に流され得るのですから。」


 セリオさんは素敵な男性です。家格も私と釣り合います。年齢は少々離れておりますが、貴族では珍しいことではありません。しかし、私はセリオさんにそのようなことを一切行っておりません。


「貴方はご自身の立場を理解しておられないようですね。攻められた側が、現状維持で、しかもこの程度の賠償金で収める、と言っているのですよ。」


 私には言いたいことが沢山あったのです。お姉様はバルデスの女王と親友だったのです、とか、かつての民を喜んで殺すようなお人ではないのです、とか。ですが、そこは国同士の話し合いの場。個人の感情を伝える場所ではないと堪え、他のことを言うことにしたのです。


「サントス王国が要求を変えることはありません。戦争前の女王を始めとする支配階級による圧政、戦争による疲弊、それらを考慮した上で、これ以上戦争を拡大させないため、再び起こさせないための賠償金です。」


 こう言えば、大陸連盟も堂々とサントスの肩を持てることでしょう。


「大陸連盟からすれば、サントス王国もバルデス王国も、差のない加盟国です。そして、この場における大陸連盟の役割は、条約が恙なく締結され、その内容が滞りなく実行される証人となることです。」

「サ、サントスの王女殿下は、随分ともてなしが上手なようですね。」


 セリオさんが暗にこの内容を呑めと言っていることに気付いたガルバンは、何とかといった様子でこちらへの侮辱を続けられました。

 穏やかな王女として、愛される王女として、私はこのような「もてなし」の意味を理解できないふりをすべきだったのかもしれません。ですが、我慢できなかったのです。


「ガルバンさんの言うことは不思議ですね。私からの特別な歓待、ですか。驚きました。エスピノ帝国内で開かせていただいた会談で、私が招く立場だったのですね。」


 エスピノ帝国へ招く権限のある王女、ということになる。サントスの王女に過ぎない私が、エスピノ帝国でもそれほどの影響力を持っている。そうなれば、エスピノ帝国の公爵子息のセリオさんの存在もあって、より私の意向で条約内容を決定できることとなりましょう。

 それにガルバンも気付いたようで、顔色を無くされました。そこへセリオさんが追い打ちをかけられたのです。


「イリス殿下、先ほどの条件から変更はありませんか。」


 このタイミングで問いかけ直すことで、私の変更を受け入れ、それをセリオさん、ひいてはエスピノ国や大陸連盟がそれを支持する、ということ暗に示されました。


「ええ、まだありません。」


 条件変更の権限など、私には与えられておりません。ですが、「まだ」と言うことで、ガルバンの返答次第で、より厳しい条件への変更もできるのだと、訴えたのです。


「ではガルバン殿、返答に変更はありますか。」


 セリオさんは不自然なほどゆっくりと返事を促されました。それに対し、ガルバンは歯を食い縛るような様子を見せ、何とか言葉を絞り出されました。


「一度、国に持ち帰りたく……」

「ゆっくり検討してください。」


 優しい王女のイメージを崩さないように笑みました。これで、最低限の役目は果たせたのではないでしょうか。





 後日、バルデス王国から届けられた文には、停戦協定の受け入れと、要求された賠償金額の全額を支払う旨が記されておりました。


「イリス、よくやったわね。」


 お母様からお褒めの言葉をいただきましたが、私のしたことはただの伝言係です。


「お母様、本当にこれで良いのですか。」

「ええ。サントス王国との関係を考えれば、併合しても問題しか起きないというのは、貴女も分かっているでしょう。」


 何度も戦火を交え、一度は併合したけれど、結局は独立したバルデス王国。独立戦争の際には、お姉様は会議に参加されておりましたね。その時の様子を間近で見たお姉様なら、私よりも再度の併合の無意味さを理解されることでしょう。

 ですが、私が言いたかったのは、バルデス王国の処遇についてではないのです。


「お姉様なら、その場で返事を得られたはずです。」

「焦る必要はないわ。あくまでも対等な国としての交渉という建前があるの。アリシアでは相手を委縮させすぎるでしょう。」


 私には格好良く、綺麗で、頼りになるお姉様です。その武勇は敵国の人間にとっては、非常に恐ろしいものに映るのでしょう。たとえ、その手に武器を持っていなくとも。


「ですがお姉様は、」

「イリス、貴女とアリシアの役割は異なるの。ここまでがアリシアの領分なら、ここからは貴女の領分。民を、安心させてあげなさい。」

「……はい、お母様。」


 別の国として、混乱するバルデスから逃れてくるだろう難民に対処すること。その方法をお兄様が考え、難民の流入に不安を抱くだろうサントス国民を私が安心させます。



 だから、後のことは、私たちに任せてください。お姉様が、心配するようなことは何もないのです。

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