曲作りのために
文化交流事業の第二回公演で起きた事件も一人の命と引き換えに解決とされ、他との交流を控えられていたアリシアさんも以前のように忙しくされ始めた。
そんな時間の隙間を縫うように、私たちを招いてくださる。
ソファの対面にはアリシアさんと愛良。久々に〔シキ〕の四人で集まれた形だ。
「七月に第三回公演があるのだけれど、出られそうかしら。」
「ええ、もちろんよ。第二回公演だって、ひと月でも前後にずれていれば出られたのだけれど。」
年末には〔赦しの舞〕も、その他の〔聖女〕としての活動もある。参加したい気持ちがあっても、一つしかないこの身では〔シキ〕のほうを諦めるしかなかった。
「愛良ちゃん、曲のほうはどうなの?」
「順調だよ。次はね、文化交流っていう部分もしっかり意識したいなって思ってるんだ。アリシアとマリアがいるからってだけじゃなくて。それぞれの立場じゃなくて一人の人間で、個性があって、っていうのは前提だけど、それに注目したのはもうしてるからね。」
初回公演の時に、愛良はそれぞれの雰囲気や性格、愛良から見た人物像を曲に落とし込んでくれていた。第二回公演では、その季節の逸話が曲に生かされていたと聞いている。
文化交流は他地域との交流だけではない。他宗教との交流の意味も含まれている。宗教同士の対立も、こうした交流で避けやすくなるとオルランド様はお考えのため、私にもこういった活動を大切にするよう背中を押してくださっているのだ。
「愛良も色々考えているのね。」
「うん!だって、アリシアにいっぱいお礼したいから。私もみんなが仲良くするために協力できたら嬉しいよ。」
何か私も協力できないだろうか。例えば、愛良の曲作りのきっかけになるような話をするとか。どういったものなら良いのだろう。
そう考えていると、ラウラが先に愛良に注目するものを提示していた。
「今度はそれぞれが見てきたものを聞いてみれば?こう、それぞれの在り方とか、さ。愛良ちゃんは可愛くて元気なのが似合うかもしれないけど、文化って綺麗な部分だけじゃないよね。その背景には血みどろの歴史が隠れてることだってある。」
〔赦しの聖女〕として在る私が、周りの人に罪を犯させていることも、隠された血の部分だろう。
「マリアは〔聖女〕の自分とそうではない自分って分けてるけど、全部ひっくるめてマリアだから。それまでの出来事も、今の立場も、立場を置いた自分も、全部一人の人間の中にあるんだよ。」
「だから立場の部分を描くのもいい、ってこと?」
「そういうこと。どうするかは愛良に任せるけど。」
〔聖女〕としての部分なら、多くは宗教詩に被せられる。そうあろうとしてきたからでもあり、教えの大部分は既に過去の偉人の手によって、詩として出来上がっている。
「面白そうだね。三人の背景から描く。うん。じゃあまず、ラウラから聞かせて。」
「私から?分かった。そうだね、背景って意味なら、マリアと出会う前のことかな。」
過去は全て過ぎ去ってしまったものだから、私もあまり聞かなかった。そのことを、ラウラは語ってくれた。
追い詰められた、苦しい生活。日々の食料さえ危うかったその時を私も知っているけれど、その時以上の危険と飢えが、その口から語られた。逃げ場のない人々が罪を犯していく時間。罪を罪とも思わず重ねていく時間が、鮮明に描かれる。限られた食料を手にするために命を奪い合う人々がそこにいて、その中にラウラも入っていた。
「人間の体を食べたの?」
「他に食べる物もなかったしね。マリアたちが来てからは時々外から持って来てくれたから、さすがに人肉は食べなくなったけど。その時は味なんて気にしてなかったし。まあ、その後、ただの野草で作ったマリアのスープが美味しかったから、たぶん今食べたら不味いんだろうね。」
味の問題ではなく、人の遺体を食べると言う状況が信じられるものではない。だけど、そうせざるを得ないほど、彼らは飢えていた。
愛良も反応に困ったように、何とかといった様子で言葉を返す。
「大変だったんだね、ラウラも。」
「まあ、その時はそれが当たり前だったから。」
「そっか。じゃあ次マリアね!」
それ以上の追及に何か危険なものを感じ取ったのかもしれない。さっと私に話を振ってくれた。しかし、私の背景と言われても難しい。
「そうねえ。何を話そうかしら。」
「何か印象的なこととか、どうかな。」
人の死は印象的だ。だけど、水津静香さんのことは私の背景とは言い難い。
「少し暗い話しになるのだけれど。」
そう前置きして、ラウラと出会った時のことを話す。父に連れられて行った先で、ラウラと出会った。その瞬間に父は殺され、私はラウラを義妹にした。
「マリアは悲しかった?」
「どうかしら。もう私は聖女のようであろうとしていたから、赦すべきだと思ったのよ。赦し、救うために、できることをしようとしたの。父の死を悼む前に赦す私は、薄情な人間なのかもしれないと思ったことは、覚えているわ。」
だけどそれはきっと違う。死を悼むという行為は、死者ではなく生者のためにある。私にはきっと、父の死を乗り越えるために、殺した相手を赦すことが必要だった。
「私はマリアが薄情だなんて思わないよ。だって、私にもラウラにも、他のみんなにも、愛情たっぷりだもん。」
「ええ、私も今は自分が薄情だなんて思っていないわ。愛情深いかは自分では分かりにくいけれど。」
全てを慈しむ心を忘れずにいたい。神の愛するこの世界を、私も愛していたい。自分も含めて、愛を持って見ていたい。
「マリアはとっても優しいって私は思ってるよ。」
「ありがとう、愛良。」
「えへへ。じゃあ、次はアリシアね!」
様々な経験をしておられる。中には愛良に聞かせにくい凄惨なものもあるだろう。ラウラの話も非常に刺激的だった。
「あら、私もなのね。前回出られなかったマリアとラウラを中心にしてくれても良いのだけれど。」
「作ってから選べばいいでしょ?」
「そうね。なら、サントス王国における、王族の成人の儀の話にするわ。もちろん、私も経験したものよ。」
紅いコートに、紅い手袋、そして紅い耳飾り。血と命を象徴する紅で全身を包み、全てを国と民のために捧げると誓う。想像以上に重い、成人の儀だ。
「今もよく着けてる耳飾りは、その時の?」
「ええ、そうよ。この身に宿る責務を忘れないために。」
「そっか。ありがとう。できるの、楽しみにしてて。公演で歌わなくても、三人にはお披露目するね。」
楽しみにしつつ、公演に関係しない話をする時間も共有したい。忙しくても、休んで、心を和らげる時間だって、人間には必要だから。
「ええ、その日はまた呼んでほしいわ。」
「もちろんよ。別の場で歌っても良いのだから。揃って時間が取れれば、だけれど。」
現状ではそれが難しい。曜日だけ調整すれば、私は年末以外なら比較的時間を取れるが、アリシアさんはこの文化交流事業のために忙しくしておられる。
「今もお忙しいのね。私やラウラが会えないのは仕方ないけれど、きちんと同じ家に住む人たちとはお話ししたほうが良いわ。近いのに話せないのは、互いの間に亀裂を作ってしまうから。」
「ええ、愛良とも話す時間は増えているわよ。ねえ、愛良。」
「友兄も秋人も一緒にお茶したりしてるよ。遊んだりもね。」
そういった時間を取り、良い関係を築けているのなら、何かが起きてしまった時にも対応できる。相談もできて、手も貸してもらえる。私ももちろん力になるけれど、日頃から傍にいる人がやはり異変には気付けるから。
「仲が良くて何よりだわ。」
「愛良ちゃんは平和そうだね。」
「うん。最近は秋人と仲良くしてても、友兄も怒ったりしてないみたい。秋人が友兄に怒られるって言ってたの、なくなったから。」
もしかすると、私が慶司さんと親しくなった時にラウラが示した反応と同じなのかもしれない。大切な人が奪われてしまう感覚。それが杞憂だと、友幸さんもようやく気付けたのかもしれない。
「あ、でも、この前、友兄のメモ書きを勝手に読んで、怒られてた。私も一緒に逃げて木の上に乗ったんだけど、ちょっと楽しかったよ。アリシアにも怒られちゃったけど。」
「密かな贈り物は事前に分からないようにするものよ。悪巧みではないのだから、せめて私には気付かれないようにしてあげて。後で私にまで苦情が来るのだから。指導者責任ね。」
小さな事件は起きているようだ。お叱りで解決できるなら、私の出る幕はない。
「オルランド邸ではそういうことないの?」
「私もそんなにやんちゃしなくなったしなぁ。」
「一緒にお茶はするわ。お出かけもね。」
住んでいる人の性質が異なるから、出来事も変わってくる。それぞれの平和な日常が送られている。それぞれにとっての事件も起きている。それでもまた、小さな事件でさえ日常の一部として、受け入れていく。
時が経てば、今日まで印象的に覚えていたことさえ、私の中で日常に溶けていくのだろう。
「そっかー。」
「私たちも大人になっていくからね。そういう悪戯はしなくなるんだよ。」
「ラウラと秋人、同い年だったよね?」
「性格の問題かしら。」
年齢で人を測ることはできない。幼くとも大人顔負けの弁舌を持つ子がいれば、大人でも上手く自分の想いを伝えられない人がいる。
「そうだね。友兄がアリシアにも時々悪戯されるって言ってたもん。」
「どういう悪戯?」
「あら、人に教えられるようなものではないわ。怒られてしまうもの。二度とさせてくれなくなってしまうかもしれないわ。」
教えると怒るけれど、教えなければ悪戯扱い。なんだか私もしてみたくなってしまう不思議なものだ。何をすれば良いか分からないけれど、助言は期待できない。そう私は問いかけることを諦めたのに、愛良は躊躇なく追及した。
「私もしてみたいから教えて。」
「愛良にはまだ早いわ。そうね、そのうち秋人から同じような悪戯をされるでしょうから、それまで楽しみにしていると良いわ。」
「はーい。」
わくわくと返事をした愛良だけど、本当に待っていられるのだろうか。どのような悪戯か、私たちが帰ればすぐ彼に問いかけてしまいそうな気もする。聞いてはいけないなら止めるはずだから、そうしても良いのだろうか。
愛良の幸せに満ちた日常を聞ける時間は、久々だった。それをこの後も存分に堪能して、この日はお開きとなった。