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シキ  作者: 現野翔子
琥珀の章
145/192

事件を経て

「もうお体のほうはよろしいの?」


 文化交流事業の第二回公演や私の舞の儀式からひと月。ようやくサントス邸へ遊びに行けるようになり、友幸さんとお話の機会を得られた。


「ええ。ゆっくりと休ませていただきましたから。まだアリシア様は安静にするよう言ってきますけど。」

「心配しておられるのよ。」


 詳しいことは何も聞けていないけれど、公演後の夜会で何か騒動が起き、そこで杉浦さんとアリシアさんが怪我をしたことは聞いている。そこに水津侯爵が何らかの形で関与していることも。

 だけどそれらは全て噂に過ぎない。どれが事実かなど私には分からないけれど、誰かに聞くこともできないでいた。


「怪我をしたのは肩と腕だというのに、歩く時に支えようとするのですよ。」


 愚痴を言っている風を装っているが、その顔は綻んでいる。心配されると大切にしてもらえている気になり、喜びの感情を抱くことも珍しくない。心配をかけてしまったという申し訳ない気持ちのほうが優先する人ももちろんいるけれど。


「その上、何度も様子見に来て、無理はしていないかと言ってくるんです。子どもじゃないんですから、そんなに気にすることはないと俺から伝えるんですけど、それでも言うんですよ。」

「仲良くなれたようで何よりだわ。」


 対立が生じることもまた赦される。だけど、ただのマリアは友人たちが蟠りを抱えている姿を見たくない。会いたくないと言われてしまった時もあるけれど、その時に私が行動したことも、今に繋がっていると信じたい。

 夜会の際の当事者なら、事件にも詳しいだろう。聞いてしまいたいという気持ちがある一方で、心の傷を抉ることになってしまわないかという不安もある。


「ええ。打算だけで、自分の身を危険に晒せるとは思いませんから。アリシア様もきっと、同じように想ってくださっているのでしょう。」

「そのこと、詳しく聞いてもよろしいかしら。」


 夜会での出来事を大まかに教えてくれる。人質に取られた杉浦さんを助けるために、アリシアさんも傷を負ったと。


「馬鹿でしょう?一国の王女と一役者の命なんて、天秤にかけるまでもないというのに。」


 それでもアリシアさんはその身で杉浦さんを守ろうとした。


「その上、自分だって怪我をしているのに、人の心配ばかりして。」

「杉浦さんのことが大切なのよ、きっと。」


 大切な人が傷つけば心配になる。それはとても自然なことだ。時に義務感でその感情を忘れてしまうこともあるけれど、誰かを守ることを強く意識しておられるアリシアさんが忘れることはないだろう。

 私の言葉で杉浦さんは喜ぶだろうと思っていた。けれど、照れたように話を変えられる。


「マリアさんはずっと俺のことを名字で呼びますね。」

「気を悪くされたかしら。」


 人によっては寂しいと感じられる呼び方だ。自分の親や兄弟姉妹と上手くいっていない人も家名で呼ばれることを拒む。妹のような愛良とは姓が異なり、他のご家族のことは伺ったことがないため、思い当たる節はない。


「いいえ。ですが、どうかこれからは友幸とお呼びください。」

「なら、そうさせていただくわ、友幸さん。」


 呼び方一つで、少し近づけた気分になる不思議。こういったことがあるから、人々から親しんでもらいたい聖職者たちは姓を持たない。昔の人々は同じ小さな共同体に属していることを示すために同じ姓を名乗っていたと習っている。今もそうであるかなど私には分からないけれど。

 呼び名が変わったからといって、関係が変わるわけではない。だけど少し新鮮な気分で近況を話していると、ふと友幸さんが扉のほうに目を向けられた。


「どうかされたのかしら。」

「え?いや、何でもありません。」


 返事と同時に、扉は開かれる。


「久しぶりね、マリア。」

「お邪魔しているわ。」


 この屋敷の主人であるアリシアさん。午前のお茶をしに来たのかもしれない。友幸さんを心配してであったとしても、私もその時間を共有させてもらえるのなら嬉しいことだ。

 友幸さんの隣に腰かけるけれど、その腕には触れないようにしている。先ほど平然と動かしておられたから、あまり痛みを感じておられないように私には見えていても、アリシアさんは気を遣っておられるようだ。


「アリシアさんはいつもお忙しそうね。」

「ええ。だけどここ一か月はゆっくりできているのよ。文化交流事業の相談も少し遅れていて。まずは友幸と私が狙われた事件を解決できなければ、と動いてくださっているの。国外の人間が狙われる事態になっている原因が分からなければ、安心して参加していただけないもの。」


 この事業を動かす側であると同時に、国外からの出演者という立場であるアリシアさんは、難しいことになっているようだ。


「あくまでサントス王女だもの。捜査などに関われなくて、事業の相談も勧められないから一時的に仕事が減っているの。後でその分、忙しくなるでしょうけど。」

「今は友幸さんとの時間もゆっくり取れるのね。」


 ちらりと友幸さんを見て、ふっ、と笑みを浮かべられた。


「ええ、そうね。愛良との時間も取れているわ。夜会の際に水津侯爵やその伴侶の方によくしてもらったようなのだけれど、手紙でしかお礼を伝えられないのが残念だわ。私も、事実が明らかになるまでは愛良たちを連れて行くつもりはないけれど。」


 友幸さんを襲ったのは、水津千枝子ちえこさんが推薦した団体に属する人。あくまで属する人が襲っただけのため、水津侯爵自身には悪印象を持っておられないのかもしれない。直接お礼を言いたいほどだから。

 千枝子さんとは午後から会う約束がある。その時にどの程度捜査が進んでいるかくらいは教えてもらえるだろう。


「そのお気持ち、私から伝えることはできるわ。千枝子さんがお話ししたいとおっしゃってくださって。」

「ありがとう。」


 アリシアさんも交えて、サントス邸での平穏な日常を聞かせてくださった。愛良も毎日楽しそうに過ごしているようで何よりだ。




 オルランド邸に戻り、約束の時間になれば、千枝子さんを出迎える。


「ようやく時間が取れてね。まあ、そんな悠長なことを知っていられる立場でもないけれど。全く、静香しずかが面倒なことをしてくれたわ。」


 静香さんは千枝子さんの第二子で、皇太子を想い過ぎた結果、ラウラや愛良に危害を加えた。その罰として、彩光への上陸禁止、領地での謹慎を命じられた。危害を加えられたのがラウラや愛良という貴族から見て重要な立場でない人間であったこと、私が赦すという態度を取ったこと、アリシアさんも家に対する追及を加えないと明言したこと、という三点から謹慎に留められている。

 今もまだ謹慎をしていて、文化交流事業公演の際も当然、彩光には上陸していない。


「本当に困ったものだわ。私に黙って団体の中に自分と親しい騎士を入れて、アリシア様を害するよう指示していたなんて。」


 事件の解決のため、千枝子さんも伴侶も喜久雄きくおさんも、領地には帰っていない。つまり、娘の静香さんとは会って話せていない。


「それはどなたから伺ったの?」

「実行犯よ。我が家の騎士にもね、娘のことをとても慕ってくれている人がいて。だから娘のお願いと、真剣な憂いを受けて、アリシア様を狙ったって言うの。」


 本人からではないのに、その騎士の言ったことを全面的に受け入れた。娘さんの意図とは違うものがその人に伝わってしまった可能性もあるのだから、娘さんの話も聞いてあげたい。はっきりとした指示ではなく、暗にそう示していた、というものなら誤解だってあり得る。

 きっと、千枝子さんも自分の娘が人を傷つけたなんて信じたくない。


「きちんとどういうつもりだったのか、娘さんに確認しましょう。娘さんは何を願ったのか、どんな憂いを抱えていたのか。どこかで掛け違っているのよ。」

「いいえ。これが初めての問題ならそうもできたかもしれない。だけど、娘はもうオルランド邸の者も、サントス邸の者も害しているのよ。これ以上庇えば、皇国との外交問題に発展しかねないの。」


 政治的なことは分からない。〔聖女〕として、誰かに肩入れするのは好ましくない。だけど、何の話も聞かないまま、ただ罰だけ与えるような彼らのやり方には賛同できない。そこに、私の知らない意味があるのだとしても、話だけでもなぜ聞けないのか。


「一つの過ちが、大きな悲劇を生むこともあるの。娘さんは、何を憂いていたの?」


 悲しそうに目を伏せられる千枝子さん。やはり、自分の娘を信じたい思いは持っておられるのだ。


「アリシア様は、光輝殿下の殺害を企んだ少年を引き取り、専属騎士とされたわ。だけど殿下とその少年を引き合わせたのも、アリシア様なの。そこがとても不審だった。素性の分からない国外の人間、という状態だった当時はなおさらね。国外の王女殿下に滅多なことは言えないけれど、娘にはもしかしたら、という思いがあったのでしょう。」


 皇国を揺るがすために、アリシアさんが何かをしたと疑った。その推測ができるくらい、千枝子さんもアリシアさんを信頼しているわけではなく、娘の思いを理解できている。


「そして馴染んだ頃に、文化交流事業というものを始めた。もちろん、アリシア様だけの手柄ではないけれど、大きな推進力となったことは事実よ。実際に戦争を行った人が、主君だけではなく他の貴族や平民も他国について知ることで戦争になる危険を抑えられると言えば、説得力があるわ。」


 人は知らないことを恐れる。知らない者、物に怯え、排除しようとする。全てを知ることのできない人間では仕方のない部分もあるけれど、そのために争いが起きてしまうのは悲しいことだ。

 知ることは世界を広げること。未知を既知に変えることで、恐怖が安心に変わる。神の愛する世界への理解が、また深まっていく。


「この事業が成功すれば、アリシア様、ひいてはサントス王国を友好的に感じる貴族は増えるでしょう。だけどアリシア様を友好的に感じ、その考えを尊重することは、サントス王国の意向を受けた意見が皇国内で力を持つことと同義。」


 国同士の関係は、個人同士の関係と同じようにはいかない。国と個人は同一のものではない。だけど、アリシアさんとサントス王国が同一視されているような口ぶりだ。


「光輝殿下暗殺未遂の件で、今のアリシア様が何を狙っているのかも、娘には分からなかった。皇国内で文化交流事業を行うことが、サントス王国の利益になるのか、ということもね。私たちはアリシア様の事情もある程度、その事業のサントス王国としての利益も聞いているわ。だけど、娘は関わらせていないから何も知らず、不自然な動きに見えたのでしょう。」


 貴族として、自国の利益を最優先にするという思考を学んでいるからこそ、アリシアさんの動きを信じられなかった。何も知らなければ、どの国に属しているかなど考えずに、人々の争いを止めるための行動と取れるけれど、そう思えなかった。


「そのことを伝えて差し上げて。自分たちが知っている情報を知らない人から見ればどう見えたかに、想像を膨らませることができない人もいるの。娘さんは、決してアリシアさんが憎くてやったわけではないのだと、」

「政治の世界でそれは通用しない。一歩間違えば戦争になった事件を、勘違いだったから赦してくださいで済ませてはいけないの。これは、十分に確認を行えば防げた事件よ。」


 例えば、娘さんがその憂いを千枝子さんに相談していれば、アリシアさんやサントス王国にとっての利益を教えられたかもしれない。例えば、千枝子さんが娘さんの行動を把握していれば、実行される前に止められたかもしれない。

 だけどどれも、過去に意味のない仮定をしているだけだ。結果を先に知ることのできない人の身で、終わった後に最善を指摘しても得られるものはない。次回から気を付ければ良いだけのこと。


「アリシアさんは、千枝子さんと喜久雄さんに感謝していたわ。愛良に色々教えてくれて嬉しいと。事実が明らかになるまで連れて行かないとはおっしゃっていたけれど、それは明らかにされればまた会おうということではないかしら。」


 とてもお優しい方だ。相手の話も聞かずに懲罰を求めるとは思えない。娘さんがどういうつもりだったのか、自分の行動が相手にどう思わせていたのか。それを知って、今後に生かせる人だろう。


「ええ。だから私もこうして貴女と話せているのよ。きっと静香一人の命で許してくださるわ。」


 誰も死んでいないのに、赦すために命を欲する。人を赦すために対価を必要とする。だけど、アリシアさん自身と友幸さんに傷を負わせた罪の赦しに、指示したとされた人間の命まで必要なのだろうか。

 赦しのために何を欲するかは人それぞれだ。何を求めても神は赦される。しかし、奪われる命のことも愛する神は悲しむだろう。


「その命を差し出すことは、本当に必要でしょうか。」

「たとえアリシア様自身が求めておられずとも、禍根を残さないために必要な犠牲よ。水津侯爵家として、これから事業に関わるためにも。」


 必要な犠牲。そんなものが存在するとは思わない。私は思わないけれど、そう信じる人も否定はできない。

 娘さんの罪も自身で語られたわけではない。だから私から赦しを与えることもできない。その罪が事実だとしても、その命が対価で必要な犠牲と言われた彼女に、救いはあるのだろうか。


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