傷の残る年始
友幸を狙った実行犯に指示した犯人の捜索も、どの程度進んでいるのか分からないまま、年が明ける。例年であれば使用人たちも一緒に年越しを祝うが、今年はいたって静かなものだ。
私も急ぎしなければならないことを抱えていないため、二人でゆったりとした時間を過ごせていた。
「元気ですね、愛良も秋人も。」
その視線の先には羽根突きという遊びをする二人の姿がある。勝負をしているわけではないようで、秋人は愛良が打ち返しやすいような位置に羽根を返している。
「そうだな。愛良の心の傷にはならなかったようで安心だ。」
楽しい夜会であんな事件が起きれば、すぐ今まで通りとはいかなくとも不思議はない。その日の愛良に対する私の態度も褒められたものではなかった。しかし愛良はもう、いつものように笑ってくれている。
「あれは何の遊びを?」
「羽根突き、というらしい。愛良が水津侯爵の伴侶からダンスの際に聞いたようでな。その話を元に作らせた。」
装飾の多い物もあるそうだが、実物を知らないため、聞いたような遊びができるように作らせた。
新しい遊びを教えてくれた水津侯爵の伴侶も侯爵自身も今は忙しいだろう。何せ、自分たちが連れて来た団体の一部が実行犯なのだ。
「楽しそうですね。」
「ああ。治ってからだ。」
「別に俺がしたいとは言っていません。」
したそうに見えたが気のせいだったようだ。レース編みの手も完全に止まっている。元々傷が痛むのか以前よりゆっくりと編んでいたが、今は外を見るほうに意識が集中している。
「傷の具合はどうだ。」
「今は痛みもありません。」
鎮痛薬の効果だろう。まだ一週間も経っていないのだから、治っているわけはない。
「無理はするなよ。」
「ええ、分かっています。」
外では愛良が意図的になのか、秋人に打ちにくいよう返している。しかし、それを愛良の打ちやすい位置に返されて、悔しそうにした。
「泉龍二と手合わせの約束もしたのだがな。」
「それどころではないでしょう。こちらも、あちらも。」
実行犯を含む団体の一員だ。今頃尋問されているだろう。もう終わっているだろうか。彼自身が疑われずとも、屋敷に招くことは難しい。
「私の剣技が優れると聞いて申し込んできたのだ。面白いだろう?」
「王女に手合わせを願いますか。」
くすくすと控え目に笑う。確かに、初対面の王女にそのようなことを願える人物はそうそういない。緊張していたようではあるが、さすが武人といった度胸は持っていたようだ。
「ならばと秋人との手合わせを勧めたのだが。」
「しばらくお預けですね。」
見応えのある試合となったことだろう。水津侯爵家領ではどのように指導しているのだろう。貴族の嗜みのようなものか、実用的で洗練されたものか。秋人の剣は、私からの生にしがみ付き命を狩る戦場の剣と、貴族の嗜みとしての剣と、学園での騎士を想定した剣の三つの側面を持っているはずだ。
「そのしばらくが、いつまでになることやら。」
事件が解決したとて、領地に帰ってしまっていれば、その機会は得られない。再び皇都に彼が来るかどうかも分からない。しばらく、では済まない可能性もある。
「いつでも良いでしょう。アリシア様が皇国におられる間なら。」
祖国に帰る予定はない。以前より頻繁に文をやり取りしているが、私がいなくとも彼らは問題なくやっている。妹のイリスも伴侶たちと上手くやっており、母も希望を持って未来を見ているようだ。兄のレオンも日々の研究で国に貢献しており、そこで新たな出会いもあったとか。そこにもう、私の居場所はない。
「それなら、死ぬまでの間だな。」
「旅行の際に時間を用意していただいても良いですね。」
十二月の贈り物として友幸が願ったものだ。いつ行くとも言っていないのにそう答えてくれるというのは、その間共にいてくれるつもりなのだろうか。
「秋人も連れて行く気か。」
「愛良も一緒に行けば良いでしょう。」
旅行の心配事が確かに一つ減る。ただし、秋人を同行させるなら護衛としてという意味になるため、愛良との時間は留守番するより少なくなるだろう。愛良はどういう立場で連れて行こうか。より良い音楽を作るために同行させる、という理由で十分だろうか。
羽根を落とした愛良がこちらを見た。満面の笑みで手を振ってくれる。振り返せば、周囲の空気まで花開くようだ。
「幸せそうだな。」
「秋人がいるからでしょう。」
そこに悪意はない。以前なら色々と文句を言っていたように思えるが、今日はただ微笑ましそうに二人を見ている。
その二人が視界から消えた。その名残を目で追っていると、頬に一瞬だけ温もりが触れた。
「先日のお礼です。突然してくれましたよね。」
寒さのせいではなく頬を染めた友幸が、目を逸らしてそんなことを言ってくれる。
「ありがたく受け取るよ。」
十月末の褒美の際にした悪戯のことを思い出す。あの時は家出されてしまった。今日でもまだ頬であるため、私からしては同じことになってしまうかもしれない。
庭では静かに草花が揺れていた。
「アリシア、友兄。今いい?」
目線で許可を読み取り、代わって返事をする。
「ええ、どうぞ。」
愛良一人が入ってくる。その手には何も持っていないが、上気した頬が先ほどまで運動していたことを感じさせてくれる。
「羽子板と羽根、作ってくれてありがとう。」
「礼なら作った侍従に言ってあげて頂戴。裏でみんなと遊ぶと良いわ。」
「うん!」
気に入ってくれたようだ。私も知らない遊びには興味があったため作らせたが、愛良が楽しんでくれただけでも十分な成果になる。
「それとね、四人でお茶したいな、って。」
「なら用意させるわ。」
「ううん。秋人がね、アリシアなら良いって言うからってもう用意してくれてるの。」
推測は当たっているが、私が主人であることを忘れていないか不安になる行動だ。愛良が止めなかったことは、将来義理の妹になるとすれば問題ないだろう。
友幸の怪我の状態を気にしつつ、ソファへゆっくり移動すれば、苦情を入れられる。
「怪我は肩と腕でしょう。立って歩く分には支障ありません。」
「足から振動は全身に伝わる。急に動けば目眩も起こすかもしれない。それで転べば傷に影響するわ。」
鎮痛薬のおかげで本人はあまり痛みを感じていないようだが、完治するまで油断はできない。
「アリシア様も心配性ですね。」
起こり得る危険とその不利益を提示しただけなのだが、それが原因だろうか。
「そうかしら。」
「ええ。一言、急に動かないよう言ってくだされば良いだけでしょう。」
万が一転びそうになった時に支えるため、傍についていた。気を付けて慎重に動いても、目眩を起こす可能性はある。
そんな私たちのやり取りを、愛良はえへへと笑って見ていた。
「何かしら。」
「アリシアと友兄が仲良くなってくれたみたいで嬉しいな、って思ったの。」
一時は愛良の前でだけ取り繕っていた。最近はまた取り繕うことを忘れていた。指摘はされなかったが、気付いていたのだ。
「ええ、そうだと良いわね。」
「違うの?」
今は棘のない対応だが、いつまたかつての憎悪が戻って来るか分からない。時折、言葉の刃で斬りつけてくることはある。今までの私たちの行いを考えれば、それも当然のことだろう。
「俺は、多少親しくなれたと思っていますけど。」
「良かったね、アリシア。」
「ええ、嬉しいわ。」
これでようやく一歩、近づけたのだろうか。
「アリシア様、友幸様、お茶をお持ちしました。」
「入って頂戴。」
休日だというのに珍しく敬語で話す秋人を招き入れる。秋人に茶を淹れさせると、愛良も嬉しそうにそれを飲んだ。
「おいしいね。ね、友兄。」
「え?ああ、そうだな。」
「食べないと怪我も治りませんよ、友幸様。」
この時間に菓子は取らないが、今日は特別なのか勧められるまま菓子を口に運んだ。それより気になるのは、秋人がやはり敬語で話していることだ。
「秋人、今日はどうしたのかしら。」
「アリシア様は俺の主人でしょう。本来は休日であろうともこのように対応すべきです。」
「え?ええ、まあ、そうね。」
一度もそのように対応された覚えはない。外で態度を改められるなら問題はないと、私もそれを指摘しなかった。急に変えたのは何かあったのだろうか。
「アリシア様が友幸様を正式な伴侶として迎えられるのであれば、友幸様にも同様の態度を取るべきでしょう。」
菓子を食べていた友幸が噎せる。傷に響かないだろうか。
「お前、なん、急に!いっ……」
目に涙が浮かんでいる。大きな声を出して、腕にも力を入れてしまったか。
「怪我が治るまで興奮させるようなことは言わないで頂戴。」
「承知しました。ですが、急な話ではないでしょう。」
以前からそのような扱いにさせていた。出かけた時にそのように言われたこともあったはずだ。愛人や伴侶のような扱いをされたと本人も愚痴っていたように記憶している。
「そうね。愛良の義理の姉になるのも楽しみだわ。」
「そうなったらアリシア姉って呼ぶね。」
「妹が一人増えるのね。こんなに可愛い子がなってくれるなんて嬉しいわ。」
イリスのことは純粋に可愛がってあげられなかった。年が近いせいか、嫉妬心も抱き、王女としての立場を意識して厳しい目で見ていたこともある。今も次期女王であるイリスに対しては甘やかすばかりではいられないだろう。
アルセリアに託された妹という以上に、大切にしてあげたい気持ちが私にも確かに存在した。
「ねえ、アリシアはなんで秋人が急に丁寧に接してると思う?」
先ほど秋人は自分でそうすべきと理由を話した。しかし、愛良があえてこう問うてくるということは、単純に考えを改めたというわけではなさそうだ。何か本人にとっては印象的なことでもあったか。
考えても答えは出ないため、適当なことを返す。
「分からないわ。悪い物でも食べたのかしら。」
「やった、私の勝ちだね。何をお願いしようかな?」
私の返事で賭けでもしていたようだ。愛良が楽しそうであるため今回は許すが、これは注意すべきだろう。
「え〜アリシアさん。普通に俺が成長したとかそういう発想はねえの?」
「日頃の行いね。」
やはり本気で態度を改めたわけではないらしい。
「それと、そういった発言や態度は構わないけれど、私を使っての賭けはやめなさい。愛良にも教えないで。」
「そんなに悪いことでもないだろ。」
「返事は?」
「承知しました。」
不満そうだが、罰がないだけありがたいと思え。上手く隠せるならまだ良いが、そんな器用さを秋人は持ち合わせていないだろう。
お願い事の内容を考えていた愛良が、ぱっと明るい表情を秋人に向けた。
「あっ、そうだ。今日一緒に寝よう?」
どちらが勝ってもすることに大差はなかったのではないだろうか。ただ、この場で言われるとは思わなかったのか、秋人は友幸のほうをちらりと気にした。
「手出してないだろうな?」
友幸が秋人を睨む。これは面倒なことになりそうだ。
「愛良、お願い事は二人の時にしてくれるかしら。」
「二人だから良いという問題ではありません!」
眺めつつ愛良の願いをその場では訂正させる。
「別のお願い事にしてあげられるかしら。」
「うーん、じゃあ。」
小声で友幸にそう思わせれば良いと助言すれば、嘘を吐くことに対する抵抗を露わにされる。
「二つ願えば良いのよ。」
「そっか。」
こそこそとしたやり取りを友幸は不審の目で見てくるが、何も言わないということは内容までは聞こえていなかったのだろう。
「じゃあ、今度二人でお出かけしよう。」
「了解。」
これには友幸も不満を言わず、嬉しそうな二人を眺めていた。しかし、愛良は秋人に嫌なことはされていないと主張を続ける。少しの口論を友幸と秋人も楽しんでいるように見えた。
こんな穏やかな日常が続くと、私にも信じられそうだった。