贈り物の当日
今日は私も仕事を休む。もう二日後に文化交流公演を控えているが、曲のほうも十分に練習した。今日休むのは体を休める意味合いでもあるが、友幸との時間を確保するためでもある。
桐山慶司からの情報によれば、共にいる時間を増やせば良いということだった。それを全面的に信用するわけではないが、島口弘樹と桃子からの話は文化交流公演まで待つこととなっている。今できることと考えれば、時間を作ることくらいだった。
降り積もる雪を窓から眺め、自分たちは冷たい風に晒されることのない室内で、温かい飲み物と共に穏やかな語らいの時間を過ごしたい。穏やかになると良いが、そのためには言葉を慎重に選ばなければならない。
「すまないな、旅行は用意に時間がかかる。」
「別に構いません。愛良に合わせて適当なことを書いただけですから。」
私も旅行という平穏なものはしたことがない。遠方へ出かけても戦争のためや、その傷跡を確かめるためだった。皇国でも皇都くらいしか見ていない。
「興味はあるのだが、具体的な場所を決めるのも難しくてな。どんな所に行きたいのか聞かせてくれないか。」
各領地の特性などはもう学んでいるはずだ。もっとも、私のように自分が楽しむことに重きを置かずに読んでいれば、参考にならない可能性もある。
「そんなに身軽に行ける立場ではないでしょう。迂闊に人の領地にも足を踏み入れられない。」
「交渉すれば良い。相手によっては歓迎してくれるだろう。」
慎重に選ぶ必要はあるが、怯える必要はない。その地の領主にあらかじめ許可をもらうのだから、どの領地に行っても当日にすべきことはそう大きく変わらない。
「愛良を置いて行くのも心配でしょう。」
私の不在中に穂波輝文が訪ねても困る。拒むよう指示しても、残された者たちの負担になってしまう。愛良に手出しできない、もしくはすれば他の貴族から強く非難されるような状態になれば安心して置いて行けるのだが、何か方法はないものか。
「現状では穂波輝文をはじめとした数人が面倒なことをしてくれるだろう。」
「音楽家として愛良の名が売れれば売れるほど、危険ではありませんか。」
興味を持つ貴族は増えるだろう。サントス王女である私の不興を買うような真似はしないだろうが、許さざるを得ない範囲で愛良が不快に思う何かをする可能性はある。僅かな手出しも許さない状態にできる案がほしい。
名が売れた音楽家の中には、抱える貴族の好意で盛大な婚姻の儀が催される場合もあったはずだ。
「愛良と秋人の関係についてどう思う?」
以前は反対の姿勢を見せていたが、今は変わっているだろうか。日々、愛良も秋人との話をしているだろうが、何か感じ取ってくれていないだろうか。
「アリシア様と秋人の企みですか。恵奈にも何か言っておられるようですね。愛良が拒まないなら、アリシア様が許可を出せば良いでしょう。」
喜んではいないが、反対もしない。ぷいと友幸が窓の外に視線を遣る。その先では、前日に許可を与えた秋人と愛良が雪で遊んでいる。愛良のことだ、後で私たちも誘いに来るかもしれない。
「まだ先の話だが、愛良の名が売れれば、婚姻の儀を執り行うにも注目を集めることだろう。それを盛大にすれば、もう手出しはできないと分かるはずだ。」
「平民から奪い取るくらい、何の抵抗もないでしょう。」
そういった輩もいるだろう。しかし、相手が私の専属騎士となれば変わってくる。その上、愛良の婚姻の儀を執り行うのは私だ。私の意向も無視するというのは危険すぎるだろう。
「ただの平民ならそうかもしれない。だが、私の抱える音楽家と専属騎士だ。私が盛大にその婚姻の儀を開く。つまり、彼らの婚姻が私の意向であると示すことになるのだ。その私に喧嘩を売るようなことが、ただの貴族に可能だろうか。」
私が不在の時でも愛良に手を出すことはほぼ不可能になる。愛良を置いて、旅行にも出かけられるようになるわけだ。
「愛良にはまだ早いでしょう。見てくださいよ、あれを。警戒心の欠片もありません。」
座り込んで、雪で何かを作っている。冷たいだろうに手袋もせず、ぺたぺたと熱心に。秋人が抱き締めていても、時折頬を撫でても、全く動じていない。
「仲が良いようで何よりだ。」
「そういう問題ではありません。まだ愛良にはそういったものが分からな」
友幸は言葉を止め、ガタンと立ち上がる。再び窓の外に視線を向けると、秋人が愛良に口付けていた。
「寒さが人を近づけてくれることもあるそうだな。」
「今のを見て言うことがそれですか!?」
「問題あるまい。」
愛良が秋人の手を引いて、玄関のほうへ歩いて行った。
友幸の視線が私に戻ってくる。ほんのりと頬が染まっているように見えるが、他人の口付けを見るのも苦手なのか。
「アリシア様もああいった行為はお好みですか?」
難しい質問だ。答え方を間違えれば、友幸は私から距離を取ろうとするだろう。好まないと答えるべきか、好むと答えるべきか。触れ合いを好まないなら、私も好まないと答えたほうが、友幸の負担にはなりにくいかもしれない。
そう適切な返答を思案していると、愛良と秋人が部屋に着いた。
「一緒に外で遊ぼ。ねえ、いい?」
鼻が赤くなっており、服も一部雪で濡れている。一度体を温めるべきだろう。
「寒かったでしょう。暖かい物を飲むと良いわ。」
「ううん、大丈夫。今はぽかぽかしてるの。」
えへへと満面の笑みでちらりと秋人を見上げている。あちらは上手くやっているようだ。私も早く距離を縮めたいが、焦りは禁物だ。
「なら行きましょう。友幸も構わないかしら。」
「ええ。秋人に余計なことをさせないためにも。」
見えていることは分かっていたはずであるため、友幸に見せるつもりだったのだろう。それとも、私に友幸を説得しろという訴えか。
私たちも防寒具を身に着け、庭へ出る。
「愛良は何をしたいのかしら。」
「雪合戦!たまにはアリシアも友兄も一緒に遊びたいなって思って。友兄も体を動かして遊ぼ。」
懐かしい遊びだ。軍学校では氷を雪玉の中に入れたこともあった。石を入れて怒られる間抜けもいた。今日はそんな危険なことをせず、安全に遊ぼう。
「組分けはじゃんけんね。」
愛良の掛け声で組が分けられようとするが、私と秋人、愛良と友幸という組み合わせになった場合はどうするつもりなのだろう。
「あっ!友兄、頑張ろ。アリシアも秋人も、負けないからね!」
手加減くらいはしてやるか。そのつもりで軽く準備運動を始める。
「勝てるわけねえだろ。あ、でも的が小さいからちょっと当てにくいかもな。アリシアさんは命中率良いほう?」
「銃とはわけが違うだろう。剣の腕は気を付けているが、投擲は最近手を抜いていてな。」
遠距離攻撃手段が銃になった分、投擲の訓練の重要性は薄れている。咄嗟の判断で使えるようそちらも鍛えておくべきではあるため、秋人は人間大の的になら容易に当てられることだろう。
「もう、さっさと始めるよ!よーい、始め!」
距離を取り、既に数個の雪玉を用意していた愛良が開始の合図を出す。友幸も合図と同時に私に向かって投げつけてくる。楽しそうに投げているように見えるため、当たってあげたほうが喜ぶだろうか。
手で受け止めるようにすれば、二人分の歓声と、一人の煽りが聞こえた。
「あの程度も避けられねえの?お嬢さん。」
「後で覚えていろ、坊や。」
互いにそんな風に言える年齢ではないが、悪意を込めて言えば次の合戦への熱が高まる。今は早々にこの合戦の決着をつけてしまおう。
愛良や友幸の緩い玉なら避けることなど容易だ。そもそも避ける必要がないこともある。狙いはばらばらで、先を読んですらいない。ただ動き続けるだけで、当たることはないだろう。
先に作っていた二人の玉が尽きれば、こちらの番だ。雪玉は空中で瓦解しない程度の硬さに留め、作った傍から二人に投げていく。落ち着いて雪玉を作る暇もない二人は避けることに専念するが、単調な動きでは狙いをつけることもできる。
当てられながらも、冷たいと愛良は喜んでいるように見える。私と秋人二人がかりで狙えば、あっと言う間に愛良も友幸も雪塗れになってしまった。
「アリシア様も秋人も容赦ないですね。あんなに本気で投げることないでしょう。」
服に付いた雪を払いながら、拗ねたように告げられる。少々気合を入れすぎたか。一方で、愛良は雪塗れでも笑顔のままだ。
「じゃあ次!じゃんけんで勝ったほう同士と負けたほう同士ね!」
組内でのじゃんけんだ。これなら確実に秋人とやり合える。
「アリシアと私が同じだね。私、友兄になら勝てるかも!」
「ええ、頑張って。」
再び愛良の合図で試合が始められる。今度は互いに雪玉を作りつつとなる。隙を狙って雪玉を作り、作らせる隙を与えないよう狙っていく。
先ほどより硬さにも投げる勢いにも気を付けることなく、本気で当てに行く。しかし、地面にはいくらでも雪があるため、愛良や友幸のように足元や手元を見て雪玉を作らない秋人にはなかなか当たらない。移動先を読んで投げたとて、雪玉ではそこまでの速さも出ず、投げる予備動作で着弾点を予測して避けられてしまう。それはこちらも同じだが、複数個素早くまとめて投げつけられ、そのうちの一つがこの身を掠めてしまった。
「執務ばっかのアリシアさんに負けるわけねえだろ!」
「良い度胸だ。誰に鍛えられたか忘れたようだな。」
一気に距離を詰め、足で雪を掻き上げることで視界を奪う。雪を腕で防ごうとしたその隙に地面へ引き倒せば、拘束も可能だ。
「ちょっ、反則だろ、これ!」
「アリシア、ルール違反だよ!これは雪合戦なの!」
先に決められていなかったが、愛良に従い秋人の腕を離す。
「危ねえ。これで腕痛めたらどうすんだよ。」
「そんなに脆くあるまい。」
怪我をするほど力も込めていない。
「もう、私たちの反則負けだね。アリシアも秋人も、私と友兄がする雪合戦と同じことをしてるようには見えなかったよ。」
さほど残念そうにもせず愛良が言う。愛良や友幸の雪合戦は合戦という雰囲気にも見えないものだろう。今日私がしたのも、石も氷も何も用いないため、可愛いものではあったはずだ。二人に怪我はさせられない。
そっと傍に寄って来た友幸が指を絡めてきた。
「雪を触ったら手が冷えたので。俺の勝ちでしたよね。」
「あっ、じゃあ、私は秋人温めてあげる!」
「愛良のほうが冷えてるだろ。」
戯れ出す愛良と秋人だが、これは私が友幸を温めるということか。愛良の発言からはそう取れるが、秋人が愛良にするように抱き締めて、友幸が喜ぶとは思えない。
「部屋に戻って着替えるか。愛良も、風邪を引いては公演に差し支える。」
「はい、気を付けるね。」
体は動かしたため暖まっているが、それに油断しても困る。秋人にも気を付けるよう指示し、温かい部屋に戻った。
こうして、この日は一日中、共に時間を過ごした。