十月末の褒美
最低限の知識を身に着けさせたため、友幸にも実際の書類を読ませるようになった。学園で得られる知識などは秋人や愛良、その他知り合いを通じて知っていたようで、私の想定以上に知識の習得が早かったためだ。
文化交流事業が提案された経緯、実行された理由、関係する会議の議事録の写し。屋敷に持ち込めない物に関しては許可を取り、閲覧に向かわせた。
今は執務室に机と椅子を増やし、私が処理した書類や、贈られた手紙類を読ませている。
「アリシア様、この文化交流事業が拡大すれば、大陸に向かうこともあるのですか。」
先日の会議で、目標の一つに入れることは了承された。現在はエスピノ帝国も虹彩皇国も戦争に反対の立場を取っているが、それが続くと祈っているばかりではいられないという共通認識があったからだ。
特に問題視されたのはバルデス共和国の扱いだ。貴族が中心であるとは言え、民衆が直接政治に口を出せる体制に変わったことで、どのように周辺国との関係が変化し、どこまで影響を与えるか読めずにいる。
「ああ。だが、数年の話ではない。バルデス共和国の動向を見て、判断することになる。」
最も影響を受けるのは我がサントス王国だろう。その辺りについては国からの手紙で把握するよう努めている。
「公演の回数も場所もどこまで増やす気ですか。」
「全てに私たちが出演するわけではない。」
貴族が必要性を認識すれば、経済を回すための祭りのようにすることもできる。民衆が新たな素材や加工の技術を知り、それら完成品を見れば、流通量が増やされる可能性もある。そのためには商人たちの協力も必要不可欠だ。
音楽や舞踊で文化を伝え、その衣装にも使われる素材と技術で経済を刺激する。一部出演者には広場での公演も行ってもらえれば、商人たちも抱き込んで、飲食物の文化も伝えやすくなる。より広い範囲の人間を巻き込める。
「愛良はこれに、関わるわけですか。」
「彼女がそれを望む限り、な。詳しい理念なども伝えていないが、知りたいと言えば教える気でいる。」
時折言葉を交わしつつ、私も書類を確認していく。誰にどこまで協力を求めるかも、ある程度手紙でやり取りし、それぞれが考えを固めておかなければ、文化交流事業を進展させていくことは困難だ。
そうしていると、事前に聞いていた通りの時間に、愛良が執務室を訪れる。
「ご褒美ちょうだい!」
透けた布を頭から被って、両手をこちらに向けて来る。七月の文化交流公演で知り合った人から聞いた、十月末の行事を教えると、喜んで実行したいと言っていたため、それだろう。
このために引き出しに隠していた菓子を一つ渡せば、嬉しそうに受け取る。顔がよく見えないが、揺れる体がその楽しそうな様子を伝えてくれる。
「ありがとう。」
「友幸にも言ってみたらどうかしら。」
もともとは作物の実りに感謝し、力を貸してくれた妖精に作物やそれによって作った食物を捧げる行事だったそうだ。しかし、次第にそれは変化し、妖精に扮した子どもに菓子を与えるようになったとか。
愛良が再び同じことを言おうと向き直った時、執務室の扉が叩かれた。
「アリシアさん、届けたついでに手紙貰って来た。」
「ああ、ご苦労。入ってくれ。」
文化交流事業関連の相談を手紙でも行っている都合上、何度も各屋敷に出向いてもらうことになる。狙われることはそうそうないだろうが、自衛できない人間に預けることを拒む者もいるため、ただのお使いではあるが秋人に向かってもらっていた。
具体的にどう事業を拡大していくかという問題にも触れる手紙たちだ。後でゆっくり確認することとしよう。今は様子を伺っている子に時間をあげたい。
「愛良、秋人にも言ってみたらどうかしら。」
「ご褒美ちょうだい!」
この行事を知らず、先ほどのやり取りも見ていない秋人は対応に困っている。説明くらいはしてやろう。
「この時期に菓子を与える別地方の行事よ。菓子か悪戯、と言うこともあるそうね。私は先ほど菓子を与えたわ。」
菓子がなければ悪戯されることになる。愛良の考える悪戯程度、可愛いものだろうが、何を用意しているのかは興味がある。
そう観察していると、秋人は愛良の被る布を上げて、頬に口付けをした。当然、それは友幸も目撃している。
「はあ!?お前、愛良に何してんだよ!」
そこまで怒ることではないが、行動理由は不明だ。何より、きょとんとしている秋人の反応が不思議だ。
「菓子か悪戯、だろ。菓子なんて持ってるわけねえし。」
どちらかを与える、と取ったのか。そうはならない気もするが、今は正常に頭が回っていないのかもしれない。
「私が悪戯するほうなのー!」
ほんのりと頬を染めた愛良が抗議しているが、問題はそこではない。私の言い方のせいという可能性もあると、より丁寧な説明を付け加える。
「菓子を与えるか、悪戯をされるか、よ。」
十月末の褒美と言う行事について教えると、納得したように愛良を見た。
「悪い、間違えた。じゃ、どうぞ。」
私は純粋な好奇心で、友幸はおそらく監視の意味を込めて、愛良を見守る。その愛良は布を半分脱いだ状態で、何か迷っていた。悪戯の内容は考えていなかったのかもしれない。
「あ、秋人。ちょっと屈んで。」
背伸びをし、頬に同じように返した。思いつかなかったから同じ悪戯を、ということか。平和なことだ。友幸の内心は荒れ狂っていそうだが。
「アリシア様、仕事の邪魔になりますので、追い出してもよろしいでしょうか。」
口付け程度、どうということもないだろうに。
「友幸。ご褒美ちょうだい?」
「は?」
普段の私なら決してしない言い方に、内容。声に出して反応したのは友幸だけだが、秋人も驚いて愛良から目を離した。
菓子など持っていないことは把握している。愛良の悪戯が咎めるほどのことでもないと分からせるには、経験することが一番だろう。
「ないなら悪戯ね。」
「え?ちょっと待っ」
反論がその口から出る前に、自分の口で塞いでやる。顎を持ち上げただけのため、拒むなら身を引くだけでも十分だ。しかし、腕を軽く掴まれる程度で、離れる気配はない。本気で抵抗するなら舌を噛むことが最適だが、それもなくただ甘受してくれている。
唇を離せば、上気した頬と潤んだ瞳があった。
「褒美をもらってしまったわ。」
よくある言い回しだ。しかし、それはお気に召さなかったのか、机の紙束を全て私にぶちまけ、勢いよく扉を開けて出て行った。
「逆効果だったかしら。」
「まあ、そんなこともねえ、とは思う、けど。」
仕事の続きをしようと椅子に腰かけるが、愛良から戸惑ったような声が上がった。
「アリシア、私は友兄を追いかけたほうが良いと思う。なんか、怒ってた?よね。」
「愛良が行ってやってくれないかしら。秋人、それを種類別、日付順に戻して頂戴。」
これから午後の茶の時間だ。愛良と時間を過ごせば、冷静になるだろう。
私は今の出来事を休憩として、手紙を確認していく。おそらく文化交流事業関連のものばかりであるため、熟読の必要がある。まさか文化交流事業関連の書類を届けた秋人に求婚の手紙は預けないだろう。
何通か確認したところで、その推測は外される。
「秋人、穂波公爵家では誰から文を渡された?」
「穂波公爵の執事から。穂波公爵と次期公爵からってのと、輝文様からってのと二通。」
ここにある手紙の数と一致しており、差出人の名とも一致している。公爵と次期公爵の手紙は同封されており、領主としての立場からの返信と、国に仕える者としての考えが記されている。特にこの事業は今後長く続ける予定であるため、公爵ではなく次期公爵が穂波公爵家の代表として関わる旨とその挨拶が記されていた。
問題は輝文からの手紙だ。未だ諦めず、一目会いたいと懇願を記している。
「輝文は愛良に求婚している。」
「知ってる。なあ、アリシアさんから何か言えねえの?」
「婚約している、と言えれば黙らせやすいが、事実と異なるそれを言えば、私が愛良に強制しているようになってしまうからな。求婚でもしてくれると、私も楽なのだが。」
私がこう言っている以上、秋人が乗り越えるべき相手は愛良自身と友幸だけだ。愛良自身の価値がこれから高まっていくとしても、外部の人間の手出しは私が防げる。婚約しておらずとも、断る理由など幾らでもあるのだから。多少手間がかかるだけだ。
「友幸さんに俺が怒られるんだよなあ、それ。」
「自分で解決しろ。」
何でもかんでも頼られても困る。その程度、自力でしてもらわなければ。愛良は心を許しているのだから、さほど困難な任務でもないだろう。
「アリシアさんにしかできないんだよ。友幸さんはそういう関係性が苦手みたいだから。ほら、アリシアさんと仲良くなれば、愛良が俺とそういう関係になることも受け入れられるかもしれないだろ?」
「なるほど。逆もあり得るな。愛良がそうなることを受け入れられるなら、自分がそうなることも受け入れられる、と。」
本人の心の問題だ。つまり、私や秋人の行動には影響しない。それぞれができることをすれば良い。
秋人は最後の一枚を机に置いた。
「片付いた。」
「ご苦労。次は二人を留めるためにできることをしてくれ。」
「なら愛良口説いてこよっかな。」
「ああ、泣かせないなら好きにすると良い。」
「アリシアさんも、あれなら嫌がってはいなかったみたいだし、いけるんじゃねえの?」
自分が愛良とより近づくために、友幸の抵抗感を減らせ、ということか。主人に向かって良い度胸だと指摘する前に、秋人は愛良の所へ向かった。一緒にいるはずの友幸に怒られても自業自得だろう。
穂波輝文からの手紙に再び目を落とす。今までのように愛良に対する思いと、愛良宛ての美辞麗句が並んだだけの中身のない文面に加え、自分と愛良が繋がることの利点も示されていた。
――このような私の想いだけでは、アリシア様のお心は動かせないことでしょう。ですが、アリシア様はお忘れでしょうか。私が穂波公爵の第二子であることを。
私は穂波公爵の第二子です。つまり、私がそちらの愛良と結ばれることで、アリシア様は穂波公爵家との強い結びつきを得、ひいては宰相を務める者を抱える家と繋がることになるのです。これは、皇国での活動を続ける際には、大いに役立つことでしょう。――
ここに記されていることもまた事実だろう。しかし、私にとって最大の問題は手元で守れなくなることだ。それを言うわけにはいかないため、断る口実が必要なのだ。
早く断り文句を得たい。愛良の望まぬことはしたくない。相反する思いが、私の中に存在した。