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シキ  作者: 現野翔子
銀朱の章
135/192

月夜

 一つ一つ提案を吟味し、次回の会議に備える。私も文化交流事業のため、できることはないか思考を巡らせる。

 この事業の目的の一つは国家間の平穏を保つことだ。しかし、諸島部の若い世代にとって、戦争は既に歴史上の出来事となっている。エスピノ帝国との戦争を生きた世代も、海上と大陸東部だけが戦場となり、諸島部の国々が上陸されることはなかった。諸島部内での戦争の記憶も遠い。

 それでも統治者層は現在の平穏を維持するために、文化的な交流を深めることに意義を見出してくれている。いずれは大陸も巻き込むほど事業を拡大しよう。今すぐにできることではないが、最終的な目標という部分に入れてほしいという希望を会議に出席する人々に意見書として送付する。

 そんな風にして、次回の会議を有意義なものとするため、また賛成を得るために、手紙をやり取りするなど事前準備を行っている。


 夕食まではまだ少し時間がある。そう思って、簡単に片付けられる手紙に手を伸ばす。私宛ての手紙だ。その内容は私への求婚もあるが、愛良への求婚もある。

 愛良を外に出すつもりはない。公爵令息だとしても、私の許可なく愛良に会うことは困難だ。そのため、愛良宛ての手紙も同封されているが、これを本人に渡すことはない。会いたいと書かれた手紙を受け取れば、愛良なら会ってあげると言うことだろう。

 手紙は片付けてしまおう。そう思って、次の手紙に手を伸ばせば、そっと扉が開かれた。


「どうした?」


 気付かれると思っていなかったのか、彼の肩がびくりと震える。怯えられるようなことをした覚えはないが、ノックもなく部屋の中を覗くのは怒られる行為だと、彼は当然分かっているのだろう。


「いえ、別に。まだ夕食を取られないのかと思いまして。」


 これは初めてのことだ。食堂で待ってはいても、執務室には来なかった。

 夕食には少々早く、次の手紙を開いたところでもあった。しかし、急ぐ物ではない。一部は読む必要すらない物だ。


「今から取るよ。」


 廊下に出れば、大人しく隣を歩く。ちらちらとこちらを気にして、何か言いたそうしているのに、言い出さない。


「何かあるのか。」


 深呼吸を待って、少しだけ気合の入れられた声を聞く。


「夕食の後、時間はありますか。」


 基本的に夕食後は仕事をしない。軽く運動はするが、友幸が何かしたいなら、それに優先するほどではない。


「ああ。」

「出かけることはできますか。」


 外も暗いが、私が同行するなら問題はない。距離があっても、馬に同乗させてやれば良い。


「どこへ行きたいんだ?」


 返事のないまま、食堂についてしまった。




 食事を終えて、玄関に向かう友幸の後を歩くが、彼はそのまま門に向かってしまう。


「歩いて行く気か。」

「馬車で行けるような場所ではありませんので。」

「近くまで馬で寄せる方法もあるが。」


 足を止めて振り返る。黙って馬の用意に向かえば、彼も無言でついてくる。バルデスで馬の高さには少々慣れたようだが、一人で乗れるようにはなっていなかった。

 台を用意してやり、先に乗せる。それから後ろに自分も乗れば、一瞬だけ頭をこちらに向け、またすぐ前方を見据えた。


「どの辺りなんだ?」

「下町のほうに。」


 指示に従い、馬を走らせる。

 緊張で固くなった体に、浅い呼吸。どうにかしてやろうという気持ちはあるが、心を和らげるのは不得手だ。会話で誤魔化そうにも、出すべき言葉が見つからない。時折伝えられる方向に従い、返事をするだけで、とても同じ屋敷に住む人間同士とは思えない張り詰めた空気のまま、目的地に辿り着いてしまった。


「ここです。」


 いつか愛良も連れて来てくれた場所だ。水面に月が揺れ、木々が騒めいている。その物音に、私たちが降りる音も紛れた。


「美しいな。」

「ええ。今日はそういう日ですから。」


 何かあったのだろうか。特別なことなど何もない、ただの平日だった。


「一年で最も月が美しく見える日、だそうです。」


 見下ろす月も、見上げた月も、昨日までとどこが違うか私には分からない。白い光を放ち、夜の闇を照らしている。


「そうか。」

「アリシア様には空を見上げる余裕がありましたか。」


 忙しくなれば机に向かい、文字を追うばかりになってしまう。昼も夜も関係なく、ゆっくり眺めている余裕などなかった。それほど焦る必要もないというのに。


「姉とは見上げましたか。」


 覚えはない。共に勉学に励んでいた頃は、そうしたこともあるはずだ。しかし、幼い私たちがそんな束の間の幸福を意識することはなかった。

 希望を語った頃は見上げただろうか。その先に明るい未来を見ていただろうか。どれももう過去の話だ。


「少なくとも、こんな風に穏やかに月を見た覚えはないな。」


 アルセリアを思い出す時の出来事が、戦争になってしまった。互いの民を奪い合い、血を流し、この手にかけた記憶になっている。空の記憶も、奪われた時の夕日と、奪った時の朝日になっている。私の脳裏に焼き付くのは、紅い空だ。


「君はどうなんだ。」


 姉弟で静かな時を過ごせたのだろうか。ラファエルがバルデスにいた頃はまだ、私もアルセリアも戦争や対立には関わっていなかっただろう。


「一人でした。いつだって、一人で見ていました。俺の部屋に来てくれた時は空ではなく、互いばかり見ていましたから。」


 その存在を外に知られるわけにはいかなかった。統治者として、時に非情になることも必要だ。それを思えば、殺さなかっただけで、情に流された判断をしたと言える。だが、彼が生きている今を見れば、生まれた時に殺すべきだったとは言えない。

 母として子を殺せないのなら、次にすべきことは閉じ込めること。それも貫けず、せめてと異国の地に送り出した。その名も素性も全て捨てさせて。


「今は一人ではないだろう。」


 外に出られたのなら、友人の一人や二人程度できたはずだ。私もアルセリアの代わりに守るつもりだ。

 月を見上げる目が私に向いた。


「愛良もいますからね。秋人が余計なことをしてくれていますけど。」


 秋人に大切な妹を奪われると、そう思っているのか。だからあれほどまでに二人のことを気にかけ、問題視していた。


「何があったとしても、愛良にとって君は特別な存在だろう。」


 血の繋がった兄妹と知る前から、愛良は彼を兄の一人と認識し、そのように呼んでいた。だから呼び方も直させる必要はなく、何も変わることなく慕っている。

 仮に友幸が余計と称することを秋人ではなく別人が行い、さらにそれを愛良が受け入れれば、共にいることは困難になるだろう。


「それは、そうですけど。」

「他の男に手を出されたほうが問題だろう?私の屋敷から出て行くこともあり得る。」

「アリシア様がそのようなことを許すのですか?」


 許すつもりはない。だからこそ、恵奈の助言も受けて、ここに留めるためにできることをしている。それが強制となってしまわないように、注意を払って。


「私は愛良の望まないことはしたくない。だから望んで留まるよう、愛良が他の男から何も教えられないよう、手を回している。」


 今のところ、その作戦は上手く行っている。相手方からの恋文は私が握り潰せる。恵奈の助力により、秋人も愛良を意識した。愛良もその行動を受け入れている。そこに特別な愛があるかは分からないが、それは愛良が成長すれば変わってくるだろう。

 その愛良の成長を妨げる一因は友幸にある。


「やめましょう。今日はそんな話をしようと思ったわけではないのです。」


 指先だけが軽く繋がれ、揺れる月を眺めながら、彼は自分の思い出を語ってくれた。皇都に上がった頃の、秋人と出会った頃の話を。

 それを聞けば、なおさら二人の関係を否定する理由が分からなくなる。


「秋人なら愛良に寂しい思いはさせないでしょう。突然気が変わって、手を離すこともないでしょう。ですが、愛良がそういった関係を受け入れられるかどうかは別でしょう?」

「それは愛良自身が判断することだ。彼女も嫌なら嫌と言える。」


 納得していないように黙り込む。何が引っかかっているのだろう。


「嬉しいなら嬉しいと言う。分からないなら分かろうとする。愛良は、君に何と言ったんだ。」


 悔しそうな顔が歪められ、指先に力が込められた。


「今、幸せだと。されたことを正確に覚えているのに、嫌そうな素振りを一切見せないんです。」

「それが彼女の答えだろう。」

「愛良は、幸せ、なんですね。」


 寂しそうに、ただ揺らめく水面を見つめた。


「君は違うのか。」


 貴族相手の仕事はほぼなくなった。舞台の予定もないが、生活の心配はないはずだ。しかし、彼のやりたいことが舞台なら、出来ていない状態になってしまっている。


「分かりません。」

「君は何がしたいんだ。」


 それが分からなければ、手を貸すことも難しい。しかし、今までしていた仕事も即答できないなら、それを奪った私に強い悪感情を抱くこともないように思える。この半年で、私に対する態度も大きく変わり、以前向けられたような憎悪は感じられていない。


「何も、思いつかないんです。目の前の一瞬を、今を耐えて。何も心配せずにいられる状態で何をしたいかなんて、考えたことがありませんでした。」


 仕事が要ると言ったのは生活面だけの問題ではなかったのかもしれない。自分を支えるものとして必要としていたのだろう。

 愛良と同じように彼を守るにも、私の屋敷にいてくれるほうが都合は良い。そのための方法はあるが、それを受け入れてもらえるかどうかは分からない。


「幾らでもこれから考えれば良い。ここでいきなり君を放り出すことは、秋人も愛良も許さないだろう。」


 私のことは信じてもらえずとも、彼らのことなら信じられるだろう。そう推測し、私は彼らを口実に、友幸を屋敷に留める。


「アリシア様はどうお考えですか。」

「もちろん私も手放す気はないよ。」


 するりと指が離され、幾分明るい表情を向けられる。


「帰りましょう。明日も仕事があるでしょうから。」


 馬に向けて足を進める。何があったかは分からないが、サントス邸に留まることに対して、前向きに捉えてくれるようになったのかもしれない。

 帰り道も行きと同じように会話は少ない。しかし、その空気感は大きく異なっていた。


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